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FASTEST!!  作者: サトシアキラ
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第08-05話


 下校途中、息を思いっきり吐き出してみた。

 見る間に白い雲が俺の後方へ流れ去ってゆく。季節は既に12月。しかも、街はもうジングルベル一色に染まっている時期だ。

 未だにカベとの特訓も続いていたし、イマイチコントロールが成長を見せないのも今までと同じ。俺に身の回りにも取り立ててこれと言った出来事は起きていない。

 朝起きて、少し走ってから登校し、授業を受けて、部活でカベに一時間半みっちりしごかれ、そして暗くなったら帰宅する。この繰り返し。

 しかし、同じ「繰り返し」をと言っても、去年とは雲泥の差だ。あの時は、カベがユニフォームに着替えてグラウンドに行くのを横目に、俺は家路を急ぐだけだったのだから。思えば、今年は色々なことがあったよな……特に、一年も半分を過ぎてから。


 少し遠回りをして、何気なく駅の商店街へ足を延ばしてみる。自分で予想したとおり、ショーウインドウにはクリスマスの文字が躍り、ツリーとその飾りつけの元では、恋人らしき男女が、楽しそうに笑顔で会話を交わしていた。


 ……今までは、そんな中睦まじいカップルを見ても羨ましいなんて思わなかったが……一瞬、あくまで一瞬だぞ、……こんな浮かれムードの中、隣に誰か可愛い子が歩いてくれたら、その子とクリスマスパーティーか何かについて談笑できたら、と思うと……少々寂しくもある。中学生の時分にこっぴどく振られたのに、懲りずにそんな事を思うという事は……俺という人間につける薬はないと言う事だな。


 しばらく街中を歩き、姉妹にあげるクリスマスプレゼントなどを物色していると……前方に、仲良さそうに肩を寄せ合っている見慣れた姿を発見した。

 3人組のその女の子らは、他の通行人に気を使いながら横に広がって歩き、談笑していた。あの子らからは、恐らくは男子にも興味津々なんだろうが、その陰を微塵も感じ取れない方が却って安心する。勿論、勝手な思い込みであるということは言をまたない。

 一人でいること寂しさにかまけ、

「真理」

 声を掛けた。

 3人一斉に振り向くのは当然だったのに、間抜けにもそこまで頭の回っていなかった俺は、仰け反りそうになった。

「お兄ちゃん!!」

 それでも、真理の笑顔には癒される。大きな瞳が、思わぬ場所での出会いの驚きと嬉しさに溢れていた……ように見えた。

「お兄ちゃんも今帰りなの?」

「ああ、丁度部活が終わったところだそれにしても真理、「も」って事は、お前も今帰りなのか?」

「うん、みんなでクリスマスパーティーやろうよって相談してたの」

 真理の言う「みんな」とは、加藤家のみならず、真理の友達たるこの子や、当然カベも含まれる。

「良かったら、お兄さんも来ませんか?」

 ショートカットの可愛い子が、目を輝かせて言う。

「………………むむ」

「あー!お兄さん、また私達の事を忘れたんじゃないでしょうね!?」

 実を言うとその通りだが、前と違うのは、彼女らの名前がノド元までは出掛かっているという点だ。夏、愛しき姉妹のお誕生会に来てくれた、真理の大親友だ。

「いや、君らの事は覚えている」

「じゃ、早く名前をいって下さいよ」

 ニヤニヤと意地悪そうに笑う、この黒髪ロングの子は……

「確か、舞依子ちゃん……だったかな」

「あら、憶えていらしたんですね。女性に縁がなさそうですのに、意外だわ。いえ、縁が無いから、余計に憶えているのかも知れませんね」

 な……彼女とは初めて会った時から、俺に向けて敵対意識の火花をバチバチ飛ばしている……率直に言って、こうまで邪険に扱われる覚えはないぞ。でも、「女性に縁が無い」というのは否定できない事実だから、余計に悔しい。

「舞依子ちゃん、そんなに意地悪言わないであげて。それよりお兄さん、私の名前は何でしょう?」

 上目遣いに俺を見ながら、そう聞いてくるショートの子。舞依子ちゃんを窘めておきながらも、やってる事は結局俺いぢめだ。よーし、こうなったら意地でも思い出してやる。……えーとえーと……

