第10-02話
「それじゃ……ええと、どうするかな」
カベは、目の前に立っている5人の新入部員を扱いあぐねてか、所在なさげに頭を掻いた。
いざ後輩達を目にした2・3年生も、互いに顔を見合わせて……やはり意見は出ない。無理も無いか、今までは自分の練習に手一杯で、とても下級生が入ってきたときの事なんか考える余裕なんて無かったんだろうからな。
入学式から半月が経った。仮入部を経て、本入部を果たした一年生5人。……たったの5人だ。俺があれだけ苦心してPR……といっても、苦々しい顔をして椅子に座っているだけだったけど……をして、たった5人しか入部してこなかった。30枚のプリントの内の6分の1……昨今の若者の野球離れが著しいとは聞いていたが、まさかこれ程まで入部という形の反応が薄いとはね。
その愛すべき後輩達も、突然舞台に上げられた素人のように、まごまごして……見ていて痛々しいというか何と言うか……
「取り合えず、今日は金曜日だし……」
カベはグラウンドを見回して……
「他の部活も出払っているみたいだから、実戦形式のシート打撃でもやってみようか。それなら実力も分かりやすいだろ。実力が分かれば、その後の練習のメニューも組みやすいだろうし」
カベが喋っている間、新入部員達の視線が俺に注がれているのを感じた。そして、いざ視線が合うと、すぐに同じ局同士磁石のように、つるっと視線を外す。……なるほど、殆どの奴らは俺目当て、か。俺も随分と偉くなったもんだな。
全員でいそいそとネットを動かし、マシンを引っ張ってきてシート打撃用の配置にする。なにしろ、人数が計14人しかいないからな……ランナー役も一年生だ。
「緊張しなくていいからな。緩い球を投げさせるから、安心して思いっきり打ち返せ」
新入部員を扱いかねていた割には、優しい言葉をトップバッターにかけるカベ。アイツは普段は無愛想そうでも、目下の相手にはきちんと思いやりを見せる。為に人望が厚いんだろうな。
新入部員相手に俺が投げる訳にも行かず、かといって……3年生という、1年生を見守る立場上、いつものようにロードワークに出る訳にも行かず、ネット相手にフォーム固めをしながら見物しようとした。とは言えど、どれだけ自分の練習に集中できるか……殆ど自信が無いし、打球が飛んできて怪我するのもイヤだから、思い切ってケージの後ろで筋トレをやりながら成り行きを見守る事にする。
一番手に打席に入るのは、えーと……まだ名前を覚えられないな。俺は只でさえ記憶力に自信が無いというのに……練習用ユニフォームの胸に油性マジックで書かれている名前は……そうそう、「早川」。「早川由紀夫」だ、たしか。身長は170cm弱、中肉中背といったところ。どのくらい野球をやっていたかは知らないが、少なくとも、高校の1年をすっぽかし、あとは中学の3年間だけという俺よりは多いだろ。
取り合えず、各人マシン打撃を10球行う。その内容で各々の適正というか、とにかくそういったものを見極めようという魂胆だ。
さて早川は、堂々としたフォームで構える。以外にも気後れしたような姿はない。そしてマシンからの球を弾き返すべく、ボールの出てくる……いわば銃身を睨みつけるが……球は出てこない。
「何やってるんだお前は」
「へ?」
カベがマスクを外し、呆れたように言った。
「マシンが勝手に球を吐くわきゃないだろうが。お前が球を込めるんだよ」
「え、俺?」
「そうだ。他の新入生達には、ウチの野球部の流れ的なものを見ていてもらうんだからな。お前には休養をくれてやるから、さっさとマウンドへ行けぃ」
