第01-01話
次の日、俺は強烈な太陽光で目を覚ました。どうやら、今日もかんかん照りになるらしい。俺としては、やや日が陰っている方が涼しくていいのだが……ま、おてんと様に文句を言ってもしょうがあるめぇ。とにかく、あと一試合なのだ。あと一試合に投げれば、俺の仕事はひとまず終わる。俺の頭の中には、最初っから甲子園に行くという選択はない。何故なら……
「お兄ちゃん!!起きてるのっ!?」
階下から怒鳴り声が聞こえてきた。
「もう真壁さんが待ってるのに!!早く起きないと試合に遅刻しちゃうよっ!!」
そんな事を言われても、体が言う事を聞かない……。
しばらくベッドの上でうつ伏せになっていると……
とんとんっ、と、怒鳴り声の主が階段を登る足音が近づいてくる。どうやら、のんびりと考え事をしている暇はないらしい。だが、結局俺の意思に反して、体は睡眠状態から覚醒することを拒否してしまった。
ノックもされずに、ドアが開く。
「もう、さっきっから呼んでるのに……聞こえなかったの?」
顔を出したのは、栗色の、腰まである柔らかそうなロングの美少女だった。普段はややタレがちな瞳は、今はつり上がって俺を睨みつけている。
ああ、どんな表情でもこいつはとびっきりの美少女だな……
だけど、今はそんなモノに負けないぞ。俺は、頭までタオルケットを引っ被った。
「お兄ちゃんってば!!」
その美少女は、俺の体をゆさゆさと揺すり始める。
「う~ん、気持ち悪いからやめてくれ、真理」
「じゃあ起きれば?試合に出たくなければ」
その言葉で、ぱっと目が覚める。
タオルケットから頭だけを出すと……腰に手を当てて仁王立ちの真理がいた。
こいつは、加藤 真理。俺の……義妹だ。しかし……いつもなら、寝坊していても起こしに来てくれる事などないのだが……
「さっきも言ったけど、もう真壁さんも来てて、お兄ちゃんを待ってるんだよ?それとも、真壁さんを怒らせたい?」
そういう訳か。ならば、起きねばなるまい……って、そんな理由はどうでもいい。とにかく今日はちゃんと体を目覚めさせなければならない。
「わかった、起きるよ……ふああぁ」
大きな欠伸を一つカマして、ベッドから立ち上がる。
「きゃ!!」
真理が短い悲鳴を上げ、耳たぶを真っ赤にして顔を背けた。
「な、なんで裸で寝てるのよぉ」
見れば、何時の間にかトランクス一丁になっている。おかしいな、昨日はちゃんとTシャツと短パンを穿いて寝た筈なんだが……あんまり暑いんで、夢うつつでストリップしちまった様だ。
「いいじゃねえか、見られて減るもんでもあるめぇ」
「言葉の使い方間違ってるよ、お兄ちゃん……ちょっと、何でぱんつに手を掛けてるの?やだ、ここで脱がないでよ、脱がないでってば!!もーっ」
真理は慌てて部屋を出ていった。
全く……あのまま部屋に居座られちゃあ着替えも出来ねぇっての。ちなみに、トランクスまで脱ごうとしたのはもちろんブラフだ。
さて、とっとと着替えて一階の居間へと降りて行く。テーブルの上には、半ば冷めかけた焼き魚と丼ぶり飯という、やけに遅い朝食が用意されていた。そして、それを挟んで向かいの席に、大男がスポーツ新聞を、さも不機嫌な表情で読んでいた。
「今日も大きく乗ってるぜ、聖の事」
そいつは、スポーツ新聞の高校野球欄を見せてよこす。
「無名公立校の新星、加藤聖(県立五塚高校)、ついに決勝戦へ!!」
確かに俺の名と、マサカリ投法でピッチングする瞬間の俺が掲載されていた。もちろん全国版に、だ。
俺の名は加藤 聖。県立五塚高校に通う、高校二年の17歳。ひどくへそ曲がりで、料理の味にちょっとうるさい野球部員だ。この家に、滅多に帰ってこない親父を除き、三人の姉妹と一緒に暮らしている。
「ま、初めて載った時から比べりゃあ、新味は薄れたよな」
「贅沢な奴だな。中には、記事で取り上げてもらいたくても、一生縁のない奴だっているだろうに」
