第04-03話
或る日の夕方……。俺は、部活の帰りに、学校の近くにある神社へと寄り道した。カベは用事があるとかで先に帰っていて、今は俺一人だ。
高台にあるだけあって、街が一望出来る。東の空は薄紫の帳が降り、西は鮮やかな夕焼けに染まっていた。都市部から若干外れたこの辺りには、まだまだ蝉がいっぱいいて、今の時間はヒグラシが涼しげに鳴いている。社の石段に腰掛け、途中で買った缶入りの麦茶を飲む。
目を閉じると、夕方の涼しい空気とヒグラシの泣き声とが、なんと無く寂しげに伝わって来る。
高2の夏が、また一日過ぎ去ろうとしているのだ。去年までは、こんな気持ちになる事はなかったのに……。俺自身が、今の時間が貴重だと感じているのだろう。野球をやっているせいかも知れなかった。
今にしか出来ない事は、今の内にやっておきたい。だが、それが何なのかと聞かれると…….分からない。その事が不安を掻き立てる。
今まで、何の目標も無しに生きて来た俺。高校も、何の目標も無く公立の普通科を選び、さりとて大学に進もうなどという気は全くなかった。ただ流されるまま、ただ無理をしないままに、時間を費やして来た。だが、今の俺には野球が有る。未来への不安など、マウンドの上ではこれっぽっちも思い浮かばない。ただ、目の前のバッターを打ち取る事に、無失点に抑える事に集中出来る。
でも、もし、野球野球が出来なくなる位に肩を故障したら??突然、この右腕が無くなったら?俺という人間が全て否定されてしまうのだろうか。そんな事は、今は考えたくはないが、それでも……全身全霊を込めて野球に打ち込んだ、自分の信じるものに全てを投入したという財産は、消えて無くなる物ではないのだ。今は、野球に打ち込んでいる時が一番充実している。自分の腕に、悔いの残らないように、全てを注ぎ込みたい。それが、高校生活の証となるように……。
時々、こうして自分の心を確認しに来る。得体の知れない不安もまた、野球に打ち込めば打ち込む程大きくなって行くからだ。だが、ここに来て一人で考えれば、大概気持ちの整理はつく。
考えをまとめた俺は、カラになった麦茶の缶を握り潰し、近くの空き缶入れに捨て、一つ大きな伸びをした。足元には、いつの間にやって来たのか、ここの神主さんが野良猫を飼い慣らしたらしい馴染みの白猫、「ヴァイス」が俺の足に体を擦り寄せていた。見上げると、薄紫の帳は濃紫に色を変え、空の半分以上を覆い隠している。神社に隣接している幼稚園の時計を見ると、7時近くになっていた。
(そろそろ帰ろう……)
猫に少し構ってやってから、長い下り坂を早足で降りて行った。背後から、ヴァイスの「にゃん」という声が聞こえた。
「また来てね」とでも言ってくれていればいいが。
自分の家の前まで来て、明りがついているのを確認する。三姉妹がやってくるまでは、一人明りの灯っていない家に帰るなんて何でもない事だったのに、今ではこうして、誰かしらが先に帰宅している事を確認しないと安心しない。例えば、三姉妹がたまたま出払っていて、後で帰って来ると分かっていても、一人その帰りを待つのが寂しくなってしまう。一旦家族の温かみを味わってしまったら、もう元の生活には戻れないらしかった。所詮、俺も寂しがり屋だったって事だ。
玄関のドアを開けると、中から良い香りが漂って来た。
「ただいま」
誰に言うでもなく、けれど誰かに聞いていて欲しくて、帰宅を知らせる。土間の履物の数が、三姉妹全員が帰宅している事を語っていた。
ぱたぱた……
遠くからのスリッパの音が段々大きくなって来て……顔を出したのは真理だった。
「お帰り、お兄ちゃん!!」
「おう、ただいま」
真理は、縁にフリルのいっぱいついた「若奥様御用達エプロン」を纏って微笑んでいた。このエプロン……見覚えがねーな。ウチにこんな物あったか?それにしても……良く似合っている。
「どうしたの?お兄ちゃん」
「いや……今日の飯は……」
俺は、真理を見ていたとは素直には言えずに、照れ隠しも含めて鼻をひくひくさせた。
「これは……ラザーニャだな?」
「当ったりー!!さすがお兄ちゃん。早く食べよ、みんなお兄ちゃんが帰って来るのを待ってたんだから。今日のは……あっ!!」
そこまで言って慌てて口をつぐむ。
「今日のは……なんだ?」
「ううん、何でもないから、早く着替えて来てね」
そう言って、一旦は奥に引っ込んだ真理だが、再び顔を出して……。
「ちゃんと手を洗って来るんだよ」
と。んな事ぐらい、言われなくたってするよ。自分の部屋で着替え、言われた通りに手を洗って、加藤家の食卓へと赴く。テーブルには、今しがた真理がレンジから出して来たばかりの、人数分に小分けされたグラタン皿が並んでいた。しかも、ご丁寧に俺の席には赤ワインが添えられている。こうした配慮もまた嬉しいものだ。尤も、四人の中で酒を飲んでいるのが俺一人という引け目はあるが……由紀姉さんも飲めない事はないのに、妹達の前で飲酒をしたのを見た事が無い。
椅子に座り、向いの美奈津の顔をちらりと見やる。が、面白そうな顔はしていない。かといって、不機嫌な訳でもないが……。美奈津と真理は、あのゲーセンでの一件があってからなんとなくギスギスしている様に見える。他人には分からない、本当に僅かな違和感だけど……。美奈津の隣に居て、俺に柔らかな微笑みを投げかけている由紀姉さんは、その事に気づいているのだろうか。しかしその微笑みは、どことなく沈んでいる様に見える。
真理が席に着いて、夕食の始まりだ。取り敢えず俺は、赤ワインをグラスに一杯飲んでからラザーニャを口に運ぶ。真理が、やけに期待を込めた視線で俺を見ているのが気になったが……。
一口食べて、その視線の意味が分かった。
(これ、真理が作ったな……?)
