疲労と夕闇は、昔話と共にやってくる。
「……疲れた…。」
自室のベッドの上にぼすりと音を立てて倒れ込む。
かなり行儀が悪いとは思うが、今日ぐらいは許して欲しい。実際咎める人間もいないし、と誰ともなしに頭の中で言い訳をしながら、薄い天幕に覆われた天井をぼんやりと眺めた。
あの後そのまま会議に向うことになったロセ様と別れ、私は1人自室に戻ることになった。
実際自分でも予想していた以上に緊張していたのだろう。情けない事に自室の扉を閉めた段階で力が抜け、そのままふらふらとベッドに横たわり今に至る。
本当に、一生分の緊張を使い果たした気分だ。
大体の流れを知っては居たが、まさか実質的な政権交代の一手まで打ってしまうとは思わなかった。道理でエドが必要以上に緊張している筈だ。
「……本当にいつから計画していたのかしら…。」
9年前のあの時、兄様を説得して、ロセ様とお話をした翌日、クロージア王に謁見した時に掛けられた言葉をぼんやりと思い出す。
あの時確か陛下が『何年掛かるか分からないが構わないのか』とやたらに確認してきた事を覚えている。その時点で今回の青写真が陛下の頭の中にあったと言う事なのだろうか。ロセ様や兄様が首を傾げる程にカラントに有利に進められてきた貿易や国交を考えると、あながちそれも間違いでは無いのかも知れない。
「転生者だって言ってたわよね……確か…。」
昔、兄様と話をした時にさらっとそんな事を言っていた気がする。その事自体は気にも止めて居なかったのだが、上げ続けた上で急に落とすえげつないやり方と言い、以前に話した時に感じた人を食った様な性格と言い、やはり一筋縄では行かない人間だ。
10年近くを陛下の思惑に振り回され続けた身としては文句の1つも言いたくはなるが、それでも重要なのは振り回されたのは私を含んだ身内のみだと言う点だ。カラント自体は別としてその事で最終的に損をする人間は、クロージアには居ないのだ。そう考えてしまうと、怒るに怒れない。
結局、私も、兄様も、ロセ様も、カラントと言う国自体も。
全ては陛下の掌の上、だった訳だ。
「……エド、大丈夫かしら…。」
今後の彼の事を考えてぽつりと呟いた言葉が枕の上に溶けていくのと一緒に、段々と瞼が重くなってくる。まだ明るいのになあ、と頭の中で考えるがそれに抗える程の体力も精神力も残っていない様だ。
疲れてるんだもの、しょうがない。今日だけだから。
誰にとも無く頭の中で言い訳をしてふかふかの布団に身を任せると、そのまま意識を手放した。
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「フィリア、いる?」
控え目に掛けられた声に、一気に意識が覚醒する。
慌てて身体を起こし、夕闇で薄暗くなって来ていた部屋の中をきょろきょろと見回してみるが声の主の姿は見えない。
「…ロセ様?」
夢だったのかも知れない、と小さな声で問い掛けてみると、ベランダの窓からコンコン、と音が響いた。ベッドを降りてそっと覗き込んだ先には、何時もの笑顔を浮かべたロセ様が立っていた。
「ごめんね、居るんだろうなとは思ったんだけど部屋も暗いし、勝手に入るのも気が引けたから…もしかして起こしちゃった?」
「いえ…気が付いたら寝てしまっていて…起こして下さって助かりましたわ。」
「そっか、なら良かった。一応全部終わったからね、報告にと思って。」
そう言って笑いながらロセ様が私の頬に手を伸ばす。さらりと撫でられた頬に伝わる手の温かさに、思わず表情が緩んだ。
「フィリアが良ければ、場所を移しても平気?……どこぞの王太子に邪魔されても嫌だし。」
「ロセ様がその方が良いと仰るのであれば、断る理由はありませんわ。」
少し揶揄う様な笑みで言われた言葉に、こちらも笑顔で頷いて返す。
良かった、と言われた次の瞬間には身体が暖かな魔力に覆われ、そのまま抱き締められたかと思うと転移の感覚に襲われる。ぎゅっ、と目を瞑ってふわりと揺れる感覚に耐えると、次に目を開けた時には夕焼けが目の前に広がって居た。
「ここは……」
「まあ、まだ城から出る訳には行かないからね。それでも少し景色の良いところを、と思って。」
恐らく天守に近い所なのだろう。広がる景色はかなりの景観だが、物凄く高い位置に居る所為か無意識に身体が竦む。
そんな私の様子に気付いたロセ様が、ふわりと自身のマントで私を包むと、そのまま抱き抱える様に座り込んだ。
「こうしてれば、大丈夫でしょ。例え落ちたとしても絶対に怪我はさせないから。」
にこりと笑みを浮かべられて言うにしては縁起でもない話だが、自信を持って言われているのだからきっと大丈夫なのだろう。
実際ロセ様ならこの高さから落ちても平然としてそうなイメージがある。
「…ロセ様って、もしかして空とか飛べたりします?」
荒唐無稽だとは思ったが、思わずそんな言葉が口から出た。しかしそんな私の言葉に、んー、と少し考える様な所作をしたロセ様がそうだねぇと言いながら二の句を繋ぐ。
「飛べる、とは少し違うのかも知れないけど、風魔法で浮く事は可能だね。そのまま移動しろと言われれば出来なくも無いし、広い意味では飛べてるのかもね。」
笑いながら平然と言われた言葉に、改めてクロージア王家の魔力の高さを再認識させられる。普通はロセ様の言う事が出来たとしても、その後魔力不足でふらふらになって落ちてしまう気がするのだが、多分ロセ様がそんな風になってしまう事は無いのだろう。
「…なんと言うか…規格外ですね……。」
心底感心して口に出せば、ロセ様が苦笑を浮かべる。
「うーん…まあ正直、元の魔力量もあるけど俺の場合は成長する時期にふらふらになるまで魔力を使って回復させて使って…って繰り返した所為なんだと思うんだよね。正直当時はそうしないと死んじゃう位切迫してたし、それを後悔はしてないんだけど、お陰で兄上と比べてもちょっと桁が違う位の魔力量になっちゃった。」
さらりと言われたが、もしかしてそれは例の辺境で起こった争いの事だろうか。確かあの争いの後で、『武の英雄と知の英雄』と言う敬称がロセ様と兄様についた筈だ。
「あの、兄様とロセ様に英雄と名前の付いた争いの時の事ですか…?」
何気なくそう口にすると、少し困った様にロセ様が笑った。
その瞳の奥が切なそうに見えて、思わず胸がどきりと跳ねる。
「…うん、そうだね。でもね、俺本当は、その呼び方嫌いなんだ。」
困った顔のままそう言ったロセ様の顔が酷く切なそうで、思わず頬に手を伸ばす。何故だろう、ロセ様が泣いている様な気がした。
「…良い機会だから、少し昔話に付き合ってくれる?本当に全然楽しい話とかじゃなくて、申し訳無いんだけれど。」
そう口にしたロセ様に無言で頷き、肯定の意を示す。
そうしてありがとう、と言ったロセ様は昔の、まだ彼が少年だった頃の話を始めた。




