第13-03話
県大会、初戦を明日に控えた夜。
食後、何をすることもなくベッドに寝転がり、天井に向かってボールを軽く投げていた。今日はエアコンを付けていなくとも、窓から吹き込む風だけで十分に涼しい。明日の天気予報は真夏を先取りしたかのような快晴らしいが、果たしてどうなることやら。試合開始の判別がつきかねるような中途半端の雨が降ってくれるよりは余程マシかも知れないが。
白いボールが白い天井に吸い込まれていく様を見ていると、とっても不思議な……そのまま自分も天井に吸い込まれていってしまいそうな感覚をも覚える。
ボールを投げては、
キャッチ。
投げては、
キャッチ。
明日は試合なのだから、身体を休めておくのは当たり前なのだが……どうにも落ち着かない。この俺が、気がはやっているというのか。ムリもないと自分でも思うけど。……何しろ、負けたらそこで終わりなんだからな。練習試合とは違う一発の怖さがそこにはある。
投げては、
キャッチ。
自分の想いと任務を確認したい。
想い。
真壁大成ひろしげという希代の選手を世の中に知らしめること。それには、勝ち進むしかない。
任務。背番号1を背負っているものの責務として、独り相撲を取ることなく、どんなことがあろうともマウンドを守り通して試合を作る。そうすれば、必ず結果は付いてくる。バックを、自身を、そしてカベを信じて戦い抜くことこそ俺の使命だ。これを肝に銘じておこう。
そう決意を新たにすると……
こんこん。
自室のドアをノックする音。まるで俺の気持ちの区切りが分かっているようなタイミングだな。心が繋がっている……と考えるのは自惚れ過ぎか。
「開いてるよ」
声を掛けてやると静かにドアが開いた。無論、顔を出したのは真理だ。
「どうした?」
見ると、ちょっと言いにくそうな顔。太股の辺りで両の指先をもじもじと弄っている。
「あの……まっさーじ……なんてどうかなと思って」
「ほお」
真理に本格的なスポーツマッサージの心得があるとは思えないが、むげに断るのも確かに無粋だ。美少女が俺の凝り固まった箇所を小さな柔らかい手で揉みほぐしてくれる……なんて邪っぽい妄想を抜きにしても、少しでも俺の役に立ちたいという健気さには泣かされる。
「……じゃあ、一つ頼もうか」
快諾すると、
「うんっ!」
嬉しそうに……大仰に喜ぶ。そんなに嬉しいのか。むしろ俺の方が嬉しいんだが。
取りあえず、マッサージなんだからとベッドの上に俯せになる。そこに真理の軽すぎる身体が乗っかってきた。そういえば、夕食の時の真理は涼しそうなミニの赤いプリーツスカートだったが、今は動き易そうなパンツ姿だ。最初からマッサージするつもりで着替えてきたんだろう。
さて、明らかに握力の無さそうな……下手すれば俺の三分の一以下かもしれない真理がどのようにマッサージしてくれるのか半分不安だったが……
(お……なかなか)
握力に頼らず、背中のツボ(のようなもの)を親指で体重を掛けて的確に刺激しているだけだが……効いている。医学的見地からはどうだか知らないが、少なくとも気持ちは良いな。その気持ちよさそのものよりも……真理が俺のためにマッサージしてくれている快感の方が大きい。
だってさ……
俯せになった頭の上で、
「ふっ!ふっ!」
って、奮闘する声が聞こえてくるんだぜ。それがあまりに可愛らしくて……笑いを堪えるのが大変だ。
「……お兄ちゃん、くすぐったい?」
「いや……そうじゃない」
「じゃあ、どうして吹き出し掛けてるの?」
自分が折角真剣にやっているのに、と怒っていると思ったら違った。『ツボ』を外して申し訳なく思っているらしい。
「いや……一生懸命にやってもらって有り難いな、と」
「だから、どうしてそう思ってるなら噴き出すの?」
「いいから……気持ちいいんだから、もっとやっててくれ」
俺の言葉に納得はしていないようだが、気持ちいいと褒められては止めるわけにはいかないんだろう、再び……今度はふくらはぎの辺りをもみもみ。より直接的に真理の掌の感覚が伝わる。そして、生の象徴たる体温。
あまりに生々しくて、心臓が高鳴ってきた。
考えてみれば、肌を密着しているんだ。胸がときめかない方がおかしい。それとも、『妹』に胸をときめかせている俺の方がおかしいのか?
