少女の策略
「私は帰るよ。……元の世界で私を待っている人がいるから」
そう言った聖女……沙夜の目には弱々しい光が浮かんでいて。私はそうですか、とぽつりとこぼすしかなかった。
●○●○●
世界に魔王が現れて、その魔王を浄化するためには異世界から召喚した聖女の浄化の力が必要であった。
……なんてありきたりなお話だろうか。物語では定番でも、その話が真実としてこの世界では回っているのだからおかしな話だ。
しかし、そんな笑ってしまうような話でも、それをしなければこの世界の人類は魔王に滅ぼされてしまうのだから聖女を喚ばない訳にはいかない。
かくして、聖女はこの世界に召喚された。
名前は有川沙夜。この世界では見ない黒髪に黒い瞳を持った、この世界では特別で、元の世界では平凡な女子高生の少女。
沙夜の力は強烈で、剣の腕がない代わりに、少し願えば世界は簡単に彼女に応え魔物を浄化してしまう。
そんな沙夜を交えた魔王討伐の旅は順調で、一年もしないうちに魔王は倒された。
たった一年、されど一年。
短く、長いこの一年の間に沙夜と旅をした者達は沙夜を大切に思うようになったし、沙夜もまたこの世界の者達を大切に思うようになっていた。
だからこそ多くの者がこの世界に留まってほしいと思った。沙夜自身も迷っていた。
だから、私は畳かけるように沙夜に言ったのだ。どうか、この世界に残ってほしいと。
私も彼女にこの世界に残ってほしかった。この一年、彼女の侍女としてずっと傍に居たのだ。同性の中で最も仲が良かったと言ってもいい。だからこそ彼女の意思で言ってほしかった。ここに残る、と。
しかし、返答は私の欲しい言葉ではなかった。
●○●○●
「フィリア」
ふと名前を呼ばれて私は振り向いた。そこには黒いローブを纏った青年がいた。
「リオン」
そう名前を呼べばリオンは白銀の髪をさらりと揺らして、頷きながら、その赤い瞳で私を捕らえた。
無表情な顔。圧倒的な美を持つリオンが真顔だと恐ろしくさえ感じるが、もう馴れたものである。何故なら七歳で出会ってから、リオンとは十年間ずっと一緒にいるのだから。
「また部屋に勝手に入ってきて。世界を救った英雄の魔法使い様が、私のような侍女の部屋に来るなんて変な噂を立てられても知らないわよ」
そう言いながらも、今さらか、と私は苦笑した。
噂ならずっと昔から立っている。実際に私とリオンの間には何もないが、幼馴染みの私達をそういう目で周囲は見ている。
リオンとの出会いは七歳の時。貧困街でだった。
私もリオンも親が居なくて、盗みなどをしながら生きてきた。リオンがその魔力の高さから、当時この国で最も力ある魔法使いに拾われるまでずっと。
魔法使いはリオンを弟子にするために拾い、共にいた私も育ててくれた。
孤児である私に教養を与え、城に仕える侍女にまでしてくれた。そのおかげで私は沙夜と出会い、彼女の侍女にまでなれた。
魔王討伐の旅に、私は聖女の侍女として、リオンは魔法使いとして参加した。
普段無口で無表情なリオンは友人が極端に少ない。そんな中でリオンに臆することなく接していた沙夜のことを、彼が友人として好ましく思っていることは知っていた。
だから、私は萎れた顔で言った。
「沙夜様は帰る決意を固められたそうよ」
沙夜が帰るか帰るまいか悩んでいるのを周囲は皆知っていた。リオンはそれ程口にしたり行動に移したりはしないが、第二王子であり、沙夜の恋人でもあるその人などは必死に彼女を引き留めていた。
しかし、沙夜は帰る決意を固めてしまった。
彼女は帰ろうとしている。明日、リオンの描いた送還の魔法陣によって。
「そうだね。さっき言われたよ。サヨに明日はよろしくって」
「そう……」
沙夜はやはり帰る気でいるのだ。私達を……私をこの世界に残して。
「寂しくなるわね」
ぽつりと私はこぼす。
そうだ。この胸にあるのは寂しさ。長いようで、けれど短かったこの世界での期間は私に寂しさを与える。
「そうだね。サヨが帰るのは、寂しい。でも、俺はフィリアが居ればいいよ」
「……そう」
昔、リオンには私しか居なかった。貧困街でリオンはずっと私についてきた。だから、私はその手を取って歩いていた。
しかし、今、リオンは私以外にも居なくなって寂しいと思う相手ができたのだ。
これは喜ばしいことで、そして寂しいことだ。
「明日、よろしくね」
私は真剣な顔でリオンを見つめる。
彼の実力を私はよく知っている。私達を拾ってくれた魔法使いを今や越えるほどに彼には実力がある。
彼なら無事に送還させれると不安なく思う。
「期待に応えられるかはわからないけど、俺なりに頑張る」
「期待に応えてくれなきゃ困るわ」
他人から聞けば平坦な、けれど長い付き合いだからこそリオンがおどけたように言ったのがわかって、微かに笑いながら私は言った。
明日、送還の魔法が使われる。
沙夜は元の世界へと帰る。
上手くいけば良い。私はそう思い、願った。
●○●○●
「今まで本当にありがとう」
「沙夜様……」
涙ぐみながら沙夜は言い、私は沙夜の手を握りしめながら言った。
ここは沙夜が召喚された場所。今地面には一年前とは異なり、送還されるための魔法陣がある。
本来ならここには高貴な身分の者や、魔法使いしか入れないのだが、今回私は沙夜自身の希望もあって見送りの場にいることができる。
沙夜は一人ずつに挨拶を交わしている。恋人である王子と話してる時、彼女の涙は崩壊して、黒い瞳には少しばかりの迷いが生じた。
ーー迷うくらいならば。
どちらの世界を選べば良いのか迷うくらいならば、ここに居れば良いのに。
しかし、沙夜はそれを振り切るように首を振ると、魔方陣の中央に立ち、にこりと笑った。
「皆!本当にありがとう!!私、皆に出会えて良かった!」
その言葉に私の心は震える。出会えて、良かった。本当に、あなたに。
リオンが魔法を発動させる。目映い光に沙夜が包まれる。
「沙夜様……!」
私は力の限り叫び、駆け寄る。別れを惜しむのだろう、と私を止める者はいない。
だから、私は構わず沙夜に駆け寄る。
チラリ、と視界の端にリオンが見えた。彼は相変わらず無表情で、けれど、どうしてだろうその無表情はいつもと違い感情が読めない。
「フィリア……」
「沙夜様!!私……私……!」
感情が込み上げてくる。もう頭も心もぐちゃぐちゃだ。
でも、今動かねば後悔する。全てが無駄なまま終わる。それがわかっているから。
だから私は……
「ごめんなさい!」
そう言って沙夜を突き飛ばす。驚愕する彼女の顔。構う暇はなく、私は勢いのまま魔方陣の中央に沙夜の代わりに立つ。
世界が輝く。体が溶けていく。この世界へと別れを告げる。
この世界への心残りを残しながら私の体は……私の元居た世界へと消えていった。