転生令嬢、婚約者の過去を傾聴する。
「フィリアは、あの時の争いの事をどの位知ってる?」
徐ろに口を開たロセ様が私に問い掛けるが、実は余りそれを知らない事に思い至る。
辺境の争いは私が4歳の頃に起こった物で、確か辺境伯の領土が他国から奇襲を受けた事で始まったと昔家庭教師に聞いた記憶がある。
最初は突然の奇襲に沢山の兵士が犠牲になったが、ロセ様率いる王国軍がその制圧に当たり、兄様の戦術も功を奏して無事領土を守り抜いた、と言う事が私の知る話だ。しかし目の前のロセ様を見ていると私が知っているのは恐らく教科書に乗るような都合のいい事実のみなのだと思い知らされる。
自分婚約者の事なのに余りに知識が不足している事に内心気落ちしてしまい、思わず表情が曇る。
そんな私を見ていたロセ様は、苦笑を浮かべて大丈夫だよ、と声を掛けて下さった。
「フィリアはまだ4歳の頃でしょ?知らなくて当然だよ。」
そう言いながら私の手を握って、先を続ける。
「昔、フィリアと一緒にお茶を飲んだ頃の事、覚えてるかな。確かフィリアが3歳位で、まだリンドノート公から離れたがらなくて、よく城に来ていた。」
少し懐かしむ様な視線で問われた声に、頷く。まだ私は小さかったが、その頃の事も全て自分の記憶として覚えている。
その頃甘やかして下さるお父様が大好きで、無理を言ってよく城に連れて行って貰っていた。
ロセ様と一緒にお茶を飲んだ日も、朝からべったりだった私を見かねたお父様がお城に連れて行ってくれていたのだ。
「その頃の俺はね、なんと言うか…うん、ぬるま湯に浸かっている様な、そんな環境だった。元々の素養もあって強い魔法が使える事と、剣術でも戦略的に機転が利くと言う事もあって、当時既に俺の相手が出来るのは騎士団長位だったんだ。それでまあ、有り体に言えば思い上がっていた。」
周りから漏れ聞こえていた、そして当時私が感じていたロセ様の印象からするにそんな事は無いのだろうが、恐らくロセ様が自身に対する評価を改める事は無いのだろう。
少し苦笑を浮かべながら自分に対しての辛辣な評価を口にするロセ様を見つめる。
「その頃から既に兄上が常に俺より上の立場に居たんだけど、武術や魔力に関してだけは兄上に勝てて居たんだ。そんな部分も思い上がる原因の1つだったのかも知れないね。…そんな時、あの争いが起きた。」
握り締めた私の手を弄びながら、少し言い辛そうに言い淀むロセ様をじっと待つ。
そんなに言い難い事ならもう辞めても大丈夫、と思わず口にしそうになったが、私が口を開く前にロセ様がゆっくりと言葉を吐き出した。
「……正直ね、地獄だと思ったよ。人と人との争いを、舐めてた。容赦の無い攻撃に、さっきまで笑っていた人が物言わなくなって行く。それも1人や2人じゃなくて、部隊全体が、なんて事もあった。俺自身最前線に居たし、何度死を覚悟したかも分からないくらい。」
苦々しく吐き出される言葉に、何も言えなくなる。私自身、転生してから孤独を感じた事はあっても、命の危機なんて感じた事は無かった。
「それでも俺は、他の人よりは力があったから。身を守る事も、攻撃に出る事も出来た。でもだからこそ、色んな人と話して、見送って、新しく来た人に指示をして、それがまた見送る事に繋がって。……自分が責任を取って犠牲になる事で争いが収まるならそれでも良いって、何度思ったかも分からない。それでも俺は王家の人間で、自分の感情だけで下手に死ぬ訳にも行かなかったから。…そしてそんな俺を守る為に、また多くの人が犠牲になった。」
目の前の茜色が段々と紫紺に塗り替えられて行く中、私を抱き締めてそう言ったまま黙り込んでしまったロセ様の頬に、そっと触れる。その感触にびくりと睫毛を揺らした奥に、不安そうに揺れた紫の瞳と眼が合った。
「……だからね、誰よりも長く戦場に居た俺は、誰よりも多くの人を殺した。本当はフィリアを抱き締めて笑ったりする権利なんて無いくらい、どうしようもなく血に塗れてる。」
「そんな事…!」
慌てて声を上げた私を、ロセ様が苦笑を浮かべて見つめる。
そんな事、無いのに。幾ら争いで人を殺めていたとしても、それによってそれ以上の人間を守った事を、皆知っているのに。
