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FASTEST!!  作者: サトシアキラ
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第11-02話


 ……そして、迎えるバッターは、

 高校球界どころか、日本の野球界がその動向に注目している屈指の強打者、伊東光。去年の県大会、俺を散々ライバル視し、それを各マスコミに吹聴しておきながら、結局一本もヒットを打てなかっただけに、その名誉挽回に期する意気込みは、バッターボックスに居るときから相当な闘気として感じる。空気が震え、マウンドの俺の辺りまでその振動が伝わってくるようだ。そろそろ暑くなって来る季節とはいえ、その圧迫感をモロに受けると、俺の額に汗がじんわりと滲んでくる。

 伊東は、長めのバットを黒いバッティンググローブをはめた手で、グリップを確かめるように握りしめ、のっしのっしとバッターボックスへと入ってゆく。巨体だけに、威圧感そのものも凄まじい。いかにも打ちそうと言う気配だけでも、打席上での駆け引きには優位に働く。奴が試合の中に組み込まれた途端に、周囲の注目がぐっとホームベース間に引きつけられた様な気がする。

 ……伊東は、ヘルメットのツバから相変わらず暗い眼で俺を射すくめようとしている。全く気に入らない。そっちが勝手に俺をライバル視し、そして気負って凡退しているだけなのに、俺の方がハッキリ言ってヒールになってしまっている。日本人の判官贔屓から言っても仕方のないことかも知れないが……

 初球。

 ワンナウトランナー二塁。藤間は、伊東の実力をどこまで評価しているのだろうか。その答えは、奴の出すサインで分かる。

 サインは、ストレート。

 要するに、変化球で様子を見る必要もない、俺のベストで充分……という事か。俺が「初球はストレート」と言っておいて何だが……伊東相手だったら、仮に変化球のサインが出ていても納得していたかも知れない。しかし、小難しい事を考えるよりはベストショットを放る、そのシンプル・イズ・ベストを選択した事実を胸に刻もう。

 二塁ランナーを気にする必要はほとんど無い。何故なら、伊東との対戦に集中したいし、まかり間違って牽制球でも投げようものなら……牽制悪送球という笑うに笑えない独り相撲が待っていたりするからだ……『投げる』事しかできない俺の場合は特に。

 空気が張り詰める中、セットポジションからややクイック気味にモーションを起こし、投げる!

 目標よりもやや外角に逸れたボールは、しかし結果的に外角低めへと決まってストライクワン。伊東は……バットをぴくりとも動かさずに見逃した。変化球を待っているようなタイミングでも無かったから、奴の狙いは一本。真ん中よりも内側に入ってきたストレートを狙っていたんだ。

 ストレートを狙われていたのは、予想外でも何でもないんだが、それにしては良く今のボールに手が出なかったな……奴の技術なら、右に長打を打つことも可能だったかもしれないのだが。

 訝しみながらも、第2球。サインは……内側へのストレート。さっきは外角に投げたから、今度は内角で様子を見ると共に伊東のバランスを崩す、か。

 ランナーの動きはない。曲がりなりにも高校野球をやっているのだから、バントも有り得るのかと思ったが……今は伊東のバッティングを頼みとしているようだ。伊東自身も、サインを覗くような素振りも見せないから、ここはバッターとの勝負に集中しても良いらしい。

 もちろんマサカリのモーションで第2球を放る!

 ぎり、と奥歯を噛みしめ、腕を自分の反復練習のままに思い切り振る!狙いは、内角低め!

 だが、その時の俺は、速球を投げることにか内角に決めることにか意識を囚われすぎていたらしく、最悪な事にその両方とも甘くなった事が、ボールのリリースの瞬間の指先がそう告げていた。

 伊東がそれを見逃してくれる訳が無く、ゆらりとアウトステップしする。自分が失投と思ったボールに打者が反応するとき程、生きた心地がしない瞬間はない。

 そして。

 ばがっ!