「梨魅……ちゃんだったかな」

「せいかーい」

 ぱちぱち、と手を叩く梨魅ちゃん。確かに俺は記憶力には自信がないが、ここまで馬鹿にされたら、この先未来永劫彼女らの名を忘れる事はないだろう。

「お兄ちゃん、普段っから人の名前を憶えるのは得意じゃないって言ってたのに。可愛い女の子だから、印象に残ってたんでしょ?」

 真理は、少しだけ頬を膨らませて言った。だけど、本気で怒っているんじゃない事くらい、目を見れば分かる。俺たちが出会ってから、はや1年9ヶ月。それが容易に分かるくらいの長さにはなっている。

「そうだよ、俺は女の子が大好きで大好きでたまらないからな」

「はいはい、そうだったね」

 軽口を叩きあうのも、もう珍しくもない。いつからだろう、真理と話しているだけで、こうも安らいだ気持ちを得ることが出来るようになったのは。多分に、美奈津と話していることが会話養成ギプスになっている部分もあるだろう。

「まあ、取りあえずクリスマスにはみんなで騒ごうか、って姉さんも言ってた事だし、いいんじゃないか?」

「わーい。じゃ、準備しないとね!!」

 そして美少女三人は、俺の事などお構い無しに事の相談を始めたが……ふと真理がこちらを向き、

「そう言えば、お兄ちゃんは……誰か呼ばないの?」

 と、恐る恐る聞いてきた。いや、カベは当然呼ぶ、と答えそうになって、ふと気が付いた。ひょっとしたら、真理は「別の人」の事を聞き出そうとしているんじゃないのか。俺がカベを呼ぶ事位、真理だって分かっている筈。と、いう事は……

「誰かって……誰だよ」

 分かっていて、カマをかけてみる。自分の勘違いだったら情けないからな。

「その……お兄ちゃんが、前に連れてきた女の人とか」

 ぼそ、と呟くように言った言葉を、梨魅ちゃんと舞依子ちゃんが聞き逃す筈もない。彼女らの年頃は、押しなべて噂話の類が好きなのだから。

「へー、やりますねお兄さん、家に女の子を連れ込むなんて」

 梨魅ちゃんは、いぢめっ子そのままの表情で冷やかし、

「お、女の人!?お兄さんが!?」

 舞依子ちゃんは失礼なくらいに驚いた。

「君らが俺の事をどうボロクソに思ってようが、俺にだって女友達くらいはいるさ」

 さすがにここまで言われると面白くないが、それどころじゃない。やはり、真理は黒木の事を気にかけていた。ひょっとして、女日照りに見える俺を多少は気遣ってくれているのか?

「そうだな……黒木も年末だから忙しいかもしれないが、まぁ……誘ってみるか」

 黒木には、野球に日舞の発表会にと誘われっぱなしだ。それになんとなく、和風な黒木がクリスマスではしゃいでいる姿を見たくもあった。

「お兄ちゃんって……あの人と付き合ってたりするの?」

「はぁ?」

 一体、真理は俺のどんな回答を望んでいるというのか。

「言っただろ、女友達さ」

「……ふーん……」

 どうにも腑に落ちない表情の真理だが、他にどう説明しろというんだ。

「ま、黒木の都合を聞いてからだな。いずれにしても、アイツにはちょこっと借りもあるし、招待はするけど」

 いちおう、野球チケットを奢ってもらったことでもあるし。でも、黒木には割と友達が多いようだから、福浦たちとパーティーをするんじゃなかろうか。

「結構な大人数で、賑やかになりそうですね、お兄さん!」

 俺と真理の中のなんとも言えない空気を鑑みてくれたのか、梨魅ちゃんが明るく話を締めてくれた。真理自身はまだ何か言いたいことがありそうだが。

「そうだな……美奈津も友達を連れてくるらしいし……ようやく、あのだだっ広い家のリビングが役に立ちそうだな」

我が加藤家のリビングは、普段4人で暮らしているのに30畳はあって広すぎるから、半分以上はデッドスペースになっていて、遠目から見ると、観葉植物やらソファやらが半分に集中している。幸い、姉妹達は片付けも良く出来ているから、物置代わりになるという事もなく、ただ15畳という広い空間を無駄にしているに過ぎない。親父の奴、これほど大きな家を建てて何のつもりなんだろうか。駅から遠いと言ったら怒られそうな位置に、あれ程の広さの土地を購入したのだから……相当な額のはずだ。あんな派手な車を何台も所有して、尚且つあんな大きな家を建てて……きちんと出費に見合った稼ぎをしてるんだろうな?

