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FASTEST!!  作者: サトシアキラ
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第16-06話

 ……夢を見ていた。

 コレが夢だとはっきり分かる、いわゆる明晰夢めいせきむってヤツだ。誰かとキャッチボールをやってる自分を高いところから見下ろしている。こんな夢をもし真っ昼間から見ていたら、かなりの人間的ピンチを迎えているのかも知れないが、今はそんな事は些細な問題だ。

 何故なら、キャッチボールの相手はカベだからだ。カベは言うまでもなく入院中、神奈川に帰ってきているのかどうかすら教えられていない。突然地元に戻ってきて、驚かせようという魂胆なのだろうか。

 で。

 俺たちは交互に胸のすくようなスピンの掛ったボールを交換している。何回も何回も飽きることなく……そうだ、もう一つ夢だと断言できる材料が有るぞ。それは、俺が正確無比にカベの投げやすいところに送球しているからだ。……本物の俺はキャッチボールくらいの力加減が難しいんだよ。多分基本がなってないせいだろうけどな。

 声を発するでもなく、ただただひたすらにPlaycatch。夢の中とはいえ自分のやっている事だが、良く飽きもせずにやっているもんだと感心しかかったところで、カベがボールを寄越さなくなった。何だろう、としばらくそのままでいると、

 ……カベがあの時の微笑みを返してきたんだ。

 病室を出るときの、あの胸の苦しくなるような微笑み。

 夢に出てくるくらいなんだから、俺にとってよっぽど衝撃だったんだろうな。実際、カベの笑みなんて殆ど見たことが無かったんだから。

「カベ」

 喋ろうとするが声が出ない。

 俺ではなく俺の声が。……つまり、俺を見下ろしている俺は声を出そうとしているのだが、俺に見守られている俺は微動だにしない……ええい、訳が分からない。

 『俺たち』は再び球のやりとりを始めた。

 もどかしい。こんなにも意識ははっきりしているというのに、カベには手が届かない。もっともっと話をしたいのに……俺のばかばか!もっと頑張れ!

 ……想いとは裏腹に、キャッチボールをしている方の俺も満ち足りた表情だ。まるで、それで万物を悟った気になっていやがるかのような、見ていて気持ちの悪いくらいにスッキリした表情だ。

 その内に、俺ら(キャッチボールをしている方)に白い霧のような物が覆い被さりつつあり、夢を見ている俺の視界を遮り始めた。なんてこった、俺の夢は誰が何と言おうと俺自身が好きにして良いはずだぞ。それなのに……こんな仕打ちがあるか!

 やだよ……

 もっと、もっと心と心の語らいをしていたい。

 キャッチボールという行為は、ただ単に野球の基本やウォームアップとしての姿だけを持つのではない。それこそ字義通りの『パートナーとの心のやりとり』という重要な意味を持っているんだ。相手のことを思って捕りやすい場所に投げ、相手から捕りやすい場所に投げてもらったボールをしっかりとキャッチする、思いやりの気持ち。最近の人心が荒んでいるのは、幼少の頃に日本人男子のたしなみともいえるキャッチボールを父親と遊ぶ機会がなかったからだ、と真剣に考え始めていることもある(俺は父親とはおろか、じいちゃんともキャッチボールをした覚えはないけど)。

 今までは俺のためにずっと特訓ばかりをやっていた。

 今度からは……お互いのために、お互いがお互いを高めあっていけるように、いろいろな形での心の通わせ合いがしたいのに。

 カベ、早く帰って来いよ。久しぶりに『蒼空亭(お好み焼き)』しようぜ。

 

 ……そうこうしている内に、カベが『俺』に背を向け、そのまま逆方向に歩き始めた。

 何処に行くんだよ、カベ。まだ何も……始まっても終わってもいない。

 カベ。

 待ってくれよ。

 ……俺の悲痛な呼びかけにも関わらず、カベは行ってしまう。ここで初めて、俺と俺の行動が一致した。手を伸ばすが……届かない。

 