 これも相変わらず、金属バットが発するとは思えない怪音と共に、打球は目にも止まらぬ一筋の白線となって、左翼ポールのやや左のスタンドへ突き刺さった。歓声が一瞬にしてタメ息へと変わるのを聞くのは楽しいが、それが単なる打ち損じという事実が憎い。

 ……ふう、危ない危ない。最早お約束感の強い大飛球ファールだが、こういった失投を確実にものに出来ない伊東も、かなりスキの多い打者という事は言えるかもしれない。

 帽子を取って早くも滲んできた汗を拭い、ふっ、と一息入れる。無駄な力を入れるまいと思っても、どうしても力んでしまいがちだな……むしろ、そっちの方が球威が弱まるというのに。

 しかし、結果的にはこれでカウント2ストライクノーボール。圧倒的に俺の有利なカウントになったというのに、落ち着かないのはどうしたことだろう。俺の中の何かが楽観を許していないのだ。しかもそれは、『ツーストライクだが、油断は禁物』という自らを戒めるためのものではなく、常に不安に駆られかねない、他になんの利益も生まない、厄介なものだ。

 大事な3球目。

 サインは……ここでスローカーブ。後々の速球への伏線ともなる、非常に有効なボールだ。それを更に内角ギリギリに決めろという贅沢な注文だが……これも万が一コースを外せば、即座に打球が場外行きの危険な選択だが……伊東相手だけに、それはどの球種・コースでも一緒か。

 そして投じたスローカーブは、キレは文句はなかったがコースが低くに外れ、ショートバウンドで藤間が押えた。あのまま逸らしていたらピンチが広がる所だった。しかし、今の一球をムダに消費してしまったのは気がかりだ。『見せ球』だけに、しっかりとストライクゾーンの傍に決めなければいけなかったのだが……

 藤間は、しかしその一球でも効果はあったと見たらしく、4球目のサインは外角へ逃げるスライダー。2球続けて内角を攻めただけに、効果的な一球だろう。

 4球目。とにかくキレを意識して投げる。

 正直、これに手を出して凡退してくれないものかと懇願したい気分だった。伊東を相手にしていると、打たれる打たれない以前の問題として、その暗い眼差しで魂を吸い取られているような気さえするんだ。

 しかし投じたスライダーは、外角から外角へと曲がる、明らかなボールだ。これでは、伊東の打ち損じを誘うどころか、目を逸らす効果すらない。

 案の定、伊東は微動だにせずにそれを見逃した。しかし、多少は足を上げてタイミングを取っても良さそうなものだが……まるで、俺が投げる前から球種とコースを読んでいるみたいだ。

 2-2の平行カウントになったところで、組み立てが難しくなった。2-0からの2球が殆ど無駄球になった事で、次の一球の選択に迷ってしまう。自信のある球種は殆ど投げてしまったし、残るは……ストレート頼みか。藤間のサインも……速球だ。考えは同じらしい。自信のない球種を自信の無いままに投げても、待っているのは悲劇だけだ。コースも、殆どお任せ。それまでに緩いボールに目を慣らすという布石は一応敷いておいたから、その緩急差に期待する、と言うことか。

 気持ち長めにセットポジションを取ってから、自分の最高のボールを投げるべく、精神を集中させる。そう、これは俺自身の夏へのプロローグ。自分を試す試金石だ。これくらいのピンチが切り抜けられなくてどうする。

 集中力が極限まで高まった所で、クイックから速球を投げる!クイックといえど、俺の渾身の速球は……

(誰にも打たれないっ!)

 そう信じる!

(くたばれっ)

 物騒な常套句と共に、今までの俺の集大成としての一球を投じる!

 びしっ。

 耳の傍で、空気が切り裂かれた。風景が、流れる。自分の投じたそのボールが、そのまま藤間が構えたど・真・ん・中・に吸い込まれるのが何故かゆっくりと見えた。


 がぎゃっ!


