第08-03話
カレンダー上ではもう秋真っ只中の筈なのに、たまに上着を脱ぎたくなるくらいの暑さが思い出したかのように戻ってくるこの頃だった。
その試合の日も妙に蒸し暑く、例年聞く筈の「今年は異常気象だ」というフレーズが、今年ほど似合う年も珍しかった。
今日の相手は、これまた近場。つい数年前に軟式から硬式へ転向した、豊南高校との対戦だ。この高校、軟式時代にはかなりの名門だったようだけど、硬式に転向してからは、勝手が違うのか苦戦しているようだ。元々が市内の公立で一番の進学校だから、練習量の問題もあるんだろう。それでも、基本が出来ているという点では、侮れない相手ではあった……と言ったところで、弱小校在籍の俺が言えた義理じゃないが。
ところで、今日のカベからの課題は、この二ヶ月集中的に特訓した(ハズ)のコントロールという、俺のピッチングに最も欠けている部分だった。そりゃ、あんな厳しい特訓をしてたって、一週間やそこらで結果が出るとは思わない。だけど、例えば筋トレだって二ヶ月は勤しめば、それなりに効果はある筈だ。だから……筋トレと比べるのもどうかと思うが、俺にはそれくらいしか「継続は力也」を実感した経験がない……少しぐらい俺のノーコンっぷりも矯正されていて然るべきなのではないか……ほとんど願望に近いが。
さて、気を取り直して投球練習につく。いつも自分の調子を計る為、この数球は特に念入りに投げなければな……
カベは、特に何もアクションを起こさずに座り、俺の球を待つ。俺が投げる球を自由にに選択していいということらしい。
それならば、と、取り敢えず直球を放る。これぞ俺の生命線、俺という投手を形作る命綱でもある。
いつもの様に渾身の一球を、いつもの様にカベのミットに向けて投げる。……だが、いつもと同じはずなのに、奇妙な程の違和感を俺の腕に残した。コントロールミスの類の違和感なら、すぐに分かる。何故って、それらが残す物は不快極まりない感触だけだから。意図しない球を投げてしまった事による、カベの目論んでいたピッチングの組み立てを崩す申し訳なさ、打たれてしまうかもという恐怖、そしてそのボール自体がどこに飛んでゆくのかという不安……そんな感触でいっぱいになるのに、この時だけは違った。
今投げたボールがカベのミットに収まった後も、その違和感の正体を暴けずにいる。返球を受けるのも忘れ、ただ自分の手の平を見つめるだけだった。ただ、今日の速球の調子がご機嫌な事だけは理解できたのが幸いだった。例え組み立てに迷っても、速球が確かなら、それに頼っていけるから。
生活が苦しくもないのに、じっと手の平を見つめる俺を心配したのか、カベが走り寄ってきた。
「おい、どうした?トゲでも刺さったか?」
「いや……そんなんじゃないんだ。ただ……」
「ただ……?」
「……」
そこから、カベに自分の状態を伝える言葉が、俺の語彙からは見つけられなかった。いずれにしても、投げるまでこの違和感の正体は分からないかも知れない。
「何でもない。俺の思い過ごしかもしれないし、カベは普通にサインを出してくれ」
「……ま、何でもないならそれに越した事はないが、な」
納得しかねるような顔をしたカベだが、今は試合開始を直前に控えている状態だ。深く問い詰める時間など無い事が分かっているから、大人しくキャッチャーボックスへ引き下がる。
カベが戻ったのを見て、俺は高い秋の青空を見上げて、一つ息をついた。そう、大事なのは平常心。この違和感の正体も、単なる気のせいだ。そう割り切れば、あとは何も変わる事はない。
気持ちが落ち着いた所でグラウンドを見回すと、以外に観客が多い事に気が付いた。確かに、試合がある時には、グラウンドを一般人に開放している所も多いだろうけど、それにしたって……豊南高校は、観客スペースと呼べる場所が殆ど無い。あるとすれば、学校のフェンスの外か、或いは校内の中でも、外野手の後ろ……試合に支障をきたさない位に後方……だろう。なのに、フェンスの外には人が大勢へばり付き、外野手後方には、椅子と双眼鏡完備で見物している人もいる。どうやら、五塚が試合に来る事が事前に広まっていたようだ。と、言う事は……その大勢の目当ては俺か……やれやれ。
