第05-01話
日は過ぎて練習試合当日……。
場所は、熱風渦巻く五塚高校グラウンド。相変わらず衰えぬ太陽の光が、俺達の日焼けの進み具合を一層酷いものにして行く。さて、今日の課題は、コントロール。どちらかというと、個人個人に対する制球の甘さではなく……つまり、大事な場面で甘い球を投げてしまうといった事よりも、全体を通して無駄なフォアボールを減らすという意味だ。幸い、相手は近場の平工業。結構パワーのあるバッターも居て、格好の実験台と言える。
投球練習をしている時から……厳密に言うと、この学校のグラウンドに入って来た時から、平工業の面々の視線が俺に注がれているのが分かった。平工業にしてみれば、いくら五塚が県大会で準優勝したといっても、結局はバッテリーの力だと思っているだろう。だから無下に試合の要請を断る訳にも行かず、後学のつもり、或は記念に150キロ投手を見に……と。大方、そんなとこだろう。今打席に入ってくる一番バッターの表情を見ても、明らかに緊張している。一応俺は、世間では荒れ球で通っているから、ぶつけられた時の心配でもしているのだろうか。普段は荒れ球でも、抑えるべき場面はきっちり抑える。ヤクルトの石井一久タイプを想像しているかも知れない。
球審の手が上がってプレイボール。
では、取り敢えず様子見に……第一球目、カベのサインは100パーセントのストレート!!
ごおおっ!!
と、我ながら惚れぼれする球威で低めに決って、空振りのワンストライク。バッターのスウィングはへろへろで、俺の速球を弾き返される心配は要らないだろう。警戒するほどのもんじゃない。後は、どれだけ無駄球を減らせられるか、だ。
てな訳で、一回の表を三者三振、11球で片付けた俺は、バックネットやや一塁側、グラウンドと校外を隔てる金網のそばに立っている人物に、ふと目が止まった。その人物は、双眼鏡を覗きつつメモを取っており、雰囲気もなにやら素人っぽくない。ベンチに戻る時に、カベに尋ねてみた。すると、
「ああ、多分スカウトだろ?ノンプロかプロかは分からないけど……随分控え目だな、あの人」
だそうだ。
「となると、見に来た選手は……」
「オレか聖か……或るいは両方だろうな」
あれだけ派手なピッチングやホームランを、大勢が見守る、ただでさえ注目度の高い神奈川県大会決勝で、しかも名前が全国区の伊東を相手に繰り広げたのだから、それも当然の事なのかも知れない。しかし、二カ月前は一般人だった俺にとって、その事は新鮮だった。カベはと見ると、大して気にしている素振りも見せない。カベにとっては、至極当り前の事なのだろうか。それにしても気になるのは、カベの蒼空亭での「オレは伊東より下」発言だ。俺の前で初めて見せた野球人としてのコンプレックスは、強烈に俺の頭に焼き付いている。
一回の裏、バッターは一番の屋久。いきなりバントの構えをして相手の失笑を買っていたが……二球目に見事にバスターを決めた。練習の成果……らしい。
二番御曽がバントで送り、三番黒沢はセンター前に、二塁ランナーが帰ってこれない程の痛烈なヒット。絵に買いた様な攻撃で、バッターは高校球界最強の……と言いたい所だが、本人が認めてくれないので、高校球会屈指に止めておこう……真壁大成である。
相手投手は、この男がとてつもない打撃技術の持ち主である事を知っているらしく、ピッチングは弱気そのものだ。結局カベは、バットを一振りもせぬまま一塁へ歩く羽目になった。がっかりだ。相手バッテリーは、一応勝負には行っているから文句は言えないけど、スカウトの前で実力を見せるチャンスなのに……。
結果、一回の裏、俺達五塚高校は三点をもぎ取って攻撃を終えた。やはり、皆の振りが鋭い。これは、錯覚などではない様子だ。
二回の表、平工業の攻撃。この回、俺は投球練習中から違和感を感じていた。肩や肘の違和感という意味ではなくて、なかなか思った通りのボールが行かない違和感だ。前の回はばっちりだったのに、これはどういうことだろう?ま、投げてる内に治るかもな。
高をくくって、既定の練習の投球数を終える。バッターがボックスに入る前に、またスカウトらしき人に目が行ってしまった。
(俺の事、どんな風に見てるんだろう?)
(俺の事、どんな風に報告するんだろう?)
