閑話.それからの僕と、彼女の話。
それから後の、どうしようもない僕と彼女の話をしようと思う。
学園に戻った僕の元に、彼女が隣国に旅立ったと言う知らせが届いたのは、僅か数日後の事だった。自らの侍女を1人だけ連れて、隣国に渡った彼女。僅か7歳なのに、その姿は堂々としていたそうだ。報告の手紙を読みながら、瞼の裏にあの日の彼女の姿を、思った。
彼女が帰って行った後、執務室に怒鳴り込んだ僕を、兄上は咎めなかった。やり切れないような、悔しそうな表情を浮かべて僕を迎える。
僕が小さい頃から冷静で、人を喰った様な性格だった、兄上。彼のこんな表情を見たのは、産まれて初めてだったかも知れなかった。
「どうして許可したんですか。」
「…アイツがそれを望んだからだ。それ以上でも以下でもねえよ。」
やっと兄上が絞り出した答えは、彼の葛藤その物の様だった。
きっと、相当反対したのだろう。それでも、彼女の決意は変わらなかった。僕の婚約者として、周りにその価値を示すかのように、あえてその道を選んだ。
僕が強引に彼女を婚約者に据えなければ、本来関係無く過ごせていただろうに。
その事実が、心に重くのしかかった。
僕が縛り付けた事で運命を捻じ曲げてしまったようで、あの時、無理やり頷かせた事が正解だったのか、分からなくなってしまっていた。
そうこうしているうちに、日々は過ぎて行く。
学園で表面上穏やかに過ごす僕は、内心抜け殻の様だった。生徒会長としての仕事をこなしながら、ふとした瞬間に彼女を思い出す。もう、中毒の様だ。
彼女無しでは居られない。
そう思っても、隣国では転移して逢いに行く事も出来ない。会えない葛藤だけが募り、どんどんと彼女の温もりが身体から消えていく様だった。
そんな僕の所に、リリーは毎日やってくる。
貴方の寂しい心は私が1番分かってる、私なら貴方を丸ごと愛してあげる。
毎日毎日囁かれる言葉に、どんどん僕の心は荒んで行った。
分かって欲しいのも、愛して欲しいのも、リリーじゃない。僕が欲しいのは彼女だけだ。
そんな事も判らず愛を囁きに来るリリーを怒鳴りつけそうになったが、必死にそれを抑えていた。
「…なあ、リリーの気持ちは分かってるんだろう?答えてやらないのか?」
ある日、リオンにそう言われた。
何を言っているのだろう、と思う。僕には公式に婚約者が居て、我が国が一夫一婦制である以上リリーとの婚姻は有り得ない。
先の無い相手に答えてやれ、と進める彼の気持ちが、一切分からなかった。
そうして、ふと気付く。
愚かな僕があの日、リリーへの態度を間違えた事で周りの評価が全て間違った方向へ向かっている事に。
リリーが僕の最愛で、リリーを守って他の人間を隣国へ向かわせる為に政略的にフィリアと婚約をした、と言うのが、貴族の中での認識だった。
眩暈がした。
僕は何度彼女を傷付ければ気が済むのだろう。
きっとこの話は彼女の耳にも入っている。聡い彼女の事だから、きっと分かってくれてはいると思う。でも、心は別だ。きっと苦しんでいる。
傍に居たい。でも出来ない。
自分の所為なのに、何もしてあげられない。
あの星空の下で、僕は彼女に約束したと言うのに。
何年経とうが、何をしていようが、何処に居ようが。
必ず駆け付ける、なんて言っておきながら、守れる気配も無い。
動けない自分に、反吐が出た。
結局、兄上の婚姻が無事済んでも、彼女が隣国に行って何年経っても貴族達の認識は変わらない。それを払拭したくて、どうしても彼女に会いたくて足掻いても見たが、全く成果は得られなかった。
僕が学園を卒業して、その1年後リリーが卒業した。それでも彼女との距離は変わらない。僕が父からの勅命を受け軍備強化の為国中を動き回っていても、時偶城に戻ってもずっと彼女の影が付き纏って居た。
そしてそのうち、何を思ったのか兄上が急にリリーを城に召喚した。表向きの理由は、噂の所為で何処にも嫁ぐ事が出来なかった彼女を救済する為。でも、きっと裏がある。確信があった。
辺境を回る勅命からやっと戻って来れた城の中で、今度は兄上の命令でリリーの監視をする。お陰で僕の執務室も、中庭も。彼女との思い出の場所全てが、リリーに侵食されて行く気がした。
何度も思って、思い直して過ごして来た。
それももう、限界だ。
「兄上。」
「ロセか、どうした。」
突然訪ねた兄上の執務室で、兄上は何かの書類を読んでいる所だった。そっと伏せられたその書類が妙に気にはなったが、兄上がソファーに座る様に促して来たのでそれに従う。
「何故、リリーを城に?」
