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FASTEST!!  作者: サトシアキラ
37/90

第09-02話


 そして。

 正月を迎えたと思ったらあっという間に月末の修学旅行に出発だ。その間、特筆すべきことが無かったのも確かだが、最近はとみに時間の流れが速く感じる。人はだれしも、年齢を重ねていくに従って、時間感覚が加速度的に速くなるものらしいが、17歳にしてこれだけ速く感じるという事は……もう少しだけ年を取ったら、1年などあっという間に過ぎ去ってしまうんだろう。そしてどんどん老いてゆくのだろう。それだけに、もっともっと妥協の無いように一日を過ごさなければならないな。


 さて、修学旅行の行き先は、秋田県。田沢湖周辺のホテルに泊まってのスキー学習だ。……といっても、神奈川にずっと住んでいる人間には、雪は珍しくて楽しいものなのだろうが、雪国の人間にとって、雪など厄介者以外の何者でもない。アラビア人が晴れを「いい天気」だと言わないのと同じ理屈だ。

 それだけに、スキーなど雪国の人間にとって必須科目であって、「スポーツ」では決してい。だからこうして、周りでおぼつかない足取りでカニ歩きをしている輩を見ると、なんだかなぁという印象しか受けない。

 しかし、俺に至っては……

「か、加藤君、危ない時はちゃんと支えていてくださいね」

「はいよ」

 これぞ屁っ放り腰、と言わんばかりのフォームでよろよろしながら、のろのろボーゲンで滑る黒木の面倒を見ている。

 俺の雪国育ちがどこから漏れたのか、スキー超初心者向け教室のインストラクター助手紛いの事をやらされていたのだ。

 日常では、日舞で鍛えられている為に、そのイメージよりもキビキビと動作をする黒木だが、雪の中では勝手が随分と違うらしく、見ていて危なっかしいことこの上ない。

 周囲も、俺と黒木の仲を疑っているフシがあるらしく、何かにつけて俺達をくっつけようとしているのには参った。表向き、スキー上級者が、超初心者の面倒を見るという名目がある為、無下に断ることも出来ない。引き受けずに大怪我されても寝覚めが悪いし。

 でも考えて欲しいのは、雪国育ちの俺とて、こうして雪を見る場所に帰ってくるのが5年ぶりなのだから、少しは滑りたい気持ちだってあるという事だ。……これでは、バイト代をもらっても割に合わないぞ。

 そもそも旅行の班分けからして、黒木に肩入れしている福浦などが暗躍しまくったことは想像に難くない。俺とさほど親しくない連中の班に混じったのだから、息苦しさも多少で済まないと言うのに……ま、勝手にでも誘ってくれなければ、どのクラスでも存在する余り者達の班に入れられてしまうことは目に見えていたから、まだ感謝しなければならない方なのかも知れないが。

 オマケに、

「どうだ、お守の調子は」

 カベが自分のクラスの班を外れてまで、俺の様子を見に来やがった。明らかに何かの見世物と勘違いしていやがる。

「どうもこうも……これだったら、上級者用コースを全力滑走する方がよっぽど疲れないぜ?」

「そうみたいだな」

 カベは、雪とは無縁の暮らしをしていたにも関わらず、スキーは上手だった。スキーの経験が何回あるかは分からないが、運動神経のなせる業か、ボーゲンをとうに卒業している。

「どうでした?加藤君……」

 間の悪いことに、ちょうどカベと話しているそこに、黒木が滑り終えてやってきた。丘の上から滑ってきて、何とか目的地で停止するまでには仕込んでおいた。というより、何を差し置いても、まず停止を覚えてもらわないことには危なすぎて仕方が無いしな。