「他人のことなんてどうでもいい。自分でもあんなピッチングができるのが半信半疑だっていうのに、そんなことまで考えてられるか」
「……確かにな」
大男はそうつぶやいてスポーツ新聞を畳んだ。こいつは、真壁大成。俺の中学時代からの「恋女房」、「正妻」…………要するにキャッチャーだ。ファーストネームは、「タイセイ」ではなく、「ヒロシゲ」と読む(俺は、愛称の「カベ」で通しているが。ホームベースを守っている時の、鉄壁と言いきれる信頼感からと、姓に引っ掛けて、俺だけが勝手に使っている)。カベとは、中学時代からの恋女房にして、唯一無二の大親友でもある。無口で評判らしい(カベ談)俺と、同学年でただ一人口をきく男だ。それにしても……
「おいカベ、朝っぱらからどうしてそんなに不機嫌なんだ?」
聞くと、カベは俺を睨んで、
「昨日……オレの家まで迎えに来るって言ってた奴はどこのどいつだったかな」
時計を見ると、もう十一時を廻っていた。
「な、なんだ、本気にしてたのか?てっきり、いつもの事だから信用してないとばっかり……」
「お兄ちゃん、そんなことばっかり言ってると本当に信用失っちゃうんだからね!?」
そう言ってキッチンから、俺を起こした小柄な声の主が姿を現した。
「いっつも真壁さんに起こしに来てもらっちゃって。その上、守れない約束まで……ちゃんと謝ったほうがいいんじゃない?」
味噌汁をよそいつつ、俺をたしなめるエプロン姿のこの女の子は、加藤真理。俺の義妹だ。身体は小さいが、その内に秘める存在感……みたいなものは、他を圧倒する。周りが放っておかずに、常に誰かの心を捉えて止まない……早い話が、並みの美少女じゃないって訳だ。
「分かった謝るよ、カベ」
「もうそれはいいから、とっとと飯をかっこんじまえ。エースが試合に遅れるなんて与太で新聞のネタ、シャレにならんぞ」
「大袈裟だなあ。そんな時間かよ」
「そこまでじゃないが、もう集合時間まで二時間しかないんだぞ?今日も横浜スタジアムなんだからな?現地に行くまでに一時間は見ておかないと」
「二時間もあれば充分さ」
うちの学校は、電車だけで行き方の易しい遠征は、基本的に現地集合だからな、自主性を重んじるとか何とかで。部員全員で電車に乗るより、よっぽど気を使う。味噌汁を啜りながら居間を見渡すと、もう二人の家族の姿が見当たらないのに気がついた。
「真理、姉さん達は?」
「由紀お姉ちゃんも美奈津お姉ちゃんも、もう出て行っちゃったよ。球場に行く前に用事があるんだって。試合開始には間に合うから……って、昨日の夜、二人が話してたの聞いてなかったの?」
真理は、なにやら支度をしながら答えた。
「そう言や、そんな事言ってたような気がする」
頭を掻くと、真理が浅い溜息をついた。
今日は、俺の大一番だ。それを、俺の姉妹達全員が観戦しに来る。準決勝までは来てなかったから、この一戦の重みを分かってくれているんだろう。昨日から、観戦の話で興奮してたっけ。
「よし、カベ。そろそろ行くか」
自分で食器を片した俺は、丁度新聞を読み終わったカベに声を掛けた。
「ああ……」
カベも席を立ち、二人で玄関に向かう。
「お兄ちゃん!!」
「ん?」
真理が、上がりかまちに座って靴紐を結んでいた俺を呼び止めた。
「はい、お弁当。軽いものだけど、すぐにエネルギーに変わって、消化にいいものばっかり入れておいたから」
「おう、気が利くな」
弁当を受け取って、真理を見上げると……
瞳をうるうるさせていた。
「頑張ってね!!」
しばらく黙っていた後、やっとそれだけを口にすると、居間の方に戻っていった。大袈裟な奴だ……何も戦場に行く訳じゃないだろうに……いや、野球選手にとっては結局、球場は戦場か。真理も、それが解っているからこそ、涙で俺を送り出したのだろう。
俺とカベは道具を担ぎ、運命の戦場へと向かったのだった。