なんだ、そうならそうと最初から言ってくれれば良いのに。只でさえ俺は気の利かない人間だというのに……それにしても、後輩の前で無様な姿をさらけ出しちまった。
ボールを持った手を掲げて、準備が整った事を教えてやると、
「さこーーーいっ!!」
と、バッターボックスから威勢のいい声。その声の出し方が堂に入っている事から見ても、野球経験は長いようだ。
さて、第1球。出来るだけ良いコースへ投げてやりたいのは山々なんだけど……こればかりは、このおんぼろマシン頼みだからなぁ。
がしん、と頼りない音とともに、へにゃへにゃな動きのアームから繰り出された球は、俺の願い通りに真ん中高めに甘く入って……
がき。
鈍い音がして、打球はレフトライナー。そこそこ力はあるようだな。中学生用の球場サイズならフェンス際だ。
続けて、第2球も弾き返してセンター前へ。
第3球、4球と続けざまに鋭い打球を連発し、終わってみれば10球の内の殆どが芯で捕えた当たりだった。してみると、バットコントロールはかなり正確、という事になる。聞いた話では、新入部員全員硬式の経験は無いということだから……なかなかやるもんだ。俺なんて、初めて硬式用のバットを握った時なんか、重くてバットに振られそうだったぞ。
早川に替わり、バッターボックスに立って、律儀にもヘルメットを脱いで挨拶したのは……名前を見るに「坂本」。背丈は……俺とそう変わらない。要するに……160代前半だ、こんちくしょう。
この坂本も、ほぼ全ての球をミートして、ゴロで塁間を抜いていった。バットを短く持つタイプで、ひょっとしたら俊足……なのかも。
お次は、背丈は170後半、ちょっと優男風の「寺山」。コイツは体格からも想像できる通り、かなりのパワーヒッターだった。いささか確実性には掛けるらしく、半分くらいを凡打していたが……まともに芯を食った打球は、そう深くも守っていなかったレフトの頭上を越えた。一発長打のあるタイプだな。三振も多そうだけどな……
さて次。
「佐々木」。170センチメートル。あんまりバッティング良くない。以上。
ふああああ……あ。球込めをやっているのもかなり退屈だな。
「聖、真面目にやれ!ピッチャー返しが来たらどうするんだ!!」
カベが怒鳴る。
しかし俺は、アクビを噛み殺しながら右手を挙げただけで返事をした。だって、本当に退屈なんだもんよ……文句を言うなら、もっと俺の事も考えてくれよ……なんて言えるはずもない。
自分の頬を両手でばしばしはたいて目を覚ます。最後に打つのは……「藤間」。「藤間康孝」。何故こんなにはっきりと名前を覚えているかと言えば……身長、カベよりも高い!推定190センチ。体重、カベよりも重い!推定、100キロ。まあその人並み外れた巨体だけに、イヤでも目立ってしまう。オマケに、その巨体に似つかわしくないと言うかとってもマッチしているというか……開いているのかどうかが判別しづらい程に細い目。総じて、「大男総身に」なんとやらを地で行くような、どこかのほほんとした雰囲気を漂わせている。いわゆる、“気が優しくて力持ち”ってタイプだよな。
さて、お手並み拝見、と行きますか。
第1球。
コースはど真ん中。どうやら、今日のマシンは随分と機嫌がいいようだ。ともすれば、正確無比なマシンの筈がノーコンピッチャーに成り下がる場合があるからな。
藤間は、一瞬その絶好球を見逃すかに見えた……それくらいバットの出が遅かったんだが……瞬間。
構えていた筈のバットが
“ふっ”
と消えて、
がぎゃっっっ!