「ほう……お前が講師役を務めているというのは聞いていたが、なるほどなるほど……」

「妙な勘繰りをするなよな。俺は、自分の腕を見込まれたから引き受けただけだからな」

「分かってるって、そんなにムキになるなよ」

「ムキになんかなって」

「それよりも、コイツのスキーのインストラクターぶりはどうだい?」

 カベは俺の反論をぶった切り、黒木に聞く。

「え、あ、あの……とっても、分かりやすかったです……スポーツがあまり得意じゃない私でも、一応は滑れるようになって来ましたから」

 いかに俺の投球に魅了されたとはいえ、その女房役であるカベまでには意識が行っていなかったからか、彼女は戸惑いながらも、そう答えてくれた。しかし嬉しい事を言ってくれる。

「まあ、これで人にモノを教える難しさが分かったってもんだろう?特に、生徒の出来が悪い場合の、な」

「おい、出来が悪いなんて黒木に失礼だろう?」

「ああ、済まない、そういう意味じゃないんだ。出来が悪い生徒を預かるのは、俺の場合だけだったな」

「なっ……」

「それじゃ、俺はこの辺で。あ、1つ断っておくけど」

 一端は立ち去る素振りを見せながら、再び黒木に向かう。

「聖をむやみやたらに褒めない方がいいぞ?すぐにツケ上がるからな」

「カベっ!!」

 俺が何かを言う前に、物凄いスピードで滑り去ってしまった。本当に速いな……一丁前にシュプールなんて描いてる。

 振り向くと……黒木がくすくす笑っていた。

「仲が良いんですね、お2人は」

「まあ……ね」

 主に、俺が生徒でカベが教授、という役をこなしていることが多いが……ハタから見れば、俺達は確かに仲良く見えるのだろう。今まで、カベとの仲で他人の目を意識したことはないけど。



 それからもしばらく、黒木の他に三人ほどの『超』が付くほどの面倒を見ながら、彼女らが……そうそう、役得というか、面倒臭いインストラクター役のせめてもの償いとして、黒木の他の三人も女子だ……何とか一人で滑れるようになるまで仕立て上げたころ、ようやく俺にも、自由に遊んで良しという先生のお許しが出た。

 喜び勇んで上級者用コースに向かうと……

「あの、加藤君……」

 よろよろと危なっかしい足つきで、黒木が近寄ってきた。

「どうした?」

「あの……もし迷惑じゃなかったら、もう少し教えて欲しいんですけど……」

 そうだろうと思ったが……なにも、スキー教室は今日だけではない。実を言えば、教える立場に徹している俺でも、久し振りに雪を見て、心が躍っているのを無理矢理押さえつけているんだ。

「悪いけど……少しだけ一人で滑って来たいんだ。その後で時間があったら、また付き合うから……ごめん」

 言うと、黒木は

「ご、ごめんなさい、私、自分の事ばかり……」

 自分にばかり非があると思ったのか、ぺこりと頭を下げた。本当なら、黒木はまだ危なっかしいから、付きっきりで見てやりたいのは山々だが……

「いや、いいんだ。それに、初日にあんまり頑張りすぎると、明日筋肉痛になるぞ」

 と、あくまで黒木を気遣う口実で、やんわりと断る。

「はい……分かりました。初心者教室の皆で、もう少し滑ってきます」

「ああ……じゃあ気を付けて」

「はい」

 何となく後ろめたい気持ちで、黒木の後姿を見送る……見送る……見送る……なにせ、彼女の滑りがあまりにも遅いもんだから、最後まで見送っていたらキリが無い。キリのいい所で背を向け、そそくさとリフトの方向に歩き始めた。



 流石に上級者用コースからの見晴らしは素晴らしい。今日は天気も良くて、遥か山の向こうまで見渡せるような気がする。

 南南西を向き、しばらくそっちを眺めた。あの山の向こうに、俺の「育ち故郷」がある。ここは秋田県だから、隣県と一口に言ってみても結構な距離があるが……神奈川からよりはずっと近い。神奈川に移り住んでかなり経つとはいえ、年末におばさんに掛けた電話の時から、いずれは自らの過ちを過去のものにすべく、足を運ばねばならない気持ちが強くなっていた。神奈川に住んでいる位の時間では、罪の意識の解消には全く力不足らしい。取りあえず、寒いのは苦手だから……夏休み頃にでも照準を合わせておこうか。