さて、先行は我らが五塚高校。打順は不動の一番……というか、打順を組み替えられるほどメンバーがいないと言った方が正しい……屋久照延からだ。そういえば最近、屋久は短距離ダッシュを熱心にこなしていたな。一番バッターとしての脚力と、ショートの守備範囲を増す為のものだろう。その努力たるや、どんなに自堕落な人間でも、彼の姿を見れば自分の生き方に疑問を持つことウケアイという、とても激しいものだ。
その屋久は、1・2球目を落ち着き払って見送り、甘く入ってきた3球目を強振。打球がレフト線に転がる間に、俊足を生かして三塁を陥れたのであった。こうしてみると、夏の大会の時点より明らかにダッシュ力が増している。いや、バッティングの力強さも、バントで揺さぶるしかなかった当時と比べると、別人と見違えるようだ。
俺の知らない所で、個々のレベルを上げてきている。当たり前だが、努力しているのは俺だけではない。俺には、それが何とも心強く思えるのだった。
二番の御曽は、打席に入った当初から怪しい臭いをプンプンさせていた。三塁ランナーと常に目配せはしているし、ベンチ側にも視線を送ったままだし、要するに、これではスクイズは確実、後はどのカウントで仕掛けてくるかだけ、と相手に教えているような物だ。だが、いざ打席に入った御曽は、一球一球ごとに「なにかある」素振りを見せつつ、結局は何もしなかった。相手バッテリーがスクイズを警戒してウエストボールを放るが、それはただボールカウントを増やして御曽を有利にするだけ。挙句、御曽はフォアボールを選び、ノーアウト一三塁の絶好のチャンスを貰い受けた形になった。相手バッテリーも、まだ初回なのだから、スクイズの1点くらいくれてやれば良いと思うのだが……あ、ピッチャーが俺だから、最初から一点もやれないつもりだったのか。
三番の黒沢は、すっかり混乱してしまった場バッテリーを横目に、堂々としたものだ。五塚で、カベの次に打力があるのは間違いなく奴だからな。
その黒沢は、初球のそう甘い球とも思えない外角低めの直球を右に持っていった。単なる振り遅れではない、れっきとした流し打ちだ。黒沢の腕力は、体格から想像できる通り(身長181Cm、体重80Kg)、なかなかのものがある。
それにしたって、今の流し打ちは惚れ惚れするほど美しい打撃フォームだった。一体、いつの間にあんな技術を……?あれほどの球を打つ技術は、五塚にはカベしかいないとばかり思っていたが。
ともかく、遥か右翼線を破った打球は、グラウンドを転々。無論2人のランナーは悠々生還した。更に、黒沢自身も二塁ベース上に仁王立ち。いわゆるスタンディング・ダブルってやつだ。
僅か10球足らずの間に2点先制。これ以上無い速攻に、身内の俺でさえ呆然とするのに、豊南高校の面々の動揺はいかほどのものだろう。ましてや、次は……県予選での活躍で、県下でもようやく名が知られるようになったカベなのだ。
カベが打席に立つ。それだけで、周りの空気が一変した。足を肩幅に開き、あまり膝を曲げずに立つその姿から滲み出る、強打者独特の雰囲気が周囲を圧している。しかも只荒々しいだけではなく、その立ち居振る舞いがどこか優雅にすら見えてしまうから不思議だ。
軽く足場を均したカベは、そのままマウンド上を見据える。あわれ相手投手は、それだけで立ちすくんだ様に見えた。そしてそこからはお決まりのパターンだ。
即ち、蛇に睨まれた蛙の如く、弛緩した腕から放たれたゆるゆるのボールは、魅入られたように外角高めの甘い所へ。そしてこれも、いつものカベのバッティングと同じく、カベの身体がゆらりと動き、バットが閃く。
そして残るは快音。打球は左翼手の遥か上方大空へ。有り得ない飛距離の空中散歩に出かけたのだった。何しろ、ホームベースから左翼ずっと後方の防球ネットは、距離的に野球のダイヤモンド用のネットじゃない。我が五塚高校にも同様の目的のネットがあるが、それよりも更に後方に位置するのだ。さらにさらに、そのネットの遥か上空を跳び越していったというのだから……いやはや、カベの飛距離には本当に感服するしかない。五塚の文化祭試合で放ったものよりも軽く10メートルは飛距離が上だろう。ざっと飛距離……ひゃ、160メートル!?幾らなんでも、もう無茶苦茶だ。それでもカベは、何もなかったような顔をして、淡々とダイヤモンドを一周する。その姿も、とてつもなく格好良かった。
