日々の求婚は王太子と共にやってくる。
私は、海を見ていた。
そうだ、毎週此処に連れてきて貰っていた。
ほぼ自宅に軟禁の様な、分刻みのスケジュールに縛られた私が毎週ほんの2時間だけ。
この時間だけは、自由に、私で居られた。
ああ、彼が呼んでいる、行かなきゃ。
何時もの様に笑って、手を握って、ぎゅっ、て抱き締めて貰うのだ。
大好きだよって、笑って貰って。
そして、一緒に居ようね、って。
でも、何故だろう。彼の顔が思い出せない。その代わりに記憶の中で笑ったのは、綺麗な紫の瞳の、彼だった。
「…夢見が悪い。」
呟くように出された声は、広い部屋の中に融けて消えた。この9年で住み慣れた部屋は、簡素な中にも品のある調度品が用意されていて、それを見ても私が歓迎されている事は良くわかった。
最初は大きかったベッドも今では丁度いい大きさになり、16歳と言う自分の年齢を感じさせる様だった。
朝日が差し込む部屋で、ベッドから起き上がって頭を覚醒させる。
最近良く前世と今世が混ざった様な夢を見る。
原因は良く分かっていた。郷愁と、不安。
会えない時間が長くなり過ぎて、聴こえてくる噂に乗せられそうになる自分が居た。
私の国、クロージア国から聞こえてくる噂。
第二王子は懇意の女性を城に囲い、婚約解消をして彼女と婚姻を結ぼうと思っているがどうやら現婚約者がそれに頷かず、彼等の恋路の邪魔をしている。
なる程、第二王子の婚約者は中々に、性格の悪い女性の様だ。まるで乙女ゲームの悪役令嬢じゃないか。…まあ、私の事なんだけれども。
9年前、あの日別れてからロセ様とは1度もお会いしていない。婚約解消だ破棄だ等と言った書面は送られて来た事も無いので噂はまあ、噂でしか無いのだろうが、それでも書簡含めて手紙が1つも送られて来た事が無いと言う事実が、私の中に重くのしかかっていた。
リリーシアは、城に召喚されているらしいのに。
昔のロセ様はリリーシアに靡いてる様子は無かったが、自分もそうだと教えてくれた兄様を含め攻略対象としての強制力が働いていないと断言は出来ない。考え方に拠っては私のこの状況は、国外追放だ。自分で選んではいるが、それが強制力に寄るところでは無いと、断言は出来ないのだ。
「本当に、夢見が悪くて嫌になるわ…」
この夢を見た後は、どうにも思考が引き摺られがちだ。頭を振って思考を打ち切り、溜息を1つ吐くと支度をする為に侍女を呼ぶ為のベルを、鳴らした。
「よう、リア。好きだ結婚してくれ。」
「謹んで御遠慮申し上げます。」
いつもの様に書庫で本を読んでいると、銀髪に紫紺の瞳の美形が顔を覗かせた。まるで挨拶の様に軽く求婚され此方も同じ調子で返す。いつもの事とは言え、この一言を何とかして貰えないだろうか。
「エドワード様…毎回毎回その挨拶どうにかなりませんか?」
「俺は本気だからどうにもならんな。」
「…他の方が聞いたら勘違いされますよ?」
「勘違いじゃないから別に構わない。」
しれっと言われて、これ以上の突っ込みを諦めた。毎日同じ会話なので、引き際は心得ている。
「…改めまして、おはようございますエドワード様。」
「おはよう、リア。」
そう言ってにっこり笑ったエドワード様に、此方も笑い返した。
エドワード様はこの国、カラントの第1王子、つまり王太子殿下だ。行儀見習いの名目でこの国に訪れた2つ年下の私を、妹の様に可愛がって下さった。何時しかその気持ちが恋になり、毎日求婚を…と言う話なら素敵だったのだろうが、実際は違う。
最近この国での成人を迎えて毎日毎日訪れる妃候補との対面が面倒くさくなってきた彼は、あろう事か私に白羽の矢を立てた。小さい頃から一緒に居るから気心が知れていると言う良く分かるような分からない様な理由で、冗談とも本気とも取れない求婚を毎日繰り返しているのだ。…本当に、他でやって欲しい。
「大体私には婚約者が居るという事は知っているでしょう。時間の無駄なのでどうぞ他の方に求婚してきて下さいな。」
「ああ、あの一切連絡の無いクロージアの武の英雄の事か。お前の方こそ、そこまで連絡が無いって事は諦めろって事じゃないか?」
「うっ……」
すっぱりと痛い所を突かれて思わず呻き声が出た。今朝色々考え込んでしまった所為でダメージが凄い。
「7歳から会ってないのに、良くそこまで相手の事考えられるな、尊敬するわ。」
「…煩い、エド。」
ここへ来た頃の呼び名で低く声を漏らすと、そんな私を見てエドワードが楽しそうに笑う。成人を迎えるに当たってきちんと線引きすべく呼び名と喋り方を変えたのが面白く無いらしく、どうにか私から前の喋り方と呼び名を引き出そうとしている事は知っていた。
「確か俺には劣るかも知れないけどかなりの美形なんだろ?第二王子。選り取りみどりなのに、お前みたいに年下で遠くにいる奴待つ必要ないじゃないか。」
「…本当にもう黙ってくれない…?」
ダメージの強さに涙目になりそうだ。そんな事、エドに言われなくても分かっている。不安と疑心暗鬼で心が腐ってしまいそうだ。
「…そんなに逢いたいか?そいつに。」
「逢いたいに決まってるじゃない…。」
机に肘を付きながら面白く無さそうにそう言うエドに、本心で返す。逢いたいか逢いたくないかなんて、そんなの逢いたいに決まっている。でも、ルカ兄様から帰国命令が出ない以上、帰れない。
俯いてしまった私に、エドが1つ溜息を吐いて頭を撫でる。
「…悪い、そこまで落ち込ませるつもりは無かった。」
頭に手を置いたまま顔を覗き込まれ、エドの紫紺の瞳と目が合った。その瞳にロセ様の綺麗なアメジストの様な瞳を思い出し、思わず涙が込み上げる。
「…っ!泣くな!俺が悪かったから!」
「泣いてない…。」
おろおろと慌て始めるエドに、精一杯の虚勢を返す。
泣いてなんかいない。自分で選んだんだから、泣かない。
幾ら恋しくても、寂しくても。…たとえロセ様から忘れ去られているとしても、泣かない。
「…お前、俺の成人の儀の夜会、出るだろ。」
「陛下から招待して頂いてますから、出ますよ。」
私が泣き止むのを見計らって掛けられた声に、なんの話かと首を傾げながら答える。面白くないと言わんばかりの表情を浮かべながら、エドが話を続ける。
「その日、俺がエスコートするんだけど」
「…はあ…いつも通りですね。」
今更言われなくても、行儀見習いと言う名目では有るが予想に反して賓客として扱われた私は、歳の近いエドにエスコートして貰って夜会に出る事がほとんどだ。婚約者でも決まればそうは行かないが、このまま行けばまた私がパートナーなのは目に見えていた。
「多分来るぞ。」
「…?誰が?」
主語のない台詞に何を言われているか判らず聞き返す。はぁ、と溜息を1つ吐いたエドは、思いも掛けない人物の名前を口にした。
「ロセフィン=ブルト=クロージア」
「え?」
「お前の婚約者だよ。」
エドの低い声が耳に響く。
その瞬間、時が、止まった気がした。
31話にして漸く国の名前が判明…!




