第13-01話
時は、6月末。
自分の中で一つの過去にケリを付け、そして未来とそれに伴う過去を再び作り上げる。人間はそうして生きていくものだと分かっていても、同時に残された時間が無くなっていくのは確実な訳で。
天候は相変わらず雨模様。その中でも、今日は梅雨の中休みとも言える晴天。
しかし、洗濯日和だろうが雨が降ろうが槍が降ろうが変わらず俺とカベの特訓は続いていた。特訓も10ヶ月続いていれば『特別』訓練でも何でもないだろうが、とにかく、特訓という名の投げ込みだけは藤間の手を借りず、二人の間で色々な意味でのキャッチボールが交わされていた。
「よし……今日はここまでにしておくか」
「え……もうそんなに投げたっけ」
カベの言葉で、ようやく自分がノルマ分をこなした事実を把握する。最近はしばしばこうした感覚を味わうな……正味、150球は投げ込んでいると思うんだが、慣れに慣れきってしまった今ではそれもあっという間だ。いや、時間そのものは経っているが、時間経過の感覚が完全にマヒしていると言った方が正しいか。
「最近は無駄球放らないからな。当初の目標を達しつつある……と甘めに見てやろうか」
「何だよ……気持ち悪いな。褒められるのに慣れてないから、背中がむずがゆくなったぞ」
「つまり、ずっと認められない方が良いと?」
「そんなことは勿論無いけど……ま、嬉しいと言えば嬉しいな」
「……そうか」
そう言ったカベは、ふっ、とこちらが切なくなるような微笑みを見せた。注意していなければ分からない程の短い時間ではあったが。逆に言えば、俺だからこそ気付いたという優越も感じている。それと同時に、いい知れない不安も、だ。
「で、明日の試合だけど……明日こそはカベがマスクを被るんだろうな?」
恐らく、時間的に最後の練習試合となるだろう明日の試合は、我が五塚グラウンドに隣の市の公立校、茅ヶ峰を招いたようだ。相手は……まあ、無名の、俺たちと立場はそう変わらない学校だ。本来なら、このくらいの相手は余裕といって差し支えないのだろうけど……自分の力量を客観的に見つめれば、そうそう楽勝とも言っていられないのが何ともはや……
「そうだな。そろそろ藤間をテストする期間も終わりだろう。明日は俺がマスクを被る。藤間は……愛沢に代わってレフトに入れてみる。これがベストオーダーになればいいが」
「……愛沢、納得してくれるかな」
愛沢は、俺と同じ三年。入部してきたばかりの一年坊にレギュラーを奪われるその心中、さぞ穏やかじゃないだろうだろう……と思いきや。
「大丈夫だろ。それと無く聞いてみたが、あれだけの力の差があると、却って自分がレギュラーで使われている方が申し訳なくなるらしいな」
「そんなものか……」
レギュラーを奪われたことのない、奪う一方の立場を経験している俺等は、その辺りの心情を十分に汲み取り、気を回していかないと、チームが空中分解しかねない。カベにとっては、グラウンドでの(事実上の)監督業務よりもそちらの方が余程気を遣うもののようだ。
「そう言ってくれると有り難いな、こっちとしては」
そう呟くカベの横顔は、一見無表情だが、垣間見えるは期待か不安か……俺にはとても推し量る事が出来ない。
「……今日は寄っていくんだろう、蒼空亭」
部室での着替えが終わった後に聞いてみる。
思い返してみると、恒例の『蒼空亭』での打ち上げ、どれくらいしていないんだろう。二年の頃はそれこそ三日と空けずに通っていたものだが、今年……特に四月に入ってからは殆ど……。
「いや……止めておこう。それに、まだ学校に用事が残ってるんだ」
がっくり、だな。カベ自身の財布の具合の事だから、強制出来るはずもない。もともと、自分の家には余裕がないとカベ自身が言っていた。ひょっとしたら、今までは俺が無理矢理に誘う形になっていたのかも知れず、罪悪感をも禁じ得ない。カベの事だから、断るに断れなかったとか。
「応援団の件でな、それを断るのに一苦労だ。一体、誰のための応援なのか」
去年と同じく、今年も夏の大会には応援団を結成しない。組織的な応援を組んで勝てるのなら、努力など要らない。まあ、例え野球部側が要らないといっても、必ずや有志一同で私設応援団を組むだろう事は想像に難くないが。
「じゃあ、お先に」
まだ着替えているカベを尻目に、部室をとっとと出ようとすると、
「明日は学校に直行だからお寝坊するなよ」
分かり切っていることを……。自分でも気をつけていることをわざわざ言われると、ついついムキになってしまうものだが、俺には前科がたんまりとあるからな、仕方無ぇや。
