転生令嬢、婚約者と今までの待遇について考察する。
「…本当に?夢とか偽物じゃなくて?」
身体を包む暖かな体温が信じられなくて、囲われた腕の中からそっとロセ様の頬に手を伸ばす。触れた指先から伝わる体温が本物だと伝えて来ている様で、思わずじわりと涙が滲んだ。
「…ごめんね、フィリア。大分待たせてしまった。」
「…本当です…っ…。もう、忘れられてるのかと…おも…てっ…!」
涙で言葉が上手く出て来ない私の背中を、優しく撫でてくれる。ああ、この手だ。ずっと、触れたくて、触れて欲しくて仕方が無かった。
「忘れる訳がない。フィリアは俺の唯一だ。…言った筈だよ、泣いても喚いてももう離してあげないって。」
ぎゅっ、と抱き締めて、涙を舐め取る様に目元に何度も口付けられた。その行為に、昔もこんな事をされた記憶がある、なんて頭の片隅でぼんやり思いながらロセ様を見詰める。綺麗な紫の瞳と目が合うと、優しく微笑み掛けられた。
「…フィリア、凄く綺麗になったね。小さいフィリアも可愛かったけど、今も凄く可愛い。」
ちゅ、と音を立てて繰り返される行為に、とっくに涙は止まっていた。どんどん顔が熱くなって来て、自分でも頬が染まっているのが分かる。
「…ロセ様、あの」
流石に恥ずかしい、と声を掛けようとしたその時、ドンドンッ、と少し乱暴なノックの音が部屋に響いた。ビクリと私が肩を震わせたその音に、ロセ様は眉を顰めると私をそのまま抱き上げる。
「…っ!ロセ様…?」
急に抱き上げられた事に吃驚して声を掛ければ、ロセ様が少し機嫌の悪そうな顔のまま、大丈夫だからこのままで、と私に声を掛けた。しかし視線は扉から離れない。
「リア?入るぞ。」
そう言って扉を開いて入ってきたのはエドだった。暗闇の中視線を動かし、抱き上げられた私を見付けて一瞬ぎくりと固まる。然し直ぐに我に帰ったのか、厳しい顔でロセ様を睨み付けた。
「…何者だ。リアに危害を加える気か。」
低く威嚇した声で話すと、腰の剣に手を掛ける。その様子を見たロセ様が、私を強く抱き締め直しエドの事を睨み付けた。
「……カラントの第1王子、か。人に喧嘩を売る前に少しは相手の顔をみたらどうだ。顔も覚えてないと言うのなら王太子として勉強不足だと言わざるを得ないな。」
「何…?……お前、もしかしてクロージアの武の英雄か…?」
訝しそうな顔でロセ様を見詰めていたエドがその事に思い至って複雑な顔を向ける。その顔には何故此処に、とありありと書かれていた。
「エド、ちょっと待って…!ロセ様は…」
大丈夫だから剣から手を離して、と続けようとした私だったが、その言葉か口から出る前にロセ様から急に魔力の高まりを感じてぎくりとして顔を向ける。この数年でやっと魔法が使えるようになったばかりの私でも分かる、剣呑な雰囲気。私の知るロセ様の暖かな魔力とは違う、敵に向けるような尖った魔力だ。
「…フィリア、第1王子と仲が良いんだね?」
何だろう、笑ってる筈なのに笑って見えない。ぞくりと背中が寒くなる様な綺麗な笑みで、私に笑いかける。
「…仲が良いかどうかと言われれば、多分良いですけども…でも…」
私は今怒っていて、と続けようとして、今まで頭から追いやられていた今日の出来事を思い出す。急に黙ってしまった私を見て、ロセ様が慰める様に額にキスを落とした。
「…成程、フィリアの涙の原因はお前か。」
そう言いながらエドに剣呑な雰囲気を向け、睨め付ける。流石に思い当たる節があるのか、エドがうっ、と息を飲むのが分かった。
「…悪いがフィリアは俺の婚約者だ。余計な真似も横槍も許さない。返して貰うぞ。」
そう言ったかと思うと、抱き上げられた私ごと今度は暖かな魔力に包まれる。
「おい…!待て…!!」
何かを悟ったエドが此方に近付いてきてロセ様の肩を掴もうとしたが、ロセ様の魔法が発動される方が早かった。
小さな声で私に飛ぶよ、と声を掛けたかと思うと、そのまま転移の魔法を発動させる。視界が切り替わる瞬間、エドの苦々しい表情が見えた。
「…フィリア、大丈夫?」
ロセ様の声で思わず目を閉じてしまっていた事に気付き、そっと目を開ける。此処は何処だろう、と辺りを見遣ると随分と高い。どうやらカラントの城の屋上の様で、遠くに城下の明かりが見えた。
「…大丈夫、です…。」
