第05-02話
練習試合の翌日。
その内容に満足していた俺は、何となく浮かれた気分で由紀姉さんと待ち合わせをしていた。無論、妹達の誕生日プレゼントを見繕ってもらう為だ。場所は、横浜駅の地下街。 姉さんは大学の用事で相変わらず朝から忙しいらしく、現地で待ち合わせとなった。
「午前中には用事が片付くと思うから、お昼は向こうで食べましょ」
姉さんにこう言われて断れる男など、この世には存在しないだろう。いたらそいつは……いや、他の男のことなどどうでもいいか。
横浜なんてなかなか足が向かないから、待ち合わせ場所の喫茶店を見つけるにも一苦労だったが、どうにかこうにか足を落ち着けることが出来て、こうしてアイスコーヒーをすすっている。
そろそろ昼時という時間になって、約束どおり姉さんが店の中へやってきた。
その瞬間、店の中に居た男どもの視線を独り占めした事は言うまでもないだろう。
時間つぶし中と思しき、新聞を読んでいるサラリーマンは、大きく目を見開いて姉さんに視線を奪われていたし、楽しそうに話し込んでいた彼女連れの男は、よせばいいのに身を乗り出してまで姉さんを見ようとして、彼女にビンタを喰らっている。
「お待たせ、聖君」
俺のテーブルの前まで来て、優しげな微笑を浮かべる姉さん。今日の服装は……シャツブラウスにジーンズ、か。すごく綺麗で、カッコいい。似合ってる。あまりにも似合いすぎていて、賛辞する言葉に苦労する位だ。
この服装をすることは誰もが出来るだろうけど、それが似合う人が居るかと言うと……確かちょっと前に、女性用ブランドのジーンズのCMにこういう服装の人が出てて、カッコいいなあ……と思ったもんだけど。それはその人がモデルだからの話であって……つまりは、姉さんがモデル並みに……いや、それ以上に綺麗な人って訳だ。
姉さんは、さり気なく伝票を手にとって、
「お腹すいたでしょう?まずはお昼ご飯食べに行きましょうか」
と、俺を促す。全くもって、隙がない。
「そうだな、ちょうどいい時間だ」
俺もまた伝票を素早く、且つさり気なく奪い返しながら席を立った。そんな事をするのは何となく気恥ずかしかったが、何となく大人の真似をしてみたかっただけだ。奪い返した瞬間、由紀姉さんは驚いたように目を見開いたが、すぐに俺の意図を察してくれたらしく、穏やかな微笑みを一つ、下さった。 ……ああ、元より敵うとは思ってもいないが、やっぱり姉さんには敵わない。
地下街を出たその瞬間、二人の発言が一致した。
「暑い」
だ。
いちいち声に出したくはないが、つい口をついてしまうものはどうしようもない。いっその事、街じゅうが地下街でつながっててくれればいいのに……などとどうでもいいことを考える。……あまりに暑くて、思考能力のキャパシティがついつい不足しがちだ。
そんなとろけそうな脳内をすっきりさせてくれるのは、なんと言っても涼しげに歩く由紀姉さんの姿だ。なにしろ、すれ違う男がほぼ間違いなく振り返る。俺だってきっと、向こうからこんな綺麗なお姉さんが歩いてきたら、そうしない自信はないから、そいつらの事をとやかく言う筋合いなどない。ただ一つだけ困るのは……
(何でこんなイイ女がこんなガキを連れて歩いてるんだ?)
という後期の視線を、俺が一身に受けるという事実だ。俺の自意識過剰なんかじゃない。振り返った男達は、まず姉さんに見惚れ、そして横を歩いている俺に悪態をついている。
「聖君」
「ふぁい?」
不意に名を呼ばれ、間抜けな声で答えてしまう。
「何ぁに?その返事は。暑いからって腑抜けてちゃ駄目よ」
「ごめんごめん、ちょっと考え事してたもんだから……それで何?」
「ここでお昼にしましょ」
姉さんは、あるビルの前を示して言った。看板を見ると、ほぼ全ての階が飲食店で埋まっている。
「ここの四階よ」
姉さんは慣れた様子でエレベーターに乗り込んだ。俺も慌てて後を追う。
案内された先は、なんとも形容しがたい……あえて言えばエスニック風アジア風無国籍風……雰囲気の店だった。
「ここ……何を食わせるの?」
尋ねた俺の声が不安がっていることを物語っていたのか、姉さんは苦笑いを浮かべた。
「大丈夫よ、心配しなくても。ここ、食べ放題のお店なんだけど……味は保障するわ。とにかく、色んなものを食べてみれば分かるわよ」
店員に大人二人であることを告げ、促されるままに席に着く。
「さ、あそこに盛られてる料理から好きな物を取って食べてね」
まあ、姉さんのお勧めなんだからハズレはないだろう、と割り切って、予め大皿に盛られている料理を見る。
確かに……店の内装が示すとおりの無国籍料理だ。取り合えず、エビチリ(らしきもの)とチヂミ(らしきもの)……とにかく適当に、両手の皿に乗っかるだけ乗っけて席へ戻る。
姉さんは既に皿に盛り終えて戻ってきていた。
「どう?聖君のお眼鏡に適うものは有った?」
「ん……まあ適当に。取り合えず感想は味わってみてから、という事で」
「そうね。じゃ、いただきます」
・
・
・
驚いた。
この俺の舌を驚かせるのだから、間違いはない。
間違っていたのは、たかがランチの食べ放題とタカを括っていた俺の方だ。さすがに競争の激しい所は、これくらいじゃないと生き残ってはいけないのだろう。
その後、俺は姉さんも呆れる位の食いっぷりで、一時間ほど無口になるくらいだった。
