第01-03話
一回の裏、我が五塚高校の攻撃は、一番ショート・屋久 照延からだ。屋久は、一年生ながらショートのレギュラーポジションを確保してい る。といっても、それは屋久のプレーが他の選手より勝っているからではなく、 他に守る奴がいなかったからだ。しかし、そこそこ堅実な守備を見せ、足も速い ので、一番打者としては重宝されている。
一方、守る横浜学院。マウンドに立つは、今大会最強スラッガーとの呼び声高 い、伊東 光である。今日の観客の目当ての多くは、奴のバ ッティングだろう。さらに伊東は、地肩の強さを生かし、背番号一を背負って、 俺達の前に立ち塞がっているのだ。
「天才……か」
俺はベンチの中で、誰に聞かせるでもなく一人ごちた。
そう、間違いなく、あいつは野球の天才なんだ。
身長は190センチ近くもあり、50メートル5秒8、遠投110メートルとい う驚異的な身体能力の持ち主。
こいつが天才じゃなくて誰が天才なんだ。マスコミも奴を、持ち上げるだけ持ち 上げている。
「薄幸の超天才」
として。
薄幸の所以は、両親を幼い頃に事故で失っているということ。里親から、共に引 き取られた妹と共に虐待を受けていた事実が、近所の証言などから発覚したこと 、才能がありながら、金銭面の問題でシニアの硬式野球を経験していないという こと…など。
これだけの不幸の材料と、野球の実力があれば、マスコミが沈滞ムードの日本野 球界のヒーローに仕立て上げようとするのも無理はない。…当の本人の意向など 露知らず。
屋久がバッターボックスでバットを構えた。かなり短く握っている。伊東の最高 球速は140キロを超えるらしいから、それへの対処だろう。ただでさえ屋久の 振りは、まだ一年ということもあり、あまり鋭くない。
伊東が投球モーションを起こした。無駄のない、非常に滑らかなフォームだ。腕 をしならせ、真上から投げ下ろす。
と同時に、屋久がセーフティーの構えに移った!!ファーストとサードが、それ を見て猛烈な勢いで前進する!!
しかし、その結果はバックネット直撃のファウルだった。スタンドがざわめく。
確かに、ここダグアウトから見ていても、かなりの快速球であることは分かる。 「駄目だ、球速にビビっちゃあ…」
さっきまでベンチ裏へ消えていたカベが、いつのまにか俺の隣に座っていた。バ ント失敗を見て呟く。
「まともにいっちゃあ打てないだろうって気持ちは分かるが…やっぱり前に転が さないとな」
あくまで客観的に分析する。
その後、屋久は案の定スリーバント失敗でアウトになった。残りの二球ともスト レートだった。
続く二番は、俺達と同じ二年生の御曽 良太。ライトを守り 、巧打がきくので二番に座っている。なんと、御曽は最初からバントの構えだ。 これには、スタンドと三塁側ベンチから失笑が洩れる。だが、御曽は本気だ。
伊東が初球を投げた瞬間に、バットを引いてヒッティングに転じた!!
