婚約者との語らいは2度目の衝撃と共にやってくる。
ロセ様の合図と共に暖かな魔力に包まれる。着いたよ、と声を掛けられ再び目を開けた時にはそこはもう良く見知った自室だった。
既にエドは退室したのか暗い部屋には誰の気配も無かった。転移が終わっても私を抱えたまま離そうとしないロセ様に取り敢えず、と部屋の隅にあるソファを勧める。横並びで座るとごく近くに感じる体温に、何だか懐かしさを感じた。
「所で、ロセ様は何故此処に…?」
突然の事で聞けていなかったが、そもそも何故今日この場にロセ様が来たのだろう。流石にクロージアからカラントまで転移してきたとは思わないが、それであれば何故此処に来れたのか疑問が残る。首を傾げて聞く私に、ロセ様が笑みを見せながら答えてくれた。
「元々成人の議に招待されてたからね、今日此方に着いた所だったんだ。でもフィリアについて聞いてもはぐらかされるし、部屋も教えて貰えないから魔力を探ってた。」
「魔力、ですか?」
「そう。昔、フィリアに俺の魔法を掛けたのを覚えてる?」
ロセ様の言葉に頷いて肯定する。星祭の日、姿を変える魔法を掛けてもらった時の事だ。
「その時フィリアの魔力は把握してたからね。ただ、その時よりは成長してるし、少し感じが掴み辛かったんだけど……」
そこ迄言ってロセ様がじっ、と私を見詰める。何だろう、と首を傾げると手を伸ばして来て少し腫れぼったさの残る私の目尻を撫でる。
「…フィリアさっき、本気で泣いただろ?魔力が凄く乱れてた。」
「泣くと乱れるのですか…?」
泣いていた、と言う事実を誤魔化す様に疑問を口に出せばロセ様が苦笑を浮かべて説明を続けてくれる。その間も私の顔を撫で続けている。
「泣くと、と言うよりは感情が乱れると、だね。コントロールが効かなくなる感じとでも言えば良いのかな。激しく動揺した時とか、負の感情が強くなった時何かが特に乱れやすい。」
「そうなのですね…。それでこの部屋に…?」
「そう。本当はもっと手順を踏んでフィリアに会うつもりだったんだけど…何かあったのかと思って心配になって直ぐに飛んで来てしまった。…でも、無事で良かった。」
笑顔で最後に私の頬をするりと撫で、ロセ様の手が離れて行く。その温かな感触が離れて少し寂しい気分になったのは、自分の心に留めておいた。
「ご心配お掛けして申し訳ございませんでした…。……でも、来て下さって嬉しかった。」
にこり、と意識して笑みを浮かべると、ロセ様も笑みを返してくれる。記憶の中と変わらないロセ様の笑い顔に心から安堵した。
「……でもフィリア。何でこんなに泣いていたの?俺の所為だけじゃないでしょ、さっきの様子を見る限り。」
ロセ様の紫の瞳に覗き込まれ、思わず言葉が詰まる。…何と説明したら良いのか。
「フィリア?」
悩んでいる私を見て何かを感じ取ったのか、顔を覗き込んだままロセ様が先を促す。前もそうだったがこの状態のロセ様は誤魔化せない。それでも言い淀んでいる私に、教えて?とダメ押しの様に声を掛けてくる。
「えっと…少し切っ掛けがあって、それでもうロセ様や兄様の事が分からなくなってしまいまして…それで……」
「うん、それは御免。また後できっちり謝るから。でも、今はそれじゃないよね?」
何とか絞り出した私の答えに容赦の無いロセ様の声が被さる。誤魔化せるとは思ってないが、少し話しを逸らす事も許されない様だ。逃がさない、と言わんばかりのロセ様の瞳が私を見詰める。
「その切っ掛け、って何?」
にこりと笑い掛けられながら聞かれるが、笑っている様に見えないのは何故だろう。教えて?と再度口に出され、それ以上の抵抗を諦めた。1つ溜息を吐いて言葉を吐き出す。
「……エドに、キスされたのです。」
言葉を吐き出して俯く。その事自体はもうショックよりも怒りの方が強くなっていたが、ロセ様にどう思われるのかが怖かった。
そんな私を余所にロセ様はぴたりと一瞬止まると、何かをぶつぶつと呟いている。
「……あいつ、やっぱり殴っとくべきだったか。巫山戯やがって…。」
「…ロセ様?」
かなり剣呑な雰囲気で言われ、一瞬焦る。ロセ様らしくない、乱れた口調で尚もエドに対して文句を重ねて行く。
「大体、あいつフィリアに馴れ馴れしくしやがって気に食わない。愛称で呼んでるわフィリアからも呼ばれてるわ。」
「…えっと…ロセ様?」
声をかけるとちらりと何か言いたそうな目で見られる。少し居心地悪い気分になり僅かに目を逸らすが、それを許さないと言わんばかりに顔を覗き込まれる。
「…ねえ、フィリア。アイツと他に何かある?」