 そんな感慨にひとしきり浸った後、ふと隣を見ると、俺の顔をみてニヤニヤしている男がいる。見れば、俺と同じレンタルウェアに身を包んでいた。このスキー場では、他にこのレンタルウェアを着ている人間はいなかったから、どうやら俺と同じ五塚の生徒らしい。らしいというのも、自前らしい、スモークの掛かったゴーグルを着けていて、人相が判別出来ないからだ。もっとも、人相が割れていても顔を覚えている同学年の生徒の数などタカが知れているが。

 気にせずに発進すると、そいつも俺に追随してくる。俺が減速すると、同じように減速……こいつ、ひょっとして競争しようってのか?

 本来なら、自分の身体がこれからどんなに大切な財産になるか分からないのだから、自重すべきなのだろうが……自慢じゃないが、生憎と自制心には自信が無い。

 それでも、様子を伺いながら前方の混雑具合を確認できたのは、少しでも冷静な部分が残っていた証拠か。

 やがて、男はスピードを増し、前に出た。そして左右に華麗なシュプールを描き、凸凹を巧みに交わしながら、俺との距離を広げてゆく。


(……やるか)


 久し振りに血が騒いだ。春が来れば野原で、夏が来れば川で、秋には山で冬には雪の中で駆けずり回ったあの時の記憶が、俺のガキの部分に火をつけた。そう、あの頃は何でも一番が良かった。そしてその我武者羅は、小さな子供だけに与えられる特権だったのかもしれない。でも、今は俺は単なるガキへと変貌している。見てろ、都会っ子のお遊びとは訳が違うという事を証明してやる。


 あの頃は、遊びでさえ『斗い(たたかい)』だったんだ。


 ストックを一突きした後、それを脇に抱え、前傾姿勢を取る。よく直滑降の選手がやるようなアレだ。見る間に男との距離が縮まっていく。耳元で、恐ろしいほどの風の唸りが聞こえる。しかし、精神を集中している所為か、寒さは全く感じなかった。

 やがて、遠くに大きめの段差が飛び込んで来た。遠くといっても、この猛スピードではほんの一瞬でたどり着いてしまう距離だ。もしも乗り上げてしまったら、確実に空中散歩を味わえる程の高さがある。

 瞬時に、乗り上げまいと身体を起こし、エアブレーキを効かせると同時に右へ回避。右へ回避した先にも大き目の段差があったので、今度はその左を回避。そして周囲の確認も忘れない。野山で危険な野良スキーに興じていた場所と比べれば、遮蔽物の無いスキー場など、安全すぎてアクビが出るほどだ。こんな事を本職のインストラクターに漏らしたりでもすれば、「雪山を甘く見ている」とこっぴどく叱られるのは目に見えているけど。

 一瞬だけ男が振り向く。しかし、その一瞬だけでも、余裕の仮面が剥がれ落ち、驚愕のものへと変貌していく様が見て取れた。

 上級者コースを半ばまで滑り降りたところで、ちらほらと初・中級コースからの人間も混じり始める。こうした場所でこそ、真のスキーヤーの腕前が試されるんだが、さて男の方は……案の定、目の前だけを見ていて、他の人間を避けるだけで精一杯だ。無論、スピードは更にダウン。

 俺はというと、予め視線を先の方にまで持って行き、他の人間の動きの事前予測をした上で、もっとも効率的なルートを取っているから、ロスが少ない。

 コースもあと僅かといったところで、男をパス。そのまま限界ギリギリ、スキー場の端まで直滑降をしてから、派手に雪を巻き上げて停止した。やや遅れて、男も最後だけは威勢良く停止。はは、怪我をしたり怪我人を出したりせずに戻ってこれただけでも上出来だ。

 男はぜいぜいと荒い息をつきながら、ゴーグルを外す……中から出てきた顔は、何と!!……やっぱり、知らない顔だった。男は、しきりに悔しがった後、俺とは視線を合わせようともしないで、顔を臥しがちにしながら休憩所の方へ去って行ってしまった。