「分かってるから安心しろ。俺が試合日に寝坊した事なんてあったか?」
「……冗談で言ってるんだよな、それは?」
カベの皮肉を背に部室を出る。校門の影には……誰も居ない。真理は今日もバイト。最近、週三から四日はシフトを入れてるな。欲しいものでもあるのか……と考え、思い直す。真理はそこまで即物的な人間ではない。なら何故……多分、『働くこと』自体が楽しくて仕方がないんじゃなかろうか。そもそもバイトを始めた理由が金目当てというだけでもないらしいし。その心意気は大変感心するが、やはり……夕食に真理の顔が見えないのは寂しいな。
五塚の丘を降りると、西野空が綺麗な夕焼け小焼けで日が暮れかけている。
……また、高校三年の一日が終わろうとしている。残された高校生活も正味半年。これから……俺は何をして何を考え、そして何処に行くのか……前々から感じていた焦りは募るばかり。
やらなくてはいけないこと、また今しかできない事は分かり切っているはずなのに……この胸騒ぎは何だろう。
全てがこの夕焼けに消えていってくれたらいいのに……
この頃、そんな夢想をしばしばするようになった。何も不満なんて有るはずがないのに、不安だけが募る。
しかし、原因不明な胸の痛みを解消する特効薬は何処にも見つからなかった。いや、元々気のせいなんだから、元々解決法なんてないのかも知れないな……
遙か彼方に見える海が、夕日を受けて静かにきらきらと光っていた。
・
・
・
開けて翌日。
梅雨空そのものという曇天で、しかも梅雨中の範を破らずに、むしむしじめじめの不快指数100%。これじゃあ気分までダウンしちまうぜ。
唯一の救いといえば、昨日は一日中の晴天だったお陰で、グラウンドは一昨日の泥まみれから一転してカチコチ。しかも、泥の状態でうねったまま固まってしまったから、あちこちが凸凹という最悪に近いグラウンドコンディションだ。やっぱり救いになって無ぇか。
それでも試合はやらなきゃならん。
昨日カベに言われたからってことでもないが、寝坊しないために目覚ましを2個もセットしちまった。だから今日は集合時間ぴったりに登校できたぞ、えっへん。……俺を目覚めさせたのは、2個の目覚ましの内のどちらでもなく、目覚ましのセット時間から10分後にやって来た真理のタオルケット引き剥がし攻撃によって、だけどな。
さて、昨日カベが宣言したとおり、今日は我が五塚新チームのベストオーダーが組まれることとなった。一年生は人数の都合上勿論全員がベンチ入りしているが、先発メンバーに顔を連ねているのは藤間だけ。中には二、三年のレギュラーを脅かす存在も居ないことはないけれど、例外(藤間のことだ)を除き、ほぼ年功序列で、レギュラー及び夏の大会の背番号が決められている。
試合開始前に、マウンドでカベと入念なミーティング……といえば聞こえは良いが、要するにカベから課題を与えられるだけだ。……いつもなら。
「今日は最終仕上げだ。自分の力を信じ、全力で来い。オレも聖の操る球種を信じて、相手を封じる配球作りに専念する。いいか、もう一度言っておくぞ、今日は『マウンド上でのファンタジー』は無しだ。徹底して現実を見て行くからな。余計な色気を出すなよ、分かったな?」
散々釘を刺した後、マスクを被ってホームへと向かうカベ。自分としては、言われるほどカベ曰くの『ファンタジー』を追い求めているつもりはないんだけど。サインはほぼカベ任せなんだし……。
それよりも、今日の俺は心が躍っている、何と言っても、カベと久々にバッテリーを組めるというこの快感、何物にも代え難い。
藤間の力量が劣っているなどとは口が裂けても言えないが、藤間は俺に対して上級生という遠慮があるからか、試合後も積極的に意見交換を求めてこない。それが俺にとって歯がゆくもあり、また懸念事でもあった。
俺が藤間に、野球の技術について教えてやれる事など皆無に等しいだろうが、かといって『ここはこうした方がいいのでは』と聞いて来なければ、どの点を疑問に思っているかすら分からないじゃないか。
バッテリー間の対話不足、なんて玄人っぽい言い回しをするつもりはないけど、物足りないのは事実だった。
その藤間は、現在レフトでキャッチボールをしている。今気がついたが、新入生が入部してからこの方、藤間がカベのリードを目の当たりにするのは初めてに近いんじゃなかろうか。