いつも、俺と由紀姉さんと二人の内、先に帰って来た方が食事を担当する事になっている。だから今日のラザーニャも、姉さんが作ったと思い込んでいた。玄関で見た真理のエプロンも、てっきり姉さんの手伝いの為にしてたものという以外の発想は浮かんでいなかった。
「どお?美味しい?」
真理が興味深そうに聞いてくる。味は……はっきりいって美味い。ただ、姉さんの作品とは味の系統が違うというだけだ。由紀姉さんは高校生の頃に、パスタ専門店、しかも厨房でバイトしていたらしく、たまにパスタ類を振舞ってくれるのだ。だから、常に本格派……とは行かない。家と店じゃ材料と火力が違うからな。そういう意味では、由紀姉さんと真理の作った物には、材料面での差はない筈だ。だが、一口食べて違いが分かった様に、その経験の差による味の差は大きい。真理のは美味いけど、由紀姉さんのの方はもっと美味い訳だ。
「美味いよ……」
素直に感想を告げる。勿論、「由紀姉さんの方がもっと美味い」の部分は置いといて。店で作り方を憶えて来たんだから当り前だ。
「ほんと?」
「ああ、初挑戦にしちゃ上出来だよ、真理」
「えっ?」
真理は大きく瞳を見開いた。何だ、期待に輝いてる瞳でバレバレなのに、分からないとでも思ったのだろうか。
「やっぱり……分かっちゃうんだ、お兄ちゃんには……」
「ああ、いつもと味が違うからな」
「不味かったって事?」
「言ったろ、美味かったって。ただ、由紀姉さんとは違う味だと思っただけだよ」
「そう……でも、お兄ちゃんに誉められたんだから、喜んでおかなくちゃね」
「そういう事だ」
俺は、二口目を口に運んだ。本当に……本当に微妙な味の差なのだが。
それから、真理と由紀姉さんは、料理の話題で盛り上がっていた。一方、料理オンチでその話題にも乗れない美奈津は、相変わらずつまらなさそうにラザーニャを食している。どうも……こちらも微妙なのだが……ズレが生じている感覚が拭えないのであった。
夕食の後、自分の部屋でハンドグリップをニギニギしていると、
とんとん
と、軽くノックをしてくる者が居た。
「どーぞ、入って」
言って、ハンドグリップをベッドの下に仕舞う。
がちゃりとドアを開けて入って来たのは、由紀姉さんだった。
「どしたの、こんな時間に……」
言うほど遅い時間でもないが、やっぱりキレイな人が目の前にいると緊張してしまう。例え、一年半近くも一緒に暮していても。増してや、二人きりじゃあね。姉さんにはベッドに座ってもらい、俺は床のクッションの上に座る。
「うん……今日、良く気づいてくれたわね」
「真理が夕飯作ったって事?」
「ええ。私はそばでアドバイスしていただけなんだけど、結構美味しく出来たでしょ?ひょっとしたら気づかないかと思ったけど……」
「いや、結構味の違いはあったと思うよ。だからすぐ気づいたんだ。……けど、姉さんが美味しいっていう位なんだから、上出来だったんじゃない?」
「そうだけど……。聖君には微妙な違いが分かるのね。でも、私はあの子達の姉として失格かも知れない……」
姉さんは、憂いを含んだ瞳を伏せてしまった。
「ど、どうしたの姉さん?ラザーニャの味の事?」
「いいえ……聖君は気づいてる?今、真理と美奈津がなんと無くよそよそしいのを……」
やはり姉さんも気づいていた。二人の姉なのだから、当り前といえば当り前だが。それにしても、姉失格とは?