「それじゃあ真理、私達はここら辺で。詳しい事は後で電話するわね。行きましょ、梨魅」

「あ、待ってよ舞依子ちゃん」

  気を利かせてくれたのかどうなのか、とにかく、今まで一緒に遊んでいたはずの二人は、足早に去っていった。呆気に取られる真理だが、

「じゃあ私達も帰ろっか、お兄ちゃん」

「ん?お、おお」

 気を取り直したのか、ちょっとだけ嬉しそうに俺の隣にぴったりと寄り添い、歩き出した。さっきまでは腑に落ちない表情だったのに、今ではもう満面の笑み。変わり身の速さに舌を巻きつつ、その表情の変化の意味を何となく考えながら、ゆっくりと家路を行くのだった。

 ……それにしても、女の子を隣に侍らせながら歩くというのもいいものだな、寒くないし、何となく気持ちが高揚するし。そんな、当たり前の事を今更再認識する俺は、やはり普通の17歳の男子ではないらしい。ま、そんな普通など、こちらから願い下げだが。



 家の上がり框には、大きな段ボールが1つ置かれていて、俺と真理を驚かせた。

「お兄、この宅配便で来た荷物、受取人がお兄になってるから開けなかったんだけど……どうするの?」

 その荷物を、美奈津が持て余している。確かに、玄関に置いておくには邪魔だな。それにしても、俺宛とはね……その時点で大体の見当は付いたが。俺にわざわざ荷物を送ってくれるなんて、一人しか心当たりがない。荷物に貼り付けてある宛名を見て、確信した。

 玄関に備え付けてあるハサミを手に取り、荷物を戒めるビニールロープを切断する。特別面白くもない作業だが、真理と美奈津は目を輝かせて見守っている。

 ばりばりとガムテープを破って中身を検めると……

「……なに?コレ」

 美奈津は、透明なビニール袋で幾重にも包まれたものを取り出し、俺に見せた。

「これは……「おみ漬け」だな」

「おみ……何?」

「おみ漬け。今の滋賀県の昔の名前、「近江」の商人が伝えたのが訛ったって訳だ」

 おみ漬けとは、青菜をメインに人参・大根・シソの実を漬け込んだ、山形の代表的な漬物で、いわゆる「お袋の味」ってヤツだ。もっとも、俺にとっては「じいちゃんの味」だけど。そのじいちゃんも、おみ漬けの作り方をばあちゃんから習ったらしくて、さらにばあちゃんはそのばあちゃん、つまり俺にとってのひいばあちゃんから……と、代々伝わる由緒正しい味なのだ。

「なーんだ、もっと美味しそうなものが入ってるかと思ったのに」

「コレの美味しさが分からないお子ちゃまには、つまらん荷物に見えるだろうが……俺に取っちゃ、トリュフやキャビアなんぞより高級品に見えるがな」

 露骨に子供扱いしたのが気に入らなかったらしく、美奈津は口を尖らせた。

「じゃあ食ってやろうじゃないの。私だって、漬物大好きなんだからね」

 初耳だが、食ってみようという気になったのは大いに歓迎できる事だ。

 ぱぱっとビニール袋の口を開き、おみ漬けを一つまみ、美奈津の手のひらに乗せてやる。美奈津は、それを一口で放り込んだ。

「あ……これ、ほんとに美味しい」

 ぽりぽり、と中身の野菜を一通りつまむ。

「だから言っただろ?考えようによっちゃ、これほどゼイタクなものはないぜ」

「じゃあ、私はこっちを」

 真理もそれに釣られて、茄子の漬物である「ぺそら漬け」の方を一口で飲み込む。制止する暇もなく、

「しょっぱーーーーーいっ」

「それは冬用に漬けてあるから、水か湯で塩抜きをしないとダメだぞ、って言おうとした所だったんだが」

「早く言ってよぉ~!オマケに辛いしぃ~!」

 真理は小走りに台所に水を飲みに行った。そう、只でさえ塩辛い上に唐辛子まで入れて保存がきくようにしてあるから、真理の様なヤワな舌では到底食べられない……塩抜きしなけりゃ俺だって食えないけど。

