第01-05話
その瞬間、球場全体を、悲鳴に近い歓声が包んだ。
カベの三塁への送球は、三塁手が焦ったのかランナーで球が隠れてしまったのか……とにかく、三塁手のグラブをかすめてレフトのポール際を転がって行った。俺達もカベも某然として、それを見送る事しか出来ない。二塁ランナーがスタートを切っていたのは皆知っているから、追ったってしょうがなかった。
得点は2対0。俺達の攻撃力から考えると、決定的な点差と言って良いだろう。
カベが一呼吸入れにマウンドへ来た。結局、そのバッターは三振に切って取ったものの、士気の落ち方はひどかった。そんな所に打球を飛ばしたら、どんな珍プレーされるか分かったもんじゃない。先取点を取られると勝負を投げてしまう……。弱小校の弱味が浮き彫りになってしまっていた。
しかも、次は伊東だ。ツーアウトランナー無しだが三振を奪う事だけを考えなくてはならない。
球場のざわめきの中、俺はカベのサインを覗き込んだ。
……。今日の試合、初めてサインに実際にうなずいた俺は、再びプレートの左端を踏んでモーションを起こす。伊東もそれを確認したのだろう、やや体を開きぎみに構える。
しかし俺は戸惑う事無く、内角高めのミット目がけて全力で放る!!
その瞬間!!
がっきいん!!
と、まるで砲丸投げのボールでも打ったかのような、至極鈍い音がした。
だが、打球はバックネットに突き刺さった。
タイミングは合っている。あくまで、球をセンターに打ち返す為の角度的には、だけど。俺のボールの伸びが伊東のスウィングを上回ったのだ。
伊東はバットを叩き付けて悔しがっていたが、俺の目から見れば打ち損じなどではない。俺のボールの方が勝っていたからこそ、ボールが前に飛ばなかったんだぜ。その事を勘違いしてもらっちゃあ困るな、伊東君よ。
第二球のサインは……。
前の球と同じ、クロスファイアーのライジングボール。
やはり全力で投げ込む!!
すると今度は、伊東はそれを落ち着き払って見送った。奴は今までボール球を振っていたと思っていたらしい。
しかし……。
判定はストライク。
内角高めのストライクゾーンを僅かにかすっているのだ。伊東は色をなして抗議をしているが、審判は極めて冷静に判定を下している。もちろん判定が覆る筈も無く、奴は益々自分の立場を危うくしているに過ぎない。高校生が判定にいちゃもんつけるのなんて見た事有る人は少ないだろうからな。人によっては、なんて生意気な高校生だと思うだろう。しかし、俺はそういう考え方には疑問を抱かざるを得ない。プロだったら、抗議シーンなんていくらでもお目にかかるのに。何で高校生じゃいけないんだ?大体、高校球児全員が純粋な気持ちで野球をやってる訳無いんだ。中には、プロのスカウトに見て欲しくてたまらない奴だって居るだろうに。
伊東は抗議が受け入れられないと分かると、渋々打席に入り直した。
さて、いよいよ最後の球だ。
「最後」と考えるって事は、俺も既にこの試合自体の勝負を投げているらしい。人の事は言えないな……。
カベのサインは……またもやクロスファイアー。狙いも同じコース。しかし、今までに見せた物とはちょっと違う。最後の一球にふさわしい、隠密裏に訓練した秘球だ。コントロールを一歩.いや、半歩間違えただけで伊東の顔面を砕き兼ねない。しかし今まで、集中して投じた球が失投になった事は一度も無い。コントロールが乱れる時は、決って精神集中が上手く行ってない時だ。その点今は、後一球だけベストを放れば事は済む。
やってやるぜ。
しばらくボールを見つめて集中した俺は、この試合……即ちこの大会最高のボールを投じるべく、マサカリのモーションを起こした、しかもワインドアップで!!
(うおおおおおおっ!!)
頭の中で雄叫びを上げ、ボールをリリースする!!
伊東は、やはり体を開いて待ち受けている。四度も同じ手を喰う伊東ではないだろう。
ボールは、俺の心伎体の一致の証として、狙いと寸分違わぬ場所へ、大気を切り裂き渦を巻いて突き刺さる!!
その場所とは……
伊東の顔面近く。
伊東はのけぞってそれを避けたが……。
しばしの沈黙の後……。
「スットラーイク!!バッターアウトオ!!」
と非常な宣告が下された。
「そんな!!」
と、伊東の叫ぶ声がここまで聞こえて来る。審判は首を振って抗議を受け入れない。
まあ、打席に立っている人間の目から見れば、自分がのけぞって避けなければならないボールがストライクだとは当低思えないだろう。
だが、あれは確かにストライクゾーンを通っている。実は、今のボール、最終投に際してシュートを掛けていた。しかも、強烈に途中から曲る奴を。つまり、打者の顔面に向かって曲る時にストライクゾーンをかすめている訳だ。更に、直球とほぼ同じスピードと回転を与えているから、ホップもしてしまうと言う恐ろしいボールなのだ。尤も、ちょっとコントロールが狂えば、打者をほぼ確実に病院送りにしてしまう為、今のような局限まで集中力が満ちた状態じゃないと投げられない。
正に最終兵器。
伊東はその餌食になった訳だ。
奴は抗議が受け入れられないと分かると、怒りに満ちた足取りでベンチへ下がっていった。
取り合えず、今日の俺の戦いは済んだのだ。