第05-03話
八月の二十日。言うまでもなく、妹二人のお誕生日。午前中に部活の練習を済ませてから、午後には姉さんに車を出してもらって、近くのスーパーで買出しだ。
主賓である美奈津と真理に準備を手伝ってもらう訳にも行かず、大いに忙しい。ちなみに二人は、都合よくというか……びっくりさせようと、半ば姉さんが仕組んで家を空けさせたようだ。二人一緒に外出させる理由に苦心した挙句、あいつらが観たがっていた映画の前売り券を俺が買う羽目になったが。二人揃って帰ってくるのかが問題だったが、一応誕生日パーティーを五時ごろからやるとは伝えてあるから、帰りが遅くなるなんて事はないだろう。
他にも、最近何となくよそよそしかった美奈津と真理だったから、仲良く一緒に映画なんか観に行くもんかな……とも思ったが、前売り券が俺からのプレゼントだと伝えると、
「じゃあ真理、観に行く?」
「うん、この映画観たかったんだー。じゃあ、一緒に行こう」
二人とも、案外素直に喜んでくれたっけ。
「それにしても……」
俺は、車の後部座席にあふれかえる買い物袋を見て言った。ただでさえ、この車(フェラーリ456M GT。車道楽の過ぎた親父が買ったモンだが、当の親父本人が年に数度しか家に帰って来ないから、ガレージのコヤシになる所を、姉さんの足として使ってもらっている)の後部座席は普通のセダンに比して狭いというのに、それこそ隙間もない。無論、トランクルームは既に満杯だ。
「随分買ったよね」
「ええ……今日はお手伝い(俺の事だ)もいる事だし、足りなかったものを買い足そうと思って……御免なさいね、荷物持ちをさせちゃって」
「いや、そんなことはないけど……俺達四人分にしちゃあ食料品が随分多いような……」
姉さんは、悪戯っぽく瞳を輝かせて
「今日は賑やかになりそうだから、ね」
と言ったのみで、慣れた手つきでマニュアルシフトを操作するのであった。
賑やか……ねえ。俺と姉妹達計四人以外に、誰か来るのだろうか。
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賑やかになりそうだからという姉さんの言葉どおり、大皿へオードブルを乗せていると、唐突に電話のベルが鳴った。この家、子機がいたる所にあるのは便利でいいんだけど、何だかしょっちゅう行動を監視されているみたいで落ち着かない事もある。
エプロンで手を拭きつつ、慌てて受話器を取る。
「はい、加藤ですがどち」
「おう、聖か、俺様だ」
俺の「正しい電話応対」を途中で遮ってまで、自分を「俺様」などとのたまうこの男こそ、俺の親父「加藤 裕光」だ。
「な、親父ぃ?」
「何をそんな驚いた様な声を出してる。たまに息子の声を聞きたいと思うのがそんなに驚く事なのか?」
「そう思うんなら、もっと頻繁にウチに顔を見せたらどうなのさ。どうせ今だって、姉妹達の誰かが応対してくれればいいと思ってたんだろ?」
しばしの沈黙の後……
「そうだ、非っ…………常に残念だ。誰が好き好んでむさ苦しいお前と話したがるものか」
俺の親父とはこういう男だ。しかも、言っている事が冗談なのか本気なのか判然としない所がまた怖い。
「それよりも……元気にしてるか?」
「ああ、何とかね」
「お前の調子など聞いとらん。どうせ放って置いてもそう簡単にくたばる様なタマでもなし。最近は随分スポーツ紙を賑わせているようだから、勝手に安否は分かるしな。だから、愛しい我が娘たちの事を聞いているんだ」
俺の事など放ったらかしに見える親父も、一応は気に掛けてくれているらしい。
「元気だよ。……そんなに気になるんなら、実際に自分の目で確かめに来ればいいじゃないか」
我ながら意外な事を言ったと思う。今まで、一度も「家に来い」と言った記憶はなかった。そう言ってやっても素直に来るような人間ではなかったし、何より忙しいというのは分かっていたから。親父の会社は最近では、コンピューターゲーム黎明期からの技術力を生かして、パチンコやパチスロなどの液晶部分の開発も請け負っているなど、事業を広げているらしいし。
何故こんな事をいったのだろう。きっと、姉さんと妹達との肉親の絆に触れ、自分でも唯一の肉親である親父との仲を確認しておきたかったのかもしれない。
「そう思ってな。今日、そっちに行く事にした」
は?
