転生少女の回顧⑩
祭りの日当日。
普段の服で出掛けようとした私を止めたのは、リオンに誘われた時に一緒に居た同僚であり、同室の彼女だった。
「まったく少しはおしゃれくらいしなさいよ!」
そう言われて着せられたのは彼女の水色の可愛らしいワンピース。頭はハーフアップで編み込まれ、化粧もいつもより濃くされた。
鏡に映った自分を見て思う。
「なんだかデートに行く女の子みたい」
「みたいじゃなくてデートなのよ!」
その何言ってんだかと言わんばかりの突っ込みに私は目をぱちくりとさせる。
「デート……?」
リオンと私が?
そう考えて、ないなと首を振る。だって、デートというのは好きな人と行くものだろう。
リオンのことは好きだが、恋愛感情ではない。
しかし、私の反応などお構い無しに同僚は楽しんできて!と私を送り出したのだった。
●○●○●
待ち合わせ場所に行けば、もうそこにリオンが居た。まだ、待ち合わせ時間よりも早いはずだが、待たせている身。小走りで駆け寄る。
本当はもう少し早く走りたいのだが、同僚に借りた口がいつもより踵が高いせいで走りにくい。
「お待たせ、リオン。待った?」
「ううん。さっき来たばっかり」
そんな会話に私はふと笑いが込み上げた。きょとんとしたリオンの顔。
周囲はリオンが表情を変えないと思っているようだが、リオンは良く観察すれば表情豊かだ。
今のようにきょとんとすることもあるし、笑うこともある。好きな食べ物が出れば目を輝かせるし、嫌いなものが出れば顔を歪める。
「どうかした?」
「いえ。同僚の言葉を思い出したの」
私は今日ここに来るまでの同僚との話をした。デートと言った彼女。確かに、今の会話はデートぽかった。
そう言って笑えば、リオンは言った。
「ぽいも何もデートだよ」
その言葉に今度は私がきょとんとする番だ。
「リオン。デートって意味わかってる?」
「それくらいわかってる。男女が出かけることでしょ」
むっとした顔で言われた。……がしかしわかっていないようだ。
男女が出かけることは別にデートではない。そこに、ある気持ちによってデートかそうでないかが決まるのだ。
くすりと笑いが込み上げる。すると、リオンがさらにむっとしてしまった。
それもまた笑いを誘うのだが、そこはぐっと堪えて、私はリオンに手を差し伸べた。
「そうね、デートね。なら、リオン。私をエスコートしてくれなきゃ駄目よ。デートってのは男の方がエスコートするものなのよ」
そう笑顔で言えばリオンはわかったと手を取った。暖かな温もり。まだデートも知らないリオンのことだ。まだ特定の相手は居ないのだろう。
……まだリオンは私のものなのだ。
そう思えば気分が良い。
「ふふっ。デートごっこね」
「ごっこじゃない。デート」
その言葉に私はまた笑った。
●○●○●
まず私達は屋台でお腹を満たすことにした。
リオンは線が細いがこう見えてお肉が好きだ。肉の串焼きを買い食べている。
私は甘いのが好きなのでちょくちょく甘味をつまんだ。それを見てリオンが良くそんなのを食べられるなという顔で見てきた。リオンは甘いものがあまり得意ではないのである。
「美味しいのに、勿体ないわね」
「別に。そう感じたことはない」
私の言葉に素っ気なくそう返され、私はクスクス笑った。そんな時だった不意にそれに目が止まったのは。
なんとなく、可愛いなと思った。でも、ただそれだけで数歩歩けば忘れるくらいの気持ちだった。
しかし、その気持ちに気付き、拾い上げたのはリオンだった。
屋台の前で足を止める。そこには色々なアクセサリーが置かれていた。
「これ?」
そう言って指を指されたのは私が確かに目に止めた……ネックレスだった。
銀のような素材で花の形が作られており、中央には赤い……リオンの瞳と似た色の石が埋めこまれている。
「お!彼女さんにプレゼントかい?」
そう定番の言葉をかけてきたのは店の店主だ。
定番の言葉。わかっているのに、何故か胸が高鳴る。
「そう」
「っ!?」
あっさりと頷いたリオンに私は目を丸くする。するとリオンはそんな私を見てイタズラ気に笑った。
デートごっこ。さっき私自身が言った言葉が頭の中で反芻した。
からかわれてる……!
