転生令嬢、第二王子とさよならについて考察する。
コンコン、とノックの軽い音が廊下に響く。
中からのどうぞ、と言う返答を聞いて、そっと扉を開いた。隙間から顔を覗かせれば、部屋の主が此方を向いて笑い掛けてくれる。
「いらっしゃい、フィリア。」
こっちへどうぞ、とソファーに促してくれたので、言われたとおりに腰を降ろす。
私が座ったのを確認して、ロセ様本人はまだ書類が片付いて無いのか、執務机の方に戻って行った。席に着き、さらさらとペンを走らせる姿をぼんやりと見詰める。
「ごめん、少しだけ待ってね。今お茶も用意させるから。」
そう言いながら顔を上げたロセ様に、お気になさらず、と声を掛ける。実際、退城の挨拶をしに来ただけなので手を止めさせるのは申し訳無い。机の上に詰んである書類を見るに、余り時間を取れそうには思えなかった。
「ロセ様、私退城のご挨拶に伺っただけなのです。ですから、もしお忙しい様ならこれで失礼致しますわ。」
「駄目、帰らないで。」
書類から目を離さないまま、即座に私の提案を否定される。いい加減この強引さにも慣れてきて、少しだけ苦笑しながらソファーに身を任せた。
「ホントごめんね、時間掛かっちゃって。」
私の元にお茶とお菓子が用意されてから小一時間。やっとひと段落したのか、ロセ様が私の横に座った。
「いえ、お邪魔して申し訳ございません。先程も言ったんですが、退城のご挨拶を、と思いまして。……あと、昨日のお詫びとお礼を…」
「ん?ああ、気にしないで。と言うかこっちこそ遅くまでごめんね。フィリアは疲れてるんだしもっと早く帰れば良かったね。」
そう言いながら笑って私の頭をぽんぽん、と撫でる。本当に、この1ヶ月程でこの手の感触に慣れてしまった事に、密かに苦笑した。
「いえ、外で寝てしまうなんて…本当に申し訳ございませんでした。」
本当に、大失態だ。思い返してみれば、ロセ様の体温が暖かくて、安心してしまってうとうととしてる間に意識が飛んだ気がする。
公爵令嬢としてはアウトだ。
「可愛かったから、全然構わないよ。フィリア1人抱き上げて困る様な鍛え方もしてないし、ね。」
「そう言う問題では無いのですが…。」
ロセ様の体力の問題ではなく、私の矜恃の問題だ。そう思って否定するが、その辺は余り伝わらないらしい。にこにこしながら私の頭を撫で続けている。
「ホントに、気にしなくて良いから。寧ろ役得だと思ってるし。それより、今日もう帰っちゃうの?もう何日か滞在する?」
「えっと…それは無理かと…。」
何となく引き留められる様な気はしていたが、こうもはっきり言われるとは。思わず苦笑すると、まあ分かってるけどね、と少し拗ねた様に言われる。
この年齢の男性に言うのも何だが、何だかその様子が酷く可愛く見えた。
「もういっそフィリアは城に住んだら良いじゃない。そしたら戻って来れば直ぐ逢えるしさ。」
「…ロセ様がいらっしゃらないのに私が此処に居る意味は有りませんので、無意味かと。」
「…それはまあ、確かに。」
私の言葉にくすくすと笑いながらロセ様が答える。
私が此処に居ようが居まいが、数日中にはロセ様は学園に戻ってしまう。どの道、意味の無い話だ。
「…学園、辞めて戻って来ようかなぁ…。」
ポツリ、とロセ様が口から零す。その表情からは本気なのか冗談なのか読み取れない。
「フィリアと会えなくなるし、リリーの相手はしなきゃいけないし、兄上とフィリアは僕が居なくても会ってそうだし。…僕に取っていい事が何も無いんだよねぇ…」
本当に、面白く無さそうに溜息と共に言葉を吐き出す。
そんな事、出来ない事は理解している癖に。
「…責任感の無い男性は如何な物かと思いますわ。少なくとも、私は好みませんがそれでもと仰るならどうぞ御随意に。」
わざと厳しめに言葉を吐けば、その言葉を聞いてロセ様が少し安心した様に笑う。その笑みに、私も笑い返した。
行って欲しくない、と思わないでも無い。それでも、それを望む事は間違っていると断言出来る。そして、恐らくロセ様もそんな事は望んでなんていないのだ。
「あーあ。フィリアに嫌われたくないし、しょうがないね。」
1つ溜息を吐いて、肩を竦めて。芝居掛かった仕草に、苦笑が漏れた。
ずるいな、と思う。
本当は、恐らく私の方が離れたら寂しいのだと思う。
王都に居て、兄様に会って、今までなら何とも思わなかった事でも、きっとロセ様の痕跡を探してしまう。
何か情報は無いか、リリーシアとはどうなっているのか、きっとそんな事に囚われて、何も考えられなくなってしまう。
先程の兄様との会話で、嫌という程理解した。
だから、私は1つ決断をした。
きっと、辛い。何故そんな事をするのかと言われても答えられない。でも、そうでないと心がもっと辛くなるから。
…だから、私は1つ、ロセ様に話さなければいけない。
「…ロセ様、私もう1つ、お話があります。」
「…何?」
私の言葉に何か感じ取ったのか、少し不安げな目でロセ様が私を見詰める。その目が私の決心を鈍らせる。