「きょ、今日?」
「そうだ。何か都合でも悪いのか?」
「いや、随分急だなと思って」
「何を言ってる、仮にも俺様は家主だぞ。その家主が何時帰宅しようが構わないだろうが」
親父め。こういう時だけ自分が父親である事を主張しやがる。
「都合よく、今日は娘二人の誕生日だ。家族全員が顔を揃えるには好都合だろう」
まあな、と答えようとして、その言葉をもう一度吟味した。
が、答えが出る前に……
「初めてだろ?聖が真綾さんに会うのは」
そうなんだ。家族全員が顔を揃えるというのはそういう事だ。そう考えると、何とはなしに緊張してきてしまう。あの姉妹達を育てた母親なのだから、こっちが気をもむ前に向こうから馴染み易い雰囲気を作ってはくれるのだろうが。
「まあ、姉妹の中から誰を選ぶかはお前の勝手だが、そうなった時の為に、ぜいぜい得意の料理でお母さんへの点数稼いでおくんだな」
ああ、そのつもりだ、と答えようとして、その言葉を再び吟味した。
親父の奴、さり気なくとんでもない事を言ってないか?
「おい、親」
「という訳で、夕方ごろにはそっちに着くからな。じゃっ」
相変わらず俺の話を最後まで聞かず、一方的に切ってしまった。そうそう話の通じる相手じゃない事は分かっていたが、改めて接してみると、それが浮き彫りになる。
はあ、と溜息を一つついて受話器を置くと、
「電話……ひょっとしてお義父さんから?」
いつの間にか、姉さんがキッチンへやって来ていた。
「そうだよ……良く分かったね」
すると姉さんは、楽しそうに
「だって、聖君がそんなにくだけて電話をするなんて、相手が真壁君かお義父さんの時くらいだもの」
と笑った。そういえば、親父から電話が掛かってくる時間は、いつも皆がリビングでくつろいでいる時間帯だ。姉さんの耳にも、親父への言葉が耳に入っているらしい。
「所で、お義父さんは何て?」
「ああ……今日、夫婦でウチに来るってさ」
「ほんと?お母さんに会うのも久しぶりだけど、お義父さんはもっとかな」
親父が前に来たのは……今年の正月か。姉さん達は、ちょくちょく外で真綾さんと会ってるって事は最近聞いた話だ。真綾さんも俺と会いたがっていたそうだが、そのことごとくが俺と都合が合わなくて、今に至っている。
「さて、いよいよ仕込みが大変になって来たぞ。全部で六人分か」
「いいえ、九人よ」
「え?」
驚いて姉さんを見ると……相変わらず、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。こうしていると、俺といくらも変わらない少女のようにも見える。
「それってどういう……」
俺が言い終わるが早いか、
ぴんぽーん♪
と、玄関のチャイムがなった。
「パーティーは人数が多い方が楽しいでしょ?お手伝いもかねて呼んだの」
姉さんはそう言い残し、ウィンクを一つして
「はーい、今行きまーす」
と、スリッパの音を響かせてキッチンから出て行った。よ、呼んだって誰を?しばらくして、どやどやと人がやってくる気配。そしてキッチンに顔を出したのは……ショートボブの、見覚えのある可愛い子だった。
「こんにちは、お兄さん」
「あ、えーと……」
確か……美奈津の買い物に付き合わされた先で、偶然真理と会った時に連れていた友達だ。名前は……うーん、何と言うたかな。
「ひょっとして、私達の事忘れちゃったんじゃないでしょうね」
続いて、彼女と同じ時に会った、ロングヘアの子も姿を見せた。
「悪いな、俺は人の顔を覚えるのが苦手でね」
「あー。こんな美少女二人を前にして、お兄さんったらひどいんだー」
ボブの子がちょっとムクれる。
「じゃあ、今度こそちゃんと覚えてくださいね。私が周防梨魅で、」
「私が村雨舞依子」
ああそうか、そうだった。確かに、一ヶ月も経たないうちに名前を忘れてしまうのは失礼かも知れないが……俺の場合、それよりもずっと大切な……つまり野球の技術を頭に詰め込んでいる最中だから、どうにも他の事に気が回らない、という言い訳くらいはさせてもらおうか。
「ま、自己紹介された人間の名前と顔ぐらい覚えて置くってのは、最低限のマナーって事だな」
なんと、カベまでいる。
「そんな不思議な顔すんな。由紀さんからお招きに預かったんだよ」
と、シャンパンらしき瓶を掲げた。実に用意がいい。
確か野球好きだった梨魅ちゃんは、俺とバッテリーを組んでいるカベにも興味津々らしい。あれこれ質問して、カベを困惑させたり、舞依子ちゃんを呆れさせていた。皆の後ろから姉さんが顔を覗かせると、
「何だ、だから姉さんは賑やかになりそうって言ってたのか……それだったらそうと、ちゃんと言ってくれればいいのに」