「ああ、ここ最近だよな。なんかこう……表面上はいつもの通りだけど、水面下では違和感がある」
「そう。だから気になって、二人に聞いてみても、何でもないとしか言わないし……」
姉さんが聞いても答えが得られないんじゃ、俺が何を聞き出そうとしても無駄だろうな。
「心当り……有る?」
「無い事も……無い」
俺がそう告げると、姉さんは顔を上げた。その拍子に視線がバッチリ合ってしまい、慌てて逸す。
「心当りって?」
「この前、美奈津に引っ張られて買物に行ったんだよ。その時に真理とバッタリ会ったんだけど……何か、美奈津が真理に「お兄とデートしてる」って自慢気に言ったんだよな。そしたら真理は、邪魔しちゃいけないって帰っちゃって……。美奈津はその後に、「真理はお兄を自分の物だと勘違いしてる」とも言った」
姉さんはそれを聞くと、はあ、と深い溜め息を一つついて……
「そういう事だったのね……あの子達の年頃なら仕方のない事だけど、やっぱり仲良くはして欲しいわ……何しろ、この世で唯一の姉妹なんだから。でも、こういう経験をして成長するんだものね、私からは何も言えないわ」
と、納得してしまった様だった。当然、俺には何の事やらチンプンカンプンだ。
「姉さん、一人で納得してないで教えてよ。どういう事?」
今度は、姉さんが唖然とする番だった。
「なあに?じゃあ、聖君は分からないの?」
「へ?何を?ケンカ……って言うか、二人がトゲトゲしい事の理由でしょ?分からないよ」
姉さんは、俺の顔をしっかりと見つめ直す。ちょっと……恥ずかしいぞ。
「聖君……あなた、恋愛した事ある?」
「はぁ?」
いきなりの俺の専門外の質問に、思わず固まってしまった。
「真理達の事と何か関係があるの?」
「そうよ。だから答えて。恋愛経験、豊富な方?」
「まさか……!!俺なんかどう見たってモテる様には見えないだろ?」
姉さんの御尊顔が一瞬にして曇る。
「そんな事……どうして自分を卑下する様な事を言うの?今の聖君は、言うほどモテない様には見えないわ。……ひょっとして、過去の失恋のせい?」
「……今考えてみると、そうかもね」
「良かったら聞かせてくれない?勿論、無理にとは言わないけれど……」
「うん……」
素直に答えるべきかどうか、正直言って迷ったが……結局、正直に話す事にした。自分の心の中の三年間のわだかまりを、誰かに打ち明ける事ですっきりさせられるかも知れないからだ。こうして喋る気になったのも、相手が由紀姉さんなればこそだ。
「じゃあ、聞いてくれる?俺が中学二年の頃だったんだけど……」
過去を語り始めたので、由紀姉さんは神妙な顔つきになった。姉さんも、俺が過去を話すのが珍しい事位知っているだろう。よっぽど聞かれなければ語らないつもりだったんだけど、真理達の事に関係するなら仕方が無い。
今から三年前……。俺には好きなコが居た。中学一年の時に同じクラスで、席が隣同志になった時に親しくなった。顔見知りの筈が、いつの間にかはっきりとした憧れになっていた。いきさつは自分でも分からない。ふと気がついたら……という訳だ。
そのコの名は、河村蛍子。小柄の細身で、いかにも女の子らしい可愛い外見をしていた。果敢無い名前の割に活発なコで、和泉中学近辺では盛んだったハンドボール部に入っていて友達も多く、それに比例して男どもからの人気もあった様だ……当時は、他の男の事など気にもしなかったが。
隣の席になった時、無口な俺にも積極的に話し掛けてくれたから、俺にとって印象が良かったんだろう。で、この歳頃の男っていうのは、「特に目立ってもいない自分に話掛けて来るのは、自分に好意を持っているからなんじゃないのか」と勝手に解釈しがちだ(俺だけか?)。小学校の時に腰まで伸ばしていた髪を、中学に入学する時に、部活をやるのに邪魔になるから、とバッサリ切ってしまったという話を人づてに聞いて、その潔さにも惚れた。嫌味も無かったし、明るいコは嫌いじゃなかったし、それに何と言っても、彼女は無条件に可愛かったから、恋愛感情を抱くには十分過ぎる相手だったのだ。
二年になってクラスが違ってしまうと、今度はその姿を見るだけで嬉しかった。声を掛けてもらえたら、それだけで舞い上がってしまって、ヘタな事を言わない様に言葉を選んで、ますます無口になったりもした。隣の席の女の子がたまたま彼女と知合いで、いろいろと相談に乗ってもらったりして、その事を彼女が誤解しなけりゃいいが、とか勝手に心配したりして……
