転生少女の回顧④
痛い。暑い。それなのにすごく寒い。
これはもしかしたら相当やばい状況なのではないだろうか。辛くて苦しくて声を上げたいのに、漏れるのは吐息ばかり。
意識が朦朧とする。ここは夢なのか現実なのかわからない。ああ、でも……。
ーー茜。大丈夫?何か食べれそう?
忘れられるはずのない声がする。会いたくて会いたくて、でも会えなかった大切な人の声が。
「お母さん……」
そう名前を呼べば、どうしたの?と優しい笑みで返される。
「お母さん……!」
手を伸ばす。胸から何かが溢れてくる。目元が熱い。
ーーもうどうしたの?茜。
お母さんが私の手に触れて、握る。暖かい。本物の温もり。
そうかあれは夢だったのか。熱で見た怖い夢。私が私ではなくなって、この世界とは違う世界で暮らす夢。
そうだ。あんなこと現実にあるはずがない。だから全部夢で……。
本当に……?
私の中から声がした。ドクン、と心臓が鳴る。
やめて。だってあり得ないではないか。他の世界に行くなんて。そんなの友達に話したら笑われるに決まってる。そんなおとぎ話のような話。
「お母さん……」
私は縋るようにお母さんの名前を呼んだ。違うよね。お母さんはここに居るよね?私は……ここに居るよね。
「フィリア」
声がする。その名前を知る人はここには居ないはずなのに。その声は夢の中で聞いたはずなのに。今ここで、声がする。
「やめて……」
覚めたくない。わかりたくない。ここが偽物だなんて。こここそが夢の世界だなんて。
それなのに、意思に反して世界は崩壊してく。
お母さんが霞に消えていく。私はフィリアに戻っていく。
その世界に縋りたくて。私は手を強く握った。その手は私を強く握り返した。
「フィリア」
その声で私は目を覚ました。
目の前に居たのはお母さん……ではなく、リオンだった。
「大丈夫……?」
「大、丈夫……」
わかってたことだから。これは現実だって。わかってたから。だから、辛くなんかない。だって、私は絶対にあの世界に帰るんだから。
「魘されてた。すごく。熱も上がってきて、もう目が覚めないかもしれないって思った」
「大丈夫、よ」
確かに体は怠いし、体の節々が痛いけれど。でも大丈夫。大丈夫じゃなくてはいけない。こんなところで死んでいる場合ではないのだ。
あの男から逃げ出した後。私達はいつも身を隠している路地裏に戻ってきた。痛みに意識を失って大分時間が経っているのだろう。青かった空は黒に染まっている。
「リオンは、大丈夫……?」
リオンも結構蹴られていたはずだ。しかし、リオンは首を振った。
「俺は大丈夫……。すぐにあいつが叫びだしたから」
そうだ。あれはいったい何だったのだろうか。リオンが何かしたのかと思ったが、彼もあの時訳がわからないと呆然としていた。
でも、そうか。リオンはひとまず無事なのか。
「良かったわね……と言っていいのかしら」
その声が自然と冷たくなるのは、きっと私が相当腹を立てているからだろう。
そう私は腹を立てていたリオンに。
「ごめん……」
私の怒りを察したのだろう。リオンはすぐに謝ってきた。
「約束、守らなかった。勝手に出ていって。でも、フィリアが心配で」
「嘘つき」
私はばさりと切り捨てる。その言葉にリオンが目を見開いた。
「私を心配なんて全部嘘。全部全部自分のためでしょ」
私は見ていた。あの時のリオンの表情を。
いつも暗い顔をしていた。会った時からずっと。それなのに、私を庇った時だけ穏やかな表情をしていた。
「リオンは……死にたいんでしょ」
「っ!」
その言葉にリオンはびくりと肩を揺らした。驚いた表情。でも彼は否定しない。図星だったのだろう。
その事実にムカついた。わかってる。これは理不尽で自分勝手な怒りだ。
リオンに何があったのかは知らない。でもきっとここに来る前、彼には耐え難いことがあったのだろう。でも、それでも自分から死を望むその姿勢が私は許せなかった。
だってそれは私が選べない選択肢だったから。私だってこの世界で沢山辛い思いをした。お腹も空いてるし、殴られるし、汚いし。それでも頑張って生きているのに。なんで自分だけ楽になろうとしているのか。
わかってる。そう思うのなら死ねばいいだけだ。それでもその選択を私は選べない。だって、選べば帰れなくなる。
私は帰りたいのだ。そのためにならなんだってする。いや、してきた。だからこそ死ぬ訳にはいかないのだ。
ああ、理不尽だわ。でもムカつくのだからしょうがない。
私の言葉にリオンは震える。死ぬのは悪いことだと思っているのだろう。本当は自分の勝手なのに。
「だって、もう嫌だ」
ぽつり、とリオンが呟いた。呟けば、堰を切ったように言葉が溢れだした。
「父さんも母さんも死んで。俺は一人ぼっちで。孤児院では院長に体を弄られて。嫌だって言ってるのにやめてくれない。辛くて。それでも耐えていたのに、今度は変な男のところに連れてかれて!!逃げ出したけど、ここも辛いところで。でも戻りたくもなくて……!もう全部全部嫌だ!!いつまで耐えなくちゃいけない?!いつまで!耐えて!耐えて耐えて耐えてその先に本当に幸せなんてあるかもわからないのに!」
最初は小さかった声が、最後は怒鳴るように言った。息がきれていた。ぽつり、と涙が落ちて、地面に水溜まりを作り始めている。
怒り。悲しみ。絶望。それらがぶつけられる。それを受けて、私は……
「知らないわ。そんなこと」
冷たくそう言い放った。
知らない。リオンがどんなに辛い思いをしていたのかなんて。興味もない。この先幸せな生活があるかなんてわからない。
理不尽だなんてわかってる。でも最初からこの怒りは理不尽だった。全部私の身勝手な感情。
だから、私は理不尽で身勝手なまま言った。
「あなたがどんなに辛かったのかなんて知らないし、この先幸せになれるかなんてわからない。でも、その命が要らないなら。もう必要ないと言うのなら……」
リオンが私を見ている。表情のない子だと思った。でもそれはずっと身の内に隠していただけなのだろう。歪めた綺麗な顔が、縋るように私を見ている。
「私に頂戴」
要らないのなら。そんな簡単に捨ててしまえるのなら。
「私は死にたくないの。生きたいの。そして叶えたい夢があるの」
死にたくなかった。帰りたかった。そのためなら何を犠牲にしても構わない。
だから、どうせ死んでしまうのなら。
「私にその命を頂戴。私のために生きて」
どうせその選択肢を選べるのならば、役にたった後、勝手に私の選べないその選択肢を取れば良い。最低だと思う。でも、最低な女になろうとも私は生きたいし帰りたいのだ。
リオンが目を見開く。赤い瞳が揺れる。失っていた光がゆっくりと戻っていく。
リオンは泣いていた。嗚咽を漏らしながら泣いて……そうして小さく、でも確かに頷いた。