しかし、藤間には悪いが、やはり付き合いの長い……といっても三年やそこらだが……正妻の信頼感は何にも代え難いものがある。
チームとして見ても、強肩でならす藤間がレフトに入ったことにより、外野の強化に繋がったほか、打順も三番黒沢、四番カベ、五番藤間というそこそこのクリナップ(Clean Up)を組むことも出来るようになった。あくまでこれは俺の想像だが、そこいらの私立校と闘っても、比肩するどころか或いは凌駕の可能性もある。
黒沢もそこそこの打者だが、何と言ってもカベと藤間の二枚看板は恐ろしい。カベの実力は、散々見てきたから織り込み済みとして、驚愕はやっぱり藤間の存在だな。野球の名門校でもレギュラーを張っていてもおかしくない。夏の甲子園の特集などでもたまには居るじゃないか、『怪物一年生』みたいな選手がひと夏に一人くらいは。藤間はまさしくそれに値すると思う。少なくとも、打撃練習では飛距離はカベに全く劣らない。
最近の俺の興味は、そんな藤間の生い立ちに注がれている。……前も言ったように、自分から積極的に声を掛けようとは思わないけど。自ら話さない事はこちらからも聞かない。それが男の心意気だ。
そして。
試合が始まる。
審判の手が上がり、俺はカベのサインをお決まりのポーズで覗き込んでからマサカリのモーションを起こす。
第一球、第二球。
俺の右腕から放たれる速球でぽんぽんと相手を追い込み、
そして第三球でもちろん三球三振。
……今日は調子が良いらしい。しかも、藤間がマスクを被っている試合よりも、明らかにテンポが良かった。すいすいサインを出してくれて、俺と言えば余計な事を考えるヒマがない。只投球に集中するだけ。
投球に集中できれば、自ずと球はカベの要求通りにミットへと収まる。全てが爽快だった。今までと同じ行為、即ちキャッチャーのミットに向けて投げているだけというのに、何かが違う。まるで、エスカレーターを流れに沿って走っているようなスムーズさだ。……分かってる、例えが微妙な事くらい。それが分かりにくければ、追い風の暴風雨の中で自転車を漕いで……もうどうでもいいや。
初回は僅か15球で三者三振。ナメて掛かっているわけではないが、今の俺の実力と精神状態では、八割の投球でも打たれる気がしない。しかし今日はカベと約束してるんだ、『全力を尽くす』、と。だから絶対に手を抜かない。相手チームにどんな事を思われようが、今までの精神的・肉体的な経験を生かし、真面目に完全を狙ってゆく。
それが今日の俺の役割、いや義務なんだ……。
・
・
・
あっという間に試合は終了。
初回から打者9人の猛攻で6点をもぎ取れば、俺のピッチングも冴えに冴え渡って楽々完封。
終わってみれば12対0の大差で決着が付いていた。
自分の記憶のためにも、スコアをメモしておくか。
茅ヶ峰000000000
五塚 60101211x
相手には悪いが、正直に言って役不足も甚だしかったな。夏の大会、強豪との対決の前のウォーミングアップにもなりゃしない。……ちょっと前、俺自身が横浜学院にボコられた事など忘れてしまったかのようなもの言いだな、これは。
ともかく……地味な公立校にあるまじき力量の持ち主二人だけでも得点の4分の3を叩き出した打線は、絶好調そのもの。その他の打者も、バント有りヒットエンドラン有りのやりたい放題。点差が付くまでは盗塁も絡めるというご丁寧さだ。
俺個人の成績はというと……マネージャー・強羅さとみのスコアブックを借りてみる。そういえば、強羅は去年のキャプテン・大塚さんとは未だに続いているらしい。大塚さんは既に野球を辞め、普通の大学生としてキャンパスライフを送っているそう。順調そうで何よりだ。
えーと、俺の成績だったな。
投球回数 9
投球数 115
被安打 2
与四死球 0
奪三振 16
と、見る限りではほぼ文句なし。与四死球がゼロだし、記憶の中でも無駄球を放った覚えがない。ここに来て、ようやく特訓が身を結んだ……と言えるのか。自分でも不思議なくらいに、投げた球が思い通りの場所に行く。まるで、カベがボールを糸でたぐり寄せてくれているのかと錯覚しそうになるくらい。外れてもせいぜいボール半個分だ。場合によってはその半個で痛打を喰らう可能性もあるが、少なくともフォアボールから大崩れを喫しない程度のコントロールではあるだろう。
ここで満足してはいけないのだろうけど……夏の大会には、何とか滑り込みで間に合ったって感じかな、野球の技術だけに。……自分のギャグだがつまんねぇな。