「お兄ちゃん」
不埒な妄想に走りそうになるのを、真理の愛らしい声で辛うじて振り切れた。
「……どうした」
「……」
手が止まっている。返事がない。ただの屍でもないだろうに。
「真理?」
まさか急に眠ってしまったわけでもあるまい……と思って、もう一度声を掛ける。
「……お兄ちゃん、明日の対戦相手って……どこだったっけ」
ちゃんと起きているではないか。
「……どこだったかな……良く覚えてねぇや」
「いいの?そんなんで」
「……強豪校相手だったら多少の強打者の研究は必要かも知れないが……そこら辺の弱小校が相手だからな……それ位だったら、自分の出来ることに専念した方がお利口さ」
「ふーん……」
納得したようなしないような返事。それを知ったところで、自分には何も出来ないことが分かっているからだろう。
それからはしばらく無言でマッサージを受ける。が、流石に握力の限界が来たのか……徐々に俺の身体を揉みほぐす力が弱くなっていく。
「もういいよ」
「え?でも……」
「もう充分ほぐれたよ、お世辞抜きに」
お世辞だけど。実際の効能よりも、真理の柔らかい身体に揉みほぐされているという心理的効果の方が高かった。その点では十二分に素晴らしいマッサージだった。
「もう手が疲れてるんだろ?それ位にしとかないと、明日筋肉痛で何も掴めなくなるぞ」
「うん……」
まだまだ真理自身の貢献心が満足するには至っていないようだが、まあいい。小さなお手々が筋肉痛に縮こまっているのを見る方が痛々しいからな。
真理は何も言わずに俺の身体から降りる。あんまり熱心にやってたんで、自分がどれだけ積極的に身体を近づけていたかを意識していなかったようだ。心なしか頬を染めているように見える。
「真理、あんまり気を遣うな。俺の方が申し訳なくなる」
「でも、でも……」
「いいから。ただ……俺の健闘を祈っててくれよ。それだけでいい」
「……」
「……」
何かを必死に考え、訴えようと考えている真理。目はじっと俺を見据えたまま、その真摯な眼差しはあくまで眩しい。
しかし、
「はい」
と、結論を出した。自分でも気を遣いすぎていると思っていたきらいがあるんだろ。第一、俺は他人ひとに気を遣われるのも遣わせるのも苦手なんだ。野球なんて、結局は趣味でやっているようなものなんだし。
「もうそろそろ寝ろよ……もう遅いんだから」
「まだ9時だけど……」
「と、とにかく、明日は俺の方が朝早いんだよ。第1試合だからな……」
「くす。そうだね、お兄ちゃんの最大の敵はお寝坊さんなんだった」
何がおかしいのか……おかしいんだろうけどくすくす笑っていやがる。でも、不思議と不快な気分にはならなかった。当たり前の事だから、こんな事に目くじら立てても仕方がないのだが。
妙にやる気が漲ってきた。そう、俺たち高校球児お一日の始りは朝からだ!
「起きてやるよ、絶対にな。誰の力も借りずに!」
「本当?約束できる?」
「俺を誰だと思ってるんだ?」
「お寝坊さん」
がく。
本当に信用がないんだな、俺は……
でも、真理は俺の緊張をほぐそうと思ってくれているんだよな。普段からあまりこのテの冗談を言わない奴だから、よく分かる。
「ウソよ。それでも、明日はきちんと起きてね」
「へーい」
真理は俺の返事(いい加減だけど)を聞き、にっこりと微笑むと部屋を出て行った。
……真理。
お前は、どこまでも俺の事を考えてくれるんだな。どうして……そこまでしてくれるんだ。そして、俺は……何をしてやれる?
……いや、
俺は自分のピッチングをするだけなんだ。そうなんだろう、真理?




