番外・加藤美奈津
真理がお兄を心底好きなのは分かり切っていた。だけど、応援していたんだ、本当に。今から思えば応援している『フリ』をして、自分の想いから目を逸らしているだけだったんだけど。
一目見たときから。
あたし達姉妹が加藤家の新居に押しかけチャイムを鳴らし、そして開いた玄関のドアの向こうに居た、童顔のその人の瞳で大体分かっていたのだ。
ああ、この人は間違いなく真理に惹かれる、と。
他の誰でもなく、由紀姉ぇでもなく、そしてもちろんこのあたし、加藤美奈津でもない。
……分かり切っていたはずなのに、どうして心がかき乱されるのだろう。どうして二人の仲が良い所を想像でもすると、胸の奥を細い糸でキツく縛られたように痛くなるのだろう。
答えは簡単だった。
分かり切っていて覚悟が出来ているのと、実際に痛みに耐えられるのとでは全く別物だったのだ。つまり、その痛みに耐えきれなかった時点であたしの負け。覚悟の量が自分の恋心を下回ったとき、全ては暗転してしまう。
あたしはお兄が好きだ。
普段はぼーっとしていて、どちらかというと背も低くて目つきも鋭くて取っつきにくいお兄だけど、あたしは……いや、あたしも、真理も、由紀姉ぇもみんな気付いている、その小さな身体に潜む(あたしより数字上の背丈は低い)、底知れない人間性の深さを。
初めて玄関先に見えた、全く面識の無かったあたし達三姉妹を目の当たりにして、次の言葉を見つけることが出来ずに口をあんぐりと開けていた間抜けな顔。それがあたしは気に入ったんだ。何て言うか……年上の憧れというのももちろんあった。まだ見ぬアニキへの期待も、真理ほどではなくても人並みには持っていた。もちろん、もしイメージと実際の姿にギャップを抱かないよう、過大な期待もしてはいなかった筈なのに……日々接する内に彼が拓いてくれる様々な世界は、あたし達十五歳程度の小娘を虜にするには十二分過ぎたのだ。
しかし驚いたのは、あたし等が惹かれるのはほぼ想定内だったのに由紀姉ぇまで影響を受けつつあったという点。確かに、由紀姉ぇは人を年齢、地位、外見に限らず見る目のある大人の女性だとは思っていたけど、まさか由紀姉ぇまでとは。
表面上は三姉妹のとりまとめとして、そしてお兄に対する母親代わりとしてもきちんと振る舞っていたようだけど、それと同時に、深い記憶を持たない父親の幻影も重ねていたのだと思う。お兄と由紀姉ぇは年は離れているけど、人生経験の面では大して違わないと思ったからこそ、徐々にそういう雰囲気に飲み込まれたのだ。……つまり、由紀姉ぇもそんなに強い人間じゃなかったわけ。義理とは言えど姉弟なのだものね。
だからこそあたしは否定できなかったし、お姉の想いもある程度は『仕方がない』と思っていた。事実、お姉の想いはあたし達ほど直接的に『男性として』の視点からではなく、おおよそ男性に抱きうる全ての視点……兄であり、弟であり、恋人、他人、そして父から果ては夫に至るまで……を内包しているからこそ、どれか一つに囚われ突出することなく、満遍ない感情でお兄を想い続けてこられたんだろうと解釈している。
だけど……あたしは違う。
真理も違う。
お兄に抱いている感情は、百パーセント『異性』『恋愛対象』と言い切って良いと思う。それが少々行きすぎだというなら、一割が『父性』で二割が『肉親としての兄』くらいかな。後の七割は結局恋愛感情なんだけれども。
ということで、由紀姉ぇの想いにはどきどきさせられることもあったけど、直接的に恋のライバルと認めることはなかった。
でも……真理は違う。真理は本気でお兄に惹かれていた。
あたしは知っている。
玄関先からあたし達三姉妹を順繰りに見て、ある一点でお兄の視線が固まったことを。最初にお兄が目を引かれたのは、一番前で挨拶をした由紀姉ぇだった。次にあたし。最後に真理。真理を見つめているときだけお兄の視線は違っていた。どう例えたら良いものか……とにかく、一発で惹かれていることが第三者の視点からでもよーく分かるくらい、そしてその後の成り行きが容易に想像出来る空気に満ちていた。
だから、あたしは覚悟しようとしたのに……今から考えれば、その覚悟もどれだけ浅はかで軽い気持ちだったのか。
「真理、お兄とは何処まで行ったの?」
「ふぁいっ!?」
キッチンであたしに背を向け、皿を洗っている真理に言葉をぶつけると、面白いように反応する。隠し通そうとしても隠せる反応じゃないよね。
「ど、ど何処までって……何を言ってるの美奈津お姉ちゃん」
危うく皿を落としそうになりながら、真っ赤な顔でこちらに向き直る真理。でも……その大照れの中に垣間見えるのは、確かな恋する乙女の表情。羨ましいくらいの、そしてその思いが叶った表情でもある。ちょっとくらいからかったってバチは当たらないよね。
「何処までって……分かってるんでしょ?ほらほら言っちゃいなさいよ〜」
「やだよ〜、言えないよぉ〜」
もじもじ、と身体をよじって頬を染める真理。ああもう、なんて可愛いんだろう。こんな仕草でも腹立たしくないあたりが真理の取り柄かな。でも、とても同じ血を分けた人間とは思えないくらいなのも確かだ。