次から次へと浮かび上がる疑問。それに気付いた俺は、自分の中の功名心の大きさに今更ながら驚いた。
そんな気持ちを持ちながら投げていては、集中力が欠けるのは当然で、俺は三連続フォアボールを出してしまう。たまらずカベがマウンドへやって来た。
「おい……どうした?」
マスクを外して、心配そうに尋ねて来る。
「はは……いや、スカウトが来ていると知って緊張してるらしい」
正直に打ち明けるのはみっともないが、カベの不安は取り除かねばなるまい。
「なんだ、そうか。それなら、聖のピッチングをすりゃいいさ。力を抜いて投げても、140キロ以上は出す自信位あるだろう?」
うなずくと、カベはふっと小さく笑った。カベの笑う顔など、例え微笑みのレベルでも、そうそうお目にかかる機会はない。
「そんなピッチャー、高校球会にざらにいるもんじゃない。確実にマークされてるから心配するな。この一試合くらい悪くても、聖には伊東をキリキリ舞いさせたっていう実績があるんだ。評価は下がりはしないよ」
さすがはカベ……この言葉、今までに何回使ったか知れないけど……俺の胸中など御見通しだ。カベは俺のケツを二度、ミットで軽く叩いてからホームへ戻って行った。
心が軽くなった俺は、只カベのミット目がけて投げる事にした。
でも……
俺って単純……。
その単純な俺は、無死満塁のピンチを、三振三振内野ゴロに抑えた。カベのアドバイス通り力を抜いて投げたら、力んでいた時よりも素晴らしいボールが行くようになった。ゴロを打ったバッターなんて、手がしびれたようで、顔をしかめて手を振っていたっけ。下手すりゃ折れるぞ。ま、野球をちょっとでもやった事のある人間にとってなら、力み過ぎが良くないのは当り
前の事だけど。さっきの俺は、そんな事も忘れていた訳だ。カベのアドバイスは、実に簡潔かつ明瞭だ。
さて、二回の裏は五塚高校の攻撃。打順は折しも、真壁大成。もはや風格すら漂うその立ち居振舞いは、つくづく味方で良かったという安心感と、天才野球選手は斯くスマートであるべし、という印象を与える。バッターボックスに入り、いつものように左手一本で
バットを持って、ピッチャー方向に向けた後、下回りで半周させてから、右耳の後ろで両手で握る。イチローが同じ様な仕草をして構えに入るな……と思った。相手ピッチャーは、前回の打席と同じくビクビクしていて、背番号1を付けるタマとはとても思えない。自分の実力が相手より劣っている事が分かるなら、せめて堂々としていなければ。エースがこれじゃあ、回りの士気にまで影響する。さて、第一球目は……幾分外角寄りの、低めのボール。コースはストライクぎりぎりだが、いかんせん球速が無い。カベの瞳には、低めであろうがホームランボールに映っているだろう。案の定、カベの上げた左足がカカトの方から着地し、猛烈に地面を捻る。足から伝えられた回転力は腰を通過し、更に力を増して行く!!最後に腕が回り、ボールをバットの芯で捉えた!!バキッ!!快音を残し、打球は高い弾道でレフトへと舞い上がる。
(はい、御愁傷様。推定飛距離、135メートルの特大……ん?)
俺が飛距離目算を始めた所で、打球がみるみる急失速した。高い弾道だったので、レフトも追い付いている。
結局、フェンス手前で落下してきて、レフトフライになってしまった。
(おかしいな、真芯を食った完壁な当たりに見えたんだが……本人にしか分からないレベルの打ち損じだろうか?)
いかにもやっちまった、という表情でベンチに戻って来たカベ。
「おい、打ち損じか?」
明るく聞いてみると、何とその答えは……
「緊張して力んじまった」
だった。
「緊張って?」
「決ってるだろ、あの珍客のお蔭さ」
と、バックネットの例の人物をアゴで示す。
あの、何事にも動じないカベがスカウトの目を気にしていたとは!!でも、ちょっと考えたら、もともとカベの方がハングリー精神が強いのはすぐに分かる。現代では滅多にお目にかかれない、貧困から抜け出す方法としての野球。小学校の時からプロで活躍して高給を取るのを目標とし、中学を経て、今その夢の一歩か二歩手前まで来ているのだ。俺とは背負っている物が違う。
「智には力を抜けって言っておいて、自分がこれじゃあな。俺もまだまだって事さ」
カベはそう力無く笑って、レガースを着け始めた。俺はそれをただ見つめるだけだ。
さて、回は進んで8回の裏、ツーアウトランナー無し。我がチームは、初回の3得点で安心してしまったのか、追加点が奪えずにここまで来て、スコアは3対0のまま。俺は、初回のピンチ以外は無難に切り抜け、課題だった無駄なフォアボールも、あの三連続以外に一個だけで、三振を奪う数もやや控え目。打たせて取るピッチングを心がけて、手応えを感じていた。
バッターは、その投球を支える五塚高校のキャプテン、カベ。もう5打席目になるが、あの大レフトフライ以降もキャッチャーフライ、セカンドゴロ、センター前ポテンヒットと、バットから快音は響いていない。(おそらく)最後の打席位、景気良くガツンと行って欲しいものだが。
ピッチャーは、もうこの点差ではどうする事も出来ないと悟ったのか、今までのおどおどした感じは無く、のびのびとしたフォームで一球目を放った。ボールは内角低めぎりぎりに決まり、ストライクワン。なんだ、いい球も投げられるんじゃないか。ピッチャーには、開き直って投げる事も大切なんだな。考え過ぎていい事は無い。
カベは、相手が素直なボールで勝負してくるのが分かったらしく、その瞳に炎が宿った。……いくら相手がいい球を放るといっても、カベにとってはバッティングピッチャー同然だ。
第二球目、カーブが外角に外れたのを挟んで、第三球目。ピッチャーは、カベの肉食獣の様な瞳に魅入られたか、ド真ん中やや高めの直球、サービスボールを投げた……いや、これはもうカベが投げさせたと言っても差し支えないだろう。
(イッたれ、カベぇ!!)