 周りを良く見ると、他の生徒達が感嘆の声を上げている。何なんだ、一体。首を捻りながら板を外し、もう一度リフトへ向かおうとするところで、カベがやって来た。

「よう、名スキーヤーさん」

「見てたのか」

「見てたも何も、あれだけ派手にやらかしてくれれば、嫌でも目立っちまうとは思わなかったのか?」

「仕方がないだろ、ガキの頃の血が騒いじまったんだから」

 久々に本気滑りをして、気分爽快になったと同時に、ちょっとやりすぎちまったかな、という反省はある。公共の場であるスキー場で、競争をやっちまった事による自戒の念も今更ながら湧き出してきた。

「でもな」

 カベは、解散しかけたギャラリーの方を向いて、

「皆はスカッとした事だろうよ」

「何で?」

「何でって……お前、勝負してた相手が誰だか知らなかったのか?」

「同じ学校の生徒という事だけは分かったが」

 カベにしては、珍しくオーバーアクションで肩をすくめて見せる。ひょっとして、冷静沈着の塊とも思えるカベも、興奮してるんだろうか?

「相手はな、須藤っていう1組の奴で、オリンピックの選手でもないのに、自分のスキー技術を鼻に掛けてる鼻つまみ者だったんだよ。アイツも、これで少しは大人しくなるんじゃないかな」

 へえ……そんなお目出度い奴がいるとは思いもしなかったが、結果的にうるさい奴を黙らせる事になったのは、まあいいことだ。でも、野球以外で目立っちまったのは、少々計算外だったかな。

「ま、お前の事だ、そんな方法で注目を集めたって嬉しくない事は、俺にだって分かってるがな」

 さすが真壁センセイ、良く分かっていらっしゃる。

「ところで、聖はまた滑りに行くのか?」

「そのつもりだけど」

「……ま、折角の自由時間だ、存分に滑って来い。……あ、ついでに言っておくと、」

 一端は身を翻しかけたカベが、ぴたっと立ち止まって……

「??」

「黒木が初級者用コースでつまらなそうにしてたぜ。じゃっ」

 詳細を聞くまでもなく、風のように滑り去っていった。あんなスピードを出せるなんて……本当に初心者なのか、あいつは。

 それにしても……気になる事を言ってたな。黒木が一人で初心者コースに……ねぇ。よたよたと、危なっかしい滑りが目に浮かぶな。……やっぱり、初心者コースに戻るか。そう、アレだ、決して黒木の様子を見に行くんじゃなくて、初心者連中が危ない滑りをしていないかどうかを見に行くんだからな。

 言い訳を作らなければ動けない俺は、つくづくダメな奴だな……ちょっぴり自己嫌悪に陥りながら初心者用コースに向かうと、スピードを上げる事すら困難に見える位なだらかな斜面で、案の定黒木を含む数人が悪戦苦闘していた。ここに残っているのは、初心者の中でも特に上達の遅い連中だ。ちょっとでもセンスのある奴は、とっくに中級コースをそれなりのスピードで降りていっている。

 俺が近づくと、黒木はすぐに認めたようで、一瞬で表情が明るくなった。

「どうだい、みんなの調子は」

 本来ならば、俺が積極的に言葉を掛ける事など無いのだが、今は自分が教官役だという意識が強く効いているらしい。つまり、上からモノを見てるから精神的に余裕があるって事だな。

「加藤君っ!!」

「おお、直滑降キングのお出ましだ」

「聞いたぜ、須藤をコテンパンにノしたんだってな!」

 こっちにまで話は届いているらしい。確かに、悪い気分じゃないな。それにしても、須藤って奴は相当に悪名が高かったんだな。そんな事よりもやりやすかったのは、それまではどことなく俺の話を聞いていないように感じられた生徒たちが、俄然真剣な態度で俺のレクチャーを聞いてくれるようになった事だ。プロ野球の世界でも、現役時代に実績のあるコーチの言う事しか聞かないという選手もいるみたいだし……ま、「やってみせ、言ってきかせて、させてみせ、誉めてやらねば人は動かじ」という明言もあることだし、良しとするか……あ、良く考えたら誉めてない。誉められなれていない俺は、人を誉める事も苦手のようだ……