だが、そのバットは虚しく空を切る。ボールの大分下をバットが潜っていた。
「狙いはいいんだが…」
カベも二の句が告げられない。
結局御曽は、高めのボールに手を出して、空振りの三振に倒れた。
「………」
カベは何も言わずに腰を上げ、レガースを付けたまま、バットを持ってネクスト バッターズサークルへ向かった。カベは五塚の、堂々たる四番バッター でもある。今バッターボックスに入っているのは、三年の大塚さんだ。市内では 結構名の知られた打者なのだが、
「所詮は市内レベルさ」
と、自らを卑下するように呟くのを聞いた事がある。
大塚さんと俺とは、野球観が近いので話が合う。即ち、「日本球界を冷めた瞳で 見つめている」こと。その一方で、その日本球界に身に置かなければならないジ レンマを抱えているのも共通点だ。大塚さんは、俺にこう言ってくれたことがあ る。前の言葉の続きだが……
「俺は、所詮は市内レベルさ。家の都合で、高校で野球から足を洗う事になるだ ろう。だが加藤と真壁、お前達は違う。お前達は、この日本に留まっていていい 器じゃない。もし日本で道に迷いそうになったら、「一番上」を目指せ。お前達 は、その資格を持っている選手になっていく才能があると思うから……」
と。
「一番上」……明言こそ避けてはいるが、恐らくは……アメリカメジャーリーグ…… だろうか。
俺はその時、一応謙遜していたけど。
程なくして、大塚さんはライトフライを打ち上げ、五塚高校の攻撃は終了した。 何だか…既に悟ってしまっているような打席に見えた。俺には、それがとても悲 しく感じられた。
二回の表、遂にその男が打席に立つ。
伊東 光。
ついさっきまでマウンドに立っていた男が、今度はバットを手に、俺達の前に立 ち塞がろうとしている。この男の真価は、マウンドよりもバッターボックスで発 揮されるのだ。
「二回の表、横浜学院の攻撃は…四番、ピッチャー伊東君。背番号3、西太井中 学」
奴の名がコールされると、暑さにだれていた球場内の空気が一気に沸き立った。 県予選ここまでの6試合で打率6割、ホームラン7本を記録している、神奈川県 のみならず、全国にその名を轟かせている天才。
伊東は、バットのグリップを確かめながら、のっしのっしとバッターボックスに 近づき…三塁側スタンドで誰かを探すような素振りを見せた。 俺もつられるように視線をやると、そこには一人の女のコが手を振っている。
あれが有名な「美葉ちゃん」だ。美葉ちゃんは伊東の実の妹である。幼少の頃か ら、兄と苦労を共にしてきただけあって、非常に兄妹仲がいいらしい……一部の ゴシップ誌で不穏な噂が立つほどに。
伊東は足元を慣らすと、バットを構えて俺に正対した。俺を睨みつける眼光は鋭 く、並以下の心臓のピッチャーでは、足がすくんでしまう程だ。しかし俺は、そ れに対し小馬鹿にしたような視線で応える。すると、伊東の瞳の中に激しい憎悪 の炎が立ち上った気がした。
(…なんでこいつは、いつもこうなんだろう…)
実は、俺と伊東との間には浅からぬ因縁がある…と伊東自ら、そう公の場でマス コミに吹きこんでいるらしく、御陰で俺も新聞紙面を賑わすようになった。「加 藤」ってのはどこのどいつだ!!って、俺のほうがややヒール(悪役)的なニュ アンスでね。
俺と伊東との初対決は、今から二年前に遡る。
舞台は、中体連の県大会決勝戦。俺はそこで、既に神童として中学球界に名を知 らしめていた伊東から、4打席4三振に切って取った。
それまで、あらゆるピッチャーを打ち崩して勝ち進んできた伊東にとって、それ は想像を絶する屈辱だった様だ。資金難でシニアへの道が絶たれていたから、各 有名高校のスカウトが目を光らせる試合で、大恥をかかせてやった事になる。
もっとも俺には、伊東を打ち取ることはそう難しい話じゃなかった。何故なら、 奴が勝手に頭に血を登らせていたからだ。為に、心理面での揺さぶりが面白い様 に功を奏した。きっと、伊東からしてみれば、その揺さぶりの数々はおちゃらけ にしか映らなかっただろうから。例えば、超スローボール……れも思いっきりク ソボールを投げたりとか、必要のない牽制球を放ったりとか……そして、それらの 行為で怒りに火を付けられ、力みすぎ、スゥイングが鈍くなっ……結果、三振の 山という流れだ。
もっとも、試合は俺達陣明中の負けだったが。
あれほど騒がしかった球場全体が静まり返ったのは、俺がモーションを起こした のと同時だった。
カベのサインは……内角低めのストレート。ボールゾーンからホップしてストライ クになる球だ。それにしても、ホップすることを見越してるなんて……我ながらす げぇ。
スナップを利かせ、ボールを掌で転がす様にリリースする!!
