第13-07話
……さて、真理に勇気をもらってからの後の話でもしようか。
俺たち五塚高校野球部一同は、その後の試合を順調に勝ち進んだ。これと言って取り上げることのない試合ばかりだから俺の頭にも印象に残りにくいが……取りあえず、俺の投球成績と殊勲打くらいは書き出してみようか。
二回戦
五塚6-0宮代商
投球回数 9
投球数 126
被安打 5
与四死球 1
奪三振 16
攻撃にはやや手間取ったが、それでもほぼ完勝。二回の裏、カベがフォアボールで出塁した後の藤間の一発でほぼ勝負アリ。
三回戦
五塚9-0茅野高校
投球回数 7
投球数 108
被安打 2
与四死球 0
奪三振 10
初回から打線爆発。五回までのコールドには持ち込めなかったが、それでも7回に下位打線の連打で勝負を決めた。
四回戦
五塚4-0鎌谷高校
投球回数 9
投球数 138
被安打 2
与四死球 0
奪三振 17
この辺りから快勝とは行かなくなってきた。相手投手に格段の手応えの差が出てきたといったところか。それでもカベ・藤間の4・5番コンビはしぶとくライト前へ運んだりして確実に点を取っている。
その一方で相も変わらず俺のピッチングは快調続き。相手打線に仕事をさせないどころかセーフティーバントで俺をかき回そうにも、直球にポップフライを揚げアウトカウントを増やしてくれる始末。ついでに味方の野手陣にも殆ど仕事をさせていないので、有り難がられると同時にちょっとは身体を動かせてくれよと冗談めかしても言われた。
そして、この辺りからスポーツ新聞に俺の名前が踊るようになった。いくらカベを生かすためとはいえ、持ち上げられて嬉しくないことは否定できないということを認識せざるも……つまり多少は気分がいい。俺のもくろみ通りにカベのリードまで注目してくれるかは問題だが……
準決勝
五塚3-0
投球回数 9
投球数120
被安打 3
与四死球 1
奪三振 18
この成績が紙に書かれた他人の記録なら『ほう、すごいな』と思うのだろうけど、何故か自分の右腕が叩き出した筈なのに現実感がなかった。
その数字の上でもほぼ完璧な内容だが、徐々に身体の芯に言い様のない重い疲れが溜まっていく感じも覚えている。
何しろここまで来ると日程が過密でキツいんだ。分離してでさえ他の県予選並の約百校が参加するんだから。通常なら神奈川県予選を勝ち抜くには8連勝を挙げなければならんのだぜ?俺たちも、去年は7回もよくぞ勝ち進めたもんだ。
今大会は神奈川県予選を東西分離で行うため、気がついてみれば準決勝だったという印象だ。その為かチームメイト達は至って平静に見えた。トーナメントだから負ければそこまでだが、勝利に意味があるのは最後まで勝ち進んだ場合だけだから無理もないか。
県予選を戦っている内にいつの間にか期末テストが終わり(おいおい……)、それと前後して梅雨明け宣言も出され一学期が終わり、
そして、
とうとう決勝戦の幕は開く。
相手は同じ街に唯一存在する私立高校、10年ほど前から野球部の拡張に努め今ではすっかりそこそこの名門に成長していた平たいら学園。ちょっとだけ不足をも感じるが……それはいくら何でも俺の思い上がりも甚だしいだろう。特に、ピッチングそのものに比べた俺のお粗末すぎる守備力から言ったら。気を抜くとあっさり足元をすくわれかねない。
しかしまあ……取りあえずはあと一勝。ここまで来たらカベの名も相当売れているとは思うけど、まだまだ。それに……こんなどうしようもない俺を信じてくれていたチームメイトを、折角だから甲子園に連れて行きたい。俺一人で連れて行くとはまた尊大な表現だろうが……自分のピッチングを思い出してみても少しぐらいはそう思って間違いじゃないよな?カベ。
朝から天気は夏型快晴、つまり遠くの空には入道雲がその名の通り白い巨人の如くにょきにょき林立していて、スタンドは白い上着を着た入場客で眩しいほどに埋め尽くされていた。
カベからの話を聞くに、殆どは俺を見に来ているらしい。愛想も可愛げもない選手を見るため高野連への収入増にも荷担してくれて有り難いこった。
今俺が座っているベンチの中もただならぬ雰囲気に浮ついている、あるいは緊張している……と思いきや。
「暑っちぃなぁ……」
黒沢が大きな体を投げ出し、ユニフォームの胸元を広げて団扇で仰いでいた。いくら何でも緊張感が無さ過ぎる……と叱咤も出来ない。何故なら、
「全くで御座る」
俺も黒沢の隣で同じような格好をしているからだ。カベに咎められないのは俺に余計な体力を使って欲しくないからだろう。但しスタンドからは丸見えなだけに気になるが。ちなみに御座る口調なのは暑さで頭が若干やられているからだ。大した問題じゃない、多分。
しかし暑い。今日は梅雨明け宣言が本格的に出されてから初めてと言っていいほどの好天だった。宣言されてから数日は曇ってたもんなぁ……気分的には雨よりももちろんマシだが、この蒸し暑さだけは敵わない。
そろそろ試合開始が近づいてくると同時に俺の鼓動も高鳴る。幾ら冷静を装ってはいても、この決勝戦での勝利が持つ意味を考えると……な。そんな俺の状態を見かねたのか、
「いつもの通りにやれば大丈夫だぜ、小さな大投手サン」
カベがいつになく優しい口調で俺の両肩に手を置き、そう囁いてくれた。急いで振り返ってみるが……カベの姿はなかった。照れてるのか?