「いいから、キスくらいはしたの?」
「ううー」
名門バスケ校の寮住まい、青春をバスケに捧げたと言い切って良いあたしにとっては、学校内での色粉沙汰など無縁。どうしてもそっち方面の話に餓えてしまう。もっとも、それだけでは済まされない、あたしにとっては一種の地雷のようなものでもあるのだけど。
「どうしてそんな事聞くの」
……きっと、真理にとっては何気ない一言だったのだろう。
あたしには聞く権利があると思う、同じ人間を好きになってしまった身として。
でも。
それを伝えるということは、あたしの想いを図らずも告白してしまうことになる。
「いいじゃないそんな事。教えてよ〜」
「ダメったらダメ!」
「なんでよー、教えてくれたって減るもんじゃないし」
「そ、そういう問題じゃないでしょ」
そうしてしばらく押し問答をするけど、教えてくれる気配はない。当然と言えば当然、これは真理とお兄とのプライベートなのだから。……そう、二人の仲が秘密で満たされる位に仲は深まっているのだ。そう考えると、ますますやるせなくなる。真理は一体どう考えているのだろうか?興味本位で聞いているとしか思っていないだろう、多分。だから。
「どうしても聞きたいの」
と、今までのふざけた態度をきっぱりと止め、正座をして、真理の瞳を見つめて、真剣に聞いたのだ。この真摯な眼差しで真理は気付いてしまったようだ。だけど……逃げる訳にはいかない。事実を受け容れ、自分の目を覚ますためにも必要なことなのだ。
「……お姉ちゃん、ひょっとして」
「すとっぷ。その先は言わなくて良いから」
しばらくの沈黙。
やがて真理は、あたしに一切の表情を悟らせない為に、極めて無表情を取り繕って
「うん。付き合ってるよ、私たち」
と。
分かっている。
分かってはいたんだ。
予感はあったんだし、何も恐れることはない。
そのはずだったのに。
「お、お姉ちゃん!?」
涙が出ていた。まったく予測不能だった。知られてはいけない、知られたくなかったのに……
「やっぱり、そうだったんだね」
「……気付いてたんだ」
「うん……お姉ちゃんもあんまり隠し事が上手いタイプじゃないでしょ?」
二人して顔を見合わせ……そして、苦笑い。知られたくなくとも態度には出てしまっていた。何のことはない、あたし等姉妹、結局は双子だったって事なんだ。だったら……二人が同じ男の人を好きになったって言い訳できるよね、遺伝子が求めたとか、さ。
でも。
お兄が選んだのは、同じ血の通っている筈のあたしではなく真理。もちろん、この場合の同じ血など何の意味もないと分かっているのに、何故か、悔しい気持ちも拭いきれなかった。
真理が何か言いたそうに、しかし言い出せずに口ごもっている。少しだけ伏した瞳を縁取る長い睫。同じ血の、同じ性別の人間なのに、魅入られかねないその美貌。羨ましかった、嫉ましかった。真理の性格が良いのは百も承知だけど、それ位なら矯正できるかも知れない。家事やら何やらが不出来なら、今からでも修行すればそれなりになるかも知れない。でも、例えそれらが完全にこなせたとしても、真理に敵う気もしない。
お兄が真理に惹かれたのは、そんな表面上の問題ではないのだ。あたしは気付いてしまった。この二人は、惹かれあうべくして惹かれたんだと。その間には誰も入り込む余地はない。今、ハッキリと分かった。いや、遅いくらいだ。もっと早くから気付いていれば……無駄か。
「真理」
「?」
顔を上げた真理。本当に可愛い。だからあたしは、がばっと真理を抱きしめた。
「お姉……ちゃん」
戸惑いながらも身を任せる。同じ日に生まれ、同じ血を分けてはいるけど、あたしと真理の個人としての明確な差は、この体格だ。あたしの背はまだまだ伸びているけど、真理は中学生の頃から殆ど変わらない。肩幅も、……その他の、人間なら誰しも気になる身体的特徴も。
そうだ、真理は真理という一人の人間なのだ。差はあって当たり前、お兄の好みにも差があって当たり前。あたしは、その好みに触れられなかった……只それだけの話。
「真理、今、幸せ?」
「うん」
一切の躊躇を挟まない、力強い答え。それこそあたしが求めていた答え。あたしの迷いと想いを吹っ切るための最大の要因。
「そっか」
身を離すと、あたしの目を見つめ続ける真理がそこにいた。最愛の、あたしの妹。妹の恋愛成就を祝ってやれなくて、どうやって姉を名乗れっていうのよ。
「一つだけ忠告しとくわ」
「……?」
きょとんとしている真理を後目に立ち上がり、伸びをしてから……
「あんまりヤり過ぎちゃダメだぞ」
とだけ。非常に切実なアドヴァイスを送ったつもり。だって、真実でしょ?
案の定、真理は顔を真っ赤にしてあたしの言葉をゆっくりと咀嚼している。あはは、それでこそあたしの妹だ。
そう、それでいい。
真理、
お幸せにね。
明日は、お兄にナイショで甲子園に応援に行く。だからこそ吹っ切っておきたかった。あたしの女としての意地もあるけど……全てはお兄のためなんだから。