 それから更に初心者どもの手を焼いて、一日目の自由時間が終わる頃になって、ようやく全員が何とかボーゲンによる方向転換をスムーズにこなせるようになった。教えられる側にとっては、真に地味な練習だったかもしれないが、スキーは一歩間違えれば大惨事になりかねないスポーツだ。……さっき、大暴走をしてしまった俺が言っても説得力のない台詞かもしれないが……。

「という訳で、今日はここまで。ここまでやれれば、あとは基本を守るだけで残りの日数は自由に楽しめると思う。皆、よく頑張ってくれた!では、解散!」

 非常にエラそうな口ぶりで宣言した。しかし、生徒達のノリは良く、拍手で締めてもらってしまった。

 他人に何かを教えるなんて柄じゃないと思っていたけど、想像以上にインストラクター役は楽しかった。生徒達も、基本が大事という俺の意図をきちんと酌んでくれたからか、ムダ口ひとつ叩かずに集中してくれたお陰で、教え甲斐もあった。

「あの……加藤くん」

 こんな俺にも、人に伝えられる何かがあった事に驚きつつ、板を外そうとしている所で、黒木に呼び止められた。

「どうした?」

「あの……もし良かったら、明日も……一緒に滑ってくれませんか?まだ一人では不安なもので……」

 うーむ、明日は気ままに上級者コースを堪能したいと思ったからこそ、こうして身を入れてインストラクター紛いの事までやってのけたんだが……でも、あの大暴走の一件で、俺なりに満足しかけている事もまた事実。何故なら、俺が幼少期を過ごした山形は、雪は喜ぶものではなく恐れ、嫌うもの。要するに、イヤになるほど接してきていたからだ。

「分かった、その代わり、今日よりも難しめのコースに行くから、そのつもりでな」

「はいっ」

 嬉しそうに頷いた。

 ほんっとに……分かりやすいよな、この子は。裏表のない子という意味では、真理や美奈津とあまり変わらないから、特別に気を使う事もないし、接していて不快になる事も無い。

 それにしても……いちいち姉妹2人と比べている俺は、ひょっとしたらダメ人間なんじゃないだろうか?人によって性格が違うのは当たり前の事なのにな。



 翌日。昨日から黒木に頼まれていたように、付きっ切りで2人っきりのスキー教室をやっていた。本職のインストラクターは、とっくに初心者用講習を終えた奴らの方に掛かりっきりになっているから、結局教える人間は俺しかいない。要するに、インストラクターからはもはや見放された存在という訳だ。

 ……しかし俺の眼から見ても、俺の個人授業が必要とは思えないほど、黒木の滑りに危なっかしい所はない。念には念を入れて基本を学ぼうとしている姿勢は大いに結構だが、実践でしか学べない事も数多くあるし、スキーは自分の好きに雪の上を舞える事が楽しいのだし、何より俺の時間が……いや、この際それはいいか。


 いい加減に教えて怪我をされても困るから、昨日の基本的な練習を繰り返し繰り返し……でもやっぱり、自分の時間が取れない事にイラついているのが出てしまっているのか、

「あの……ひょっとして、退屈……ですか?」

「あ、いや」

 聞かれた瞬間に否定できれば良いものを、こういう時にだけ素直な人間は損をするものらしく、口ごもってしまった。

「すみません、加藤くんの都合も考えずにいい様に使っちゃって」

「べ、別に気にする事なんかない。自分が危なくないと思うまで俺が看ていてやるから」

 昨日の一滑りで満足仕掛けているとはいえ、やはり時間を拘束されるのは辛い。教える喜びに目覚めたのも束の間、つくづく俺は教える側の人間ではないという事を思い知らされ、図らずもカベの気苦労をも悟る。

