第13-05話
初戦を快勝で終えた俺たち五塚高校野球部一同は、次なる闘いまでしばらく間が空くことから、気に緩みを出さない為と少しでも技術の向上をはかる為、相も変わらず灼熱のグラウンドで精力的に練習をこなしていた。
精力的にといっても、これから勝ち進んでゆくに従って日程的に連戦が続くから、全身をクタクタにするまでの練習は控えて居る。現に、毎日欠かさず続けていた俺とカベの『日課特訓』も、初戦が終わってからはとんと御無沙汰だ。それがある程度の成果を上げたと実感した今となっては、休みになってくれた方が嬉しいには違いがないのだが……いつ不意打ちで『いつものアレ、やるぞ』と言われるか分かったもんじゃないから、常に気構えだけはしっかりしていなければならないのが疲れるというか……
そもそも、学生ならこの時期はそろそろ期末テストに勤しまなければいけないのが本当だと思うんだけど……ま、予習も復習も、そしてテスト前勉強すらロクにしない俺が言ったって説得力もなにもないか。
そんな時、練習の合間を見計らって藤間が接近してきた。目だけはちらちら外野ノックの返球を受けるカベを見やりながら。
「加藤さん」
「おう、どうした」
まさかカベの代わりに特訓捕手を務めたい、なんて自薦しないだろうな……とは思ったが、あくまで冷静を装ってストレッチを入念にこなしていた。
「頼みがあるんです」
「……言ってみろ」
実際のところ、藤間が俺に直接声を掛けてくるなんてのは極珍しい事態だ。そもそもが俺はチーム内からも話しかけられないタイプだけに、こうしたコミュニケーションはあんまり経験がない。
「実は」
「実は?」
藤間はしばらく言い淀んで……そして決心したように
「自分と……対戦してもらえませんか?」
と。
「対戦!?」
「はい。加藤さんの投げたボールを打ってみたいんです」
「別に構わないが……今すぐか?」
「いえ……加藤さんとチームの都合が付く時間で良いです。出来たら実戦形式のシートバッティングの方がベターです。ただ単に投げるよりも皆さんの練習になると思いますし……」
一応チームの事を考えている辺り、一年生ながら将来のキャプテンは決まったな……という印象だ。キャッチャーとしてチーム全体のことを見ている証しでもある。
「うーん……」
俺は即答せずにカベをちらりと見た。こちらには視線もくれず、ただ外野からの返球を正確に捕球している。良く見ると、外野の黒沢や御曽そして愛沢の返球スピードや正確性も大分向上しているのに気がついた。元から体力のある黒沢などは、実際の90メートル級球場だったらフェンス際あたりから、ホームまでワンバウンドでの素早い送球を実現している。ノッカーを務めている一年の佐々木もなかなか良い打球を上げているし、それを追い掛ける外野手連中の動きにも見ていて不安がない。いつの間に我がチームはこれほどまで上手くなったんだろう。去年の夏、打球を野手に捕らせまいとして躍起になって投げていたのがウソのようだ。
「いいけど、今日はちょっとな……」
何故だか、今日投げることに違和感を感じていた、本当に何の意味もない。しいて言えば『気分じゃない』。しかし、藤間はそれを聞いた途端露骨にがっくりした表情に変化した。……おいおい、それじゃまるで俺が悪者みたいじゃないか。
「勘違いすんなよ。次の試合が三日後で、試合前日は休養にしたいから……明後日。明後日、練習の締め括りに試合形式の練習にしよう。俺からもカベに言っておくから、その時にバッターボックスに入れ。な?」
実を言うと、あんまり気が進まなかったのだが……だって、万が一デッドボールでもぶつけたらどうするんだ。と、いうわけで……ウヤムヤのうちに対戦せずに済ませてしまおうかとも考えたんだが……
「……分かりました。それでは、明後日にまた」
藤間はそれだけ言うと、さっさと引き下がってしまった。無理に対戦を懇願されるよりよっぽど不気味だな。
でも去り際の、奴の決意を固めたような表情からして、どうも冗談ではぐらかせるような雰囲気ではなくなっていた。一体……何がそこまで奴を駆り立てるのだろうか。
「どうした?」
思案顔に暮れている俺を見かねてか、カベが声を掛けてきた。道具を粗方引き上げているところから見ると、もうノックの方は終わったらしい。
「いや、な……」
ここで俺は、カベに件の話を話したものかどうか考えた。いや、何も隠すことはないのだが……奴があれだけ頼み込んでくるのだから、当日になってカベをびっくりさせるように対戦を実現させようとしても……いや、意味がないか。
