第10-04話
「ええっ?カベがマスクを被るんじゃないのか?」
俺は、カベが書いていたメンバー表を覗き見て、思わず声を上げた。
「そうだ。藤間の実戦での動きを見てみたい。オレと組むのはいつでも出来るだろう?」
「確かにそうだけど……」
今日は、近場の太原高校との練習試合。相手の太原高校は、自身が総合公園内に隣接している地の利を生かしたのか、なんと公園の敷地内にある野球場を借りてくれた。お膝元割引特典のようなものでもあるんだろうか。
この野球場は、オープン戦と公式戦で、一年に二度プロ野球YBチーム主催の試合が開催される程、格式の高い(?)場所だ。もちろん、夏の大会の予選会場の一つでもある。俺たちとしても、それ位のところで野球が出来るのは何となく嬉しい。何と言っても、ベンチの確保などに気を揉む必要がなくなるからな。
「分かったら、さっさと藤間とのサイン交換でもしてこい。急に組ませる事は確かだから、サインミスがあったら困る」
「うん……そうだ、じゃあカベは何処を守るんだ?」
藤間がマスクを被るとなると……まあカベは天才だし、何処のポジションでも守れるだろうから……打力のやや弱い愛沢に代わってレフトにでも入るつもりだろうか?
「オレか?オレは出ない」
「はぁ????」
カベがあっさりと言い放ったんで呆気にとられ、しばらく言葉も出なかった。
「ど、どういう意味だよ」
「深い意味なんて無ぇ。強いて言えば……夏まで残りの練習試合がどれだけ消化できるか分からないだろう?その為に様々なケースを想定しておこうと思ってな」
「だからって、カベが何で……」
「キャッチャーってのは、不慮の事故が起きてもおかしくない、更に言えば起こる率が比較的高いポジションなんだ。要するに俺が抜けた後のテストケース、だな」
そこまで深く想定をしているんなら……依存が何処にあると言うんだ。しかし、どうにも……“予め答えを用意していた”ような周到さも垣間見えるような気がするのは何故だろうか。
それ以上、カベは口を開かなかった。もう俺との話は終わった、とでも言っているかのように。
「加藤さん、そろそろウォームアップを始めましょう」
藤間が、防具類をいそいそと着用しながら催促する。すっかりその気のようだ。
「ああ、今行く」
ベンチを出際に、ちらりとカベの方を見ると……メンバー表をじっと見つめたまま、何か考え事をしていた。
太原高校は、総合公園と同時に創設されたという恵まれた立地条件もあってか、グラウンドの敷地が非常に広い。丘の上などという、へんぴで土地の安かっただろう場所にある五塚のグラウンドに、さらに少年野球のグラウンドくらいは余裕で追加できる広さだ。
まだ他のチームメイト達はストレッチをしているが、先に肩を温めておこうと思いついた。俺はどちらかというとスロースターターの方だし、試合前に球数を放ったところで、スタミナには何の不安もないからだ。
練習用のマウンドは、そのご自慢の広いグラウンドの更に隅っこ、校舎とグラウンドの分かれ目に近い辺りにあった。これから練習を始めるだろう他の選手達の動きに、そう邪魔されることなく投球練習出来るのは嬉しい。
「そうだ、まずはサインの確認だ」
「いえ、要りませんよ」
「何?」
「真壁さんと加藤さんが投球練習をしている時を盗み見て、大体は把握してましたから。基本的にフラッシュサインなんですよね?」
「そうだ……俺は記憶力が悪いからな。あやふやにサインを了解したつもりになるより、相手に見破られてでも、自分の球威とカベのリードを信じているからな」
「……はい」
自分と、カベのリードを信じる。第一、マウンドの上で他に信ずるに足るものが存在するだろうか。打者の打ち損じとか?