「いえ……そろそろ自分だけで滑れるようにならないと、加藤くんに悪いですから」

「……ごめん」

 自分の態度で黒木に不快な思いをさせてしまったかも知れない、か。やっぱり、無表情を貫くのなら、態度も同時に律していないと、どうしたって相手に感づかれる様だ。

「それじゃ、これから初級コースを滑ってみますから、看ていて下さいね。きちんと滑れたら、もう一人で大丈夫ですから」

 俺がつまらなさそうにしていたからか、自分が上手くなった所を見せて、開放してくれる……ということらしい。優しい子だな……と言うより、俺がそれだけ「もう止めようぜ」と顔に出していたからだろう。

「それなら、俺が併走するか」

「そうしてくれると安心です」

 一先ず黒木のうしろにつき、初級コースを降りてゆくが……どうも危なっかしい。あれれ?さっきまでは危なげなく走っていたのに、どうしてまた急に……

「おい、黒木、スピードを落とせ、危ない!」

「だ、大丈夫です!看ててください!!」

 ムキになっているが、明らかに大丈夫じゃない。ボーゲンを使ってのブレーキすら出来ていないのは何故だ。これでは、単なる危険運転に過ぎない。

「ダメだ!止まれ!」

「もう止まれませんっ」

 意地を張って滑っているうちに、もはやシャレにならない速度域に入っている。そろそろ、身体を張って止めないといけない様な、危険なスピードだ。なにしろこの俺が、ついて行くのがやっとというのだから。初級コースと言えど、減速ナシではこれ程までのスピードが出るものなのか。

「黒木、転べっ!」

「出来ませんっ」

 スキーが本当に上手い奴は、転び方も上手いものだ。逆に言えば、下手な奴は転び方も下手くそ。下手に転べば大怪我、止まらなければやっぱり大怪我……どうしようもない。しかし、転べば骨折くらいで済むだろうが、止まらずに加速し、障害物に激突などものなら、命すら危うい結果になる。

「いいから転べっ」

「恐いですっ」

 ああもう……仕方が無い。俺はストックで激しく地面を突き、スピードを緩めない黒木を追い越すほど加速する。これから取る行動はあくまで最後の手段だが、こうなってしまっては選択の余地も残されていない。

 そして、黒木を正面に捉えられるほど距離を取ってから、彼女の正面に立つ!

「黒木、ストックを捨てろ!」

「はいっ」

 俺が正面に立ったことで、ようやく自分の置かれた状況に気が付いたのだろうか、黒木は素直に従い、ストックを投げ捨てた。女性の腕力では、ストックを地面に突き立てて減速に使えないのと、事故防止のためだ。

 後は……何とかして彼女を止めるのみ!

「きゃあああっ」

「うおおっ!」

 かなりのスピードで迫り来る人間の前に立ち塞がるのは、相当に恐い。思わず声を上げて自らを奮い立たせる。俺の少し後ろはもう崖だ。猶予は無い。

 (今だっ!)

 上手くタイミングを合わせ、真正面から受け止めようとはせずに、上手く衝撃を逃がすように自分の左側へと逸らすようにして地面へ引き倒す!左側なら、万一の時も右腕を庇えるかも知れない。そこまでの機転が利いたのも、一重に、これからの自分の商売道具が何であるかを瞬時に悟ったお陰だろう。

 小柄で細身の黒木とはいえ、衝撃は相当のもので、しばらくごろごろと雪面を転がって衝撃を緩和する……筈だったのだが、よくよく考えてみれば背後は崖だ。

 何とかギリギリのところで踏みとどまり、停止した。少し視線を逸らせば、崖の下が一望できる。崖の下は駐車場になっているから、落ちたらタダでは済まない……というか、万に一つも助かる見込みはない。本当に冗談では済まない距離だった。

「大丈夫か?黒木……」

 精神的なショックもあうだろうから、優しく声を掛けてやる。

「私は大丈夫です……加藤くんは?」

 そう言われて、恐る恐る身体を起こそうとしてみるが、特に痛い箇所はない。無傷らしい。

「よかった……加藤くんにもしもの事があったら、私……」

「いや、もういい……」

 ふと気が付くと、仰向けに倒れた俺の上に、黒木が馬乗りになっている姿勢だった。慌てて飛びのこうとする黒木だが……

「痛っ」

 足を押さえていた。

 取りあえず崖から離れ、適当な所に腰を下ろし、黒木の靴下を脱がせて状況を見る。大層遠慮した黒木だったが、崖から離れるほんの僅かな距離も歩けない位に痛めてしまっているようだったから、きちんと見ておかなければならない。

