閑話.その時自国の王太子は何を思うか 6
「兄上。」
「ロセか、どうした。」
顬を抑えていた時、突然部屋に現れたロセを見遣りながら手に持った書類を伏せた。かなり思い詰めた表情のロセに内心、ああ限界が来たのか、と溜息を吐く。まあ座れよ、とソファに促せば大人しく従うその姿に違和感を覚えた。疲れ果てたと言う風情の弟に3年前のあの時の姿が重なった。
ソファに座り、珍しく少し言い淀んた後ロセの口から出たのは、少し意外な事だった。
「何故、リリーを城に?」
「その事か。まあ、表向きはお前も知っている通りだ。」
「…その真意は?」
「あんな危険物野に放って置けるほど俺は楽観的じゃないんだよ。」
端的に答えてやれば少し意外な顔をされる。
俺が答えるとは思っていなかった、と言わんばかりの顔。それ以上に何か隠しているのでは、と訝しげに視線を向けられ、思わず苦笑が漏れた。
確かに、リリーシアのゲームに関しての話は未だロセには告げられてはいなかった。強制力について言及して話さなくてはいけない以上、これ以上今のロセにネガティブな内容を伝える事を俺が躊躇したからだ。理由も知らず監視をする事にそのうち限界が来る事は理解していたが、それでもどんどん憔悴していくロセに追い討ちを掛ける様な真似が出来なかった。
然しそれ以外の情報に関しては包み隠すつもりもない。少しの嘘を混ぜながら、ロセとの会話を続ける。
「あの女に関して今更隠し事もねえよ。お前が一番迷惑被ってるんだ、その位の情報はやるよ。」
「含みのある言い方ですね。…他の情報は、易々と教える気は無い、と言う所ですか。」
「…お前、可愛げ無くなってきたなぁ。」
「兄上には言われたくないですよ。」
半眼で睨みながら言うロセに、更に苦笑が漏れる。
3年前のあの日から、ロセは俺に遠慮しなくなった。前世が拓斗だとバレた所為も有るのだろうが、俺に対する気負いが抜けたとでも言うのか、愚痴の様な内容でも口にする様になってきていた。
然し本当に聞きたい事は口に出せないのだろう。
2年前、カラントから帰ってきた後からロセはフィリアの事を口に出すのを辞めた。俺にそれを聞くことも無く、父に何か言う事も無い。何か進捗があれば教える、と言った言葉を信じているのか、それとももう諦めているのか。憔悴したロセからそれを読み取る事が出来ず、ずっと様子を見て来たがカラントからの巫山戯た書簡が届いた以上、これ以上放置は出来なかった。
「…お前、俺に他に聞きたいこと有るだろう。聞かないのか?」
誰の事、とは言わず問い掛けるとロセの瞳が僅かに揺れる。少し目を伏せた後再び開いた紫の瞳には、強い意思と嫉妬が籠っていた。
「…聞きませんよ。必要な事なら、其方から仰るでしょう。」
聞き様によっては冷たいとも取れる台詞。然しその中に込められた嫉妬に、思わず笑いが漏れる。限界ではあるが諦める気は無い、と言う現れだ。もしかしたら今回フィリアを取り返せなければ本当に国1つ滅ぼしに行くかもな、なんて密かに思った。
「他の男の口から自分の女の話は聞きたくない、って事か。良い顔になってきたなぁ、ロセ。」
久しぶりに見る強気な態度に楽しくなって笑い掛ければ、それが気に触ったのか睨み返される。それでも図星だったのだろう、それ以上の文句は帰って来なかった。
「…やっと及第点、って所だな。」
「兄上?」
ふ、と笑いながら言葉を吐くと、訝しげに声を掛けられた。先程までの覇気のない顔とは比べ物にならない程感情の籠った顔。この位の気概がなければ、此方の計画には巻き込め無い。それでも少し試すかの様に、次の言葉を投げ掛ける。
「なあロセ。お前、今の自分の立場理解してるか?」
「…嫌でも理解してますよ。」
俺の言葉に苦々しい表情を浮かべながら、それでもロセは肯定を口にする。自分の立ち位置がどうなっているか、それが分からない程愚鈍な弟では無い筈だ。1度の失敗が通常では有り得ない程の尾ひれを付けて何年も終息されずに広がっている。城にリリーシアが居る事も、ロセが未だ独身である事もその一端を担っているのだろうが、それにしても作為的としか思えない程にロセの立場は追い込まれて居た。事実と虚言がすり替えられ、城の中ですらリリーシアとロセがそのうち婚約すると思っている者も居る始末だ。