よく考えたら、藤間が直接直談判などしてこなくても普通に藤間にも打順が回って来るじゃないか。それが分からない藤間ではないだろうに……だったら、藤間の言う『対戦』とは、シートバッティング云々ではなく真剣勝負、ランナーも無しの完全に『一騎打ち』をしたいと言っているのか??また何で。ここで下手に俺が抑え、藤間のバッティングのバランスを崩してしまったら何にもならないというのに。
「藤間がな、俺と対決したいって言うんだ、ガチンコで」
迷ったが、言うことにした。なんだか告げ口をしているようで気が引けるが、今はそうするより方法がないと言うか思いつかない。何しろ二回戦は間近に迫っているのだ。
「……」
カベはそれを聞いたほんの一瞬だけ驚いた表情を見せたが―それを見て俺が驚いてしまった。なにしろ、俺自身がカベの表情の変化を目撃することすら稀だというのに、今度はオドロキ顔だ、珍しいったらありゃしない……―
すぐいつものポーカーフェイスに戻り、
「そうか」
と、短く一言だけ感想とも溜息とも付かない言葉を漏らした。
「カベ?」
「いや、何でもない」
「……それでどうしようか」
「……良いじゃないか、投げてやれば。お前のノーコンでデッドボールを喰らったって恨みっこナシってことにしておけば」
「の、ノーコン!?」
今までの特訓、そして初戦で俺のコントロールはほぼ万全の筈だ。それが分かっていないカベではあるまい……と思って、考え直す事にした。これはカベ流のジョークなんだという事に。奴のジョークなんて滅多に聞けるシロモノではないし。
「……はは、そうだな。せいぜい顔面には投げないように注意しとくわ。投げても脚に当たるくらいに」
俺も余裕を持って『オトナの受け答え』をした。が。
「気をつけられるんなら最初から当てなければ良いんだよ」
……ジョークなのか真面目に言っていたのかさっぱり話からなくなってしまったのだった。
そして、明後日。
初戦快勝後は何となく浮れた気分だったチームメイト等の表情も硬く引き締まり、ひょっとしたら身体まで緊張で引き締まってしまっていないかと勘ぐりたくなる、試合前最後の五塚高グラウンドでの練習。
明日は全体練習がオフになることは前もって通知していたから、練習に熱が入るのは当然のことながら……みんなの気合いの入り様は特に著しかった。端から見ていて熱気を感じる程だ。何しろ目の色が違う。
……短くて明後日、長くともあと一ヶ月程度でこのグラウンド、この仲間から離れなくてはならない……そう考えると、俺の胸にちりちりとした痛みすら走る。
どうせ終わりがやってくるのなら、それは遅い方が良い。嫌なことは早めに終わらせるスタイルの人生もあるけど、コレ大会ばかりはそうも行かない。
練習も終盤に差し掛かる……といっても、みんな練習に集中していて時計など見ていないだろうから、それと分かるのは日の傾き加減だけだ。ユニフォームを泥だらけにして声を張り上げるその姿は、まさしく『高校球児』そのもの。……俺もそうなんだけどね。
俺はどんな練習をやっているのかというと……
全体守備練習の面倒を見るのに忙しいカベとは違い、藤間を相手に軽めのピッチング練習。全体として100球程度に留めておくつもりだったが『特訓』の感覚で投げていたから、藤間の要求したコースに球が行かなかったら、自分で拾いに行きそうに身体が自然に反応してしまったぞ。お陰で、藤間がこちらに返球しようとしてその体勢のまま固まっていたことが何度もあった。……何しろ俺は急いでマウンドを降りようとしているのだから。
……それからちょっと休憩を挟み……
「そろそろ仕上げの時間じゃないか?」
投球練習を切り上げた俺の言葉に、カベがマスクを脱いで小脇に抱え、額の汗を拭っててから時計を見た。時刻は午後5時、まだ7月も中盤だけに日は高い。これからみっちり一時間半はイケる。
「そうだな……みんな、一旦上がってくれ。これから締め括りとして試合形式のシートバッティングをやるぞー」
カベが号令を掛けると、皆がてきぱきと行動に移る。流石は我がチームのキャプテンだ。実力、リーダーシップ共に申し分ない。こんな公立校には勿体無さ過ぎて申し訳ない……今更ながら。公立校に押し込めてしまったのは勿論俺の責任なんだが。
道具を片付け、ネットを動かして……シートバッティング用ポジションに急ぎ変更。
「打順は……そうだな、三人が守備から抜けて、その三人でしばらく打席を回す。いちいち打順通りに守備に入ったり出たりしてたら効率が悪いからな。で、守備に抜けた穴には他のヤツが入るか、それがよっぽど苦手なポジションだった場合は……ま、臨機応変に」
