第01-06話
午後とはいえど、未だ衰える兆しを見せない炎天下。9回の裏、いよいよ五塚高校最後の攻撃……延長戦を除けば、の話だが。
打順は二番の御曽から。マウンドには、相変わらず伊東が仁王立ちしている。それにしてもタフな奴だ、球数は俺とそうは変わらないだろうに……。投球練習の時にも、鋭い球をびゅんびゅん放っていやがる。羨ましいよな、あの身体の大きさは……。身体が大きいということは、パワーとスタミナの入れ物が大きいということだ。異論の向きも有ろうが、少なくとも俺はそう思っている。
投球練習が終り、御曽が打席に入った。
伊東はサインを見も出しもせずに、第一球を投げた。
切れの良いストレートが外角低めに決まる。御曽のバットはぴくりとも動かない。反応すら出来ないのだ。
「ノーサインか……ナメられたもんだぜ」
バッティンググローブをしながら、カベが苦々しくつぶやく。確かに、ウチの打線は嘗められて当り前だ。何せ、球が外野にさえ殆ど飛ばないのだから……。
「強羅、スコアブック見せてくれ」
と、俺はマネジャーの強羅さとみ(一年)に話し掛けた。すると何と、強羅はすすり泣いているじゃないか。
「お、おい、どうした?」
俺はしどろもどろに問い掛ける。
「だって……だって、先輩が……先輩が!!」
強羅は、しゃくり上げながらやっとそこまで言葉を紡いだ。
強羅の言っている「先輩」とは、大塚さんの事だ。彼女がウチの部のマネジャーになった理由が、偏に大塚さんを慕っての事だと言うのは明白だった。本来公平であるべき部員への待遇が、明らかに大塚さんに劣るのだから……本人は真っ赤な顔で否定してるが。それでも、文句を言う奴などいない。何故なら、強羅の人懐っこい笑顔に、みんながほっとした気持ちにさせられるから。大塚さんが引退したらマネジャーを降りると言う実しやかな噂に、皆やきもきしている。
泣いている強羅を前にただ立ち尽くすのみの俺。すると、
「おい、強羅」
この状態を見兼ねたのか、ベンチの奥から大塚さんが顔を出した。そして二事三事言葉を掛けると、強羅をベンチ裏へと連れ出す。
大塚さんも、強羅に慕われてまんざらでもなさそうだったから、彼女を宥める事が出来るのは自分しかいないと思ったんだろう。
そうしている間にも、御曽がスリーバントを失敗して帰って来た。がっくりうなだれて歩いて来る御曽を後目に、カベがネクストバッターズサークルに向かおうとした時……。
「真壁、一発ぶちかまして来い!」
と、強羅を宥め終えたのか大塚さんが声を掛けた。
カベは短く、
「はい」
と答えただけだったが、大塚さんの気持ちは痛いほど伝わって来たろう。
”手も足も出ない俺の分まで打って来い”
と。
カベのバッティング技術が相当な物であるのは、打撃練習を見れば分かる。右へ左へ、遠く短く。元広島の山本浩二氏を見ているようだと感慨深げに言ったのは、練習を見に来ていたどこぞのおっちゃんだった。俺は氏の現役時代を見た事は無いけど、スマートで「格好」のいい選手だったらしい。なるほど、外野とキャッチャーの違いこそあろうが、カベは長身痩躯で動きはキビキビしている。きっと、そこらへんから連想したんだろう。
カベは自分のバットをケースから抜き取ると、サークルへと向かって歩いて行った。
「俺までつなごうなんて思わずに振って来い……」
大塚さんは、ただそうつぶやくだけだった。
そうこうしている内に三番の深沢さんはファーストへのファウルフライに倒れ、いよいよ後一人……カベの打席となった。同時に、大塚さんもサークルへ向かう。
球場全体は、やかましいばかりの「後一人」コール。相手ベンチの連中は、勝利を確信しているかの様に球避けのフェンスに足を掛けている。
そんな中でも、カベはいたって冷静に足場を慣らしていた。
お前は強い奴だな、カベ……。
ふと俺は、少し前にカベに言った自分の言葉を思い出していた。どうという場面で言ったセリフじゃないけど、ふと……思った事を口に出してみたのだ。
強くなんか無えよ、オレは……。
その時のカベの答えだ。
それが謙遜であるという事はすぐに分かった。おそらく、本人には謙遜しているつもりなど無いのだろうが。
本来なら、有名高校の四番とキャプテンを務めて然るべき、野球の総合的な実力を持った男。それが何故、こんな無名校の四番に甘んじているのか……。
その理由は一にもに二も、実家の経済難らしい。俺が直接聞いた訳じゃないが、カベ自らがそう言ってはばからない。
経済難ならば、野球で名を上げて奨学生にでもなればいいじゃないか、という意見も有るだろう。しかし、無名軟式(硬式は金がかかる)リトルと無名軟式公立中学の悲しさで、ポイントゲッターがカベ一人。チャンスに打てば、当然他チームのマークが入り、次のチャンスでは敬遠……(勝利優先の日本野球の病原でもある)。だから、わざと打たないでおく必要が有った。打つのは、確実に決勝打になる場面でだけ。それも、ボテボテのショート内野安打やセンター前へのテキサスリーガーズヒットのみ。それじゃあアピールなんて出来よう筈も無い。チームのみんなは自分勝手に打ってくれていいと口を揃えて言うが、カベはそのバッティングスタイルを崩さない……。
カベは伊東の第一球、外角低めを強振し、空振り。続く二球め、内角低めを一塁方向へライナーのファウル。
ワンストライクを取る度に、球場に歓声が上がる。なおもカベは動じず、鋭い目付きで伊東を見据える。
優勝を目前にした伊東は、カベをもすっかりナメきってしまったようで、第三球目、思いっ切り甘いボールを投げたのに気づいていなかった。
真ん中高めの球を、カベの鋭いスウィングが捉える!!
がきっ!!
と、消音バット特有の音がして……。
打球は左中間スタンド最上段の更に上、看板にライナーでブチ当たった。
一瞬、球場を静寂が包む。
伊東の表情が凍り付いている。投球時の、
「これが打てるか!!」
という顔のまま。
カベが一塁を回った所でようやく歓声が巻き起こった。
飛距離たっぷり145メートルは有る特大ホーマー。オーバーフェンスのホームラン自体は、金属バットのお蔭で無名校の無名選手でも打てるが、今ぐらい大きなやつだとそうは行かない。スカウト陣はきっと、試合後にデータの洗い直しを迫られるだろう。
カベがホームベースを踏んだ。
一点差になった。だが、それはあくまで数字の上だ。その後に反撃の手段が残されていない事は、ウチの戦力を知っている者なら簡単に分かる。
伊東は、あの凍り付いた表情から、不気味なぐらいの無表情になった。
大ホームランの余韻が冷めていない内に、五番の大塚さんが打席に入る。
大塚さんは、何かを悟った様な……素晴らしい表情でバットを構えた。
再び、後一人コールが球場内に木霊する。
カベがベンチに帰って来、椅子に腰掛けた。うつむいたまま顔を上げずに息を整えている。
カベは、一体どんな気持ちでバッターボックスへと入り、ホームランを打ち、ベースを廻ったのだろうか。俺には……掛ける言葉が見つからなかった。
そして……次打者の大塚さんは、最後の打球をサードに打ち上げた。