「良く食べたわねー」
食後のコーヒーをすすっていると、姉さんが目を丸くしてそう言った。
「いや……予想外に美味くてね。ついつい食べ過ぎちゃうところだったよ」
「ふふ。そんなに食べてくれると、こっちもお店を紹介した甲斐があったわ。ここを発見した時から、いつか聖君に教えてあげるんだって思ってたのよ」
「そうだったのか……いやいや、感謝するよ、こんないい店を教えてくれて……お陰で、久しぶりに満腹になるまで喰っちまった」
姉さんは、テーブルの上で頬杖をつき、目を細めた。
「聖君って、家じゃあんまり大食いってほどでもないわよね。今が食べ盛りなのに」
「まあ……俺は調子に乗って食うとすぐに太る体質なんだよ……美奈津が羨ましい」
美奈津の奴は、無駄な肉が一切ついていないクセに……あくまでも外見上は、だが……普段の食生活は、誰が見ても褒められたもんじゃない。間食にスナック菓子、寝る前に甘~いココア、試験時の夜食にラーメン……さながら生活習慣病上等!!ってなもんだ。ところが……あれで太らないというんだから一体あいつの体はどんな仕組みになっているんだろう……若いうちにしか出来ない食習慣という事だけは確かだろうが。
「ちゃんと気をつけてるんだ……美奈津にも見習って欲しいわ」
「そんな事言って……姉さんだって」
そこまで言って、俺は慌てて口をつぐんだ。
姉さんだって、無駄な肉一つ付いてないじゃない。
つまりそれは、
無駄な肉は何一つ付いてはいないが、必要な肉は付いている。
という事でもあって、更にそれは
俺が姉さんの身体を良く見ている
という事に他ならないのであって……
でもそんな、俺の考えている事などは、姉さんには全てお見通しなのであった。その証拠に、姉さんは優しく微笑んで
「ありがと。一応は私も気をつけているのよ?たまに聖君が美味しいご飯を作ってくれるし、私がご飯作る時も、皆が喜んで食べてくれるからついつい量が多くなっちゃうけど……」
と、フォローしてくれるのであった。真に良く出来た人物だ。一体どうしたらこんな気遣いを身に付けられるのだろうか。俺の姉妹達は全員、人への気遣いに関しては恐れ入るばかりではある。
それから……食後の休憩を長めにとって、ようやく腰を上げる。なにしろ腹がいっぱいで、立ち上がる事すら億劫だったが……横浜まで妹達のプレゼントを選びに来た意味を忘れてしまう訳にもいかず、冷房の涼しさに後ろ髪を引かれながら店を後にした。
それからしばらく、例の「こんなガキがこんないい女を」的殺人光線をビビビと浴びながら、街中をぶらぶらする。これじゃまるでデートだな……などと勝手に思ってみたり……。まあ、折角横浜まで出てきたんだから楽しまなきゃソンではあるな。とっとと目的を済ませてハイ、終わりじゃ味気なさ過ぎる。
と、自分の中にこんなポジティブシンキングできる部分があった事にも驚きつつ、あるデパートの中に入る。とはいっても、俺の方は姉妹達に送るプレゼントの目星などとんと付かず、ただ姉さんの後ろについて回っていた。姉さんの方はというと、同じくぶらぶらとしているように見えつつ、さっきからある同じ種類のものを手にとっているのに気がついた。
「姉さん、さっきからそればっかり見てるけど……」
「ええ、双子にあげるんだから、公平に同じものを送ろうと思うんだけど……実用的なものじゃないから喜んでくれるかどうか……」
「問題ないんじゃないか?あいつら、そういう記念品的なものでも喜んで受け取ってくれる感受性ありそうだし」
そう、「誕生日プレゼント何がいい?」と聞かれて「ブランドもんのバッグ」とか言い出しかねない昨今のドライな子達と違って、我が家の姉妹達は、綺麗な花や夕焼けを素直に美しいと感じてくれる人間なのだ。
「そうね。じゃ、これにしましょ」
姉さんは、数ある「それ」の中から一つを選び出し、レジへと持っていった。
あれって……結構値が張るやつだった様な……ま、姉さんの事だから、自分の小遣いの中から「妹達へのプレゼント代」の積み立てぐらいやっているだろ。余分な心配は無用だ。
「聖君は何を送るか決めたの?」
姉さんは、「それ」をバッグの中に入れながら尋ねた。
「いや……とんと見当が付かなくてさ。……姉さんが買ったやつ、俺との共同購入って事じゃ駄目?勿論お金は出すよ」
「駄~目。ちゃんと自分で考えて、あの子達に喜んでもらえるものを考えなさい」
叱られてしまった。考えてみれば当然だな。
「でも……よく姉さんは「それ」を考え付いたね。前から決めてたの?」
「そういう訳じゃないけど……自然と、かしらね。あの子達にどうしても記念になるものを渡しておきたくって……例えば、二人がお嫁に行った後も「これ」を見れば、思い出がすぐに蘇ってくる様な……」
姉さん……彼女が姉妹を想う気持ち。これ程想われる妹達に、俺は僅かながらの嫉妬心すら抱いてしまう。でも、考えてみれば、三人は実の姉妹だ。どちらかというと俺の方が部外者なのだ。姉さんは絶対に血の繋がりなどで俺達弟妹(きょうだい……姉さんから俺と真理と美奈津を見た表現だ)の情に差をつけたりはしないのは分かりきっているから、俺が勝手にそう思っているだけなんだが。もしかしたら、そう思っていること自体姉さんに対して失礼な事なんじゃないだろうか?