 ……カベ。


 ……。

 瞬間、世界が横転していた。たっぷり数十秒を要してから、ようやく俺の身体が横になっているという状況とその場所を把握する。

 ここは自宅の居間の隣、畳敷きの和室。デジタル産業をメインに扱う企業の取締役という、とりあえず最先端の仕事に就いている親父だが、やはり骨の髄まで日本人なのか藺草いぐさの薫りからは離れられないらしく、畳は素材から技法まで伝統的な業で作られた本物中の本物だ。名跡と言われる神社仏閣に敷いてあってもおかしくないような、贅沢を極めた代物らしい。派手なシャンデリアや高そうな陶磁器といったこれ見よがしな金持ち趣味には反吐が出るが、こういったさりげない贅沢というのは良いものだ。誰に見せびらかすでなく、個人で贅沢を味わっている分には誰の気分も害さない。何より、日本の風土に適合した物なのだから、快適で当然だ。

 開け放たれたガラス戸からは、ひぐらしが儚い命を振り絞って自己の存在をアピールする、一種の悲鳴のようなものが入ってくる。……でも、それは決して騒音ではない。むしろ、『人間よ、長い日々を無為に過ごすでないぞ』とでも戒められている気にさえなってくる。

 ……理屈っぽく考えて、ようやく頭が覚醒してきた。そうだ、阪神方面から帰ってきた翌日、学校での野暮用を済ませて帰ってきてから、飯を食って涼しい畳の上でちょっと横になろうと思って目を閉じたんだっけ。帰ってきたばかりというのに方々への顔見せ(見せ物扱い)が多く、忙しくて困る。横になった事だけは覚えているから、きっと目を閉じた瞬間に眠りに落ちてしまったんだろう。疲れているんだな。

 ……うーん。

 枕が適度な堅さで寝心地が良いな。まるで俺専用に採寸された特注品のように頭の形状にフィットするぞ。しかもなにか良い香りがするし、おまけにそよそよと頬に当たる微風も涼しい。しかし、枕なんてしてたかな?この日本間は普段使ってないから寝具の類は置いてないはずだ。座布団を無意識のうちに丸めて枕にでもしたのかと考えるが……隅っこの方に重ねられたままだ。

 ……まさか。

 そう思って身体を横から仰向けにすると……視界に飛び込んできたのは、微笑みを浮かべながら団扇で仰いでくれている真理だった。

 つまりだ。

 俺は真理に膝枕されてるらしい。

「ごめんねお兄ちゃん、起こしちゃった?」

 柔らかい声。男と言わず女と言わず人間を魅了するセイレーンの如きそれは、現代の日本だったらさしずめ『アニメ声』か。

「ふああ、ぁ、眠ってたのか、俺」

 目が開いてからそこそこの時間は経っているが、さも今起きたばかりのように言った。まさか膝枕の感触を楽しんでいたなど口が裂けても言えまい。

「そりゃもうぐっすり。軽いイビキまでかいてたよ」

「そうか……」

 さりげなく頭を上げる。真理が少しだけ残念そうな表情をしたように見えたのは気のせいだろうか。しかしイビキまで聞かれているとは……ちょっとだけ恥ずかしい。

「私が寝てるお兄ちゃんを見つけてから一時間以上経ってるから、それ以上は寝てたんじゃない?」

 時計を見ると、午後五時半。家に帰ってきたのが二時、飯を食い終わったのが二時半だから……確かにそのようだ。俺は寝坊助のクセに寝溜めが出来ない難儀な体質だから、これ以上昼寝……夕方寝かも……すると夜に眠れなくなるな。立ち上がって外を見ると、庭やら他の家の屋根やらがすっかり夕日のオレンジ一色に染まっていた。夏の夕暮れには間違いないが、晩夏の夕暮れでもある。暦の上はもうとっくに秋。温暖化が進んだこの世の中だけに、日中の温度は夏の衰えなどという言葉とは全くの無縁だが、

「随分と日が短くなったな」

 日差しの長短だけは、人間がいくら地球の環境をいじくり回そうとも変化を生じない。もっと言ってしまえば、地球がどうなっていようがこの日照時間の変化は変わらないってことだ。雄大だなぁ。

「夏ももう終わりだ」

 真理に聞かせるでもなく、独りごちた。

「そうだね……」

 いつの間にか、傍らには真理が寄り添うように立っていた。夕日と、蜩と、夏の少女。全てが過ぎ去る夏を惜しんでいるかのように見えて……また涙が溢れそうになった。

「あと……十日で夏休みも終わりか。夏休み全体の長さから言ったら、まだ四分の一も残ってるんだがな」

「四分の一しか残ってない(・・・・・・・)、と思うな、私は」

 どっちも正しいし、どっちが間違ってもいない。とらえ方、解釈の仕方一つだけど、高校三年の夏という限られた時間から考えれば……真理の言い分の方が絶対的に正しいと思う。