辛うじてそれだけ絞り出したが、そのまま俯いて黙り込む。先程は急に現れたロセ様に驚いてそこまで考える事が出来なかったが、夜の冷えた空気と共に私の頭も少し冷えていた。
何故、とかどうして、とか言葉にならない声が宙に融ける。
「…フィリア、俺の事、見て。」
俯いてしまった私の頬をロセ様が両手で挟み、そっと上を向かせる。今私はひどい顔をしているだろう。不安と、緊張と、疑心が混じった醜い表情。そんな私の顔を切なそうな顔で見ながらロセ様がまた額にキスを落とす。
「ごめんなさいロセ様…私、いま酷い顔してます…」
口を開けば責めるような言葉を口に出しそうで、思わず唇を噛み締めて目を逸らす。そんな私の様子をロセ様は黙って見詰めていた。
「…フィリア。」
ロセ様の声が、私の名前を呼ぶ。その声が酷く優しく聞こえて、またじわりと涙が浮かぶ。1度激しく泣いてしまった所為か、今の私は酷く涙脆くなっていた。
「フィリアが謝る事なんて、何も無いんだ。…俺が、全部悪い。9年前俺がリリーに対して間違えてしまったから、フィリアを今でも苦しめてしまっている。でも、俺の気持ちは9年経ったって変わらないから。俺が愛して欲しいのも、俺の事を分かって欲しいのも、結婚したいのも、全部フィリアだけだ。」
9年間を埋める様に、ロセ様が想いを口にする。真っ直ぐに見詰められて、ロセ様の想いの強さを感じた。
それでも、私の中にこれまで積み重なった思いが消化出来ずに燻る。ロセ様の想いの強さを聞けば聞くほど、余計に疑問が身体の中を渦巻いた。
「…なぜ…」
「…うん。」
ロセ様が静かに先を促す。その声に堰を切ったように言葉が流れた。
「何故、今まで手紙すら送って下さらなかったのですか…?連絡さえ貰えていれば、こんな風に思わなかった…っ!」
「…うん。」
「今だって!急に現れて、こんな風に連れ去って!国際問題にでもなったらどうするつもりですか…!大体どうやって来たんですか、9年も私の事なんか放っておいた癖に…!どうして、こんなタイミングで…っ…!」
段々涙が溢れて止まらなくなる。話せば話す程、堰を切ったように言葉は出続け、ロセ様はそれを静かに聞いてくれる。
「…っ…あいたかった…っ…ですっ…!」
涙をぼろぼろと流しながら最後に出た言葉は、凄くシンプルな言葉だった。そうだ、なんの捻りも無く、ただそれだけだ。
私は、ロセ様に逢いたかっただけなのだ。
「…うん、俺も逢いたかった。逢いたくて逢いたくて仕方無かったけど、周りの環境が君に逢いに行く事を許してくれなかった。」
ぎゅっ、と私を抱き締めながら、ロセ様が静かに話し続ける。
「書簡や手紙は最初、何度も送ったんだけど…君からの返事が届かなくて、そのうち俺も手紙を送るのが怖くなった。もう、愛想つかさせて忘れられてるのかも知れない、と思ったらもう、何も出来なくて。」
ロセ様の言葉に、思わず目を見張る。だって私は手紙なんて1度も受け取っていないのだから。
「…恐らく、だけど。多分かなり早い内からこの国の王はフィリアを第1王子の婚約者に据えるつもりだったんじゃないかな。だから、俺からの連絡は邪魔だったし伝えたく無かった。」
「…でも、そんなの…」
そんなの、国際問題にならないのか。他国の王子からの手紙を握り潰すなんて。
「俺の手紙だけならまだ分からなかったんだろうけどね。兄上のフィリアに宛てた手紙も握り潰されていた事が、密かに調査して分かった。だから、今回カラントからの招待に俺が乗ったんだ。…フィリアをきっちり取り返す為には俺が出た方が手っ取り早いからね。」
「…そんな事が……」
思っても見なかった事に、思わず身体の力が抜ける。じゃあ、最初から陛下に仕組まれていたという事か。段々不安になった所で成人を迎えたエドと婚姻を結ばせる。成程、中身を知ってしまえば単純だが効果的な手に思えた。
「…兄上も心配してる。…大丈夫、許可も貰ってきてるし、フィリアをきっちり連れて帰れる様にするから。…だから、俺と一緒に帰ってくれる…?」
最後は僅かに不安そうな顔で、私の顔を覗き込む。そんな顔をしなくても、私の答えなんてとっくに決まっているのに。
「…ロセ様がそれを望んで下さるのなら。」
そう言って心から、笑う。
「ありがとう、フィリア。」
そう言って笑い返してくれたロセ様に抱き締められて、私は心から安堵した。
9年間、積もり積もった心の闇が、俄に晴れていく様だった。