「……人を殺すと人殺し、って言われるでしょ?でもね、戦場で100万人殺すと英雄って言われるんだって。不思議だと思わない?命の重さは平等に重くて、場所が違ったってそれが変わる筈も無いのに。」
自虐に満ちた表情をしたロセ様がそう口にしながら、嗤う。
ああ、だからなのか。
だから、英雄と言われる度に苦しそうな顔を、しているのだ。
「実際俺の場合は広範囲の魔法を容赦なく敵陣に打ち込んでいたから、100万とは行かなくてもそれなりの数の人間の命を奪っているんだ。……敵陣に居た人間だって同じ様に笑って、悩んで、家族と共に生きていたのにね。」
自虐的な笑みを浮かべたロセ様が、苦しそうに言葉を吐き出す。1度吐き出された言葉は止まる事は無く、次から次へと流れ出た。
「皆が俺の事を、英雄と言って褒めてくれている事は理解しているんだ。その言葉に他意がない事も。……それでもね、言われる度に思ってしまうんだ。俺は人殺しだって。こんな風に公の場に立って、結婚をして、幸せにしている権利なんて無いんじゃないのか、って。」
そう言って苦笑を浮かべたロセ様が泣いている様に見えて、思わずぎゅっ、と抱きつく。そうしないと、何処かに消えてしまいそうで不安になったからだ。
そんな私を少し驚いた顔で抱き締め返してくれたロセ様を、じっと見つめる。
ロセ様の言う事を否定しても、きっと心には届かない。
そんな事無いと言うのは簡単だけれども、ロセ様が言う側面があると言う事も事実なのだから。
だとしたら、私が伝えられる事はきっと、これだけだ。
「……ロセ様が言う事がその通りだったとしても、私は貴方を抱き締めます。周りの言う権利なんて、どうでもいい。」
「フィリア…」
「私と婚姻を結ぶと、結びたいと思ったのは、誰でもない貴方なのでしょう?そして私はそれを受け入れた。私のその決意を、幸せになる権利を、勝手に否定しないで下さい。」
たとえ人殺しであろうとも、それが英雄と呼ばれる程の数だったのだとしても。私はそんな彼と話をて、触れて、そして受け入れると決めたのだ。
その決意は誰にも邪魔させない。それが例えロセ様であろうとも、だ。
「それに…確かに沢山の人を殺めたのかも知れませんが、それ以上に沢山の自国の人間を守ったからこそ、皆が英雄と呼ぶのです。命の重さは確かに平等ですが、見知らぬ敵国の兵士と隣で笑う隣人なのであれば、私は迷う事無く隣人を選びます。ロセ様は取捨選択をしたに過ぎません。だから、大丈夫。私がロセ様を肯定し続けます。横で、ずっと。そして、幸せになるんです…っ!」
頭の中でぐちゃぐちゃになった思いを、一気に吐き出す。
誰よりも人の事を考え、振り回され我慢をしている筈なのに、それでも笑顔で耐えてきたこの人が幸せになれないなんて、そんなの、有り得ない。
「…何でフィリアが泣くの。」
泣き笑いの様な顔をしたロセ様にそう言われて、自分が泣いていることに初めて気付く。1度意識してしまえばぼろぼろと、止めどなく涙が流れ出た。
「そんなの…っ…ロセ様が泣かないからです…っ…!ロセ様こそ何で泣かないんですか…っ!」
「……えぇー…理不尽だなぁ…。」
ついつい勢いで言ってしまった言葉に自分でも理不尽な事を言っているなとは思うが、そんなの知った事じゃない。泣く事も、幸せになる事も、諦めなくていいと伝えるた為に理不尽でも、私は声を出しているのだから。
「理不尽とかどうでもいいんです!良いですか?ロセ様が泣かないのなら私が泣きますし、ロセ様が1人じゃ幸せを諦めそうになるなら、私と一緒に幸せになるんです!それはロセ様にだって邪魔はさせません!分かりましたか!」
泣き顔のままそう叫んだ私に、泣き笑いの様な顔でうん、そうだね、と言ったロセ様を見て、やっと安堵の感情が胸に広がる。
その安堵感に知らず溜息の漏れた私を笑いながら見ていたロセ様が、ふと思いついたかのように口を開いた。
「でもね、フィリア。俺としては嬉しい所だけれども、その発言はまるでプロポーズの様だよね。」
そう言って笑ったロセ様の発言を頭の中で咀嚼してその意味に気付いた時、どうしようもない羞恥に襲われて顔を真っ赤にしながら、また理不尽にもロセ様を睨みつけたのだった。