俺は苦笑いして、オードブルの品を切り足した。
「ごめんなさいね。聖君も少しびっくりさせてあげようと思って」
「おいおい、俺をびっくりさせてどうすんのさ」
案外、姉さんも悪戯好きなんだな。いつも余裕のある大人の女性ってカンジで、隙が無さそうに見えるから、こういうお茶目な所を見せられると、可愛く思えてしまう。
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カベを含む皆に会場のセッティングを頼み、デザートのゼリー盛り合わせをこさえている時。
ぎゅあんっ!!ぱんぱんっ(筆注:アフターファイヤーの音)
ぎゅぁああああん!!ぱぱぱんっ
外で爆音が轟いた。
事情を知らない人が聞いたら、暴走族かレーシングカーがやってきたと思ってしまうだろう。だが俺には、それだけでどこの誰がやってきたのか予想がついてしまっていた。
盛り付けもそこそこに外へ出ると……
来客用駐車スペースに、言わずと知れたキング・オブ・スーパーカーの一台、ランボルギーニ・カウンタック(5000QVキャブ仕様)が、けたたましいアイドリング音で停車していた。地下のガレージ四台分が、やっぱり自分の趣味の車で満杯なのは自分でも承知しているらしい。しばらくして完全にエンジンが停止すると、例のガルウイングドアがすーっと上がり、助手席から一人の女性が姿を現す。
その女性を見て、俺ははっと息を飲んだ。何故って、まず外見的には姉さんと真理に印象がそっくりだからだ(とすると、美奈津は父親似か)。俺の直感で、この人が真綾さんである事が分かった。
その人はゆったりとした足取りで、俺へと歩み寄る。温和な表情を浮かべてはいても、そこは世界を股に掛けるデザイナーだ。どこか人を圧するオーラを纏っているような気がしてならなかった。
「聖君……よね?初めまして、私が真綾です」
にっこりと笑いかけ、お辞儀をしてくれた。
ああ……
ちょっと感動した。
だって、紛れもなく姉妹達のお母さんだからだ。
圧倒的なオーラを纏いつつも、その……人を安心させ、和ませ、癒してくれる雰囲気が、姉妹達に血を与え、この世に送り出した出処である事が実感できた。
「聖……君?」
小首を傾げる仕草など、姉さんのン十年後を予感させる。
「おーい、聖君?」
声のトーンも、姉さんと共通。耳に心地よい。
「おい、不肖のバカ息子よ」
「バカ」を強調されてようやく我へ帰る。
振り向くと、オールバックにサングラス、フェラガモだかヴェルサーチだかの高級スーツを身に纏った、一見エリートサラリーマン……或いは遊び人。こっちの方が正しいかも……風の男が意地悪くニヤニヤしながら、俺を呼んでいた。
「バカで結構だよ。ふん、第一トンビがタカを産むとでも思ったのか?」
そう言ってやると、男は大仰に肩を竦め、
「言うようになったモンだ」
サングラスを外す。
この男こそ我が父、加藤裕光。
見栄えこそいいが、下手に頭が切れる為に、一旦口を開けばその人物をとことんまで叩きのめす。そんな天才的な罵りの腕(口?)を持つ、敵に回すと厄介なタイプの人間だ。
「だが……俺様の女に見惚れるとはいい度胸だ。自分にそれだけの度量の大きさがあると思ってるのか?」
「見惚れる……って、そんな訳無ぇだろ!!大体何だよ、俺の女って」
「間違ってはいないと思うがな……なぁ、真綾?」
親父は、くすくす笑っている真綾さんの肩を抱いた。
「裕光さん、もうその辺にしておいてあげたら?」
「いやな、バカ息子がどれだけやるようになったか試したかったんだが……まあいい。今日はお前なんかに構ってやる暇は無いんだ」
まあ、俺に向けての軽口は本気じゃない事が分かっているから、俺もそう相手にしてはいない。親父の言うとおり、時間の無駄というものだ。
「くすくす、裕光さんは本当に聖君の事が好きなのね」
真綾さんが言うと、親父は本当に嫌そうな顔で
「何を言ってる。こんな会話をしていて、どこからそんな結論が出てくる?」
「あら、裕光さんは気づいてないの?私とお話をする時は、必ず最初に聖君の事を嬉しそうに」
「わーわー、いい、それ以上言うな!!いいか、聖。真綾さんの言ってる事は本当じゃないからな?誰が不肖の息子の事なぞ」
真綾さんの話を遮ってまで否定する親父。しかし……
「あら、裕光さん。私が嘘をついているとでも言うの?」
真綾さんがぐっと低い声で、そう凄んだ。こ、怖い。
「ぐ……」
まさに、蛇に睨まれたカエル。どうやら、さすがの親父も真綾さんには頭が上がらない様子だ。俺と由紀姉さんと一緒……なのか?