藤間を経たせた状態で念入りにキャッチボールを行い、更に座らせた状態でも数十球。あまり念入りにやっていると時間がなくなるから、肩を温める事に主眼を置き、ここはなるべく早く投球・返球・再投球のペースを短くする。
「じゃあ、行きましょう」
そして、暖まった頃合いを見計らって、遂に試合用の力で投げる時が来た。藤間の力量はこの前の投球練習で分かっているが、実戦でのリード込みとなると、また話は別だ。
取りあえず全力で投げ込んでみるが、やはり藤間は易々とキャッチする。本当に凄いが、実を言うと、俺自身は複雑な気分だ。何故なら、俺の球を上手くキャッチ出来るのは、真壁大成その人しか存在しないと思っていたから。そりゃあ“もっと上”に進めば、素晴らしいキャッチャーが沢山しのぎを削っているのは分かっているけど……少なくとも高校の世界では、カベに代わる女房役などいないと思っていたんだ。世の中は広い。
返球を受けてから投球するまでの僅かな間に、横目でカベを探すが……カベは選手達にノックをくれてやっているから、もちろん俺たちには目もくれない。俺には、それがとても寂しく感じられて……
「加藤さん?」
「お、何でもない」
そう、俺はいつまでもカベと共に投げ続けられる事は叶わない。でも、だったら……せめて、高校の間だけは、お前とだけバッテリーを組んでいたいんだ……藤間に悪いのは分かってる。藤間に罪はないのも、だ。
それから……しばらくは雑念を振り払って投球練習に没頭する。中途半端な気持ちで投げているのは、藤間にも失礼だし、俺だって不慮の怪我をするかもしれないからな。それにしても、俺は割と頭の切り替えが速いのかも知れない……マウンドの上でだけ。
ベンチに引き上げる途中、ふと空を見上げると、青い空に桜の緑の葉っぱが栄えている。花見にちょうどいいと思った咲きっぷりだったのも束の間、その次の日、強い雨と風で殆どが土の養分と化すために散ってしまった。いわゆる花散雨ってやつか。今はその淡いピンク色の残滓が、僅かに土の上に残っているだけだ。こうしている間にも、どんどんと時間は過ぎ去ってゆくのだ。歩みを止める事なんて……一瞬でも出来はしない。
ベンチ(と言っても、相手校が使っている椅子を並べてもらっているだけだが)でスパイクのヒモを調整しつつ、気を落ち着かせるために辺りを見ると……
(おいおい、勘弁してくれよ……)
俺が頭を抱えたのを、体調が急変したかとでも思ったのか、藤間が血相を変えて飛び込んできた。
「ど、どうしたんですか、加藤さん……何処か気分が悪いんですか?」
「い、いや、何でもない。本当に何でもないんだ」
藤間の滑稽なくらいの慌てぶりに苦笑しつつ、その理由を必死に考えていた。
その理由とは。
河村が居やがるんだよ、真理と一緒に。二人で応援兼見物に来たらしいのは分かっているんだが……そんなに親しい仲なのか。学校からの帰り道、結構気軽に声を掛け合っていたのにも驚いたが、まさか二人で野球観戦とは……
しきりに心配する藤間をよそに、俺はぺちぺちと両頬を叩いて気合いを入れる。……実をいうと、この仕草も真理と河村に見られているかと思うと……かなり恥ずかしいんだけど。
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そして、プレイボールが掛かる。俺たちのオーダーは、打順・ポジション共に、カベの代わりを藤間が務めている以外に変化は無し。新入部員がいきなりレギュラーポジション、しかも四番に入るなんて、二・三年生にとっては良い気分はしないだろうが……いつものバッティング・守備練習を見ているから、誰からも文句は出ない。
対する太原高校は……特に注目すべし選手はいない、らしい、カベの言葉に因れば。カベの奴、対戦相手の情報などどこから仕入れてくるんだろう。
打順はそのままだけに、一番は屋久から。
屋久は、一年の頃はまだまだ小柄で、俺と同じくらいの背丈な上に細っこく頼りなげだったが……この冬の間、基礎体力作りに相当励んだらしく、体格が一回りも二回りも大きくなって見えた。バッターボックスでバットを構えるその姿も、どことなく堂に入っている。筋トレだけでなく、打ち込みもこなしていたようだ。
屋久は第1球、2球と際どいコースを落ち着いて見送り、カウント1-1となったところで3球目の、真ん中にカウントを取りに来た球を思い切り振り抜いた。
