転生少女の回顧⑦
「フィリア」
コンコンとノックの音が響いて返事をすれば、リオンが部屋へと入ってきた。
食事を終え、寝る仕度も終えて、そろそろ夜も更けてきたので寝ようかしら、と思った時だった。
私はやって来たリオンに苦笑しながら言った。
「また眠れないの?」
この屋敷に来てから数ヶ月。リオンは数日に一回、夜に私の元へと訪ねて来る。
最初来た時はどうしたのかと目を丸くして問えば、眠れないのだと言う。
ベッドが彼の辛い記憶を呼び起こすそうだ。二人で生活している時には、常に共に寝ていたし、ベッドなんかでは寝ていなかったから、そんなトラウマがリオンにあったなんて全く知らなかった。
眠れないとリオンは私の部屋へとやって来る。ベッドに入ればいつもすんなりリオンは眠った。
幸いこの部屋のベッドは十分すぎる程に大きいし、まだ共に寝て騒がれる程の年齢でもない。
だから、私はなんの迷いも躊躇いもなくリオンをベッドに誘った。
「灯り消すね」
「うん」
ボタンを押せば灯りは消えた。元の世界となんら変わりのない動作。これが科学の力ではなく、魔法の力なのだから不思議なものだ。
ベッドに入る。大きなこのベッドは二人離れて眠ることも十分に可能なのだが、リオンは私の側にピタリとくっついて居た。
別に暑苦しくもないし、私はリオンをそのままにさせている。
いつもならここに特に会話はない。おやすみ、それを言ったら、もう眠りに落ちるだけ……だったのだが。
「フィリア、何かあったの?」
「え?」
唐突なその言葉に、既に眠りに落ちかけていた私は驚きで意識を浮上させた。
「何かって、何が?」
落ち着いた声で……落ち着いた声を心がけて私は言った。
気づかれるはずはないと思っていたのだ。だって私はできるだけ普通に過ごしていたのだから。しかし、リオンの言葉に私は敗北を認めざる負えなくなった。
「今日朝は普通だったのに、夕餉の前会ったらいつもと雰囲気が違ったから」
「……」
この屋敷で私とリオンは別々に勉強を教わっている。それは、男女の勉強に必要な分野の違いと、なによりリオンが魔法を優先に習わなくてはいけないからだ。
そのためリオンと共に過ごす時間は朝食と、授業が終わった夕餉くらいだ。
……その少しの時間でリオンは私の変化に気づいた?
確かに私はいつもとは違った。その原因は朝食の後、授業にあった。
●○●○●
今までまともな教育を受けたことのなかった私は文字や計算、一般常識から勉強を始めていた。
話を聞いていると、この世界は元の世界よりも中途半端に発展していないようだ。冷蔵庫や部屋を照らす灯りや水道など、それに代わるものはあるのに、移動手段は徒歩か馬、電話に似たようなものはあるが流通していないなど急に発展が止まる。しかし、大きな魔法を使えば瞬間移動らしきものもできる、と意味不明な発展具合。
そうしてやはりこの世界では魔法が発展しているようだ。そうしてその魔法を扱える人間も少ないらしい。元の世界で発展していた科学は知識は必要だが、最初に個人の能力で選定されることはなかった。扱える人間が少なく、それが発展にも関わっているのだろうか。
そんなことを考えながら聞いていたら、今まで以上にファンタジーな話を聞いた。
いわく、この世界には魔王が時節現れるらしい、と。
魔王は魔物と言う化け物を生み出し、人々をどういう理由かは知らないが襲っては殺していくらしい。
魔王や、魔物を倒すためには、浄化というものをしなくてはならないそうで、それをしなければ弱らせても弱らせても復活してしまうらしい。
そうして、その浄化を行える者はこの世界には居ないそうだ。
ならば、どうするのか。答えは簡単だ。この世界の外から連れて来ればいい。
そうして異世界からやって来た力を所有する者を女は聖女、男は勇者と呼ばれる。
この話を聞いた時、私はこれだ、と思った。
これだったのだ、と。私の身に起こっているこの不可思議で迷惑極まりない現象の原因は。
通常異世界人の召喚は魔王が生まれないと行われないらしく、今現在魔王は居ない。
故に何故その儀式を行われたのかはわからないが……それでもこれは大きな一歩だ。
その儀式がこの現象の正体だ。その確信を得られたのだ。
先生に聖女は異世界へと帰れるのかと聞けば、帰った方も居ると言われた。それは、つまり私は帰れるということだ。
私はすぐにでもこの私の身に起きた事実を話そうとした。
が、すぐに口を閉ざした。
この話を言っても信じてもらえる気がしなかった。
聖女は異世界から召喚されると言う。私のように、この世界の人間の腹を通してではなく、そのままの状態で。
そうして今現在聖女を召喚する必要はない。
この状況で、この世界の人間でもある私が、私は異世界人だと言っても信じてもらえるような気はしなかった。
それにいろいろ話がおかしく、謎だらけだ。私は何故この時期にこの世界に喚ばれた?何故この世界の人間として生まれた?そうして……沙夜はどこにいった?
あの日の光景が浮かぶ。長い年月をかけた記憶は朧気にはなりつつあるものの、それでもその場面だけはまだはっきりと覚えている。
眩しいほどの光が溢れ出した。沙夜の足元から。
そうだ、その光は沙夜を包んでいた。私ではなかった。私は光に飲まれただけ。
沙夜から出た光に私は巻き込まれてここに来た。
それならば、私がここにいるのならば、沙夜も居なくてはおかしいのだ。
だっておそらく沙夜がこの世界に喚ばれたのだから。
つまりは沙夜が聖女であったということだ。聖女である沙夜がここに居る。それを民衆が知らないのは不可思議で、怪しい。
何か理由があるのだろうか。人々に伝えられない、聖女を隠しておきたい理由が。
その理由を私は全く知らないが、聖女が召喚されているのを私が知っていると、秘密にしている者が知れば、私はどうなるのだろう。
私はおそらく聖女ではない。ただの異世界からのオマケ。重要性はなく、必要性もなく、それなのに危険性だけがある。そんなオマケをこの世界は生かしておくのだろうか?
私は口を閉ざしておくことを決めた。
誰にもこのことを話してはいけない。少なくとも安全を確認できるまでは。
何も知らず、普通の少女のように過ごさなければならない。
そう決意し、私は普段通りを心掛けてリオン達に接したのだが……
●○●○●
まさかリオンに気づかれるとは思わなかった。そこまで、私を見ているということか。
そのことに驚愕する。リオンの中でいつの間にか私が大きな存在になっている。
そのことに恐れを感じる。しかし、それと同時に暖かなものが胸に宿った気がした。
大嫌いで孤独なこの世界。そんな世界で向けられた好意。そんなものを向けられたら、どうしても靡いてしまう。心に隙を生んでしまう。
未練を残してはいけないのに。
この世界に愛着など持っては駄目なのだ。私は帰るのだから。その決意を揺るがせば、秘密も外部に漏れてしまうかもしれない。そうすれば、未練以前に帰れなくなってしまう。
だから、私は何でもないように口にした。
「なんでもないわ。リオンの気のせいよ」
「……」
何か言いたそうなリオンの視線を無視して、この世界の全てを拒絶するように私は強く瞼を下ろした。