「それにしてもさ、お兄」

「何だ?……ポリポリ」

 俺もおみ漬けが止まらない。早く白い飯を一緒にかきこみたい。

「送り主の欄に書いてある、この……高田チヅさんって誰?」

「ああ……俺が山形でじいちゃんの家に世話になってる時……ほら、男2人暮らしじゃなかなか目が行き届かない所あるだろ?そういう時に、いろいろ世話を焼いてくれたお隣さんだよ。この家に引っ越すまでは、この時期に便りとこういった物が送られてきたけど……去年は引越しもあったから、連絡が付かなかったんじゃないか?」

 親父のヤツ、俺が世話になったというのに、連絡先が変更になったのを伝え忘れてたんじゃないか?そういう俺も、荷物が来なかったら来なかったで電話の1つくらいすれば良かったんだが。

 段ボール箱の中には、他にもキュウリ漬けや茄子漬など、俺には懐かしい味が詰め込まれていた。更には、もち米もたんまりと入っていて、これで正月準備には事欠かない。そういえば……もう何年も顔を合わせてないな。機会があったら……そうだな、来年の夏にでも時間が取れたら、皆で田舎に旅行に行くのも悪くないかも知れない。

「ともかく、キュウリ茄子漬を何個か塩抜きしとこう。これ、メシが何杯要るか分からんぞ」

「それも頷けるなぁ、この味……ポリポリ」

 あんまり食うな、と言おうとして……やっぱり止めた。俺の郷土のものをこんなに美味そうに食われたら、何とはなしに嬉しくなってしまうから。

 これだけ喜んでもらえたということを、電話ででも伝えておかなくちゃな。

 未だに漬物をつまみ食いしている美奈津を残して、電話の元へ。最近は用の無かった、山形で世話になった人たちの番号が乗っているアドレス帖を開く。神奈川へ引っ越してくる時に購入したものだが、未だに新品同様なのを見るにつけ、全く田舎の人と連絡を取っていない事を今更ながらに思い出して、申し訳なく思った。

 ……でも田舎には……俺の楽しい思い出と共に……


 俺の犯した過ちも置き去りにしてきてしまっていたから。


 アドレス帖を開いたはいいが、チヅさんの家の番号を確認した訳じゃない。ただ、何となくその懐かしい名前を見て、俺から連絡が無いのを少しは寂しく思っていてくれたのかな、なんて考えてみる。

 実際にダイヤルしてみても、ちっとも電話番号を迷わない。山形に居る時、どれほど世話になったかが分かろうというものだ。

 ……が、繋がらない。御なじみの、「お掛けになった番号は」云々の音声が聞こえてくるだけだ。

(あ、市外局番からだっけ)

 当たり前といえば当たり前の事を忘れていたのだが、それは同時に、俺が神奈川に来てから時間が経っているという事実でもある。

 今度は間違いなく市外局番から掛け、コールを待つ。

……

…………

「もしもし、高田ですが」

 その東北弁のイントネーションの声を聞いた途端、胸の中が懐かしさでいっぱいになり、訳もなく涙が出て来そうになるのを何とか堪える。

「もしもし?」

 もすもす、に近く聞こえるその声色は、間違いなくチヅさんのものだ。

「あ、あの……」

 何か喋らなくちゃ、と思う間もなく、

「ひょっとして……聖ちゃんかい?」

「は、はい、お久し振りです」

「やっぱりそうかい、本当に久し振りだねえ。随分と連絡をよこさないから、こっちから送っちまったよ」

「本当に……有難うございます。漬物とか、妹達もとっても喜んでました」

「なんだいなんだい、そんな他人行儀に。昔みたいに、おばちゃんって呼んでいいんだよ。まあ私としちゃ、聖ちゃんが大人になったみたいで嬉しいんだけどね」

 俺が山形を離れた頃から、多少は声も変わっていると思うのだが、それでも一発で俺という事を看破してくれた。遠く離れた山形でも、まだ俺の事を覚えてくれている人がいる。そんな有り難い事実に、胸に言葉が満ち、溢れ出しそうになるのを堪えるのが大変だった。