良い当たりだと思った打球は、惜しくもレフト真っ正面。だが、レフトが相当後退して押えたから、間を抜けていれば、屋久の足なら三塁も狙えようか、というところだった。 しかし、見たとおりに屋久のスウィングは鋭かった。欲張らずにバットを短く握った上で強振したんだ。
悔しがる屋久を尻目に、二番の御曽が打席に。
御曽もあまり目立たない体格の持ち主ではあるが、彼も明らかに体格が良くなっている。いつも必ず顔を合わせるはずなのに、こうして注意深く見てみないと分からないものなんだな……
御曽は11球粘った後に四球を選んで出塁。しかも、ツーストライクノーボールと早々と追い込まれた上からだけに、余計に価値がある。
三番の黒沢は、今まではどちらかというと振り回すタイプのバッターだったが、今年からはイメチェンでもしたのだろうか、右打ちに徹し、セカンドゴロの間にランナーはそれぞれ進塁。あまりに右打ちを意識するあまり、スタンスが極端にスクウェアになっていたのは、弊害と見ればいいのか何なのか……ともかく、つなぎの役割を果たして、四番に仕事を託す、というわけだ。
そして四番は、鳴り物入りで着任した藤間。
彼がどれほどの力量の持ち主なのかは、粗方練習で見せてもらったつもりだが、さて実戦での生きた球となるとどうかな、と思った瞬間。
ばきっ!
もはや快音とも言えぬ……言うなればバットの悲鳴か……鈍い音と共に、低めのボール球をすくい上げた打球はぐんぐんとセンター方向へ伸びていって……懸命に背走する敵中堅手をあざ笑うかのように、その頭上数メートルを軽々と追い越していった。……ま、事実上のホームランだな。哀れなボールは、グラウンドを飛び越えて校舎の方にまで転がっていってしまったし。
というわけで、初回にいきなり三点のリードをもらった俺は、安心してマウンドに立つことが出来る……カベにこんな考えを知られたら、もっと気を引き締めろと叱咤されるだろうな。
さて、一般に打撃が好調な捕手は、リードもノってくると聞いたことがあるが……どうなんだろう。何しろ今までは相手がカベだったからな……何しろ、常にオドロキのバッティング技術を見せつけていて、好不調の波など分からないんだから。
相手の一番打者は、特別特徴のない、ごく普通の体格。つまり、身体から推測される情報が極端に少ない。簡単な例を挙げれば、「身体が小さい選手は足が速い」「身体が大きい選手はパワーがある」等々ごく簡単なものだが、これだってごく一部の例外はあれど、結構幅広く当てはまって、外れることは少ないものなんだ。何故って、「身体の小さい=体重が軽い=速く走れる要素」だし、「身体が大きい=体重が重い=体重が乗った時のバッティングに破壊力がある要素」だから。全ては物理の神様の前の真実だ。
藤間は、第一球なのにしばらく考えてから……サインを出した。
(……おいおい)
要求された球種は、カーブ。
「ターイム」
いきなりタイムを要求した俺に、球審も打者も、もちろん藤間も拍子抜けした様子だ。
「ど、どうしたんですか?いきなり……」
マスクを脱いでマウンドに走り寄る藤間。
「あのな、いきなり変化球を要求する奴があるか」
「し、しかし……相手バッターの特徴が分からない以上、初球は慎重に……」
「俺の場合、全力の直球が一番の慎重な投球なんだよ。ボールを受けてれば分かるだろ?」
「……はい……」
そのあまりのうなだれぶりに、流石に悪いことを言ったかな、と反省した。
「まあいい。取りあえず、今日はお前のサイン通りに投げるわ。だから、自分の思った通りに組み立ててくれ」
まだ何か言いたそうにしていたが、藤間は取りあえず引き下がった。……俺らしく、ないかな。俺にピッチングを組み立てる頭など無いのだから、サインは全てカベに任せてきたはずなのに……そこである一つの違和感に気がついた。
(そうだ……今マスクを被っているのは、サインを出しているのはカベじゃないんだ)
当たり前のことだけど、今まではカベとしかバッテリーを組んだことがないから、リードの比較も仕様がなかったんだ……リードなど、人によって違うのは当然。やはり、悪いのは俺らしい。第一、俺がきちんとした球を放れば、誰も打てないのは分かっているんだから。
気を取り直し、改めて第一球。マサカリのモーションで、人差し指でボールを切るように投げる!