という、事情の知らない人間が聞いたら交通事故かと間違えかねない快……いや『怪』音が響いて……
「うひゃ……」
打球は、カベの打撃練習で凄いバッティングを見慣れている俺でも、思わず間抜けな声を上げるくらいの勢いで……防球ネットの遥か上を跨ぎ、学校外への探索に出発した。
「すげええ」
「おお……」
守備位置に就いている皆が、驚きとも羨みともつかぬ声を上げ、その打球に見入る。飛距離、ざっと、140メートル。こりゃ、何だ、モノが違うと申しますか。
「聖、何やってる。早く次を込めろ」
「ああそうだ、よし、早く準備しろ、藤間……って、俺だけか、準備が出来てないのは」
藤間はとっくに構えて、俺の次の球を待っている。奴に取って、これ位の当たりは日常茶飯事の事なんだろう。そう考えると……とんでもないバッターだぞ、こりゃあいよいよ。
第2球。
マシンも、藤間のあまりにも凄まじい打撃に恐れをなしたか、それとも本来の姿を思い出したか、吐き出されたボールは外角高目へ。巨体の藤間の首の高さのボールだから、こりゃ見逃すかな……と思った、そのうちに。
ばきっ!
藤間は、一般的には長打を狙うには難しいと思われるコースをもろともせずに右に持っていった。普通の体格の人間なら、あんな高めのコース大根切りに近い形のスウィングになってしまうところが、藤間はあの体格だからな……無理なく捌いていやがる。
で、打球はというと……
びしゅうううぅぅ……という風切り音を上げながら、何と100メートル以上向こう、狭い公立高校のグラウンドをはみ出した場所、アスファルトの上にごつんと落下した。ロードワークに出る為、近くでストレッチしていたサッカー部の連中が何事かと驚いている。
ああもう、凄すぎる。これで2・3年生レギュラーの一角は確実に崩れるな……藤間の専攻しているポジションがどこだか知らないが。
藤間はそのままびっくりバッティング発表会を続け……割り当ての10球の全てが外野まで飛んでいった。その内3本が防球ネットの上空から、五塚の岡の下へとロストボールだ。岡の下は、付近の農家が管理している林のようになっているから……探しに行くのはほぼ不可能だぞ。
ネットを片付け、今度は守備のフォーメーション練習で1年生のお手並みを拝見する事に。しかし、片付けている間にも、2・3年生の視線は藤間に釘付けだ。あまりのバッティングに度肝を抜かれたのは俺だけではないらしい。ま、当然か。場合によっちゃ、プロの選手でも羨むかもしれない長打力だ……って、そもそも藤間は何者なんだ。あれほどのバッターが、こんな平凡な公立校へ……いや、奴にも色々と事情があるんだろう。そんな事を言うんだったら、俺はどうだって言うんだ。自分の事を差し置いて、他人をどうこう言うなんてまったく人間として恥ずかしい。
さて、そんな打撃を目の当たりにしたカベはというと……相変わらず黙々とレガースを付け、守備位置に就いた。俺も遅れることなくマウンドの上へ。普段はロードワークへ出かけてしまうのだから、全体練習に参加するのはこういう時ぐらいだ。ここが俺の野球選手としての最大のアキレス腱でもある。とにかく投手を出さないように捻じ伏せるだけという、とんでもなくタイトロープなスタイルなんだからな……。
さて、注目の藤間は……ホームベースから動かない。そう、藤間もキャッチャーなんだよな……今のところ、もちろんカベが正捕手なのだから、藤間は控えに回る……訳がない。あれだけの打撃は、カベ以外のどの選手よりももちろん上なんだから、控えで遊ばせておくなんてもったいない真似ができるか。打撃練習でのあのバッティングを見せられたら、誰だってポジションを奪われる事に不満を抱く奴なんていないだろう。問題なのは……藤間をどのポジションに入れて、誰を控えに回すかという難事業なんだが……それは、殆どクビを宣告されるに等しい。何しろ、去年の夏に新チームになってから、部員9人で練習してきたんだから、彼らには「ポジションを奪われる」という恐怖をしばらく忘れている筈なんだ。