じきに試合開始時間がやって来る。いつものようにホームベースを挟んで整列し、お互いに礼。実に退屈な儀式だ。俺は表面上でも相手に対する敬意なんて物は欠片も持ち合わせちゃいない。グラウンドの上で死ぬ可能性がある競技をしている以上、目の前にいる者は敵か味方かそのどちらかでしかないんだ。
マウンド上に急ぎ足で向かい、上空を見つめて溜息を大きく一つ。そしてぐるっとすり鉢状の横浜スタジアムを中から見回す。そこでようやく一年振りに戻ってきたんだという実感があった。県大会の開会式のときにも勿論足を運んだが、その時は……去年の準優勝校なんて感覚はまるでなかったんだ。県大会は一回でも負ければそれで終わり、準優勝なんて何の価値もない。甲子園でなら最後まで優勝旗をあらそった立場として最後まで表彰の舞台に同席するのを許されるが……要するに、俺の目指す最終ラインはその辺りらしい。
視線を前に戻すと、俺の恋女房・カベがいつもと変わらぬ姿でそこにいてくれる。最高の捕手をめがけて投げられる……これ以上の投手としての幸せがあるだろうか。
俺はその幸せを噛みしめつつマウンドを均ならす。先発ピッチャーだけが享受できるこの作業をも幸せに思い感謝しなければなるまい。このマウンドに立ち続けていられるのもカベのお陰なのだと。
スタンドからは相変わらず代わり映えのしないブラスバンドによる応援騒音が鳴り響いているが、俺が一度ひとたび腕を振るえばおしなべて沈黙しちまうのは目に見えているからおかしいったらありゃしない。ま、この猛暑の中でその空元気がいつまで持つのかせいぜい見せてもらおうか。
ほら、一塁側スタンドを見てみろ……疲れるだけで選手の集中の妨げになる乱痴気騒ぎなんてやってないじゃないか……と思いきや、これがなんとそこそこの規模の応援団が結成されているではないか。初戦を戦ったときよりも規模が大きくなっているし……学校側が勝手に盛り上げちまったんだな。だからブラバンなんて無理矢理連れてこなくて良いっていうのに。この内の何人が心から俺たちを応援してくれる気になってるか疑わしいもんだ。
しかし、その義務感で応援をやっている有象無象の連中の中でもひときわ目を引いたのは……
「ぶ」
そいつらが視野に入った途端噴き出しちまった。
「あ、あいつら何やってやがるんだ」
続けて思わず声を出してしまった。その声が存外に大きかったからか、カベがこちらを見ている。というのも一塁側ベンチ最前列で、真理と河村がチアリーダー姿でポンポンを振り回している姿を発見してしまったからだ。初戦ではそれまでダンマリで応援に参加した上、今度はチアリーダーかよ。他の男の目の保養になんてなってやらなくていいっていうのに。何かこそこそやっていて、バイトのない日は家に帰ってくるのがやや遅いと思ったら……きっと練習してたんだろうな。
……まあいいや。それもこれも俺のためと思っていれば……河村の場合はどうだか知らないが。
「せーいっ!何やってる」
スタンドに見とれていると、カベの厳しい声が飛んできた。いかんいかんこんな事で精神の集中を乱してどうする。手を挙げてカベに合図したが、
「合図はいいから、顔をこっちに向けろっ!」
顔が二人の可憐なコスチュームから張り付いて離れない。やっとの思いでホームベースに目をやるが、やっぱりカベは不機嫌だった……当たり前か。しかし緊張感が抜けちまったな、いい具合に。そういう意味ではチアの格好をしてくれた意味はあるってもんだ。
さて、一丁やってやるかい。