で、結局俺たち五塚高校は、初回から5点を奪うというビッグイニングに仕立て上げ、打者一巡したところでようやくチェンジと相成った。ツーアウトになり、俺が投球練習を始めたところで打順が回ってきたもんだから焦った焦った……勿論凡退したが。……分かってる、準備万端でも凡退したろうことぐらい。
さて、今度は俺の一人舞台という事だが、試合開始前の違和感の正体が未だに分からないままだ。ここは一つ、丁寧に放らねばなるまい。折角味方がぽんぽん点を取ってくれたのに、その裏に即反撃されるなんて、俺ばかりかチームの雰囲気まで悪くなるだろうからな。
投球練習では特に引っかかる事は無かったが、今はただ慎重に、カベのサイン通りに。違和感があると申告してあるのだから、カベも無難なリードをしてくれるに違いないし。
さて先頭打者はというと……
特に、おれのカンに引っかかるような選手ではない。ま、豊南高校だし。そしてカベのサインは……それでも、速球。100パーセントでど真ん中に放れとのお達しだ。とほほ……本当に容赦が無いぜ。かと言って、拒否したらどえらい事になりそうだから、細心の注意を払い、マサカリのモーションを起こす。既に、打者の影は俺の心から消え失せていた。何故なら、俺が投球練習をしている時から、彼の不安げな表情が見えていたから。
そして第1球!!
ごふぁ、と自分の耳でも凄いと思える風切り音と共に右腕が振り下ろされる。ボールは、空気を螺旋状に突っ切るのが見て取れるかの様な勢いで、カベのキャッチャーミットに納まる。勿論ストライクだ。投手にとっての絶好球。この一球を見る限り、何ら不安など抱くに値しないかとも思えるが……
第2球。サインは、打者の内角高めから、外角低目へと冗談のような軌跡を描くカーブ。これもカベがミットで要求するのと寸分違わぬ箇所へ着弾。ストライクなのは言うまでも無いが、最初から手が出ないと分かっているバッターなど、もはや案山子以下の存在だ。
3球目。ここからは、半ば俺とカベとの実戦形式の投球練習に変わり果てていた。
サインは……内角高目への速球。これ……正直に言って、自惚れでも何でもなくて、まともに決まればプロの選手だって手が出ないぞ?それをこの、腰が引けている相手に向けて投げるというのも……と言いたいところだが、もし怖気づいているなら打席に入らねば良い。入ったが最後、投球が当たって死んでも恨みっこなしの戦場なんだ、そこは。
意識を集中させ、カベのミットだけを目掛けて投げる!!
俺が投げた瞬間、打者が打席から飛びのいた。ハタから見れば、そこまで危険なボールには誰も思えなかっただろうが……ともかく、打者は身の危険を感じるほどだったらしい。だが、投球自体は見事なストライクだ。豪快にストライクゾーンを通過し、見逃しの三球三振。球速は……俺から見る限り、150には近いかな。
すごすごと引き下がる打者を横目に、俺の中の違和感の正体が掴めて来ていた。ま、結論を出すにはまだ早い。二番打者は、身体が小さく、ストライクゾーンが小さそうな、いかにも巧打が利くというタイプだ。その外見に違わず、小さな身体を更に折りたたんだクラウチングスタイルで打席に入る。きっと、俺からまともにヒットは打てまいと踏んだ向こうの監督が、少しでも投げにくくさせようと、こんな構え方をアドバイスしたんだろう。だが……今日の違和感の正体に薄々感づいていた俺は、それを確かにすべく、あくまでカベのサイン通りにマサカリのモーションを起こす。カベのサインは、内角低め。クラウチングしている上、ベース上に身体を被せるほどホームベース寄りに立っている打者相手に、だ。マウンド上からは、打者の膝がストライクゾーン上に突き出る格好になるが、そんな事は俺の知った事ではない。相手がリスクを承知の上でそういうスタンスを取るのなら、俺もそれに立ち向かうのみ。
先ほどよりも更に集中し、第1球!!
