第13-02話
7月某日。
俺たち五塚高校野球部一同は、横浜スタジアムに足を踏み入れていた。
夏の県予選の開会式に出場するため、だ。イチイチなんでそんな事をやらにゃいかんのか……関内まで行く金が勿体ないじゃないか。と、幾ら愚痴を並べてみたところで、恒例行事なんだから仕方がない。
人工芝のグラウンド上にユニフォーム姿でずらーっと居並ぶ、むさ苦しい上に暑苦しい、年頃の男子高校生のネガティヴな要素をおよそ列挙したような、坊主頭の面々が200チーム近く合計約四千人ばかりうじゃうじゃ。折角記念すべき東西分離開催なのだから、開会式も分離してしまえばいいのに……と思ったが、やっぱり『上』の方も面倒臭いんだろう。
まだ梅雨明け宣言も出ていないというのに、空には太陽がさんさん……と言うよりぎらぎらと輝いて球場全体を灼き、風通しが良いはずのグラウンドも完全な無風状態でムシムシしていやがる。激しくやる気を削がれるな、元より開会式などやる気がないが。
ふと視線を周囲に移すと、慌てて目を逸らす、名も無き他校の選手が数人。……何だっていうんだ?
俺等より先に入場していた学校は沢山居たが、同時に後から入場してくる学校も多々あって、暇なことこの上ない。他のチームメイトもほぼ同じような心境らしく、アクビしたり話し込んだり……緊張感のカケラもない。当たり前だな、直後の第一試合に出場するわけでもないし。
俺も特に何をするでもなく、ぼつぼつ埋まっているスタンドを見たり、入場してくるむさ苦しい(俺もその内の一人だが)高校球児を眺めているところに、
『横浜学院付属高等学校』
前年度チャンピオンの入場を伝えるアナウンスだけが、妙に俺の耳にクリアに聞こえた。会場全体のざわめきが大きくなる。
リトル・シニア選手の宝庫と噂される神奈川で、しかもそのオールスター状態だという名門校の数々。中でも、とりわけ評価が高い……事実、甲子園で目覚ましい成績を上げている……横浜学院が、伊東光を先頭にまるでプロレスラーのような体格の選手を従えて入場してきた。
当たり前だが、俺の位置から観客一人一人の目の動きなど見えるはずもない。だが確かに会場の視線が彼ら20人に集まっていた。
五塚のチームメイトを含む、周りの名も無き選手の目ももちろん同じ。横浜学院には、伊東以外にもプロや大学、社会人から引く手あまたの選手が何人か在籍しているから、神奈川県大会はもとより高校野球史上最強メンバーとの呼び声も高い……というのは、スポーツ紙に書いてあった与太だ。
……伊東はそりゃ少しはやるかも知れないが、後の選手は……名前を覚える事が出来ない程度だから大したことないな。もっとも、俺はそいつらに一回はボコボコに打ち崩されたのだが。
予想通りに入場行進の名を借りた強制日光浴が終わり、予想通りに退屈な選手宣誓とオッサンの挨拶が終わった後、ようやく解放されてグラウンドの外へ。ちょっとは涼しい思いが出来る……と思ったのも束の間、日陰は先に球場に出ていた他校の選手共に占拠されていた。
「あぢ~」
思わず口をつく、情けない一言。言っても言わなくても暑さは変わらないが、ついつい口をついてしまう要らぬ夏の風物詩だ。
「カベ、俺たちは一体何処で着替えればよいのだろうな」
「……スタンド……じゃないか?」
「……マジかよ……花も恥じらう高校生のストリップショーを衆目に晒すって言うのか」
「お前が恥じらうようなタマだったらな」
カベは、制服の入ったボストンバッグに腰を下ろし、金魚柄の竹骨団扇をばさばさ仰いでいる。竹骨団扇は材質上しっかりした作りだから、仰ぐのに多少力は要るがその分涼しさは折り紙付きだ。
チームメイトは、暑くて着替えの場所を模索している場合じゃない。みんなカベと同じように思い思いに腰を下ろし……半ばヘバっている。
それにしても、今年は猛暑のケがありそうだ。7月に入ってから降水量ほぼゼロ。一週間も雨が降っていない。山奥のダムの貯水率は6月中の雨の多さでほぼ満杯に近いが、俺等が干からびちまう。
ああ、暑い~と頭をぐりんぐりん廻す……意味不明な行動だな。脳が焼き切れているんじゃないのか……と自己嫌悪のようなものをもよおしていると、遠くから制服に着替え終わっている他校の生徒がやって来た。