「私、どうしてもあの子達の心に残るようなお誕生日にしてあげたいの。二人がこの世に生まれてきてくれて良かったという感謝の気持ちを伝えたい……」
「ほんとに……姉さんは二人の事を愛してるんだね」
「ええ……私も二人から愛されてるんだって分かったから……もう数年前になるんだけど……私達、母親が忙しくて、いつも家を留守にしてたって事は話したでしょ?」
「ああ……出会った初めの方に聞いた様な気がする」
実を言うと、俺は彼女達の母親……つまりは俺の義母である訳だが……の「真綾さん」に会った事がない。売れっ子デザイナーである真綾さんはなにしろ忙しいらしく、親父と再婚してからもう一年以上が経つが、家に一回も顔を見せていない。俺の方はまあいいが、姉妹達は寂しくならないのかな?
「だから、家事の中心はいつも私。妹達も協力してくれていたけど、学校との両立は結構大変だったわよ。……で、ある日帰りが夜近くになって、溜息をつきながら玄関を開けると、玄関や廊下と言わず家中真っ暗だったのね。妹達の靴はあったから、どうしたんだろうと思ってリビングへ行くと……」
そこで姉さんの表情が変わった。あたかも今その場面を体感しているかの様な、嬉々とした顔に。
「ぱんっ、ていう音。そしてすぐに明かりが点いたから、見てみると……リビング中に飾りつけがしてあって、テーブルの中央にはロウソクを挿したケーキ。二人の妹は、手にクラッカーを持っていた。それでようやく気づいたの、その日が私の誕生日だったっていう事に」
そこまで言って、姉さんは天井を見上げた。
「嬉しかったな……当の本人が忘れかけてたぐらいだったのに、私より六つも幼い妹達が憶えていてくれたんだから」
そしてその後二人の妹が、姉さんへの日頃の感謝の作文なんかを読み上げてしまうもんだから……姉さんは号泣してしまったらしい。三人で硬く抱きしめあって、お互いがこの世に生を受けた事を感謝しあったそうだ。
姉妹達の絆が、その時から一層強固なものになった事は想像に難くない。お互いがお互いを愛し合う、理想的な姉妹だ。
「うーむ……それじゃあ、俺が三人の中に溶け込めないのも無理はないかな」
ははは、と自嘲気味に笑ってみせるが、姉さんは顔を曇らせた。
「そんな事言わないで、聖君。貴方は良いお兄さんをやってくれているわ。いえ、やっているなんて表現自体おかしいくらい。心配しないで、貴方達は立派に兄妹よ」
なら……いいのだけど。肉親と暮らした機会が少ない俺だから、家族との付き合い方が良く分からないのも事実なんだ。
(喜んでもらえる物、か)
それが何か分からないのならただ、俺の素直な気持ち……家族の素晴らしさを教えてくれる妹達に喜んでくれるものを選ぶだけだ。良く考えりゃ、悩むほどの事じゃない。
「これなんて……どうかな?」
ようやく思い立った俺は、「それ」を手に取った。
「いいんじゃない?聖君らしい選択だと思うわ」
姉さんは、優しく微笑んでそう言ってくれた。お世辞で言っているのではない事はすぐに分かる。
そうか……たまには、素直に感謝の気持ちを表すのも悪くはない。今まで俺は、どこか……この仲のいい姉妹達に遠慮していたのかも知れない。その仲に立ち入れないものと勝手に決め込んでいたんだ。やっぱり家族なんだから……お互いの事を良く知りたいよな。
俺は、「それ」を手に、そんな事を考えた。