球審の手が上がり、プレイボールが宣告された。同時に俺のワンマンショーの開幕でもある。あくまで予定だが……
相手の平学園のトップバッターはというと……やや大柄ながら細身の何某なにがし氏。ヘルメットのバイザーの下から覗く目つきは……読めないな。俺を打ってやろうという気構えが。まあ、俺と実際に対戦する前は大体の選手がそうなのだが、『どんな投手もボール球を投げないわけにはいかないだろうから、怪しい球はカットして甘いコースだけを狙いに行こうかな』という意図が見え見えだ。要するに積極的に打って行こうという気概が感じられない。どうせ普通に振ったって打てる訳ゃないんだから、せめて初球から振っていくぐらいのことはしたらどうだい。
……確かに好球必打はセオリーだろう、野球理論としてはな。
……だがな。
ただの一球も『好球を放らない』ピッチャーが相手だったらどう悶えてくれるのかな?
カベのサインは疑うべくもなく100パーセントの速球。敵の一番打者を通して相手のチーム全体の打力を見抜くというより、もはや一番を威圧して戦意を喪失させる方に意味合いがシフトしている。
マサカリを起こす。その瞬間に打者がバントの構えに移った。……好投手攻略の定法か。だけどな、俺はもうそんなものに惑わされるようなタマじゃないんだよ。
何故なら。
「う……ぎゃあぁっ」
バッターボックスからの叫び声が球場の喧噪を突き破ってマウンドまで届いてきた。まるで絞め殺される寸前のような、悪魔でも目の当たりにしてしまったかのようなとてつもない悲鳴だ。
その向こうではカベがなんとも言えないような顔をしてボールを受け止めていた。悲鳴を上げた打者本人はというと……
哀れ大股おっ広ぴろげて茫然自失。顎をがちがち脚をぴくぴくさせて……無様だったらありゃしない。
俺が投げたボールは打者の遙か上を通過していたのだ。いやー参ったな、いきなり視界の隅でバントの構えなんてするから手元が狂っちゃったよ、あー失敗失敗。取りあえず帽子を取ってフリだけの謝罪、心の中で舌を出す。
あんまり調子に乗るなよ、と言わんばかりのしかめっ面でカベが返球してきた。分かってるよ、これからは気をつけるさ。しかしあんまり動かれるようだとまた手元が狂っちまうかもなぁ。
第二球はカーブ。
打者の内角ギリギリから内側に入ってくる切れ角大のヤツだ。充分手の先の力を抜き、ふわっと指先だけにボールの縫い目が掛かるようにして投げる。
「うぎゃ」
打者は可哀想に、またもや背中方向にのけぞってボールをよけようとした。
が。
お定まりのように投球は内角一杯に収まっている。俺が何度となく使ってきた『高校生には分の過ぎた』スローカーブだ。
一球目にあれだけのものを見せたのだから、次のボールが目の前に飛んできたと思った時点で身をすくませてもおかしくはない。そのスピードが小学生の投げるボール以下であっても、だ。目ン球にすり込まれたボールの軌道はそう簡単には消えねぇぜ。
スタンドが大げさに騒いでくれるお陰で、すっかり俺は悪役扱いだ。いや……今や日本球界の寵児となった伊東に名指しでライバル宣言されてる時点で善玉ベビーフェイスへの道は閉ざされてるか。
はいはい、もう何でもいいからとっとと立って打席に入ってくれないか……そうそう、それでもない事もなかったかのようにケツに付いた砂をはたき落とす様だけは立派だ。脚が未だにがくがく震えているのを無視すりゃな。
第三球。ようやく俺の待ち望む静かな空気になりかけている球場内。その重っ苦しい空気を切り裂き、俺の直球が閃く!