更に、俺にはもう一つ武器が加わった。あくまで秘密兵器としての扱いに留め、この試合では僅か3球を試しただけだが、そのどれもが見事に相手を攪乱するように変化したんだ。見ていてほくそ笑みたいくらいだったぜ。
……そう、ナックル。
俺が速球派としての夢を追う一方で、もう一つの夢でもあるボール。
ゆらゆらと揺れ動き、打者のバットをかいくぐらんばかりに変化する魔球。コントロールが難しい事もあるし、そもそも投げるときのモーションから言って球種がバレバレになるから、変化とコントロールに自信がなければとても活用など出来ない。今、俺はその魅惑の魔球を手にした、と胸を張って言える。
カベには『多投はするな。俺も滅多にサインを出さない』と釘を刺されているから、大会でのお披露目はいつになるか分からないが、それはそれで良い。本来の俺はあくまでパワーピッチャーなのだから。いざというと時、球種の引き出しが多ければ多いに越したことはない。……それが完成されていれば、の話だが。
試合後にグラウンドを平し(るび)終わると、カベが部員全員をホームベース付近に集めた。大会前の緊張の一瞬といえば、もちろん
「これから、背番号を渡す」
そう、背番号の割り振り。
自分がレギュラーか控えか、或いはスタンドから見守る羽目になるのか、ここで決まってしまう。五塚では、部員の人数上ベンチから見守る心配は無いが、それでも競争は激しかった。誰だってレギュラーにはなりたいし、この人数だから、練習に熱が入ってる人間いれば嫌でも目に入るし。
「まず1番……加藤聖」
「あい」
これは当たり前。
「2番」
カベだ。
「藤間」
……うんうん……
「じ、自分ですかっ!?」
……なんなのかな。
イマイチ状況が飲み込めていない。
2番は、セオリーから言えば正捕手の番号だ。それなら、カベこそ相応しいし、それが当たり前だ。まあ、背番号自体に意味がある訳じゃないから、それ程気にする事もないと言えば言えるのだが……
「自分には、その番号は重すぎますっ!辞退させてください」
有り得ない指名に慌てふためく藤間を見ながら、あくまでカベは
「早とちりするなよ」
と冷静に言い放つ。
「どういう結末を迎えるにしろ、この大会が終わればオレら三年は引退だ。その次の中心となる選手が誰かを背番号で示す必要がある……その為だ」
「でも、でも……」
「いいから、ほれ」
グズる藤間に構わず、カベは『2』と書かれた正方形の布切れを押しつけた。そう、あくまでそれは布切れに他ならない。しかし、布切れが持つ意味は極めて重い。
藤間は、先輩達の顔色を伺いながら渋々受け取る。藤間本人はどう思っていようが、カベの深謀深慮に反論できる人間など、少なくともこのチームには居ない。だから、その2番はお前のものだ。誰の目も気にする事はない。胸を張れ。
そして……
我が五塚高校の背番号割り振りは以下の通り。
1・加藤 聖 三年
2・藤間 康孝 一年
3・浦永 恭貴 三年
4・新堀 竜志 二年
5・影屋 剛章 三年、控え投手兼任
6・屋久 照延 二年
7・愛沢 雄 三年
8・黒沢 享 三年
9・御曽 良太 三年
そして、10番をカベが付ける。大学野球では主将が付ける背番号らしいし、そう言う意味でなら納得だ。
11・早川由紀夫 一年、三塁
12・寺山純一 一年、一塁
13・佐々木孝太郎 一年、右翼
14・坂本正 一年、二塁
皆、背番号を手にして一様に神妙な顔つきだ。それぞれに課せられた役割、そしてこれからの闘いに思いを馳せているのか。
「それから……初戦の相手は覚えてるな?」
先日、県予選の抽選会があった。カベは誰にも知らせずにふっと行ってきて、ふっと帰ってきた。相手は気にならないといえば嘘になるが、俺たちは勿論ノーシード、強豪校は二回戦からの登場だ。そんなに気にするようなものでもないだろう。
「えーと……あー、……どこだっけ?」
だれも何も言わないから、俺が道化を演じてやる。だが、予想に反して失笑の一つ起きない。
「いや、覚えてなければそれで良いんだ。相手のことをヘタに意識するより、自分らのベストを真っ新な状態で発揮することの方に力を注いだ方が良いからな」
部員に異論が出るはずもなく、この日は背番号を手に解散。
何だか、最近……時間の流れが早く感じる。もう少しこのままでいたい、もう少しだけこのチームで野球がやっていたい……その想いが強すぎるが故なのか。
着替えようと部室に向かったところで、
「加藤さん」