「改めまして、聖君。いつも娘達がお世話になっているそうね」
「いえ……お世話になってるのはこっちの方です。本当に助かってます」
「随分と謙遜するのねぇ。まあ、その点も裕光さんとそっくり」
親父が謙遜……?あの、傲岸不遜で根拠の無いない自信に満ち溢れた親父が?
「ごほん……さあ真綾(まいはに~、と読む)、ここが僕らの新居だよ~ららら~♪」
照れ隠しか、親父は30台半ばとは思えぬ妙なテンションで、真綾さんの肩を抱いて玄関をくぐって行った。正月以来約八ヶ月、久しぶりの家主様ご帰還である。
玄関を上がるとすぐに、由紀姉さんが二人を出迎えた。なんとも照れくさそうなのは、随分と久しぶりだからだろう。どんなに近しい人間でも、たまに会う時はどうしてもそんな気分になってしまうものだ。
それを吹き飛ばすように、真綾さんが
「ただいま、由紀」
まるで半日程度の外出から帰宅したかのように自然に、しかしあくまでずっと会いたかったという愛しい気持ちを隠さず言った。
「お帰り、お母さん」
姉さんも色々と話したい事はあるだろうに、今はそれをひとまず置いておいて、ごく普通の母娘の様に短く言葉を交わし、リビングへと真綾さんを誘った。
俺と親父は、どうやってもあんな自然に会話を交わす事ができない。久しぶりに言葉を交わせば憎まれ口ばかり。それも大して悪意のあるもんじゃないけど、お互いの近況を語り合ったりするでもない。同じ親子でもこうも違うモンかと、妙な感心をしてしまったり。
カウンタックを横目で見つつ、遅れて俺も中に入る。真綾さんは、初対面であるにもかかわらず、カベ達と気さくに談笑していた。
こういう社交的なところは、どちらかというと人見知りする真理よりも、姉さんに受け継がれたのかな。
それにしても真綾さんって幾つだっていったっけ……姉さんが今21だから……少なくとも不惑……前後、か。全っ然、見えない。お世辞でも贔屓目でもなんでもなくて、マジで……多く見積もっても30位にしか……もともと童顔の家系だろうからな、三姉妹を見るに。
ふと見ると、親父がカベと何やら話していた。カベは何故かしきりに恐縮している様で、ぺこぺこ頭を下げていた。こんな米搗きバッタなカベは始めて見る。
外で少しの間話していただけなのに、リビングのセッティングは随分と進んでいた。予め梨魅ちゃんと舞依子ちゃんが作って来ていたらしい飾り付けが、部屋を華やかに飾り立てている。
「こんなに手の込んだ飾りだったら、結構前から準備してたんじゃないの?」
姉さんが二人に、俺の代わりに訊いてくれていた。
「ええ、真理ちゃんって結構鋭いから、それとなくお誕生日を聞き出すのに苦労しました」
「ほんとほんと、そういう人の心を察する事に関してはすごく敏感ですよ。私達がちょっと言い出しにくい事を口にしようとすると、先回ししてそれを口に出さないように話を持って行ってくれるんです」
梨魅ちゃんと舞依子ちゃんが飾りつけの手を休めずに答えた。二人とも、至極にこやかに。……真理は本当に誰からも愛されているよな。勿論、無条件に愛されてる訳じゃない。その愛くるしい容姿は見れば分かるとして、やっぱりその性格だろうな。何に対しても真面目で、それでいて自分を前面に押し出そうとしない。
どうしてそんなに出来た人間がこの世に存在するのだろう……自分が人への思いやりに欠ける人間だからこそ、それが悔しくて仕方がないのもまた事実なのであった。
やがて……こらえ性のない親父がぐずり始めた時、窓から外を監視していた梨魅ちゃんが
「二人とも帰ってきましたよ」
と、何故か声を潜めて皆に報告した。その声を聞いて、皆が示し合わせたように一斉に動く。
「お、おい……」
俺が口を挟もうとしても、カベまで「お静かに」のゼスチュアをして遮られる。だから、家の中でこんなに静かにしたってしょうがないだろ……