「あの……加藤くん……」

「静かにしてろ」

 見たところ、何の変化も無い。異様に甲が薄くて小さい、いかにも女の子の足だった。

「いえ、そうではなくて……痛いのは逆の足です」

「……ハイ」

 どちらの足を痛めたのか確認もせずに……俺ってバカだ。コレでは単なる足フェチだ。今度は慎重に右足の状態を確かめる……いや、確かめるまでもなく、足首の辺りが腫れているのがひと目で分かった。

「板を付けた転がったからな……捻ったか、或いはそれ以上か」

 ちらりと崖の方を見やると、板が一枚ずつバラバラの場所に吹き飛んでいる。板を付けたままそれだけ盛大に転んだのだから、骨折していないとも限らない。

「あうっ」

「あ、ごめん」

 少し触れただけで痛がるのだから、あまりいい状態ではないようだ。取りあえず、怪我をした方の足を裸足にしたまま、彼女に背を向けてしゃがんだ。

「え……?」

「乗れよ」

 "狙っている"様でかなり恥ずかしかったが、乗る黒木の方がもっと恥ずかしいだろう。でも、今はそんな事を言っている場合ではない。スキー場の隅っこの方だから、インストラクターの目も届いていないらしく、救援も来ない。

「でも……」

「下手に肩を貸したりする方が大変なんだよ。早く」

「……」

 後ろを向いている訳だから、勿論黒木の顔色など見える筈など無いのだが、それでも黒木の戸惑いの大きさは、背中に彼女の重みを感じるまでの時間でよく分かった。

「重く……ありませんか?」

 黒木をおぶさったまま立ち上がった瞬間、そう聞いてきた。こんな状況でも、やっぱり気になるもんなんだな。

「重くないといえばウソになるが、人間の体重として考えれば軽い……な」

 素直に軽いと言えば良いのに……自分の口下手が憎い……とはいっても、口が上手かったらどうだというんだ。



 その後、医務室まで黒木を運んで行って、治療を待つこと約30分……片足を引きずりながら出て来た黒木を再びおんぶし、彼女の班の部屋まで連れて行ってやる。

 女子達の部屋に入るのは何となく気が引けたが、良く考えれば、全員スキーに出ているんだった。

「先生への報告は俺がしておくからさ……しばらく休んでな」

「はい……済みません、迷惑をお掛けしてしまって」

「そんな事を言うなら、どうしてあの時スピードを緩められなかった?それまでの練習じゃ、全然不安な所なんてなかったのに」

 もっともと思える素直な疑問をぶつけてみると……一瞬黙り込んでしまうように見えたが、「私……加藤くんのお荷物になりたくなかったんです。加藤くん、初日からつまらなさそうにしていましたし、二日目もこんな調子では、迷惑を掛けっぱなしになるから、早く一人で遊べるようになりたいって……」

「それで無理したって訳か」

 問い詰めるつもりは無かったのだが、黒木の瞳が次第に潤んでゆくに連れ、もう少し優しい聞き方は無かったもんかと後悔した。が、もう遅い。それがどれだけ黒木を追い込むものだったか、涙を見るまで分からなかったのだから。

「迷惑を掛けたくないし、自分でも大丈夫だと思ってたんです。でも、何とか危なげないところを見せよう見せようとばかり思っていたら、頭の中が真っ白になって……」

「緊張しちまった、のか」

「はい……」

 黒木の大きな瞳からは、とめどなく涙が溢れていた。他人の前で無様な姿を見せたからなのか……その気持ちだったら俺にも分かる。秋季大会、一人相撲で自滅した時など、チームメイトの顔がマトモに見られなかったからな……