それでも、私は決めたのだ。
それを覆す事は、無い。
「…私、暫く王都を離れる予定です。」
「…え…」
私の言葉が俄には信じられ無いのか、ロセ様が一瞬何を言われたのか分からない、といった顔をした。
そして、私の言葉を飲み込むと、少し寂しそうな顔で笑う。
「そっか、領地に戻るのかな?そしたら、また休みになったら戻って来るからその時に…」
「…いえ、違うのです、ロセ様。」
ロセ様の言葉を、私の声が遮る。
再びロセ様が訝しむ様な顔を私に向ける。
「…兄様の婚約者様の妹君の所に、行儀見習いとして、数年間赴くのです。…まあ、体の良い人質の様な物、でしょうかね。」
「人質って…どう言う…」
私の言葉が理解出来ない、といった顔だろうか。
不安そうに揺れる紫の瞳が、場違いにも綺麗だな、と思う。
「兄様の婚約者の方は…まあ、本来国の中枢に有るべき方だった様なのです。そして今回の婚姻は今まで余り深く付き合って来る事の無かった両国の同盟を結ぶ結果となった。…しかし、隣国は現状、そこまでこの国を信用しきれてない。それならば、と代わりに向こうの国に誰かを滞在させる提案がされた様なのです。…本来、この国に姫殿下が居ればその方が行かれたのでしょう。然し残念ながらこの国には兄様とロセ様しか居ない。では、代わりに誰を送るか。」
そこまで言うと、ロセ様が全てを理解した。
「僕と婚約を結んだから、フィリアの価値が上がった…」
その顔には絶望とも取れる表情が浮かんでいる。
でも、そうじゃない。今私はその事に対して何も後悔してないのだから。
自分から、ロセ様の手をぎゅっ、と握る。
少しでも思いが伝わる様に。
「…兄様に伺った所、本来まだ決まっていなかったロセ様の婚約者がこんなに早く承認された裏側にはそんな理由もあった様なのです。宰相の娘で、ロセ様の婚約者。向こうの国にとってそれであれば不足は無い。」
「…兄上がフィリアにそれをさせたのか。」
憎しみの篭った目で問うロセ様に、ゆるりと首を振って否定する。
兄様には、逆に反対された。
お前をそんな立場に立たせるつもりは毛頭無い、と。
でも、そんな兄様を説得したのは私だ。
本当に、隣国に信用に足る人間を送らなくて良いのか、と。
この国は転生者の所為で他の国に情報が漏れたら一気に危うくなる。豊かで、仕事に溢れ多くの利益を生み出す国。
万が一にも、何処かからそれを生み出す人間の情報が漏れたら。
それは、兄様自体懸念していた事だった。
だから、私がこの提案をした時、苦々しい顔をして再三止めた後、観念して頷いたのだ。
「…ロセ様。」
悔しそうな、辛さの滲む顔に、そっと手を添える。
「ロセ様、私が自分で志願したのです。」
「…っ…!何故!」
ロセ様が思わず声を荒らげて私の肩を掴む。
その力の強さに思わず眉を顰めるが、それでもロセ様に笑い掛ける。
「多分、それが1番良いと思ったからです。兄様にとっても、ロセ様にとっても、国にとっても。私は他の方から見れば価値はあってもただの子供です。国同士のやり取りですから、悪い待遇にはならないでしょう。最悪軟禁されるくらいです。」
「それは十分悪い待遇だろう!何を言ってるんだ!!」
ロセ様が声を荒らげて、私を抱きしめた。
強く強く抱き締める力に、絶対離さない、と言う強い意志を感じる。
「…ロセ様。大丈夫。こんなのは、何の問題も無いんです。兄様が姫殿下をぞんざいに扱う筈が無い。であれば時が来れば解放される。それが分かっている時点で私にとってなんの問題も無い。それよりも、」
目を見て、ひと言ずつ。この気持ちが、少しでもロセ様に伝わる様に。
「ロセ様の婚約者である事で私の価値が上がってその役が与えられるのだとしたら、私は他の誰にだって、譲らない。この立場を、譲る気は無いんです。…昨日約束しましたから。」
にこりと笑い掛けてロセ様を見詰める。
ロセ様は目を見開いて、一瞬、泣きそうな顔をして。そして、くしゃりと顔を歪めた後、私の肩口に顔を埋めた。
「…フィリア、ずるい。そんな事言われたら、引き留めたいのに、絶対嫌だ、って言いたいのに、言えないじゃないか。」
「もう言ってるじゃないですか…。」
わざと茶化して突っ込んでみせれば、ロセ様が顔を上げて泣き笑いの様な顔で、笑う。
その顔に、安心して貰えるように、私も笑いかけた。
「…早く、私が戻れる様に頑張って下さいね。」
「また無茶を言う…。……うん、でも約束する。少しでも、一瞬でも早くフィリアが帰って来られる様に、僕は僕の出来る事をするから。」
「ええ。期待してますよ、私の婚約者様。…待っていますから。」
にこりと笑って、揶揄う様に。そして、少しだけ本心を乗せる。
「…うん、待ってて、僕の婚約者殿。」
そう言って微笑んだロセ様は、私の額に1つキスを落として。
そうして、私はロセ様から離れた。
それは、何年になるかも分からない、さよならだった。