「え?いえ…他には特に…」
「本当?」
何か確信を持っている様な表情で問われるが、思い当たることが無い。困惑した表情で見詰め返せばロセ様は1つ溜息を落とした。
「…兄上の所に書簡が届いてね。カラントの第1王子がフィリアを正妃にしたい、と。」
言われた瞬間、ぎくりと固まる。そう言えばエドは兄様の所に書簡を送ったと言っていた。ロセ様が兄様の名代として来た以上、それを知ってて当然だ。
「勿論、兄上は突っぱねたけどね。それでも諦めて無いのは見て分かったよ。」
「そんな事…確かに毎日冗談での求婚はされてはいましたが…」
そう口に出した瞬間に、室内の急に空気が冷えたかの感覚に襲われる。昔の私は分からなかったが、今なら分かる。これはロセ様の魔力だ。
「…ふぅん、毎日求婚、ね。本当に巫山戯た真似をしてくれる…。」
ロセ様は少し低い声で威嚇する様な声を出す。自分に向けられている様で、思わず身体が震えた。息苦しくなりはっ、と息を漏らすと、その様子を見てロセ様が慌てて魔力を抑えてくれた。
「…っと、御免フィリア。少し辛かったね。」
「今のは…ロセ様の魔力、ですか?」
何時ものロセ様とは違う、寒々しい空気。私の知るロセ様のイメージとは違う魔力に少し困惑して視線を向ければ、ロセ様が困った様に笑う。
「…うん。うちの王家は元々魔力が高くてね。普通にしてても他の人よりは魔法が使えるんだけど…その中でも俺は氷の素養が高い。何時もは抑えてるんだけど、さっきフィリアに説明した様に感情が乱れると少し漏れてしまう時があるんだ。」
まあ、修行不足だね、と少し困った様に笑ってロセ様は私の頭をぽん、と撫でる。
「怖がらせちゃったね、御免。」
「それは大丈夫ですが、」
「それ。」
急に被せる様にそれ、と言われてなんの事か分からず困惑した視線を向けると、ロセ様が面白く無さそうな顔を向けて来る。
「それ、とは…?」
「その口調。あいつにはもっと砕けた口調で話して無かった?」
「ああ…それはまあ。ですが、それは子供の頃からの口調と言うか…」
「俺の所に居た時は今の口調だったのに?」
私の言葉が面白く無いのか、さらに機嫌の悪そうな顔で問われる。確かにそうなのだが、何と説明していいものか。
「…この国に来た後、エドは私を妹の様に扱ってくれたのです。その一環でまあ…色々と砕けて行ったと言うか、なんと言うか。」
ごにょごにょと声にならない声で言い訳とも言える言葉を口にした私を見て、ロセ様は困った様な顔を向けて来る。9年間逢えなかった間に積み重ねられた物は多い。それに文句を言っても仕方無い事は理解しているが、それを上手く説明出来なくて俯いてしまう。そんな私にロセ様が頭を撫でながら声を掛けてくれた。
「…あのね、フィリア。俺は他の事に関しては、割と心が広い方だとは思うんだけど、フィリアに関しては凄く心が狭いんだ。俺が腑甲斐無い所為で9年も待たせた事は自覚してるし、その間に仲良くなるのは仕方無いとも思うけど、それでも面白くは無いんだよ。」
じっ、と私を見詰めながらひと言ひと言丁寧に話を続けてくれるロセ様に、僅かに頬が染まる。
「だから、できる事なら俺の事も呼び捨てにして欲しいし、口調だってもっと気安く話して欲しい。直ぐにとは言わないけど、そう思ってる、って事は理解して?」
ロセ様の言葉は、昔より更にストレートになった気がする。
つい先程までは9年も放置されて、と思っていたのに目の前に居るロセ様を見るとそれもどうでも良くなってくる。結局の所、私は9年経とうが何だろうがロセ様が好きで、詰まるところそれだけなのだ。
「…努力、します。」
直ぐに切り替えられる気はしないが、それでもロセ様がそれを望むなら答えたい。そう思って微笑み掛けるとロセ様が満足そうに笑った。
「あ、あとね。」
ふと、思い付いたかの様な軽さでひと言漏らすと、ロセ様の顔が近付いて来る。綺麗な紫色に気を取られているうちにどんどん距離が縮って行き、気付いた時には私の唇に柔らかな感触が当たった。
「…これに関しては許せないからね、上書き。」
吐息を感じるほど近くでそう話すと、ちゅ、と軽い音を響かせて私の唇に柔らかな感触がもう一度重なる。驚いている私の顔に満足そうな笑みを見せ、ロセ様の顔が離れて行った。
「…さて、大分侮ってくれていたみたいだからね。第1王子にも、この国の王にも、きっちり借りを返してやらないと。」
そう言って獰猛に笑うロセ様の顔を、楽しそうだな、なんて見当違いの感想を持ちながら、未だ赤さの治まらない頬のままの顔で見詰めた。