手応えは十分!!ボールは思い通りにコントロールされ、伊東の膝元を襲う!!
「!!」
伊東が左足を踏み込んだ。銀色のバットが、ゆらり……と、陽炎の様に始動する! !
刹那!!
伊東のバットは空を切り裂いた。
ビリッ!!
という、鋭い笛の音にも似た響きと共に。
だが言うまでもなく、ボールはカベのミットの中にあった。
「ストラーイク!!」
主審の声が響く。伊東は、フォロースルーのまま固まっていた。しかし、顔はあ くまで無表情を装っている。それを見て、俺は内心ほくそ笑んだ。さて、どこま でそのポーカーフェイスが続くのか。
第二球のサインは…
外角低目への、ストライクからボールになる、速いスライダー。
とりあえず1球、手を出してくれれば儲けものというボール球で様子を見る、か 。
モーションを起こし、ストレートの握りをややボールの右側にずらした、 ナチュラル気味の高速スライダーを投じる。
(!!)
嫌な手応えが頭に跳ね返った。
コントロールミスだ。
案の定、ボールは真ン中から外角へ、ストライクゾーンからストライクゾーンへ と流れて行く。その過程が、やけにゆっくりと見えた。
伊東がそんな甘いボールを見逃す筈もない。
また、ゆらり、とバットが閃き、
ぐしゃっ!!
何かを叩き潰すような怪音と共に、俺の視線の左隅を、一条の白線が掠めた。
伊東は微動だにしない。俺も同じ。沸いたのはスタンドのみだった。
打球は、ライトのポール際の更に右側へと消えて行く。
俺も伊東も、ファールになるのを承知で一歩も動かなかった。
ふう。
取り敢えず、打ち損じてくれた様だ。スライダーだった分だけ、タイミングを外し たらしい。
伊東は悔しそうな素振り一つ見せずに、足元を慣らしている。
それにしても……
ビリッ!!という風切り音や、ぐしゃっ!!というインパクト音の凄さといったら ……何かの本で読んだ記憶があるのだが、そんな音を出すのは、力自慢の外国人バッ ターと相場は決まっているようだ。普通の日本人は、ブンにカーンだからな……つまりは、伊東のパワーはメジャー級って事か。確かに体格は日本人としては恵まれた 方だろうが……特別、筋骨隆々という訳でもない。恐らく、柔軟な身体の捻りで、日本人離れしたパワーを稼ぎ出しているのだろう。
気休め程度にロージンを弄り、三度サインを伺う。……外角の、完全にボール球の チェンジアップ。
カベの意図を察した俺は、サイン通りに「OK」のジェスチュアの握りで放った。 いわゆるサークルチェンジって奴だ。
伊東は、ステップした左足を踏み出した後全く動かなかった。
無論判定はボール。
さて、1球外したところで勝負だ。
勝負球のサインはと言うと………
了解だ、カベ。
どうやら、カベは今日のベストショットを直球と踏んだらしい。
プレートの左端を踏み、振りかぶる。
ぐっと歯を食いしばり、力を抜きつつも全力で腕を振った!!
ごおっ!!
と右耳の側で、湿った大気を切り裂く音が鳴った!!
前後して伊東も、バットをゆらりと閃かせる!!
スタンドが沸いた。
伊東は、「そんな馬鹿な」と言わんばかりの顔で硬直していた。ポーカーフェイス を守り通すのが難しい位の衝撃だったらしい。
投球は、カベのミットの中に収まっている。
スゥイングアウトの三振だ。
プレートの左端からバッターの内角に向けて投げる、いわゆるクロスファイアーだ 。バッターには、顔に向かってボールが向かってくるように見えるらしく、どうし ても腰が引けてしまう。その点、伊東は腰を引かなかっただけでも大したモンだ。 流石、高校球界最強打者と呼ばれているだけのことはある。
その後、精神的主柱を打ち取られ、士気がガタ落ちになった打線を封じるのは楽な 仕事で、続く五番六番を内野フライに仕留めた。伊東と比べりゃ、後はおまけみた いなもんだ。