と、渾身(の筈の)一球は、狙ったコースよりもかなり甘く、そして変化自体も甘く入り、打者は難なく三遊間に運んだ。重要な初球を、あれこれ考えながら投げてしまったから、キレもコントロールも悪くなってしまったのか。
(どうにもやりづらいな……かといって、俺が覚えているサインがフラッシュだけな以上、こっちから出したら球種がバレバレだし、それよりも……さっき藤間に「好きに配球を組み立てろ」と言った手前、すぐに撤回するのも格好が悪いしな……とにかく、今は全力で藤間のサインに従っておくか。
二番打者は、小柄な……いかにも小技の上手そうな選手。ということは……やっぱりバントか。カベならここでは……多分速球を選択し、フォアボールを与え、むざむざチャンスをくれてやらないように、あわよくば速球の威力でポップフライを誘う、だろう。
それなのに、藤間のサインと来たら……
(またカーブかよ……)
そもそも俺は、自分の投げるカーブにそれ程自信を持っていない。確かに、曲がりそのものは第三者から見れば上々だろうし、打者の腰を引かせる目的で投げること位は出来る。しかし、百発百中で自分の狙ったところに投げられるかと言ったら……
今の状況では、恐らくバントの確率が高いんだろうが……それに、変化球では盗塁だって試みられかねない。練習では、藤間自身の肩もそれはそれは凄いものだったから、自分の送球の早さを頼みにしているのかも。
セットポジションに入り、うろちょろするランナーを肩越しにちらちら見ながら、初球。サイン通り、外角低めにカーブを放ったつもりが、コントロールミスでど真ん中高めに入る。バッターは、そんな絶好球を見逃す訳がないと思っていたが……あっさり空振りした。 しかしそれには理由があった。案の定、一塁ランナーがスタートを切っていたのだ。投じたボールはスローカーブだったから、絶対に間に合わない、と思い込み、頭が勝手にノーアウトランナー二塁時の組み立てを考える方向に切り替わっていたのだが……藤間はボールを受けると、一切の無駄無く……二塁へ送球した。それも、座ったままで!慌ててしゃがむと、藤間の送球が唸り声を伴って頭上を過ぎて行った。
呆気に取られたのは俺だけではなく、ランナーも同じだったらしい。一番に入っているくらいだから、自分の走力にそうそう自信が無いわけでも無かったんだろうが、いざ二塁ベースのはるか手前、しかもスライディングをする前にタッチアウトになっては、茫然自失に陥らざるを得ない。
その送球で、相手ベンチはおろか、自軍ベンチからも声という声が消えた。野次も、声援も。「座り投げ」なんてプロでも滅多にお目にかかれないのに、これぞ『矢のような返球』を地で行くかのようなとんでもない代物を見せられては……。今後この試合は、相手ランナーの動きに一切注意を払う必要が無くなったわけだ。
久々にスカっとした場面を目撃した俺は、後続をぴしゃりと押え、結果的に三人の打者でスリーアウトを奪った形になった。
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藤間の快送球で勢いを得た我が五塚は、それから一点も失うことなく、さりとて追加点を奪うこともなく、得点3-0のまま終盤の8回表まで試合が進んでいた。そしてワンアウト走者一、二塁から再び藤間の打席を迎える。
ベンチにいるカベが、せわしなく動いてブロックサインを出すが……ええと、何のサインだったかな、あれは。そうそう、ただ『打て』のサインだな。まあ、藤間のバットに期待する以外、これといった作戦の取れない状況ではあるけど。