結果は勿論見逃し三振。俺は外角のコースに投げているというのに、打者の方は身体を開いて逃げ腰になっちまってるんだから端から勝負にはならねぇってことだ。初球のアレはまあこっちも反省の余地がないこともないが、後の二球は正攻法だぜ。踏み込む勇気がなかったら打席に入ってくるな、ってな。
相手ベンチとスタンドどころか球場が冷えた空気に包まれたところで二番バッター様のご登場だ。さて、あんたは俺にどう挑み掛かってくるわけなんだい?ま、考えるべくもねぇかな。
案の定、二番バッターは俺がマサカリを起こすと同時にバント体勢へとシフト。だがな……俺がそれを見たからといって、喜び勇んでホーム側へダッシュするとでも思ったのかい?残念ながら答えはノーだ。それこそ敵さんの思うツボだというのも分かってるし、第一俺の速球をまともに前に転がせるわきゃないんだ。
事実、バッターはバットを引いて一球目を見逃す。一応高めに外しておいたからボール。俺がダッシュしようがしまいが奴らはバントする気なんて無い。あいつ等は隙を突く作戦しかできないだろう。だったら、こっちが先にその穴がないように……まあ俺は守備に関しては穴だらけなんだが……取り繕うのもまた駆け引きってワケだ。
第二球。カベのサインはストレート。相手がバント責・めをしてくるのならこちらも対処法は唯ひとつ。高めに渾身のストレートを放り続けてやればいいだけのことさ。こちとら一試合に何百球も放り得るだけの特訓はしてきたつもりだし、またその自信もある。果たして根負けするのはどっちなんだろうな?
投じたボールは俺の流した汗の量に逆らわず、意図したとおり内角高めへ決まってストライクワン。見逃したってバットに当てようとしたってどだい無理、下手すりゃバントでも空振りするようなコースだ。ここでも俺のさっきの手元が狂ったボールが生きてくるわけ。向こうはこちらの速球を転がそうとギリギリの緊張感で持ち臨まにゃならんが、もしそんな時に手元の狂ったボールが頭めがけて飛んできたら?
勿論本当にそんなことをするつもりはないが……今の所はね……、打者は万が一の事が頭にちらちら浮かぶだけで踏む込んでは来られないだろう。それも俺の狙いの一つだ。
第三球。コースは外角高め。
も相手の二番は全く反応できず。バットを引くことすら忘れて案山子かかし状態だ。
カウント2ストライク1ボール。最後の選択は……やはりストレート。いちいちサインを覗き込むのもバカバカしくなってきたが……とにかく渾身の力でカベの要求通りのボールを投げるしかない。渾身で放ればそれだけ投球数が少なく早くカタが付く。結局は一番効率が良いんだ。
第四球。もはや相手ベンチからは野次もアドヴァイスも聞かれない。そうそう、下手なことはしないで大人しく黙ってな。
マサカリから腕を振り抜く。今日は実に調子が良い。ひょっとしたら、ここまでにテンションが上がりきっているのは自身が思い描くとおりに球が行くせいも多分にあるんだろう。正直に言って、コントロールの良い俺は手がつけられないと思うよ。俺が打席に入ってコーナーに150キロ超の速球を投げ分けられた日にゃ……打席に立ちたくねーもん。
俺の投じたボールは勿論ど真ん中に決まって空振り三振。殆どミットに収まってからバットを振っている感覚だろうな、こりゃ。
ほぼ筋書き通りに、本来なら一丸となってチームを盛り上げていかなければいけないはずの三塁側ベンチとスタンドが、今は完全に沈黙していた。このまま『葬送行進曲』が似合いそうな雰囲気だな。もちろん、俺としては相手チームを文字通りこの試合限りで葬り去ってしまうつもりだけど。
次なる三番打者も、高校球界ではそこそこの力量の打者なのかも知れないが……俺に取っては赤子が打席に入っているも同然。第一、俺に向けられる瞳から『打ってやるぞ!』といった意気込みをまるで感じないんだからどうしようもない。もちろん三振……と行きたいところだったが、バットに当てられてファーストゴロ。バットの芯から外れた場所でボールを捉えたもんだから痛そうだったぜ。せいぜい指の骨を折らねえように用心するんだな。
自分がダーティーヒーローになったつもりで(実際、そのものだったな)マウンドからベンチへ戻る途中、何気なくスタンドを見上げてみると……
真理が何か言いたそうな表情で俺を見つめていたが……俺の方から目を逸らし、ベンチに入った。お前の言いたいことは大体分かってるし、それに加えて……
アンダースコートが見えそうだったんだよ。
マネの強羅さとみが用意してくれたスポーツドリンクが喉に染みた。