さて……それぞれの守備位置を見ると、
早川由紀夫:三塁
坂本 :二塁
寺山 :一塁
佐々木 :右翼
藤間 :捕手
こうしてみると……内野がだいぶダブつくな。この内、佐々木以外の4人の内の誰かに外野の練習をさせるのがいいと思うのだが……候補は、俊足そうな……小柄な体格から推察しただけの、あくまで“そうな”だが……坂本かな。そこの所、カベはどう考えているだろうか。
ここでもカベが率先してノッカーを買って出る。というより、他に余裕のある部員が居ないんだよな……顧問は、相変わらずグラウンドに全く顔を見せないし。
ウチの部では、練習の効率化を図るため、内野のノックなら外野はロードワークかトスバッティング、外野のノックならその逆、とグラウンド内に人が残っている事が少ないのだが、一年生正式入部の今日だけは特別だ。これは、皆が皆の力量などを客観的に判断し、後のミーティングで、これからのチーム作りに対し忌憚のない意見を出し合う事になってるからだ。
さて、長いノックバットを器用に振り回し、俺を含む内野8人に数球ずつノックを浴びせた所でカベが一息ついた。何事かと思っていると……
「坂本、お前は二塁に未練があるか?」
急に、そう切り出した。突然訊かれた坂本は当然困惑している。坂本だけじゃなく、俺を含む部員全員が、だ。
「チームの事情もあるし、その動きじゃぁこれからはツラい。お前がその気なら、外野の練習を勧めるが……どうする?」
三年生にいきなりそう言われれば、「いいえ」とは返事しづらいだろうが……
「二塁をこのままやらせてください」
坂本は、よほど二塁というポジションに執着があるのか、きっぱりとそう言い切った。俺と同じ程度の体格からは考えられぬ、割と物怖じせずに発言する性格のようだ。しかし、同じ二塁の守備位置には二年の新堀竜志が座っている。正直に言って、新堀は結構上手い方だと思うから、自分の出場機会を増やせるという点を考えれば、外野の練習をしても良さそうだが……
「……分かった」
カベはそれ以上何も言う事なく、再びノックバットを握る。しかし……俺とカベの考えが一致していた事は、少しだけ嬉しかった。なんだか、カベと同じ野球観を共有しているみたいで……。
今度は、外野へのノックが始まった。ノックを打つ前に、カベが走者・アウトカウント・得点などの状況を予め伝えておく。その上で外野へフライを打ち上げ、バックホームするか中継がカットするかを判断する練習だ。
カベの代わりにバックホームを受けている藤間だが、どうやら……打撃だけの選手でもないらしい。少しばかり『宛て』の外れた送球は言うに及ばず、ワンバウンドの送球もきっちりとキャッチしていた。守備もかなり鍛え上げられているらしい。そうなると……カベの代役はもちろんだが、投げる側からしてみれば、多少打点を稼ぎ出してくれるが拙守の選手よりは、たとえ打つ方がダメでも常にバックで守っていてもらいたい類の選手ではある。
それにしても……皆、随分と守備が上達しているな……こうして見ていても、去年の夏に危なっかしくフライを追いかけていた姿はどこにもない。よく見れば、二、三年生は身体が一回り大きくなっているな。目の錯覚などではない。各々が自宅でどんな地道な精進を続けているかが如実に現れている。筋肉は嘘をつかないという名言もあることだし……ないか。
とにかく、このままチーム作りが上手く行けば……そこそこまでは行けるようにはなるかも知れない……それでも、チームの躍進のカギは俺の右腕に大きな比重が掛かっている事は間違いないだろう……慢心でも自意識過剰でも何でもなく。