 信じられない音が、今日二度目。しかし、やけに耳障りに聞こえたのは、それが今日初めてだ。


 ぴっ。


 顔のすぐ右横、頬の辺りを、短い笛の音にも似た音が、掠めた。

 そっと頬に触れてみると、僅かに熱を持っている。何かが、そこを掠めた。


 相手ベンチの騒ぎっぷりに我に返る。……何故か、一塁辺りをゆっくりとベースランニングをしている伊東が目に入った。

「加藤さん!加藤さん!」

 誰かが、俺の身体を揺すっている。何も……見えない。目に入ってくるのは、確かに自分一番の速球を放ったときの、やけにゆっくりとしたボールの軌跡のみ。つまりそれは、現実ではなく、俺のフラッシュバックでしかない……

「しっかりしてください、加藤さんっ!」



 その後。

 何とか回復した……あくまで『野球が出来る程度に』だが……俺は、ハッキリ言って、普通に投げ、抑える状態では無くなっていた。自分のベストをバックスクリーンに弾き返されたその光景が脳裏に蘇るたびに、右腕が痙攣する。そんな状態だが、度々タイムを掛ける訳にも行かず、そのまま放って……四死球の連発。いけないと思ってボールを置きにいっては、なんでもないバッターに痛打を食い、再び意識が遠のく……と、もうどうしようもなかった。見る間に得点が積み重ねられてゆく。自分でも分かるほどの虚ろな瞳でバックスクリーンのスコアボードを見れば……失点は、すでに12点を数えていた。まだ一回の表、それもようやくツーアウトを取ってこの結果だ。皆に申し訳ないのはもちろんだが、それ以上に……相手選手の『やれやれ、こんな下らない試合で時間を潰しているのか』的な視線が突き刺さる。背番号1を背負っている以上、このマウンドをそうそう明け渡す訳には行かないが……もしそういう心構えでなければ、俺はとっくの昔にこのグラウンドから逃げ出していた事だろう。

 否応なく打順が回り、打席には……一体何度目か、数えるのも恐ろしいが……伊東が立ちはだかった。点差から言って、それ以前にも奴に打席が回っているはずだが、打たれた印象が全くない事から考えてみても、多分……無意識に歩かせてしまっていたのだろう。我に返った所で伊東を迎えるとは……幸か不幸か。

 伊東は、蔑みきった、そして見下し切った瞳で俺を見据えている。それまでの憎悪に満ちた眼から、随分と出世なさったものだ。今度は俺が憎悪に満ちた眼で奴を睨み付ける版ってわけだ。

 そんな伊東に、俺の反骨心がむくむくと湧き上がってきた。闘志が満ち、腕の痙攣も治まっている。

 ……さっきのは、何かの間違いだ。俺のストレートは、断じて放れば鬼神もこれを避く!

 さあ藤間、サインを出せ!

 俺の瞳に魂が舞い戻ったのを見て取ったのか、藤間のサインはストレート。コースは……問わず。ただストレートのキレ頼み。都合がいいと言えばこれほど都合がいいサインもない。全ては俺の右腕から弾き出される、白い弾丸のキレ、それだけで伊東をねじ伏せてやろう。点差から言って、もはやこの試合自体の敗北は避けようもないが、俺の心だけは折らない!

 ……それが、このマウンドを預かるたった一つの俺の意地だ。……一度、気持ちを折っておいてなんだが。

 もう、ランナーなど気にしない。クイックも使わない。気がつけば塁上は全て賑わっていたから、もうお構いなしにワインドアップする。これが、俺のせめてもの意地の一球だ!

 どじゃ、という、左足を踏み出し、グラウンドの砂を捻る音が響く。ぎり、と奥歯を噛みしめ、全・身・に・力・を・込・め・て・第1球を投じた!