「その事か。まあ、表向きはお前も知っている通りだ。」
「…その真意は?」
「あんな危険物野に放って置けるほど俺は楽観的じゃないんだよ。」
思っていたよりあっさり告げられた真意に、少しだけ驚く。
それ以上に何か隠しているのでは、と訝しげに視線を向けると、兄上が苦笑した。
「あの女に関して今更隠し事もねえよ。お前が一番迷惑被ってるんだ、その位の情報はやるよ。」
「含みのある言い方ですね。…他の情報は、易々と教える気は無い、と言う所ですか。」
「…お前、可愛げ無くなってきたなぁ。」
「兄上には言われたくないですよ。」
半眼のまま睨んで、会話を進める。
この数年で兄上には勝てないが、負けない。そんな立ち位置が形成されつつあった。
「…お前、俺に他に聞きたいこと有るだろう。聞かないのか?」
ポツリ、と口に出された言い方で、彼女の事を言っているのだと分かる。兄上も何年経っても、彼女の事に関しては変わらない。
「…聞きませんよ。必要な事なら、其方から仰るでしょう。」
聞き様によっては冷たいとも取れる台詞だろう。でも、兄上になら真意は伝わる筈だ。
「他の男の口から自分の女の話は聞きたくない、って事か。良い顔になってきたなぁ、ロセ。」
楽しそうに笑いながらそう言う兄上を、僅かに睨む。
然しその通りだ。彼女の話を必要以上に振らないのは、彼女の事を自分以上に知っている人間が居ると言う事を認めたく無いから。エゴだろうが我儘だろうが、俺と彼女の間に他人が入る隙間など、1ミリだって挟みたく無かった。
「…やっと及第点、って所だな。」
「兄上?」
ふ、と笑いながら言葉を吐く兄上を、じっと見詰める。
「なあロセ。お前、今の自分の立場理解してるか?」
「…嫌でも理解してますよ。」
苦々しい気分になりながら、それでも肯定を口にする。
1度の失敗だった筈なのに、それが何年も引っ張られて事実が虚言と摩り替えられて行く。城の中にだってリリーを婚約者として扱う人間が居る事も理解していた。
「…なら、理解していると認識した上で、王太子として問おう。フィルリア=アルフリア=リンドノート嬢との婚約を破棄して、リリーシア=ノエル嬢との婚姻を、望むか?」
「…巫山戯るな。俺はフィリアとの婚姻を望んでいる。…絶対に婚約破棄なんか、しない。」
例えフィリアが俺にもう興味を無くしていたとしても、愛想を尽かして会いたくないと言われたとしても、絶対に。
「…じゃあ、まずその噂を払拭する努力をしろ。お前の力で、フィリアが帰って来る場所を作ってやれ。…じゃないと横からかっ攫われるぞ。」
そう言いながら、手元の書類を投げて寄越す。
そこに書かれている内容に、思わず目を見張る。そこには、隣国の王族の1人が、フィリアを正妃として迎え入れたいと言う事が書かれていた。
それを見た瞬間、血が沸騰するような、ざわりとした激しい怒りを感じた。巫山戯るな。それは、俺のだ。誰にも渡さない。
「……フィリアは、大分美しく成長したらしい。その容姿が社交界で評判になる程に。あちらさんがどの程度本気なのかは分からんが、俺はフィリアを他国に嫁がせる気は無い。いざとなれば俺の力で此方に連れ戻す事は可能だが、軋轢を産む。出来れば穏便にフィリアを此方に連れ帰りたいんだ。」
「…それで、俺に早々に居場所を作れ、と。」
「そうだ。異論は無いだろう?本来であればもう少し早く向こうの国に働きかけてフィリアを呼び戻すつもりだった。でも、この国の貴族共の評判を考えると、無理には連れ戻せなかった。だから、フィリアが婚姻を結べるこの年齢まで待ったんだ。」
そう言って、兄上は酷く真剣な顔で俺を見詰める。
「ロセ、成るべく早くだ。でないと、本当に奪われるぞ。取り返しが付かなくなる。」
「分かりました。異論なんてある筈が無い。俺が動く事でフィリアを呼び戻せるなら、幾らでも動きます。…但し、リリーの監視から外して下さい。でないと、噂の払拭所じゃなくなる。」
「分かった。表向きは多少相手して貰うが、監視はしなくていい。それは、他で考える。」
考え込む兄上にありがとうございます、と礼をして、そのまま部屋から退席する。
不思議と気分は悪く無かった。もうすぐ、もうすぐだ。
やっと、会える。触れられる。抱きしめられる。
フィリアに会えると思っただけで、一気に周りが色付いた気がした。その為には、まず準備からだ。今度こそ全身全霊で、彼女を守ろう。
あのフィリアとの別れから、既に9年。
俺はやっと、彼女を再び手に入れるスタート地点に立てたのだった。