カベが的確な案を出せば、
「おうっ」
と、チームメイトが声を揃える。全くもって見事だな。
それぞれレギュラーの選手達が守備位置に散る……と思ったが、何しろ人手が足りないものだからいつものように足りないランナーは透明、最初に外野定位置のレフト藤間、センター黒沢、ライト御曽が打席に。抜けた外野の穴は藤間と代わって控えに甘んじる事となった愛沢がレフトに、本来なら内野・セカンドが本職の一年生・坂本がセンターに、ライトには同じく一年の佐々木が入る。
しかし……それでも今年は新入部員が5人も入ったから、透明ランナー役はたった一人で済むのか。去年は三年生が引退するまで、部員は県予選のベンチ枠だと空きが出来る18人だったから、順調に部員数は減少傾向にあるんだが。
とにかくシートバッティングを始める。果たして俺が投げてどれほどまで練習になるものか……と危惧していたら、去年の夏の練習を思い出した。あの時もシートバッティングをやって、如何に7分の力で投げていたとはいえ屋久と御曽にこんこーんとテンポ良く打ち込まれ、挙げ句の果てにカベに一発を叩き込まれて呆然としたことがあったっけ。
でも、今の俺には当時になかったもの、即ちコントロールがある。速球が速すぎて練習にならないのなら、6分の力でもって俗に言う『針の穴を通す』ピッチングで料理してやるとするか、ふふふ。
さて、最初に打席に入るは御曽良太。言うまでもなく我が五塚高校の核弾頭……までは行かないが、とにかく貴重な切り込み隊長ではある。そんな御曽に対してカベはどんなボールを要求するのかというと。
指一本を二度に分けて出している。
……目を疑った。
俺はてっきり何かの間違いかと思い、サインの不受理……つまりサインを理解できなかった事を意味する無言の沈黙でカベを見つめ続ける。
しかし……
再び送られてくるサインは、あくまで指一本。しかも、だ。
指一本を何度も何度もこれ見よがしに出しまくる。このサインの意味するところは、つまり……
(全力のストレート、だって!?)
間違いない。一体どういう事なんだ。思わずタイムを掛け、マウンドを降りた。御曽を始めとするみんながマヌケに口を開けてぽか~んとした表情で困惑していたが、それ以上に俺が大困惑だ。
「どうした」
俺がマウンドを降りるのを見てから歩み寄ってきたカベ。自分の出したサインがさも当然と思っているかのように、物言いはあくまであっさり。
「どうした、って……」
思わずカベが冗談で言っているのかと勘ぐりたくなってしまうが、その瞳からはいつものようにほとんど感情を読み取る事が出来ない。
「いつものストレートなんて投げたら……な?」
「……良いんだ」
「どうして」
「お前のためだ」
極めてきっぱりと言った。
「俺の……為?」
「ああ、この期に及ん技術的に進歩なんて望み薄だからな。それにこのまま勝ち進んでいけば有力投手と当たる。打者にとってはその時の為のシミュレーションにもなるんだ。だから全力で良い。くれぐれも手加減なんてするなよ?そっちの方がよっぽど手元が狂う」
カベはそれだけ言うと、これで俺の疑問が解決したろうとばかりにマスクを被り直してホームへ向かった。
……俺の為、か。
確かに、一流投手なら確実に投げて来るであろうスピードボール、速度だけならマシンでも再現は可能だが、『生きた球』となると……って事か。納得したようなそうでもないような。しかし、俺はカベの言いつけに抗う術も理由も根拠もない。唯一存在するものは『常にカベは正しい』。俺にはこと野球に関してはそれだけで充分なのだ。
何度となく繰り返した自らの正義を反芻しつつマウンドへ戻る。もう迷いはない。バッターボックスに入り直す御曽を見る。悪いな、御曽。今日はとことんまで俺のピッチングを貫かなきゃならないらしいんだ。恨みっこなしだぜ……
御曽に心の中で釈明し、同時に自分への心構えとする。よしOK、ここからしばらくは加藤聖ショーの始りだ。
カベの要求は勿論変更無しの全力ストレート。御曽の目は……恐怖か、畏怖か。
マサカリのモーションで、そしてこれまでの特訓で学んだことを身体の奥底で反復するようにカベのミットに向けて投げ込んだ。
結果から先に言ってしまうと、御曽と黒沢はただの一球も俺の投じたボールにかすりもせずに空振り三振に倒れた。