振り払うフォロースルーの指先が、地面の砂を巻き上げるほど強烈な腕の振りから生み出された速球は、逆「く」の字になっているバッターの、ちょうどへこんだ辺りに着弾した。低めギリギリ一杯のストライク。だがバッターは、そんな事どうでもいいかというように、やっぱり打席から仰け反って離れ、背中から地面に倒れこんでいた。……それじゃあ、どんな戦術を取ったところでムダだろうなぁ……
続く2球も、ほぼ同じような球を要求するカベ。打者は、流石に2球目ともなれば慣れるハズで、打席から飛びのく様な無様なマネこそしなかったが、余計に俺のボールの勢いを最後まで見届ける結果になってしまい、3球目など膝が笑ってしまっていて、クラウチングスタイルを取るのがやっと、という体だった。あ、言うまでも無いが三球三振だ。
次の三番打者も同じような物で、俺の針の穴を通す絶妙なコントロールと球威に、殆ど戦意喪失状態だった。無理も無いかな、初回に5点を取られたうえ、俺のピッチングが完璧とあっては。
高校球児らしくなく歩いてベンチに下がる俺を、カベが近寄ってきた。
「お前……今日の自分の状態に気が付いているか?」
「……ああ、いくら鈍くても分かるよ、これはな。自分でも、なかなかに強烈なもんだぜ」
ケツをミットで軽く叩き、防具を外しに掛かるカベ。やはり、サインを出すあいつが、今日の俺を一番良く分かっているんだと思う。
試合開始以前からの違和感の正体。
それは、正確無比なコントロールが身についている、という事だ。
何故それが違和感として感じるか俺なりに考えてみたんだが、恐らく、ボールと俺の指先が、リリースする瞬間まで一体化しているような感覚から来る物だと思う。そしてボールが指先から離れた瞬間からは、自分のフォロースルーの指先の、更に先っぽの方で念じれば、自分の思ったところにボールが行く。これも違和感には違い無い。何しろ、今まで感じた事の無い感触なのだから。
そう、カベとの特訓がいよいよ結実し始めた、と考えても良いのだろう。これまででもコントロールの調子のいい時もあるにはあったが、それよりもずっと異質の感触だからだ。
俺は、再び手の平を握ったり開いたりして、未だに信じられぬ自身のコントロールを噛み締めていた。
さてそれからも、五塚の攻撃はとどまる所を知らなかった。
2回にもカベのタイムリーで1点を加えると、3回は無得点ながら、4回には下位打線が重盗を決めるなどしてさらに2点、6回には再び打者一巡の猛攻で5点……豊南高校にしてみれば、もうこの時点でコールど負けにして欲しい所だろうが、それじゃぁ練習試合の意味が無い。さらに言うと、この俺も送りバントを一つ決めて、地味ながらも得点に貢献した。……本当は、2回試みて一回はピッチャーフライの失敗に終わっているんだが。
俺のピッチングも冴えに冴え、8回まで豊南をゼロ行進に抑えていた。いや、それより重要なのは、コントロールに課題の残るこの俺が、今の今まで与えた四死球がゼロ、という点だ。さすがに序盤のような針の穴を通すコントロールは無いが、それでも余分なボール球を投げる事は無い。真に痛快、お陰で投球数事自体も一割減、地球に優しいエコ・ピッチングときたもんだ。
さて、この試合も大詰め。点数的には15対0と完全なワンサイドゲームだが、この俺の締め方によって、試合の印象がどうにでも変わってくる。そこだけは慎重に、雰囲気をぶち壊しにしないように……
と意気込んでみても、展開はあっという間にツーアウト。あっさりした展開だからか、周りがヤケに静かだ。それまで、空元気かもしれない声を出していた相手ベンチも、今は静まり返っていた。
おかしいと思いつつも、カベはいつもどおりなので、単に気のせいだろう。
最後の一人。バッターは既に萎縮していた。目線はどこかを彷徨っていて、顔色もどことなく青白い。ここまで来ると、以下に自分のピッチングの賜物とはいえ、少々気の毒の様な気もするが……取りあえず締める所は締めさせてもらおうか。
サインは、相変わらずのストレート。振り返ってみれば、今日の投球数の9割がストレートだな……ま、小細工は今の俺には全く必要ないという事だろう。
で、あっという間にカウント2ストライクノーボール。これがプロ野球なら後一球コールが巻き起こる筈だ。その代わり、このグラウンドには、一種異様な空気が支配していた。全員がザワついて落ち着いていないような……
で、最後の一球もストレート。最後くらい、今日一番のボールを放ってやるか。そう決めると、今日百何十回目かのマサカリのモーションを起こす!!もはやバッターは打つ気なし。もちろん三振で締めくくった。審判がストライクアウトを宣告し、そこで試合終了。もちろん、それはただ、我らが五塚高校の勝利を告げる宣告なだけなんだが……どうにも雰囲気がおかしい。センターの黒沢なんて、興奮した面持ちで、守備位置からダッシュして戻ってくるし、整列の後の相手ベンチ方向への挨拶後も、どうにも俺をねめつけるような視線が纏わりつくような……その理由は、片付けの為にベンチ(形の上での)に戻った時に氷解した。何故って、マネージャーの湯河原智恵子が、目を輝かせ、スコアブックを振りかざしながら、俺にこう言ったからだ。
「やりましたね先輩!!完全試合ですよ!!」
………………え?