そうひとりごちても誰も聞いてくれるわけがなく、姉さんが皆にクラッカーを手渡した。全員の手に行き渡ったところで、玄関が開く音がした。
「ただいまー」
「ただいま……あれ?誰もいないのかな……靴はあるのに……お兄ちゃん?由紀お姉ちゃん?」
一瞬、客人たちの靴が出しっぱなしになっていたのかと思ったが、どうやらそんな間抜けな事はだれもしなかった様だ。俺達の靴はあるのに、なんら物音がしないことに疑問を抱いている様子だ。
そして、まず人がいる確率が最も高い筈のリビングに明かりが灯っていない事から、イの一番にこちらに足音がやってくる。そして、リビングと廊下を繋ぐガラス戸が引き開けられた瞬間!!
ぱぱぱんっ!!
「きゃぁっ」
俺達は一斉にクラッカーを打ち鳴らした。と同時に、真理のものらしい小さな悲鳴。
蛍光灯のスイッチを入れると、そこには真理がひとりで呆然と立っていた。……ん?真理だけ?そう思っていたら、皆して「お誕生日おめでとう」を言うタイミングを失ってしまった。固まっている真理の背後から、美奈津がひょっこりと顔を出す。
「そんな事だろうと思った」
「美奈津お姉ちゃん?どういうこと?」
美奈津はニヤニヤ笑いながらリビングにいる全員を見渡した。要するに、コイツは俺達の企みを薄々感づいてはいたらしい。ほんとに、こういうところは可愛くない妹だ。
「真理、気づいてなかったの?最近お兄やお姉がそれとなく探りを入れてたのに。第一、あんな車が外に駐まってたら一発でバレると思わない?」
真理はきょとんとして、ただ大きな瞳をぱちくりさせているだけだ。
「ともかく」
中央に真綾さんと由紀姉さん、それにおまけの親父が進み出て
「お誕生日おめでとう」
と、二人に優しく伝えた。
そこで初めて、真理は真綾さんの存在に気づいたようで、例の思案顔から一気に破顔した。そして、真綾さん達の方へ小走りに駆け寄る。そこには、
「おお、娘よ!!この胸に飛び込んでおいで!!」
両手を広げたオーバーアクションで親父が出迎える!!が、案の定というか何と言うか……
「おかーさーんっ!!」
真っ先に飛び込んだのは真綾さんの腕の中だった。
哀れ親父は、そのカッコのまま灰になった。
「お母さん、久しぶりっ!!」
「お母さん」に会うのが「久しぶり」。考えてみれば、あんまりいいことじゃないかな。もちろん俺だってそういう境遇なんだけれども。
「ただいま、真理」
真綾さんは、自分の胸に顔を埋める娘の頭をそっと撫でた。真理は、喉元を擽られた仔猫の様に、至福の表情。普段の真理は余り甘えんぼには見えないが、やっぱり……いいんだろうな、お母さんって。
一方の美奈津はというと、そんな真理を……これはあくまで俺の主観だが……複雑な表情で見つめていた。
ともかく、実の母娘の仲むつまじっぷりは、梨魅ちゃんや舞依子ちゃん、カベらはもちろんのこと、俺と親父までその仲に焼きもちを焼きかねない程で、真理の友人二人はキッチンへ料理の仕度へ……といってもあらかたはテーブルの上に置かれていたから、二人が気を利かせてくれたろう事は明白だ……、カベはそれをサポートに行ってしまうし、親父まで席を立ってどこかへ行ってしまった。
俺もいたたまれず、とりあえずリビングを出る。廊下を歩いていると、親父が床に座って、開いた窓から外に足を投げ出してタバコを吸っていた。
この家は禁煙だ、と言おうかと思ったけど、一応その窓を開いて煙を外に出すようにしていたから、あえて何も言わずにおく。
俺が近づいてゆくと、親父は照れくさそうな苦笑いを浮かべて、携帯用の灰皿でタバコを揉み消した。
そう、俺も親父も、あの母娘の中にあっては、単なる部外者だ。親父もそれを微妙に感じ取っているに違いない。もう間違いなく、俺達はあの母娘たちに嫉妬していた。