御曽は全くのランナー無し設定だったから不運だが、黒沢の打席はワンナウトランナー二、三塁のケースだったから、俺もセットポジションからの投球だったが……ランナーがどんな揺さぶりをかけようとも全く動ぜずに投げ続けることが出来たし、スクイズの構えを取ってもマトモに前方に転がされる気もしなかった。
二人を料理するに要した球数は僅かに六球。つまり二人とも三球三振。ほぼ完璧な内容だ。御曽と黒沢には悪いが、俺が全力で放っている以上当然の結果と言わざるを得ない。それでも、二人の気迫に並々ならぬものがあった事だけは確かだ。
そして。
とうとう次打者の藤間がバッターボックスに入る。ヘルメットを目深に被り、ボックス内で大空を見上げながら深呼吸を一つ。俺もつられて大空を見る……まだまだ日が長いせいで、梅雨明け寸前の曇天でもまだまだ明るい。
藤間はユニフォームの胸の辺りをぎゅっと掴んでから構えに入った。……何故だか、いつもの藤間からは感じられぬ浮つきが見て取れる。何か……興奮しているような。
さて、カベのサインはと言うと……またもや全力のストレート、それも真ん中やや高めに。しかし、その意図するところは決まっている。一か八か、或いは意表を突くど真ん中ではなく、あくまで『確実にワンストライクを取れる選択』としてのサインだ。即ちそれは今日の俺のデキが万全であることを物語っている。
……ほいじゃ行くか。
この瞬間を待ち望んでいた藤間に対しても、最大の敬意として最高の直球をプレゼントする。きっと藤間もそれを望んでいる筈だ。ならば、そんなおやすいご用にはしっかりと応えてやらなくちゃ。
マサカリのモーションを起こし、待ち望んでいる一球を……投げた!
次の瞬間には、俺の投じた最高の一球がカベのミットに突き刺さっていた。藤間も豪快な空振りで応えている。投手をやっている以上、打者を抑えるには様々なコースと球種を駆使しなきゃならんのだろうが、直球を待っている相手に直球で空振りを取る……コレは投手としては最大のエクスタシーを感じる瞬間だ。特にバッターが藤間という超人クラスの選手だったら尚更。
空振りのフォロースルーから体勢を立て直した藤間は、再び大空を見上げて息を一つつく。……どうも堅いな、動きが。
さて二球目のサインは……決まってるか。勿論速球。コースも同じ。これだけ同じコースと球種を要求するとなるとほとんど相手を挑発しているようなものだが、今はそれどころじゃない。
二球目。心なしか藤間の目が泳いでいるように見える。
マサカリで放って……これも勿論空振り。おかしい。藤間のスウィングが縮こまっている。打撃練習で俺等の度肝を抜いた、柔らかなリストで右方向に飛ばすいつものあの振りじゃない。
むしろ俺の方が首を捻りながら第三球のサインは……
……
くく。
面白いな。
モーションを起こして投げた球は!
山なりのナックル。実戦形式では初お披露目だな。そして……
びゅごっ!
と、藤間はマウンドの上まで音が響いてくるような猛烈なスウィングをした。
ナックルがホームベース上を通過する遙か以前に。
愕然とする藤間。『押し押し引き』の緩急なぞ普段の藤間ならあっさり予測、そして対応……要するに打球のグラウンド外への旅行だ……してしまうだろうに。
哀れ、藤間はフォロースルーのまま固まって……そして哀れなくらいに顔を歪ませた。あの大男が顔をしわくちゃにして涙を耐えている様はある種の異様な迫力がある。
緊急事態に俺も居ても立っても居られずに藤間の元へ。
「おい……どうしたんだよ」
藤間は答えない。ただ地面に四つんばいになって嗚咽を堪えている。『助けて~』とカベの顔を見ると……やっぱりいつものポーカーフェイス。
「お前……今日はヘンだぞ、シートバッティングになってから。マウンドからでも分かるくらいに力が入ってたし……」
しかし、藤間は喋れる状態にない。時間は惜しいが落ち着くまで待つことにした。その間他の選手はというと、所在なさげにキャッチボールをしたりストレッチをしたり……なんとも奇妙な空間だった。
それから数分……藤間がようやくしゃくり上げるまでに回復したのを見計らい、訊いてみる。
「藤間、どうした。あんなに俺との対戦を望んでたのに……」
苦笑いをしながら、あくまで優しく……藤間がどう感じたのかは定かじゃないが。そもそも、俺は他人ひとに優しい言葉を掛けてやった経験すらマトモにないのだ……語りかける。
「それは」
返ってきた答えは、
「望んでいたからです」
とだけ。
「望んでいたからこそ緊張と興奮をしていた?」
「はい」
……そして、過度に緊張するほど俺との対戦を望んでいた?