「そうか、十日、しか残ってないんだな」

「……やっぱり十日も、かも」

「何だよそれ」

 顔を見合わせて笑い合い、ふと真顔になって見つめ合いに変化する。オレンジ色が掛った真理の顔と、大きな瞳。惹(引)き込まれそうになるのはいつものことながら、今日は……やたらに魅力的に見えた。自分の気持ちに整理と確証が付いているからか、傍らに立っているのは俺の義妹ではない。いや、義妹ではあるけど、立ち位置は今までと大きく異なっていた。

「……」

「……」

 見つめ合う。

 見つめ合う。

 見つめ合う。

 飽きもせずに。

 しかし目も逸らせずに。

 今までの俺だったら、吸い込まれそうな瞳の色に慌てて視線を外すところだけど……今は意気込みが違うからか真正面から受け止めることが出来た。

 それからどれ位経ったのだろうか……個人的にはとても長い間視線を交わしていたような気がするが、日の傾きが進んでいないところから察するに大した時間ではなかったらしい。

 先に目を逸らしたのは真理の方だった。俺の視線の意味に気が付いたのかどうかは確かめようもないが、これ以上見つめ合っていたら、途中にあるべきステップを全て飛び越え、もっと先のことに進んでしまいかねなかったから救われた。

「お兄ちゃん」

「……ん?」

 真理は再び外を見ている。さっきよりも幾分藍色が占める割合が高い空は、しかしながら半分を鮮やかな茜色が覆っている。その茜色も秋の空の前触れなのだろうか。

「残念……だったね」

「……」

 残念、か。甲子園の事だろう。

「実は意外に……と言っちゃあ全力で斗った仲間に失礼かも知れないが、それほどショックでもなかったりするんだよな」

「そうなの?」

「負け惜しみかも知れないけど……今はとりあえず、一ヶ月にも及ぶ長丁場を乗り切った安堵の方が強いかも。悔しくなってくるのは多分もうちょっと後だろうな」

 真理は俺に向き直った。俺の真意を確かめているような、少しだけ疑念も抱いているような視線。その視線に晒されて居心地が悪いというのは、やっぱり俺の心がけが悪いのか。さっきは全然平気だったのにな。

「お兄ちゃん本人がそう言うんだったら……いいんだけど」

「ああ」

 そして……沈黙。

 今、隣にいる小さな肩を抱けたらどんなに幸せだろうか。どんな大きな心のわだかまりだろうと、全てが嵐の日の綿ゴミの様に吹き飛ばされてしまうに違いない。

「真理」

「なぁに?」

 呼んだはいいが、言い出すキッカケが掴めない。

「その……」

「……?」

 小首をかしげるその仕草が愛らしくてたまらない。これで自分の魅力に気がついていないというなら殆ど犯罪というものだろう。

 でも。

 言わなければならん、自分の気持ちに踏ん切りを付けるためにも。そして……これからのためにも。

「真理、山形……行ってみないか?」

「山形?」

 俺の育ち故郷・・・・。俺の心の……というより事実上の故郷だ。

「山形かぁ……涼しい所も良いかもね。何があるの?」

「何も無い……と言えなくもないが、何もないからこそ味わいが存在する……とでも言っておこうか」

「つまり田舎って事?」

「まあそうなるな。聞くところじゃ今はコンビニやら色々と建ってるらしいが、少なくとも俺が住んでた頃はそんな洒落たもんはなかったな」

「でも面白そう。自然を満喫できそうで」

「ああ、自然には事欠かないな……ちょこっと裏山まで出かけただけで何でも出来るぞ」

「何でも?」

「ああ、何でもだ。……キャンプ、川遊び……えーと、キャンプ、川遊び……」

 良く考えたら、子供の頃は野山を仲間と駆けずり回ってただけで楽しかったからな。レジャーと名の付く類のものではなかったか。

「まあ、何もすることが無くても一日くらいならぼーっとしてられるだろうし、それはそれで貴重な時間だろ?……暇というものは最大のゼイタクなのだよ!という解釈はどうだろうか」