ぎりっ、と歯を食いしばる音が聞こえそうな程、カベの全身に柔軟性の生み出す力が篭る!!
がっき!!
インパクトの瞬間、ボールが潰れたかと錯覚させる程の衝撃音が発生し、
いいいいん……
と、余韻を残して、打球はセンター方向へライナーで飛んで行く!!
(はい、今度こそ正真証明の……あら?)
今度は打球が低過ぎて、防球ネットを直撃した。しかも、あまりの打球の速さと、予め外野が深い深い守備位置に着いていた為、なんとシングルヒット止まりになってしまうのだった。ネットを直撃した際には、まだ打球は下降線を辿っていなかったから、推定飛距離……約140メートル級の一撃。普通の球場だったら、間違い無くバックスクリーン直撃の特大ホーマーだ。一塁上のカベも、その事は承知しているらしい。満足そうにうなずいている。肝腎のスカウトはというと……なにやら色めき立ってメモを取っていた。どうやら、強烈なインパクトを与えた模様だ。そうそう、それでいい。せいぜい、目の前の天才選手に興奮するがいいさ。
最後の攻撃はカベの120メートル級シングルヒットだけに終り、9回の表を無難に無失点できり抜け、この試合、俺達五塚高校は3対0で勝利した。新チームの初陣としては、上々な滑り出しと言えるのではないだろうか。
俺の投球成績は……
投球回数 9
投球数 120
被安打 5
被本塁打 0
奪三振 9
与四死球 4
失自責点 0
と、自らに課した省エネの課題は何とかクリアーした(ほんとに……あの三連続フォアボールさえ無ければ格好が付くのにね)。その省エネを支えた新兵器も威力を発揮した様だ。カベに内緒で投げていたこのボール、やはり奴の興味を引いたらしい。何故ならば、試合後の後片付けの時に、マネージャーズの片割れ、湯河原が持って来てくれたスポーツドリンクを飲んでいると……
「おい、オレに内緒で新しいボール投げてたろう?」
と、案の定カベが耳打ちして来たからだ。
「分かるか?」
「ああ、ボンクラどもの目は誤魔かせても、オレの目はそうは行かんぞ。さあ、白状しろ」
俺の座っている木製ベンチを跨ぎ、対面へと腰を下ろし、強羅の差し出したスポドを一気に飲み干してから、俺にずずいっと詰め寄る。
「何だよ……お前に秘密にしてたのを怒ってるんなら悪かったよ。捕りにくかったか?」
「オレはそんな事を聞いているんじゃない。あの速球の事だ!!速球の約半数が、微妙に揺れながらのボールだったぞ?いつ憶えたんだ?」
「流石は真壁様、気付いていたか。あのボールは……」
「ツーシームファスト……だろ?」
カベの意地悪。格好良く披露しようと思ったのに。
「分かってた?」
「ああ。指先で変化を付けている様には見えなかったからな。ノーシームという手もあるが、多分ツーシームの方がボールが纏まり易いだろうし」
「まあ……ね。ちょっと心境の変化があってさ。打たせて捕るボールもあった方がいいかなと思って」
日本では普通、直球の握りは、中指と人差し指をチョキの様に出したとすると、ボールの縫目が指とクロスする様に、「#」の様に……この場合、縦線が二本の指、横線がボールの縫目だ……そう教わる。つまり、二本の指とボールの縫目との接点が四っつ出来る。つまり、普通の直球はフォーシームという訳だ。これに対してツーシームとは、その名の通り縫目を二本しか掛けずに投げる球を言う。こうすると、ボールの回転が少なくなり、微妙な変化を起こし易くなるのだ。いつだかテレビで見たが、日本人メジャーリーガーの一人が、「日本の普通の直球の握りで投げている人は、こっち(アメリカ)では殆どいない」と言っているのを聞いた事があって、本を見て研究したのだ。にわか仕込みにしては上手くいった。
「これで聖もメジャー級ピッチャーか……高校卒業したら……いいや、今すぐトライアウト受けに行けよ、通用すると思うぜ。」
「茶化すなよ、その気になっちまうだろ?」
誉められて背中がこそばゆくなった俺は、肩を大袈裟にすくめておどけた。しかし、カベは真剣な顔で
「茶化してなんて……」
と言って、その後の言葉を飲み込んでしまった。うう、聞きたい、天才の言葉を!!しかし、カベはそれ以上を語ろうとはせず、そのまま俺に何も告げず一人で帰った。もちろん、定例の蒼空亭での反省会は無し。帰り道のなんとも味気ない事。再び、友達のいない中学時代に戻ったかの様だった。ただ、その時と違うのは、家に帰れば家族が待っていると言う事。これは本当に有難い。特に、今日みたいに疲れた日にとっては……。
それにしても、カベ、茶化してないなら何なんだよ……俺は、お前の本心が聞きたいのに。