その言葉の意味が分からず、思わずカベを探してしまった。
「何きょろきょろしてるんですか?嬉しくないんですか?」
「いや、嬉しくないも何も……ちょっとスコアブック見せてくれ」
湯河原からひったくるように奪ったスコアブックに目を通す……確かに、一本のヒットも打たれていない。与えた四死球の数がゼロだという事には気付いていたが、よもや被安打までゼロとは……俺の人生初ノーヒットノーラン、いや完全試合、か。自分でも驚くばかりだが、イマイチ現実感もない。たかが練習試合で完全試合を達成した所で、何ということはないのだ。……自分ではそう戒めているつもりでも、悪い気はしない。
カベも、少しは褒めてくれるかと思ったが、それすら無し。今の俺の技量だったら当たり前、と思われていると解釈しよう。
今日の投球成績は以下の通り。
投球回数 9
投球数 120
被安打 0
与四死球 0
奪三振 19
……数字だけ見ても物凄いな……
この日は道具を、「形だけは」監督さんの車に乗せてもらい、私物だけを持って帰宅する事が出来る。これがホームでの試合だったら、トンボがけやら移動していたサッカーのゴールの移動やらで忙しいところだったのだが。
カベもこの日は、「蒼空亭」へ行こうなどとは言わず、用事があるから、と豊南高校の校門を出た瞬間から分かれた。ふと思い出してみると、最近カベとお好み焼きを食べに行ってないなぁ……特訓疲れでそれどころじゃないってのもあるが、今度誘ってみるか。
自転車を漕ぎつつ、今日の試合に思いを馳せる。もっとも印象に残ったのは、カベの特大ホームランでもなく、勿論俺のピッチングでもなく、他の7人の成長ぶりだった。こういうと、自分がまるでどこぞの監督にでもなったかのような偉そうな口ぶりだが、第三者として見てみると……つまり五塚の選手としてではなく、評論家になったつもりで、だ……、個々の選手の動きが目に見えていい。打球を裁く第一歩、打者が走者になる瞬間の第一歩……そのどれもが自信に満ち溢れ、スピードにも満ちていた。 新チームになってから、はや二ヶ月。その間、独自のメニューをこなしている俺にとって、他のチームメイトの練習の内容は見ていない。だけど、それが非常に充実して、また精神的にも張り詰めて内容の濃い練習になっているというのは、この試合ではっきりと分かった。
路地へ入ると、ふわりとキンモクセイの香りが俺の鼻をくすぐる。トイレの芳香剤などでありがちな匂いだけど、やっぱり本物の香り方は違う。遠くから、あくまで優しく、人に心地良い。けっして、芳香剤のような、間近で嗅ぐと気持ちが悪くなるような不躾なもんじゃない。
そうか……もう、そんな季節なんだ。そりゃ、皆も成長する訳だよな……対する俺はというと、ま、今日の試合を見る限りでも、成長してはいるんだろう。只練習しているだけでは分からない、実戦を通さなければ分からない成長が、そこにはあったのだ。
さて、今日の晩飯は何にしようかな、と考えながら、愛しい姉妹達の待つ我が家へとゆっくり急ぐ。そんな事を考えられるのも、今日の試合の結果が素晴らしければこそ。カベからしてみれば、まだまだ突っ込みどころ満載なのだろうが、せめて今日だけは……美酒に酔わせてくれないか。反省は、また明日するからさ。頼むぜ、カベ……