バッターボックスの藤間は頷き、敵投手と相対する。しかし……投手の立場からしてみれば、こんな巨漢は相手にしたくないな。いや、大きいというだけの打者なら幾らでもいるが、藤間は威圧感が違う。しかし俺は……まだ奴に対して投げた事がない。夏に向けて、一勝負挑むのも悪くはない、かな。
藤間は、誘う様な微妙なボール球を2球見逃し、カウント2ボール。藤間の巨体を見れば、パワーヒッターであることは一目瞭然だから、相手バッテリーも警戒に警戒を重ねているんだろう。さりとて、完全に敬遠紛いのフォアボールでは1アウト満塁になってしまうから、悩みどころなんだと思う。カベなら、俺がこんな苦境に陥ったらどんなサインを出すだろうか。きっと、速球一本で押してくるんじゃないだろうか。フォアボールでランナーを増やすくらいなら、打たれた方がまだ気分的にマシだから。
さて、その相手バッテリーの選択は……キャッチャーミットの位置から見て、勝負に出る、か。
敵投手は、セットポジションに入ってから間を置いて……投げる。
が、その一球は、相手バッテリーの迷いを表わしているかのように、そして藤間の迫力に魅入られたかのように、ベンチから見ていても分かるくらいの甘いコースにすーっと入っていく。球が自分の指から離れ、バッターがそれを捕らえるまでのコンマ数秒。ピッチャーの目から見て、寒気のするような一瞬だ。
ぐわっきっ!
予想に違わず、あり得ない轟音がグラウンドに響いた。そのスウィング、まるでバッターボックスの砂を巻き上げるが如し……!
打球は、まるで第一打席のVTRでも見ているかのように……いや、それよりは確実に距離が出ているが……懸命に背走するセンターの頭上を飛び越し、何とダイレクトに校舎に当たってグラウンドに跳ね返った。哀れセンターは、跳ね返ったボールにもう一度頭上を越される。
あまりに打球の勢いが強すぎたせいか、藤間は三塁ストップ。それでも走者を二人返し、得点は5対0。もはや勝負あり、だ。
一人で全打点を叩き出した当の藤間は、三塁ベースで悠々と腕組みをしているのだった。
その回は、三塁ランナーの藤間まで生還し、点差は6点にまで広がったのだ。
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そして、回は9回の裏。
この締めのマウンドに向かったのは、何と影屋。いや、何とと言っては失礼だな、俺が入部するまでは、背番号1を背負っていたのはアイツなんだから。相変わらずマスクを被っているのは藤間で、カベは結局この試合を欠場する腹づもりらしい。
俺はと言えば……ベンチから試合を眺めている事など、今までにあまり経験をした事がないから、何と無く手持ち無沙汰で、マネージャーの湯河原が差し出してくれたスポーツドリンクを飲みながらアイシングしているところだった。
ついでに今日のスコアブックを見せてもらうと……
投球回数:8
投球数 :110
被安打 :5
与四死球:2
奪三振 :15
という主立った成績だ。こうして見ても、確実にカベとの特訓の成果は出ている……んだろうか。自分でもイマイチ自覚が無いのがツラいところではあるが……しかし奪三振が15……自分では気がつかなかったが、結構な数を奪っていたんだな。まあ、それなりに力を込めて投げた速球を、殆どかする事すら出来ないんだから当然と言えば当然か。
……俺、成長してるのかな。
……ピッチャーとしてももちろん、人間として。初回、藤間に言った言葉は……殆ど俺のワガママだもんなぁ。………………俺が悪いよな、やっぱり。