「どうしたんだい、聖ちゃん?」

「ううん……わかったよ、おばちゃん」

 俺の妙な雰囲気を察してか、美奈津がおみ漬けをつまみながらこっちを見ている。俺はそれに背を向けて、声もなるべく低めた。別に聞かれたっていいんだが、みんなの知らない自分を知られるのは……少し恥ずかしい。

 それと、俺の耳には全く普通の会話をしているように聞こえても、恐らくは周りから見れば東北弁で喋っていることだろう。5年も離れていて、上手く話が通じるか不安だったが、その心配は全くなかった。

 それからしばらく……お互いの近況を報告しあった。

 俺に姉妹が出来たことなんかは、前もって親父から聞いていたらしく、主にそれ以外の事について、簡単に話した。遠い山形でも、野球選手としての俺の名前は聞こえているらしく、おばちゃんの鼻も高いようだ。

「聖ちゃん、機会があれば、妹さんらと一緒にこっちに遊びにおいで。待ってるよ」

「うん……そうは思っているんだけど……」

 そうは思っても、今は田舎に置いてきた過去の過ちと向き合う自信が無い。あの事件の真実は……俺と、もう一人の当事者しか知らないから、表面上何もなかったかの様に振舞っていればいいだけなのだが……田舎の風景を見て、田舎の匂いを吸い込んでも、平静でいられる自信が無かった。あの時の事件は、俺にそれだけ大きな影響を与えたのだ。

 いや、俺はまだいい。

 一番傷ついてしまったのは、紛れも無く……「彼女」の方なのだから。


 しきりに帰郷を勧めるおばさん。俺だって、少しは田舎の姿を見たいけど……今はまだ、その時じゃないと思うのだ。

 取りあえずあいまいな返事をして、来年の夏頃に考えるとだけ伝えて、電話を切った。

(ふう……)

 おばちゃんと話をするのは勿論楽しかったが、途中で自分のしでかした事の重さに気付き、途端に気が重くなった。俺が神奈川に来た理由のうちの1つは、ひょっとしたらあの事件から逃げたかっただけなのかもしれない。でも、俺が犯した罪は消えないし、彼女に付けた傷が癒える訳ではない。そう、早い話が、俺は逃げたかっただけなんだ……


「電話を掛けただけなのに、どうしてそんなに厳しい顔してるの、お兄?」

 見かねたのか、美奈津が心配そうに言う。

「そんなに気を使う相手だったの?」

「いや、そういう事じゃないんだ」

「そうだよね、かなりくだけた口調で話してたし……」

「そうそう」

「じゃ、なんなの?」

「……」

「ま、言えないんならいいけど。お兄が田舎でどんな悪さしたか知らないけどさ」

「……!!」

 その一言に、俺の心臓が一瞬止まりそうになった。当たり前の事だが、美奈津は「あの事件」を知ってて言ったんじゃなく、いつもの憎まれ口を叩いたに過ぎない。それが分かっていても、コレだけ動揺しなくちゃなんない……俺にとってあの事件は、一生背負っていかなければならない重責なのだ。

「ちょっと……どうしたのよ、お兄?顔、真っ青よ?」

「いや、なんでもない……コレ、塩抜き、しとかなくちゃな」

 ごまかしに、ぺそら漬けを手にとって、それ以上何も悟られまいと美奈津に背を向け、台所へ向かった。奴に下手に動揺を観察されてると……勘の鋭い、増してや女の美奈津の事だ、何を感づかれるか分かったものではない。



 いずれ、自分の中で決着をつけなければならないのは分かってる。でも今は……他にやるべき事があるんだ。

 それまで……許してくれ、瑞穂さん。



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