「俺様達もああ抱き合って、久しぶりの再会を喜ぶか?」
だからか、おどけて言う親父の台詞には、いつもの切れが無かった。
「俺達がそんなことやったって気味悪がられるだけだぜ」
俺も隣に腰を下ろして、しばらく外を眺めていた。
今は午後5時。一時期に比べると、大分日が短くなってきている。
親父はしばらく何かを言いたそうにしていたが、やがて口を開いた。
「俺のママンはどんな人間だったか、とか聞かないのか?」
「教える気も無いくせに」
「分かってるならいい」
俺達の間は、姉妹達とその母達との様に、目に見える親密さはなくても、何となく通じているような気がした。普通だったら、これだけ放っておかれたら親父を憎みかねないけど、不思議と俺にそういう感情はなかった。俺達はやはり似たもの同士である事。親子なんだという事を、お互いが心の底で認め合っているからこそ、だろう。
しばらくして、示し合わせるでもなく、席をはずしていた物達がリビングに再集結していた。仲睦まじい母娘達も、久しぶりの再会を十分堪能した様子だ。さて宴会の幕開けだ、となる前に、各々のプレゼント披露が待っていた。二人とも真理に……そりゃそうか、美奈津とは友達って程でもないようだから、当の美奈津も特に気にとめてはいないようだ……梨魅ちゃんは可愛らしい縫いぐるみを、舞依子ちゃんは、「真理もそろそろこういうのを身に付けたらどう?」と、なにやら高級そうな店の紙包みを押し付けた。
「ま、舞依子ちゃん、これは私にはまだ……それにお兄ちゃんや真壁さんもいるから恥ずかしいよ」
「平気よ、男性には中身が何だかわかりゃしないわ。それに今必要じゃないと思っても、いつ必要になるか分からないし」
「それって、私のサイズがこのまま変わらないって事じゃ……」
頬を染めてそれを受け取る真理。……舞依子ちゃん、残念ながらその会話の内容じゃ、こっちには中身の想像がついちゃうんだけどな……
さて親父からはというと……大きな包みから取り出だしたるは、お揃いのフリフリ……俗に言う「ゴスロリ」なドレスだった。これには全員言葉を失う。
「おいおい、これは冗談だっていうのに、あはは、は……」
慌ててドレスを引っ込める親父。その割りに、表情には無念さが滲み出していた様な……たま~に、親父と血がつながっている事が嫌になっちまう。
真綾さんは、自分がデザインした服を取り出だした。プロのデザイナーが二人のためだけに作ったワンオフものだけに、とても俺のセンスでは言い表せない……それでいて、ファッションショーに出て来る様な突飛なもんでもなく、普通に着て歩いても光り輝くような逸品だった。
そして由紀姉さんは、俺と一緒に買った「それ」……お揃いの指輪を取り出だし、姉妹達の指に直接はめ、
「エンゲージリングならぬバースデーリングよ」
と、そっと呟いた。なるほどこれなら、いつも邪魔にならずに今日の記念にしておける。
「二人がいつまでも15歳の今日の日の事を覚えておける様に……将来子供が出来ても、その子に自分が15歳の時はこうしてもらったって、すぐに思い出せるように」
そして姉さんは、二人の手を取り、目を閉じて静かにこう言った。
「生まれてきてくれてありがとう、二人とも。15年間有難う。そして、これからもよろしくね」
その姿はあまりに美しく、神々しいまでに輝いていた。妹達の目も潤んでいる。
……あんな反応されたんじゃ、俺のプレゼントなんて……さりげなく包みを引っ込めようとしたが、姉さんがそれを目ざとく見つけ、
(大丈夫よ、二人にはきっと喜んでもらえるわ)
そう耳打ちされては、取り出ださない訳にもゆくまい。
「これ、俺から」
二人は、俺の差し出したやや大きめの包みを、興味津々に開けた。俺としても、反応がとても気になる。中から現れた「それ」を見て、二人は顔を見合わせた。……ハズしたか?