色々と準備をしている内に、影屋は連打を浴び、2点を失いながらも、何とかこの試合を締めくくったのだった。
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帰り支度をしている途中、バットケースやら何やらを沢山抱え上げようとしていた藤間を捕まえた。
「藤間、ちょっと……話があるんだがいいか?」
「はい、いいですよ」
持ち上げかけた荷物を再び下ろす藤間。わざわざ呼び止めてしまったのは悪かったかな……俺は手ぶらだし、五塚に帰って道具をしまってからでも良かったか。
しかし、カベがどこからともなくやって来て、藤間の持つ筈だった道具をかっ攫い、呼び止める暇もなく校門の外へ消えてしまった。
「はは、多分、気を利かせてくれてるんだよ、あれで」
「はぁ……そうなんですか?」
藤間くらいの実力の持ち主なら、中学時代はかなりレベルの高い(イコール学年間の上下関係に厳しい)ところで野球をやっていたんだろうから、恐縮するのも当然だろう。
「その……悪かったな、初回は」
悪びれずに、素直に、頭を下げ帽子を脱ぎ、きちんと謝った。自分の間違いは認める。自分の考えの浅はかさは、これから俺が成長していく上で、是が非でも治しておかなければいけない箇所だから。
「そんな、謝らないでくださいよ」
「だが……」
「ピッチャーとキャッチャーの投げたい球が噛み合わないなんて、良くあることですよ……それが良いのか悪いのかは分かりませんが。だから、そんなに謝らないでください。それに、自分も『そんな組み立てもあるか』って、勉強になったくらいなんですから」
藤間は、細い目を更に細めて、そう笑って見せた。身体に合わせて顔面も相応に大きいが、目は不釣り合いなほどに小さいから、笑うと目が何処にあるか分からなくなる。藤間は、そんな俺の失礼な考えなど知る由もなく、屈託のない笑みを浮かべていた。……どうやら、心の方も身体に合わせてビッグサイズのようだ。
「……まあいい。俺は基本的に組み立てなんか出来ないから、今後再びバッテリーを組むことがあったら、もうサインに首は振らないことにするよ」
「いえ、自分ももっともっとリードを勉強します」
ぺこ、と今度は藤間が頭を下げた。何しろ巨体なものだから、頭頂部が俺の鼻先をかすめたぞ。
そして藤間は、自分の道具を持っていったカベを追いかけていった。
……ふう。あんなに優しい言葉を掛けられたのは初めてかもしれない……野球に於いて。カベは無論厳しいから、奴の口から褒め言葉が出ることなんて皆無に等しい。それだけに、俺を認めてくれる藤間の言葉は、心地よい響きに満ちていた。それに甘えているだけではいけないというのはよく分かっているつもりだが……
ふと気づくと、目の前に真理と河村が立っていた。そういえば、今の今まで彼女らの存在を忘れていた。試合開始前はあれほど気になった筈なのに。俺は一端試合に没入してしまうと、集中力が異様に高まるのは間違いないな。そもそも、今日は藤間との慣れないコンビだから気を遣った、という要素もあるし。
ともあれ、初マスクと相手とこれだけ投げられれば上々の出来と言えはしないだろうか。夏に向けて戦力の底上げがあったのは、非常に心強くあった。
道具を纏め、忘れ物は無いかとチェックしていると、
「お疲れ様、お兄ちゃん」
「お疲れ様、加藤くん」
そう言えば、今の今まで二人が観戦していたことをすっかり忘れていた。俺の試合中の集中力も捨てたもんじゃないな。