「どうして、俺となんか?」
「……」
藤間は押し黙ったままだ。
「ま、いいさ。今はそんなことを訊いてても仕方がないからな……唯ひとつ言いたいことは」
俺は藤間の両肩に手を掛け、
「そんなに力を入れてたら出来るモンも出来なくなるって事だけだ」
誰にだって分かりそうな事だけど、藤間は今まさにそれを見失っていたのではないか。分かり切っているだけに帰って見失いやすかったのではないか。
そんな気がしただけだ。
「早く打席に戻れよ」
「……え?」
マウンドに向かっているから、藤間の表情は分からなかったが……きっと、鳩がマメデッポ喰らったような顔してるんじゃなかろうか。
「今の打席はナシだ。なんてったって打球が飛んでないんだからな」
振り返って、
「そうだろ?カベ」
見れば、カベはいつもの表情のまま……いや、いつも接している俺だから分かるかも知れない微笑みを浮かべているような気がした……頷く。
「って訳だ。次は俺をがっかりさせんなよ。お前はその程度のバッターじゃないだろう?」
藤間にはどう受け止められたかは分からないが……奴の資質に期待する他ない。
強制的に打席に入らざるを得ない状況、つまり今までおたおたしていた他の選手がそれぞれのポジションに着き、後は打席に入る人間を待つだけにしてしまう。
それを見て、藤間がゆっくりと身を起こした。果たして、奴ははい上がって来るタマか。……いや、疑う余地なんてないな。
何故なら。
藤間はバットを構え、眼光鋭く俺に向けてそれを突きつける。
「お願いしまっす!」
……半端な根性なら、ここまでの技術を会得する前に挫けてしまうだろうから。
「……くく、それでいい」
俺はいかにも悪役っぽくひとりごちた。そう、俺も強打者との対決を、そして強打者から三振を奪うことに取り憑かれてしまっている人間なんだ。
守備に散っているチームメイトの空気が張り詰める。この対戦がどれだけの意味を持ち、そしてどれだけの対決になるかを肌で感じ取ったようだ。
さて。面白い対決になりそうなんだがサインは……と見ると、案の定直球一本だったりするんだよなコレが……でも、それならそれで気が楽だ。
俺がマサカリのモーションに入ると同時に野手が息を飲む。全員の緊張がマウンドとホームベース上に注がれるのが分かった。
第一球。
文字通り、渾身のストレート!!
自分でも久し振りに力が入ったのが快感だった。力が入ると言っても、力りきむのとは違う、文字通り『パワーが入る』一球だ。
藤間は、いつもの通りの柔らかな動きでバットを振り出す。一回奮起させた甲斐があったようだ……などと悦に入っている場合じゃない。
どぎゃっ!
っと、字で書くとまるで交通事故にでも遭ったかのような音が響いた。その快音が示すとおり、打球はレフト遙か上空へ。しかし打った瞬間にそれと分かる位の大ファールだった。俺の渾身の一球を、更に引っ張られるなんて。本調子の俺とマトモに対戦した中では伊東光以来かな。
うはぁ……とどこからともなく気の抜けた歓声……歓声だか溜息なんだか……あのスウィングから弾き出される打球の処理をしなくて良い安堵感から出た溜息かも知れない。
だが勝負はまだ始まったばかりだ。
さて、第二球目はどんな配球で来るのか……と思ったが、ここに来て小細工は無し。あくまで俺の武器、特徴、そして決め球は直球だ。つまり、サインも渾身のストレート。もとよりそれ以外に選択肢など存在しない。
スライダーやカーブはバットが届く位置に入ってくれば打たれる可能性はある。例えどんな劇的な変化をしたとしても、だ。
しかし、劇的に早い速球なら……話は別だ。そうだな……時速200㎞の速球とかな。
一応、俺はそれより50㎞ばかり遅いボールなら投げられる。その万人には投げられない特徴を、そして威力を信じ、マサカリで第二球を……投げる!