と言ったところで、夏の大会まであと三ヶ月もない。この短期間の中で、新入部員の戦力化にどれだけ期待が持てるかといえば……そうは余裕は無いな。藤間を除けば。
一通り、ポジション別にノックが終わった後で、個別練習に入る。投手である俺の相手はもちろんカベだが……
「藤間、オレの代わりに球を受けてみろ」
カベは、藤間にあっさりとブルペンのホームベースを明け渡した。もっと、「まずはオレを参考にして技術を盗め」的な振る舞いをすると思っていたから……拍子抜けすると同時に、少々寂しい感じもした。
藤間は、道具を持ってきたはいいけれど、いきなり投球練習に参加しろと言われるとは思ってもみなかったらしく、駆け足で観客席兼石段に戻り、マイレガースをいそいそと装着して戻ってきた。そして、ばしんとキャッチャーミットを叩いて準備万端整った事を俺に知らせた。
こうして、いざ見ると……カベより更なる巨体を有しているだけあって、安定感というか、とにかく投球の的にするにはもってこいだな。審判にとっては、判定の邪魔になる事甚だしいかも知れんが。
さて、あまり藤間を待たせていても悪いから、取り合えず奴を立たせたままキャッチボールを始める。
それにしても驚くのは、藤間の返球の正確さだ。俺など、野球の基本というものが根本的に出来ていないから、キャッチボール程度の緩い球を投げると、どうしてもコントロールが狂う事があるが……藤間の送球は、全て俺の取り易い位置に収まっている。藤間自身と俺の身長差をきちんと考えていてくれるあたり、“キャッチボールは心の会話”を標榜している俺としては……今まで一度も口にした事ないし、一度も思った事ないが……、その点藤間は、俺と距離を置かずにきちんと向き合っていこうと思っているらしい。ま、野球の根源たるピッチャーとキャッチャーのコミュニケーション不足なんて、想像するだけで恐ろしい。
肩が温まったところで、藤間に座るよう命じる。その実力がどれほどのものか、じっくり見せてもらおうじゃないか。
それでも……俺の球があまりにも速いという事がないように、最初の一球は八分の力で投げる。コースは、俺の意図した外角低めからはやや外れていたが、藤間はそれを器用に受け止めた。しかも、そう速くないボールなのに、いい音を響かせて。どうやら……投手を気持ちよく投げさせるコツも熟知しているらしい。コイツはいよいよとんでもない大器かもな。
その後、数球八分の力で変化球を交えて放ってみたが、切れ味鋭いと自画自賛できる程の球でも難なくキャッチする。
「藤間、本気で投げていいか?」
「え、あ、はい、どうぞ!」
俺が今まで能力を図りながら投げているのを感じ取っていたからだろうか、全力宣言に藤間の顔がぱあぁっと明るく晴れた。それはつまり、自分の力を認められたのと同義だから、そこが嬉しいのか。
では……いつもと同じように振りかぶり、マサカリのモーションを起こす。このモーションを起こすと、ぶわっと身体中にアドレナリンが満ち溢れ……るような気がするだけだ……、自身のイメージする最高のフォームで投げる事だけに意識が集中する。
そして……
ごぉっ
と、風切り音が耳元で音が聞こえるぐらいの腕の振りで投げた。指の引っかかりは上々、体重の乗りも良し。ボールが指先から離れてから、キャッチャーミットに収まるまでの僅かな間に、それだけの自己分析が出来るまでになっていた。いや、正確に言えば自己分析ぐらいはそれまでも出来ていたが、今はその精度が格段に増している。リリースした瞬間に「ヤバイ」と思えばど真ん中高めに、手ごたえがあれば、自分の思い描いていたコースに寸分違わず着弾する。以前は、たまにその直感が実際のボールの軌道に伴わない事があった。これも、カベとの何万球という特訓の成果なんだろうな。
しかし。
ずっどーーーん!