 蹴りだした右足が着地する前に、再び……俺の横顔を何かが掠めた。まるで、第1打席の時の録画映像を見ているような……しかしさっきまで、我を失った時に見ていた白い航跡と違う点がある。それは……固まった俺の目の前を、ランナーが綺麗に4人も駆け抜けていったことだ。


 ……ははは、さっきは二人だったな、確か。今は4人、つまり4点も一気に入れられちまった、ってわけだな。

 ……おかしいな。

 ……打たれたなら打たれたで、野手陣が打球を追う気配を一切見せないのはどうしたことだろう。早く、早くバックホームしろ。あ、そうか、もうランナーは4人生還しちゃってるんだよな。あはは。それにしても、ランナーはやけにゆっくりと走ってきたけど……どういうことなんだろうな。俺の速球が打たれるわけはないし、どうしたのかな。

「聖、交代だ」

 ベンチにいるはずのカベの声が俺の名を呼ぶ。

 振り返ると、何とも言い難い……いや、これは哀れみの表情だ……カベがそこに立っていた。

 ……カベが、俺を投げている。

 そう考えると、膝から力が抜けていった。もう立っていられない。

「お、おい」

 カベが慌てて俺の身体を支える。膝でも地面に打ち付けたら大変だ、とでも思ってもらえるのだろうか。

「立て、聖。後は影屋に任せる」

 そんな。

 カベが、俺を見捨てた。

「おい、聞いてるのか、聖っ!」

 ぐい、とカベが左腕を引っ張る。

「投げる気のない奴がマウンドに立っていても邪魔なだけだ。今だったら、影屋の方が余程投げられる!」

 いつになっても立とうとしない俺に業を煮やしたのか、強い調子で、ぴしゃりとそう言い放った。久々に、いや、初めて聞くカベの叱咤。その口調はあまりにも厳しかった。その大喝は、俺を震え上がらせるには十分すぎるほどだ。改めて自分が叱られ馴れていないと思い知らされる。しかし……カベの言っていることは正しい。

 カベの顔を再び見上げると……怒りとも、蔑みとも取れる表情に変わっていた。つまり、俺に同情すべきものは何一つ……無い。

 ようやく、さっさとマウンドから降りる決心が付いた。影屋はとっくに用意が出来ていたらしく、ブルペンから颯爽と駆けつけて来る。大分前から肩を作らせていたんだな。

 影屋とすれ違いざま、ボールを手渡すが……空しい。ベンチに引き下がる間中、カベが肩をそっと抱いていてくれた事だけが慰めだった。



 その後。

 マウンドに影屋が上がった直後、浜学の主力メンバーがごっそりと抜け、殆どが控えの選手と交代した。恐らく……俺がベンチに引っ込んだことで、五ウ塚チと試合をする意義がほぼ無くなったと踏んだのだろう。その交代した主力は、別のグラウンドで練習を始めたようだ。

 控えの選手と交代したといえど、相手は浜学。正直に言って影屋が対処できる相手であるはずもなく、そのまま打たれに打たれ、三回の裏終了時に31対0という、どう言い逃れもできないスコアになった時点で、これ以上続けても仕方がないというチームメイトの意見が一致し、浜学に没収試合を申し入れ……そして、それは受理された。相手ベンチに没収試合を持ちかけに行くカベの姿は……哀れで、寂しげなものに見えた。……勿論、俺の責任が殆どだ。



 こんな所まで来て大敗した上に、あっさりと没収試合にしてしまった俺等は、もはや針のむしろという言葉がピッタリだったために、さっさと後片付けをしてさっさとおさらばしたかったところだが、ベンチに座ったまま身体が動かない。チームメイトからの視線も痛い……もう、俺はどうしようもない、のか?

「聖」

 短く、カベが呼んだ。ゆっくりとそちらを振り向くと……俺の道具まで持ってくれているカベがいた。

「帰るぞ」

「ああ……」

「帰って、また練習だ」

 練習……か。

 今までも散々練習してきたのに、伊東はその上を行く打撃で俺を粉砕した。これが……才能の差なのか。もう……俺は敵わないのか。

 ようやく立ち上がり、ふらふらと歩み出した俺を、再び『あの瞳』が俺を捉えている。無論、伊東だ。その瞳は……俺を粉砕した事で、あざけりの極みに達している。3年分の鬱憤を晴らせて、さぞかし爽快だろうなぁ……ははは。

 もう勝手にしてくれ。

 所詮……天才には幾ら努力したって敵いっこないんだから。その上、伊東は努力する天才だ……


 一気に、身体の力が抜けた。

 今はもう……何も考えたくない。



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