藤間も全身全霊を込めたフルスウィングで迎え撃ち、
ぱぎゃっ。
またもやファウル。今度の打球は右方向のファウルゾーンへぼてぼてと力なく転がっていった。さっきと同じくバットの芯近くには当たっているから、今度は完全に球威の方が勝っている。
ふしゅ、
と藤間が前の打席と同じ格好、つまり大空を仰ぎながら息を吐く。だが、さっきまでとは表情と空気が違う。この闘いが面白くて仕方がない、と言う風。俺もそれ位の空気が読めるようにはなってきたようだ。これも特訓の成果ですかい、カベセンセ?
そして三球目。
……もうサインなんてあって無きが如しだと思うんだけど。
一応カベの示すサインを覗いて見るが……はは、やっぱりね。指一本ストレートだ。単純明快極まりない。……ところでこの配球、実戦で勝ち進んでも使うのかな?
それよりも。
第三球。
どんなに今までの投球と組み立てが肝心でも、最後の一球でポカをやってしまえば全てがムダとなる。それだけに注意して、選手らが固唾を飲む中……投げる!
……何て言うのかな。
その時の感触を伝えるにはどんな言葉を使えばいいのか……元々俺はボキャブラリーが豊富なわけでもないから苦労するが……ま、一種の予感、みたいなモンかな。とにかくそれが頭に伝わったわけだ、『この一球はヤバいぜ』ってね。
どういうヤバさかというと。
決して藤間の頭部を直撃するとかコントロールミスでど真ん中に入ったとか、そう言った類のヤバさじゃないんだ。
ただ、奇跡的な、有り得ないものを見てしまったヤバさ、かな。時が止まったとか幽霊を見ちまったとか……スピリチュアルな種類の現象を見てしまった時にも似た身体の震えを感じちまった。実際にはそんな現象に遭遇したことはないけどな。
そんな、俺の頭がちょっとばかりアレと疑われそうな直感の後に弾き出された球はと言うと。
リリース直後は地面に叩き付けちまうかな、と思った。だが……直後。球はそこからぐんっと軌道を変えてカベのミットど真ん中高め、高さで言ったら藤間の頭の辺りに見事に着弾した。
そりゃ、俺だって今までホップするストレートくらい見たことがあるさ。俺が投げてるんだからな。でも……今のはケタ・・が違った。物理法則からして有り得ないだろうそのホップ具合は、まさしく先に挙げた超常現象の類だった。ひょっとしたら様々な要因が複雑に絡み合った上で科学的に立証できるものだったのかも知れないけれど……とにかくヤバかった。あんな球を常に投げられたら、俺はアメリカのフィールド・オブ・ドリームスの仲間入りだ。
藤間はというと。
またもやフォロースルーのまま固まっている。顔全面を驚愕で引きつらせながら。
「は、はは。ま、どんなもんだいっ……ってね」
投げた俺自身が半信半疑なのに、周りの人間が信じられるはずもない。
カベが立ち上がり、マスクを脱いで
「次はまた御曽からだ」
と、表面上落ち着き払って言うのみだった。
練習が終わった後。
汗を拭きながらスポーツドリンを啜っていると、藤間が思い詰めたような、青白い顔をしながら俺の元へやって来た。
「ん……どうした」
「……やっぱり、加藤さんは凄いです」
「な」
面と向かって言われると照れるというか……余りに突拍子がなさ過ぎてこっちの目が点になっちまう。
「なんだよいきなり……」
ごにょごにょ、と自分でも声になっていないのがよく分かるが、藤間は構わず続ける
「あの時から……加藤さんは自分のヒーローなんです」
「はぁ?あの時?もう訳が分からねぇぞ」
「いいんです、それだけが言いたくて……それじゃ」
言うだけいってどっかへ駆け出してしまった。うう、気味が悪い。でも……
俺を『ヒーロー』だと言ってくれたときのあいつの表情……
「もの凄く嬉しそうだったよな……」
口に出して呟くと、尚更照れ臭くなってくる。ま、俺が誰かに感動を与えられるならそれはそれで良いことなんじゃなかろうか。
な?カベ。
ちょっとだけ気分が良くなった俺は、早くも明日の完全休養日をどう過ごそうかという気になっていたのだった。
完全休養日とは言っても、何分高校生だから登校しなきゃならんのは物凄く面倒臭いけど。