派手な音と共に、藤間は渾身の速球を難なくキャッチしていた。弾く事は勿論、少しも驚くような仕草も見せずに。いかに中学でならしていたといっても、150キロに近い、或いはそれ以上……出ているボールをいとも簡単に。
横から見ているカベは、腕組みをしたまま何も言わない。藤間の技量に驚いているのか、それとも当然と思っているのか……いつものやや不機嫌そうな表情からは何も読み取れない。
ならば、と全力でのフォークを試す。これは一流の高校生どころか、そんじょそこらのプロ級でもまともに捕球できないと自負してるボールだが……
藤間はこれも器用に受け止めた。鋭く落ちる軌道にも焦らず、上からミットを被せる事もせずに。
その後……いくら本気になってボールを放っても、藤間はそれが当然、まるでさっきのキャッチボールと同じようにごく優しいミット使いで掴む。まるで、ミットにボールが吸い込まれているかのようだ。
気が付いてみれば、辺りは夕焼け小焼け。今日の部活動は終了でまた明日、の時間になってしまっていた。どうやら……俺は見事に藤間に乗せられていたという事になる。途中から藤間の技量を測るなんて事は頭から抜け落ちていて、カベを相手にしているのと全く同じペース・球種を投げていた。カベはというと……ずっと横で見つめていただけだ。いいとも悪いとも言わず、ただ見学しているだけ。一体……何か感じ入る事でもあったのか。俺には……到底理解できない領域の話だろうが。
「カベ、ずっと練習を見ていただけど、どうしたんだ?」
「別に……よくやるなと思ってな」
久しぶりの、お好み焼屋「蒼空亭」での2人きりのミーティング。周囲には、楽しげな喧騒とソースの焦げる香ばしい匂いがたちこめている。
カベは、焼けたばかりのお馴染みのブタ玉を几帳面にヘラで八等分している。実に見事な等間隔っぷりだ。
「思わず乗せられちまったよ。でもまだまだカベには」
「じゃあ、今度の練習試合は……藤間とバッテリーを組んでみるか?」
「な、なんだよ……だから、まだまだカベには及ばないって」
「だからこそだよ」
「……」
カベは……いや、俺たち2人は、ウーロン茶を一気飲みしてから
「オレにもしもの事があったら、誰が代わりを務めるんだ?今までは代わりがいなかったからいいが、今年からはきちんとバックアップ出来る奴がいるんだから、いざという時に備えてコンビネーションのチェックをしておくのは当然だろう」
「そりゃ……そうだけど」
そう言われては反論する理由がない。納得したフリをして俺もブタ玉を頬張りつつ、カベの顔を盗み見るが……いつもポーカーフェイスのカベだ。こればかりは本当に変わらない。
それにしても気になるのは……カベが去年からしきりに「自分がいなくなった時」を口にしている事だ。しかし引越しをするなんて話は勿論聞かないから、本当にただチームの事を考えて……なんだろう。そういえば、俺が将来「カベから離れる」時の為の練習、言うなれば「カベ離れ」……そのまんまだけど……を迎える俺に対しての通過儀礼みたいなもんだと納得したんだっけ。カベがそう考えてくれているなら、俺はその期待に答える以外にない。それは当然チームの為になるし、そして……俺の悦びにもなるのだから。
顔を上げると、カベが空になったグラスをテーブルに置き、難しそうな顔をして、何事か考えていた。
「ど、どうしたんだよ、カベ……」
「……」
「カベ?」
「……」
ひょっとして……何か閃いたとか?
「……てぇ」
「え?」
「やっぱり飲みてぇな、と言ったんだ」
冗談ではなく脱力した。こういうときのポーカーフェイスは全くありがたくないな……
結局……俺たちは一滴も飲まずに「蒼空亭」を後にした。互いが自身の健康を気遣っていると言う意味もあるが……今の俺たちには、“酔い”が似合わないような気がしたからでもある。それは言葉では説明できない……俺たち2人だけにしか分からない極めてローカルな事象なのだ。
でも、今はいい。
般若湯の代わりに、今は……
「見ろよカベ、いい月だ」
春の夜空に浮かぶ、名月が俺を酔わせてくれているから。
「雲で隠れてるぞ」
カベの融通の利かなさ振りは、俺の酔いを一瞬で醒ましてしまう程強烈だけど。