「お兄ちゃん、これは……アルバム??」
「ああ……俺達が家族になってからというもの、あんまり写真とか撮ってないだろ?だからこれから、このアルバムがいっぱいになる位写真を、思い出を作っていこうかな、と思ったわけなんだ、これが」
「ふうん、お兄らしいね、割と」
「そ、そうか?」
「うん、金を掛けてないところが、ね」
とほほ、俺ってそんなにケチなイメージなのかな……
「美奈津、駄目でしょ?照れ隠しでもそんなこと言っちゃ」
真綾さんと姉さんがほぼ同時に、同じニュアンスの言葉でたしなめた。そして、二人は顔を見合わせ、笑いあった。
「お兄ちゃん……私、思い出いっぱい作るね……このアルバムに写真で収めきれないくらいに」
真理はアルバムを胸に抱き、そう俺に泣きそうな笑顔で言った。
正直、こんなに喜んでもらえるとは思わなかったが、ま、結果オーライかな。アルバムを選んだのは、俺達がもう一年以上も一緒に暮らしているのに、未だにお互いをよく理解していないと思ったからだ。無論それは、毎日顔をあわせる程度の付き合いレベルじゃなく、家族としてなら本当はもっとお互いよく知っていなければいけないレベルの話だ。「アルバムに写真を収める」なんて、そのきっかけ作りに過ぎない。
真理も美奈津もそう感じていたからこそ、俺のプレゼントの意を理解した、俺が家族の領域に踏み入ろうとした事を分かってくれ、喜んでくれたに違いない。
それから、全員で遅くなるまで無礼講となるのは必然だった。結局梨魅ちゃんと舞依子ちゃんまで家に泊まる事になって、布団やら枕やらを四人分探すのも苦労した。もちろん、それを担いで階段を上り下りするのは俺の仕事だった。
カベの奴も、いつもは只でさえ物静かな男だが、今日はそれに輪を掛けておとなしく目立たなかった。たまに俺が視線をやると、はしゃいでいる俺達を何だか眩しそうに眺めていたっけ。そういえばカベばかりは、泊まって行けと言ったのに頑として首を縦に振らなかった。俺達に遠慮してくれている……のかな。もしそうだとしたら、水臭すぎるぜ、カベよ。俺達だって、殆ど家族みたいなもんだろうに。
翌朝。親父と真綾さんはゆっくりしていけという俺の言葉も聞かず、もう行ってしまうそうだ。両親共に忙しい身ながら、娘達の誕生祝いに時間を空けてきたのは分かるが、それならそれでもうちょっと時間の都合をつけて来てもよさそうなものだが。
昨日は羽目を外しすぎたのか、俺と両親以外まだ眠っている時間だった。
親父がカウンタックのキーを回すと、エンジンが一旦ストールしそうになってから、猛然とその咆哮を上げた。
ぎょろろ
「……くね」
ろろん!!
「え?」
真綾さんが俺に何かを言った瞬間に、親父がスロットルを空ぶかししたもんだから、エグゾーストノートで全く聞こえなかった。
「親父、朝っぱらから踏むな!!……で、何?」
「私の娘達をよろしくね、って言ったの!!じゃあね、聖君」
そのすぐ後、親父がクラッチだけを繋いで、カウンタックをするすると発進させた。真綾さんに返事をする暇もなく、そのぺったんこで幅広い異形のマシンは、あっという間に俺の視界から消えていった。全くもって、親父はせっかちな人間だと思う。
「本当に忙しいんでしょうね……」
いつの間にか俺の隣に立っていた由紀姉さんが、カウンタックを見送りながら呟いた。
「どう?久しぶりの親子のひと時は」
「良かったわよ。結局和室で四人、川の字になって眠っちゃったわ」
「そう……良かった」
「どうせなら、お義父さんと聖君も一緒に寝ればよかったのに」
「な、何言ってるんだよ、もう」
俺がうろたえて見せると、姉さんは例の悪戯っぽい微笑みを浮かべる。そして俺に背を向け、
「さ、今日はまた大学で雑務だわ。そろそろ皆を起こして朝ごはんを作らないとね」
いつもと変わらぬ日常に戻る事を誰ともなしに口にした。
「聖君も今日は練習なんでしょ?秋季大会も近いんだから、頑張ってね」
そう、祭りは今日で終わり。これからは、本格的に来季に向けた斗い(たたかい)が俺を待っているんだ。
俺は既に視界から消えているカウンタックを探そうともせずに、家の中へと入っていった。