俺を後ろから呼び止める声。振り向くと、藤間だった。いやに思い詰めた顔をしている。
「どうした……そんなに恐い顔をして」
「お話がありますが、少々……宜しいですか?そんなに長くはお時間を取らせません」
「あ、ああ……」
藤間は相当厳しい教育施されているからか、喋る言葉も何処か堅っ苦しい。そりゃ、年上にはそれなりの口を利いて欲しいものだが、ここまでとなるとな……こっちまで恐縮しちまいそうだ。
「じゃあ、着替えた後でも」
「いえ、ここでいいです。聞きたいのは一つだけですから」
「あ、そう……で、何だ」
「……単刀直入に行きます。自分と真壁さん、どちらがマスクを被っていた方が投げ易いですか?」
……投げ易い、か。そんなの、決まってる……と即答しようとして、思い止まった。ひょっとして、コイツはそんなありきたりな回答を望んでいるわけではなく、もっと別の、深い意味での問いかけをしていたのでは……と考えてみる。
どちらが投げ易いか、などとは、実際にマスクを被り、俺とバッテリーを組んでいた藤間自身が一番よく分かっているはずだ。時々呼吸が合わなかったり、サインのミスがあったり、枚挙に暇はない。
それだけに、別の意味を考えてみる。
一般的に、キャッチャーの身体は大きい方が投げ易い。的が大きくなるからだ。その点、両者はほぼ互角……サッカーだったら、ゴールの前に二人が並んでいればネットが見えなくなるくらい……もちろん誇張しすぎだが。
捕球や送球などのフィールディング技術からすると?これらはピッチャーにとって、例えば自分が悪球を放った場合でも、きちんと捕球してくれれば安心だし、もしランナーを出しても、強肩や牽制などによって進塁を極力抑える事から、これもまた安心に繋がる。
では、これもカベと藤間の決定的な差があるかというと……ないな。甲乙付けがたい。一年の時点でこれだけの技術を身につけている藤間という男も並大抵の野球選手ではないが、カベも一年の時からこうだったのかな……と、自分がムダにし、そしてカベに無益な時間を過ごさせてしまった時代への後悔が、脳裏に鮮やかに蘇る。
こうして考えてみると……他に決定的な理由が見あたらないな。言ってしまえば、『慣れ』と『相性』、か。藤間が一朝一夕に改善出来る類のものでもない。
「結論から言っちまえば、そりゃカベだ。もう三年も一緒にやってるんだしな。アイツには色々と教えてもらったし、通じている……っていうのか。第一、俺は他のキャッチャーにボールを受けてもらう事自体が初めてだから、さ」
それを聞いて、藤間はどう思ったのか……しばらく思案したように、もともと開いているか分からないくらいの目を閉じ、
「分かりました。有り難うございました。予選は、殆ど真壁さんが先発マスクですよね?」
「まあ、そうなるかな。常に後がない闘いだけに」
俺の答えを聞くと、目を開け
「あの、もう一つ聞きたいことが出来ました」
と、興味津々で聞いていくる。
「……言ってみろ」
「どうしたら真壁さんのようになれますか?」
……随分と抽象的な質問だな。でも、答えは一つ。
「なれないな、絶対に」
「え……」
驚愕。細い目が最大限に見開かれる。……といっても、あくまで俺からはそう見えるのであって、普通の人間だったら薄目を明けている程度にしか感じられんだろうなあ。
「いいか?お前はお前、藤間康孝だ。どう転んだってカベには成れない。そんなことに気を揉んでいるヒマがあったら、自分なりの道を考え」
「それじゃダメなんです」
俺の言葉を遮ってまでの吐露。
真摯な訴えだ。目がマジ。
「自分には、もう時間がないんです」
「何だよ、時間って」
「いえ……こっちの話です、済みませんでした」
「気になる言葉を言っておきながら、勝手に話を終わらせるのか。それじゃ気に掛けるなと言われても無理な話だぜ」
「済みません」
それ以降、幾ら問いかけても答えは出てこない。藤間は頭を下げつつ後退するという気様なことをやりながらグラウンドを去って行った。
……どういう事だ、一体。時間がないって、どの範囲で言ってるんだ。
カベに相談しようにも、その姿が見えない。せっかちだな……俺だけではなく、周りの人間の時間まで早く流れているようで……正直、疲れる。
しかし、こうなってくると逆に清々しいもので、自分のやらなければならない事が嫌でもクローズアップされる。
そう、俺は自分の力を信じ、自分のピッチングを心がければいいのだ。
でもなぁ。
気になるんだよなぁ。