「ぷっ」

 吹き出した。笑いのツボに入ったらしい。緩いヤツだなぁ。

「あははっ。でもそうかもね。私、東京より北に行ったこと無いんだ〜」

「なら良いかもな。お前もバイトがあるから長くは居られないだろうし……一泊だけ、どうだ?」

「私はいいけど……お姉ちゃん達の都合はどうかなぁ」

 姉さんも夏休みだというのに大学で色々と用事がある様だし、美奈津だって明後日には帰らなきゃならないらしい。帰ったら即新人戦の準備だと言ってた。そういえば、美奈津は実力の方はどうなんだろうな。

 ……いやいやそうではなくて。

「二人で」

「え?」

「二人で、行きたいんだ」

「……」

 あらら、困ったな。口をあんぐり開けているぞ。呆れられたか?

「いや、無理だよな、はは」

 しかし、軽蔑されるかと思ったら、しばらく後のセリフは全く予想外。

「お姉ちゃん、許してくれるかな……」

 と、頬を真っ赤っかにしながらも、確かにそう言ってくれたのだった。確かにそれは大事な問題だが、今の俺はそっちに気を配る余裕はない。

「そ、そうか、そうだよな」

 まずは姉さんの許可を取ることから考えないといけないんだけど……どう言い訳しようか。嘘を吐くのも心苦しいというか人道上許されることではない(オマケに相手は、真理の実の姉であり保護者代わりだ)し、なにより……未成年の男女がお泊まりに行く……なぞ、ファンファーレが響き渡りそうなビッグイベントにしか聞こえない。多くの高校生ならイそれ位は今時普通なのだろうが、今時の高校生でない俺たちの話なのだ。でない

「でもお兄ちゃん、どうして私一人だけを誘ってくれたの?」

 さっきまで、真理は『家族旅行』としか受け取っていなかっただろう。それが『二人で外泊』と分かった瞬間、その意図を疑うのも当然だ。

「いや、な……ちょっと、自分の中でケジメを付けに行かなきゃならない事があってさ。その調査というか」

「そこで私がお手伝いすればいいのね?」

「手伝い……か。まあそうといえばそうだ」

 本当は、真理に俺の側にいて欲しい。側にいるだけで良いんだ。俺を慕ってくれる、そして愛する相手が側にいてくれるだけで勇気をもらえる。それだけ山形で付けにゃならん『俺のケジメ』は大変な労力を必要とする。肉体的に、ではなく精神的に、だ。

 気がつけば、部屋の中はもう薄暗くなってきていた。日が短くなると言うことは、日の入りが速い|《 ・・》ことでもある。

「腹……減ったな。そう言えば、姉さんと美奈津はどこにいるんだ」

「家に居るよ。お兄ちゃんを起こしたら悪いからって、みんな由紀お姉ちゃんの部屋でお話してたの」

「そうか、気を遣わせちまったな……しかしなんかダりぃ。ちょっとやそっとで疲れは取れんなあ、これは……」

「大丈夫?」

「ああ。でもカベの疲労具合はこんなもんじゃすまなかったんだろうからな。俺が泣き言をヌかすわけにはいかないだろ」

 倒れるほどの疲労、か。弱った身体に、他の病気が移らなければよいが……とりあえずカベが帰って来るという吉報を待つしかないか。

「晩メシの支度は?」

「まだ。これからみんなでお買い物に行こうかと思ってたところだったの」

「だったら丁度いいや、藤沢まで焼き肉でも食いに行くか」

「ほんと?」

「ああ。穴場だしちょっと遠いけど安くて旨い店があるから……姉さんと美奈津に都合を聞いてきてくれないか」

「は〜い」

 真理は軽い足取りで部屋を出ていった。その瞬間に俺の前を通り過ぎた、長く艶のある美しい髪からこぼれる甘い残り香が、俺の脳のとある限定された一部分をピンポイントで刺激するから困る。

 ……ふう。

 もう夕暮れの時間帯も過ぎた外の景色から視線を外し、目を閉じる。……果たして、姉さんへどうやって言ったらいいものか。基本的には正直に言うしかないのだろうが、もし反対されたら?……まず間違いなくそうされるだろうが、その時は諦めるだけだ。姉さんも一緒に来てもらうのも良いかも知れない。

 とりあえずはメシを喰ってからだな。腹が減ってはロクな事を考えられぬ。まずは腹を満たしてから……きちんと言おう。


 そして……立ち向かう勇気になってくれ。




  

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