何処で着替えてきたんだろうな……と、熱で蕩けかけた頭で纏まらない考えをするが……どんどんその他校の生徒は俺たちに迫ってくる。
「んあっ!?」
目の前まで迫られてようやくその男達の正体に気がついた。
……横浜学院の面々のお出ましだ。
カベもそれに気付いたらしく、胡散臭そうな、面倒くさそうな瞳で20人+αを見つめている。『何の用だ』と視線で語っているようにも見えるな。
にしても、どうしてわざわざこっちまで来るんだ。こちとら、克服したといっても苦い想い出を持つ相手だ。あんまり積極的に関わりたくないな。どうせ甲子園に行くまで闘うこともないんだし。そう思っている間に。
伊東が一人、
集団を抜け出して、
俺たちが休んでいるところに歩み寄る。
……何考えていやがる。
更に言うと、俺目指して歩いて来るじゃないか。あざけりの言葉でも掛けに来たのか。すると……足早に歩いてきた伊東は、俺に目もくれずに横を通り過ぎ、後ろに座って同じく暑さを凌いでいた藤間に
「久し振りだな」
と、声を掛けやがった。
「はい……」
その声を聞くなり藤間は縮こまり俯いて、ただ返事をするだけ。口を挟むのも憚られるような雰囲気だ。それにしても……一体どういう関係だったのか。
「前の試合の時は声を掛けそびれたが……そっちの学校は楽しいか?」
「……はい」
「でも、お前の力量じゃ……色々と物足りないだろう?」
「……」
「どうしてこっちに来なかったんだ、ええ?」
半笑いで……見ようによっては、藤間を責めているような口調でもある。
伊東は、俺に話を聞かれているのを承知で……むしろ聞かせるように大声で話しているらしい。なんの陰謀だかは知らないが、藤間の恐縮っぷりから見て、奴からしたらあんまり歓迎したい接触ではないんだろう。カベが腰を上げかけるのを俺が手で制し、
「俺が行く」
と短く伝えた。カベは、はあ、といかにも面倒臭そうな溜息を一つ付いてから、
「ケンカの真似事だけはしてくれるなよ」
と釘を刺す。
「安心しろ、向こうが売ってこない限りは大丈夫だ」
「じゃあ売ってきたらどうするんだよ……」
「間違っても買わないから安心しろって」
取りあえず、肉体的なケンカなど俺に出来るはずがない……悔しいが体格が子供とプロレスラー並に違う。本当にイザとなったら、俺など片手で放り投げられてお終いだろう。まあ、伊東の方も試合で俺をノしてこそ中学時代の復讐を果たせると思っているのだから、馬鹿なマネは絶対にしてこないのは分かり切っているが。
……それはあくまで肉体的、つまり何らかのペナルティを受ける形になるような、ということだ。更に裏を返せば、奴なら大多数の眼に触れない事なら何だってやってのける可能性があるということでもある。
何しろ、俺は伊東光という強打者からは随分と疎まれているらしいからな。それは去年よりもずっと強く伊東自身が喧伝しているからでもあるんだが……
妹とたった二人、この世に残された兄妹。
妹の生活を楽にするため、優しき兄・光は、立身の手段として野球を選び、そしてライバルの投手達を粉砕していく……
く~っ、泣けるねえ。判官贔屓の日本人を味方に付けては、無口でマスコミ受けの悪い俺などは敵役にしかならないというわけだ。
へっ、……勝手にしやがれ。
それよりも、
「藤間、行くぞ」
話し込んでいる伊東と藤間の間に身体を割り込ませ、二人の無益そうな会話を遮る。
「加藤さん……行くって、何処へですか」
「いいから、何処かへだよ。少なくとも、誰かさんのいない場所へ、だ」
伊東を見ずに言う。目を合わせたくない。コイツの目、遠くから視線を合わされただけでもこちらが不幸になりそうな負のオーラを纏っている。
「……随分な言いぐさだね、加藤くん。ボク達は、旧交を温めているだけだというのに」
妙に丁寧な口調が却って胡散臭く、余計にこちらの苛々を加速させる。いかにも、『俺は善玉だ』と周りにアピールしているように。残念ながら、俺たちのやりとりを見ている人間など殆どいないぜ。……ま、明らかに俺の考えすぎだろうが。それとも、善玉の仮面が張り付いたまま外せなくなっちまったのか?