リオンのくせに!そう思えども、今までそんな経験もない私は目を伏せるしかない。
そんな間にリオンはいつの間にか会計を済ませてしまっていた。そうしてはいと言うとチェーンを広げた。……着けてくれるのだろうか。
従えば、予想通り首元に回された。胸元に石が光る。綺麗だ。……まるでリオンの瞳のように。
「可愛い」
「……!」
さっきから、おかしい。リオンがおかしい。
リオンはこんなことを言うような人だっただろうか?これでは……本当にデートのようではないか。
おかしい。おかしい。いろいろおかしい。
リオンも、そうして私も。
手を引かれる。リオンの手の温もりを感じる。ドキドキする。こんなもの今まで感じたことはなかった。
いったいこれは何?わからないわからないわからない。
足元が覚束ない。どこか浮いている気がする。
「この!!くそがき!!!」
そんな私を現実に戻したのはそんな怒鳴り声だった。
はっと視線を声の方に向ける。周囲の視線もそちらに向いていた。
そこには一人の少年が居た。薄汚れた少年だ。服も汚くて、髪もぼさぼさ。体は痩せっぽっち。
その少年は人ごみを縫うように走っていた。それを男の人が怒鳴りながら追いかけている。
周囲から盗み?という声が聞こえた。
「や!やめてっ!離して……!」
少年が捕まった。路地裏に連れていかれる。
その頃には人々の注目はもう逸れていた。
けれど、私は視線を外せない。あの子は今どうなっているのだろう?あの路地の裏で何をされているのだろう?
ーーお願い!取らないで!!
声が聞こえた気がした。
あの声は、あの叫びは、昔確かに聞いたものだった。私がまだ貧困街にいた頃。
あの子もそう。確かに先程の子供のように痩せていて汚かった。そうして泣きながら私に手を伸ばしていた。
泣いていた。止めてと懇願していた。けれど、私はそれを無視して……彼からパンを奪い取ったのだ。
私も数日何も食べていなかった。このままでは死んでしまう。そうすれば元の世界に帰れなくなる。そう私は言い聞かせて、彼のパンを奪ったのだ。
もう何日も食べていないと彼は言っていた。それでも私は奪った。私の願いのために私は彼を犠牲にした。
彼だけじゃない。私は他にも沢山の子から奪ってここまできたのだ。
元の世界に帰るために。そう言い訳して。
……元の世界?
「……フィリア?」
リオンに名前を呼ばれた。いつの間にか足が止まってしまっていたらしい。
リオンを見上げる。今私はどんな顔をしているのだろうか?わからない。わからないけれど、リオンが目を丸くするくらいに私は今ひどい顔をしているのに違いない。
「どうかしたの?」
「なんでも、ない」
そう言いながらも声が震えているのがわかった。リオンは眉をしかめて、私を人の波から抜けさせると、近くにあったベンチに座らせた。
「顔色が良くない。待ってて。今飲み物買ってくる」
私は返事もできずにただ去っていくリオンの姿を見ていた。
頭にはずっと声が響いていた。沢山の人の泣き声。
仕方ないことだと思っていた。元の世界に帰るためなら何を犠牲にしても構わないと。そう、思っていた。
……けれど、いつからだろう?
元の世界に帰ると強く思わなくなったのは。
あんなに毎日毎日帰りたいと思っていたのに、今はその頻度が減っている。
大好きだった世界。大好きだった私の居場所。
「……お母さん」
声を出して、呼んでみる。大好きだった。ずっと会いたかった。なのに、どうして……
「顔、出てこない……」
髪は短かった。でも顔がぼやけてしまってよくわからない。
父を浮かべて見る。やっぱりのっぺらぼう。
友達も好きだった先輩も。そうして……山本茜という私自身の顔もわからない。
元の世界が好きだった。この世界が大嫌いだった。だから戻りたかった。
でも、いつからだろうか?
この世界が大嫌いじゃなくなったのは。
同僚と話す時楽しいと感じ、リオンと話せば胸をときめかせた。仕事にやりがいを感じ、怒られれば次頑張ろうと自分を奮い立たせた。
いつからだろうか?
この世界が私の世界になっていたのは。
私はこの世界で満足していた。幸福を感じていた。……そんなこと許されるはずないのに。
泣いている。沢山の人が泣いている。
酷いことをした。彼らの大切なものを奪った。全部はそう、帰るためだったのに。
いつから私はそれを忘れていたのだろうか?
昔は思っていた。思っていたはずだ。忘れることが危険だと。だから、全部を拒絶しようと決めていたのに。
あれから何年も時が過ぎた。沢山の人と触れ合った。この世界の優しさに触れた。
そうしていつの間にか私はこの世界でフィリアとして生きていた。
「帰らなくちゃ……」
そのためだけに私はここにいたはずだ。いや、いなくてはいけなかったはずだ。そうでなくては、私は何のために彼らを犠牲にした?
「フィリア」
戻ってきたリオンが私を心配そうに見る。その瞳を見ることはもうできなかった。