とはいっても、二人の美少女から同時に労いの言葉を掛けられる……まあ、悪い気はしない。もっとはっきり言えば、嬉しい。……どうせ俺は素直じゃないよ。
「ずっと見てたんだ?」
真理が差し出してくれた大きめのアメ玉を口に放り込んでから聞く。激しい運動で疲れた後の糖分……脳にガツンと響いて、頭がすっきり。真理も俺の欲しいものをよく分かっていてくれている。河村は、たった一粒のアメ玉にどれだけ深い意味が込められているか、分かっているのかいないのか特に興味を示していない。
「うん。私、野球は全然わかんないんだけど……加藤くんの一生懸命投げてるを姿見てるだけで、結構楽しめたから」
照れる事を平然と言いやがる。
「実はね、私が真理ちゃんを誘ったのよ、一緒に見に行こうって。もちろん、加藤くん本人には内緒でびっくりさせよう、ってね」
「ごめんね、お兄ちゃん」
河村に肩を抱かれ、済まなそうに小声で謝る真理。取りあえず、イニシアティヴは河村の方にあるようだ……このバイタリティーを見れば誰しも納得するところではあろうが。
「まあいい。楽しかったんなら何よりだ」
「あら、以外。『何で来たんだ』とか言うと思ったのに」
「思ってたさ。だけど、聞いちまったらお前の予想通りになっちまうからだ。それだけは勘弁願いたい」
「……くす、素直じゃないんだから。真理ちゃん、お兄さんっていつもこんなだから、大変でしょ?色々と」
その河村の言葉を聞くと、真理が固まった。口を半開きにして完全フリーズ状態だ。
「おい、河村……さも俺のことを色々知ってるような口を利くなよ。真理が誤解するだろ?」
「やあね、実際そんなに浅い仲じゃないでしょ?私たち」
ぱち、と芝居が掛かったウィンク。正直に申し上げて、頭が痛い。
「お前がどう思おうと勝手だけどな、となりにいる子を見てみろ」
「え?あ……」
けらけらと笑う河村は、固まっている真理を見て、自分の冗談が通用しないことにようやく気が付いた様だ。
「真理ちゃん真理ちゃん、嘘だからね、う・そ!私の言ったことは“八割方”嘘よ」
苦笑いしながら優しく真理の肩を叩くと、ようやく正気に戻ったようだ。しかし、相変わらず“八割方”とかの一言が多いと思う。
「そ、そうですよね、あは、は、は……」
乾いた笑い……真理の奴、半分は真実として受け止めてるぞ、これは。
「加藤くん達は、一回学校に戻らないといけないんでしょ?じゃあ私たちも帰ろうか、真理ちゃん」
「はい、いえ、うん……じゃあね、お兄ちゃん」
殆ど河村に引きずられながら、真理は小さく手を振った。俺たちが校門の方からグラウンドを出るのに対し、真理達は逆方向、総合公園側の出口をくぐってゆく。一見仲の良さそうな二人をしばらく見送ってから、俺も荷物を担ぎ上げ、とっくに集合していたみんなと合流するために、グラウンドの外へ駆け出す。
……河村蛍子、か。
ああして真理を強引にでも連れ回す姿を見ても……その画に描いたような美少女二人よりも、河村の明るい姿の裏に潜む、深いどころではない事情の方を勘ぐりたくなっちまうな。
ま、アイツの考えはさておき、真理の良い友達になってくれれば、それは確かに嬉しいんだが……余計な事を吹き込む可能性もないと言えないのが多少不気味でもある。
まあ、いい。
これ以上、俺の過去に踏み込んでこなければ、ギリギリ河村を許せる位置にアイツは立っている。頼むから、その一線を踏み込んでこないでくれ……今の俺には、それだけが怖かった。
一つの手応えと一つの杞憂を内包して、今日というかけがえのない春の一日が過ぎてゆくのだった。