それがロセの意思ではで無い事は理解しているが、その噂を払拭出来るのもロセだけなのだ。それを理解させたくて、わざと厳しめに言葉を掛ける。
「…なら、理解していると認識した上で、王太子として問おう。フィルリア=アルフリア=リンドノート嬢との婚約を破棄して、リリーシア=ノエル嬢との婚姻を、望むか?」
煽るかの様な言葉を投げ掛けると、はっ、と目を見開いた後、今までと比べ物にならない程の敵意の篭った目で俺を睨みつけてくる。フィリアに対しての熱の篭った、ロセ本来の瞳。
「…巫山戯るな。俺はフィリアとの婚姻を望んでいる。…絶対に婚約破棄なんか、しない。」
そう言い切ったロセの言葉に、俺は少なからず安堵した。
「…じゃあ、まずその噂を払拭する努力をしろ。お前の力で、フィリアが帰って来る場所を作ってやれ。…じゃないと横からかっ攫われるぞ。」
そう言いながらカラントからの書簡を投げてやると、それに目を通した瞬間凍える様な魔力がロセから溢れた。その怒りの篭った顔を見るに、どうやら相当今まで我慢してきたのだろう。反撃の材料も与えられずに、2年。逢えなくなってから、もうすぐ9年。もう、充分すぎる位に待った筈だ。
「……フィリアは、大分美しく成長したらしい。その容姿が社交界で評判になる程に。あちらさんがどの程度本気なのかは分からんが、俺はフィリアを他国に嫁がせる気は無い。いざとなれば俺の力で此方に連れ戻す事は可能だが、軋轢を産む。出来れば穏便にフィリアを此方に連れ帰りたいんだ。」
どの程度本気か、なんて今更言わなくても身に染みて良く分かって居るが、それでも他国の思惑を断言する事は出来ない。ロセを落ち着かせる意味合いを含めて語るいつになく湾曲な物言いの中に、暗に『お前をカラントに攻め込ませる事無く』穏便に済ませたい、と言う意味の言葉を混ぜると、ロセが頷いて二の句を繋ぐ。
「…それで、俺に早々に居場所を作れ、と。」
「そうだ。異論は無いだろう?本来であればもう少し早く向こうの国に働きかけてフィリアを呼び戻すつもりだった。でも、この国の貴族共の評判を考えると、無理には連れ戻せなかった。だから、フィリアが婚姻を結べるこの年齢まで待ったんだ。」
2年間、ずっとこのタイミングを待っていた。
予想通りカラントからは自国の王太子がフィリアを正妃に迎えたいと言っている旨の書簡が届いた。王太子の成人の儀に俺とティアを招待する、と言うおまけ付きで。向こうも婚姻を結ぼうと狙っているだろうが、此方と婚約破棄をさせたい以上必ず1度はフィリアに逢えるタイミングが出てくる筈だ。
フィリアも16歳を迎えているから、クロージアでも直ぐに婚姻が結べる。であれば、もうこちらが遠慮する必要も無い。婚約者と婚姻を結ぶ為に呼び戻すと言えば、議会の貴族共も父も異を唱える事は出来ない。後は向こうの横槍をどうするかだけだ。
状況的にも心理的にも、どうやってもこれ以上は、待てない。
「ロセ、成るべく早くだ。でないと、本当に奪われるぞ。取り返しが付かなくなる。」
真剣な顔でそう述べれば、ロセも同じ様に真顔で頷く。
「俺が動く事でフィリアを呼び戻せるなら、幾らでも動きます。…但し、リリーの監視から外して下さい。でないと、噂の払拭所じゃなくなる。」
「分かった。表向きは多少相手して貰うが、監視はしなくていい。それは、他で考える」
ありがとうございます、と頭を下げてロセが退室して行く。その後ろ姿を見ながら、この先の展開をどう進めるか思案した。
フィリアに関して不安要素はあるが、フィリア自体が婚約を解消したいと思っているのならもう既に向こうから知らせが来ている筈だ。それが無い以上、フィリアはまだロセとの婚約を望んでいると考えてい良い。
さあ、反撃だ。
散々コケにしてくれたんだ、お礼をしなければ。
獰猛な笑いを浮かべながら、先の展開を考える。
どうすればより効果的に相手に借りを返せるか。
誰も居なくなった執務室で考えを巡らせながら、俺は1人、眼を閉じた。