「そんなに思い詰める事無かったのに」

 はは、とおどけて言ってはみたが、どうにも雰囲気が妙だ。

「……無理です」

「ど、どうして……」

「好きな人の前で緊張するなって言う方が無理です」

「え……」

 



 その言葉を聞いた瞬間、俺の時間が凍りついた。

「今、何て……」

「……」

 黒木は頬を染めたまま……何も言わない。

「今、何て言ったんだ?」

 黒木が精一杯紡ぎだした言葉だろう事は分かっているが、その内容が分からない。

 当然、黒木は何も言わない。仕方が無いので、自分で思いだしてみる。

 (好きな人の前で)

 (緊張するなという方が無理)

 それはつまり。

 俺が好きな人なのか。

 黒木の。

 何故だ。

 何故俺なんだ。

  俺が言葉を理解したと悟ったのか、黒木は俺に向き直り、

「私……加藤くんが、好きです」

 待て。

「だから……だから!」

 待て。

「もし良かったら付き合ってください」

 


 黒木はそこまでようやく言葉を続けて、そして再び俯いた。

「俺を……好き……何で」

 聞くのも間抜けだけど、身にこんないい子に好かれる様な覚えがない。

「……自分でも良く分かりません……キッカケは、夏の大会を見てからだというのは分かります」

「それから俺を……」

 こくり、と頷く。

 その言葉の意味が全く分からない。いや、好きという意味が分からないという意味じゃなくて、何故黒木の様ないい子が俺などを好きなのか……

 いや、普通なら女の子に告白されれば嬉しいのかも知れないが、何しろ俺は自分が他人から好かれないものと頭から決め込んでいる。だって、好かれる理由が無いし……中学時代に俺を弄んだ、河村蛍子という負の存在があまりにも大きすぎて……

 それからどのくらい、黒木を待たせていたのだろうか……黒木にしてみれば、告白の返事をこれ程待たされるのは、まさしく針のムシロって奴だろう……

「ごめん」

「……!!」

 自分の中で十分吟味出来ていないうちに、口が先に動いた。しかも、断る方向に。

 「あ……その……」

 口が先に動いたものだから、断る理由も浮かんでいない。

 沈黙に耐え切れなくなった頃……

「う」

 黒木が嗚咽を上げ始めた。

「気持ちは嬉しいけど……その……今は……野球に集中したいから……」

 それを見て、ようやく尤もらしい逃げ口上が口をついた。マトモに黒木の方を見れないから、どんな反応を彼女がしているのかは分からない。ただ、声で泣いている事だけが分かるのみだ。

「……ごめん」

 終いいは顔を覆って泣き出す黒木を後に、俺は逃げるように部屋から出た。いや、「逃げるように」では無く、逃げたんだ。そりゃ、フられた相手といつまでも居たくは無いだろうが。

 と思った瞬間、

「加藤くん!」

 背を向けた側から声を掛けてきたのは、黒木と親しい福浦だった。

「ちょっと、何をそんなにびっくりしてるの?」

「い、いや……」

「奈々が足を怪我したって聞いたんだけど……この中に居るの?」

「そうだけど……どこで聞いたんだ?とにかく今は入らない方が」

「何言ってるの、そんなに酷い怪我じゃないんでしょ?奈々、大丈夫?」

 あーあ、入っちまった。泣いてる黒木を見て、福浦はどう思うんだろうな……黒木と親しい福浦の事だから、この状況と合わせて全てを悟ってしまうに違いない。

 それも……俺に課せられた罰だろう。自分の勝手な思い込みだけで相手をフってしまった、ね。でも、あの状態で「はい」と返事したって、俺に明確な「その気」がない限り、どうしたって上手く行くとは思えない。だから、これでいいんだ……



 あーあ。



 上手く行かねぇよ、本当に……

 俺はその後、何をしたか全く覚えていない。黒木も俺と全く話を交わさなくなり……もともとあまり接点はない……全ては、夏休みが終わる前の状態に戻った。


 そう、これでいいんだ……これで…… 


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