「とてもそんな風には見えなかったがなあ。ともかく藤間、そろそろ移動するからな」
「あ、は、はい……」
藤間にぶっきらぼうに声を掛けると、伊東はさも嫌みったらしく
「本当に無粋な人だ。そんな彼とバッテリーを組んでいる時は辛いだろう?色々と。藤間の方から気を回してやらないといけないだろうからね」
と、あくまで冷静に……冷静なのは口調だけだが……藤間に語りかける。まるで、俺のことなど眼中に無いふりをしつつ挑発しているようだ。
「いえ、そんなことは……」
世辞でも否定してくれて良かった。まあ、当人を目の前にして『辛いです』なんて言ってしまえるほど素直な人間にも見えない。言いづらいことはオブラートに包む……そんな微妙な気配りが出来る人間と見た。そんなイメージだったから、俺に本音をぶつけてきたこの前のことは内心驚いたもんだった。
「本人を目の前にしてそういうことを言える度胸には感心するが、いささか図々しすぎるきらいはあるよなぁ。マスコミに持ち上げられてると、そいつ等が自分の味方だとまで思っちまうもんなのかね。気をつけろよ、あいつ等は単にネタが欲しいだけなんだ。妙なことをすれば、『昨日の友は今日の敵』ってな事になりかねないぜ」
こっちも、止せばいいのに皮肉をたっぷり込めて言ってやったが……伊東は、ふふん、とやっぱり嫌みったらしい嘲笑で応えただけだ。……散々ちやほやされているだけにその分アンチも多いだろう。あしらい方にも慣れてるって訳か。
「ご忠告を有り難う、加藤くん。次に会うときは甲子園だね、藤間も。是非対戦しよう。待ってるよ」
それだけ言うと、キザにウインクして背を向けた。……呆れたね。……まったく、どこまで芝居がかれば気が済むんだか……自分でも『薄幸の天才』っていう看板に溺れてるんじゃあねぇのか。
まあ、下手に面ツラが良いだけに、ああいう芝居めいた動きも似合わないこともないが……下手すりゃただの道化だぞ。それだけ派手だとマスコミ受けもいいのか。
チームへと戻っていく伊東の後ろ姿を見ながら、
「しかし、でけぇ図体してやがんな。脳ミソの容量と内容がそれに釣り合ってるかどうかは疑問だがな」
と、陰口とも賛辞とも付かぬ言葉が思わず漏れた。どうやら、俺の中には身体が大きいものへの病的なあこがれがあるようだ。
「……お二人は面識があったんですか?」
藤間は眉を潜めながら、縮こまらせていた大きな体を伸びをするように広げた。
「いや……良く考えてみれば、グラウンドの上で顔を合わせたことはあっても実際に声を聞くのは初めてだな」
「マジですか?妙に息が合ってる気がしたから、てっきり面識があるものだと……あまりにも軽快な掛け合いだったんで最初はヒヤヒヤしましたが、後から『知り合いなら親しくても当たり前か』なんて勝手に納得しちゃいまして……」
「知り合い……か。直接的にじゃないが、間接的には知り合いには近いな。向こうは散々挑発してきてくれているんだから」
「はぁ……」
「ま、そんな事はどうでもいい。昼まっからアイツの顔を見て少々ブルーになったが……早くスタンドに行って着替えようぜ。暑くてかなわん」
と促すが……
「どうした?」
藤間は俺の顔をぽかんと見つめたまま動かない。
「どうした?」
「……聞かないんですか?自分と、伊東さんの関係を」
聞かれたら答えるのか。でも、今はそんな顔をしてるな、藤間。でもな。
「知りたくない……と言ったら嘘になるが、少なくとも今はその必要がないから聞かない」
……基本的に、人が積極的に口にしないことを根掘り葉掘り聞くのは、自分の人生観に反する。何故かって、俺にも探られたくない腹の一つや二つはあるからだ。
「……有難うございます」
藤間は……ただ、俺に頭を下げるだけだった。