今思えば、単なるバカだな。誕生日プレゼントなんてあげた時にゃあ本当にどきどきしたね。自分の手からはさすがに渡せなかったけど、これで彼女も俺を完全に好きになった!!と思った。ところが、告白して彼女の気持ちを確かめるのには、どうしてもためらってしまった。彼女は、95パーセント位は俺の事を好きだろうと想像していたが、後の5パーセントが恐かった。今だったら、1パーセントも好かれていなかったというのは容易に想像がつくが。
それでも彼女が、衆人監視の中で俺と腕を組んで、
「加藤くんは私のものなんだから!!」
とやった時とか、俺に何かの雑誌を見せに来て、顔同志を接近させた時とかには、心臓が止まりそうになった。もうこれは告白するしかないと、俺が腹を決めた事件群でもある。
秋晴れの或る日、俺は夕方に、彼女を学校近くの公園(彼女の家自体が学校にメチャ近かった)に呼び出した。彼女を待っている間、どうやって話を切り出そうか、その事ばかりを考えていた。でも、彼女がやって来、
「加藤くん、お話って?」
と、自分の可愛さを自覚しているんだろう魅力的な笑顔を見せられると、もう止まらなくなった。
「お、俺、河村の事……好きだ!!一年の頃からずっと好きだった!!だから、俺とつき合ってくれ!!」
と、ついにやってしまったのだ。彼女はうつむいて沈黙していたが、もう俺の中では断られる筈がない、ここまで言ったのだから、と半ば決めつけていた。夕焼けがキレイで、人生で初めて彼女の出来る日にはふさわしいな……とか、勝手に……後で思い出したら恥ずかしくなる様な事を考えていた。
「ぷっ……」
沈黙を破ったのは、彼女の吹き出す声だった。
「ぷぷっ……くす……」
呆気にとられる俺。ここで既に、嫌な予感が芽生え始めていた。
「あは、あははは!!」
彼女は、遂に堪え切れず笑い出してしまった。惚けた様に立ち尽くし、掛ける言葉も見つからない俺を後目に笑い続ける。
かっきり一分は笑い続けただろうか……その間、俺の中では、必死に、嫌な予感を認めるのとそれを否定する戦いが行われていた。しかし、その戦いは……絶望的な物だった。大体が、告白されて笑う奴なんて、相手を恋愛対象として見てないって事だろうから。 その予想は、彼女の言葉で裏付けられた。
「あはは……ごめんね、こんなに正直に引っ掛っかってくれるなんて思ってもみなかったから……」
彼女……いや、河村は涙を拭きつつ言った。さも楽しい事であるかの様に。
「あのね、私は最初からアナタをからかってたの。分からなかった?アナタ、モテる様には見えなかったから、ちょっとボランティアのつもりでね……」
嫌な予感、大的中。俺の方もあまりの大的中ぶりに何のリアクションも起こす気になれなかった。
「マジになってくれたのは良かったケドさ。あんまりマジなもんだから、バラすタイミングを失っちゃったのよ」
涙は出なかった。ただ、どうして見抜けなかったんだろう、それだけが悔しくてならなかった。
「考えてもみてよ、私だって相手は選びたい放題なんだから。加藤くんだって特別悪いとは言わないけどさ。……分かるでしょ?言ってる意味」
……鏡を見ろって事か。そうだよな、俺みたいな、ダサい上に性格の悪い男に好意を持ってくれるコなんている筈ないじゃないか。分かってた事なんだ。ただ、俺は夢を見ていただけなんだ。一年以上の長い夢を……。
「まあ、そういう事だから。じゃ、私忙しいから……ばいばい」
手を振り走り去っていく河村。罪の意識は無いらしい。虚ろな瞳でそれを見送る俺。ただつっ立っている俺を不思議そうに眺めに来た男のガキんちょが、俺の顔を見て逃げ出して行った。自分じゃ分からないけど、きっと人間とは思えない表情だったのだろう。その日、何もやる気の起きない俺は、辺りが真っ暗になってもそこにたたずんでいた。家に帰っても、学校にも、慰めてくれる様な人は誰も居ないから……。
後日街中で、河村が明らかに俺より見栄えのいい……俺より背が高く、俺より細身で、俺より顔がいい男と、仲良く腕を組んで歩いているのを見て、益々自分の、あらゆる面での情けなさが身に染みた。
この時から俺の頭に、女は姦しい、女は嘘ツキ、女は恐い、女はずるい、といったイメージがまとわり付く様になったのだ。
思い出していて、自分のバカさ加減に胃が痛くなるようだった。身を削るとはこの事か。
話し終ると、由紀姉さんは、
「酷い子……一年半も人の気持ちを弄んで……信じられないわ……」
と、眉をしかめて首を振る。
「でも彼女を憎んだり、罵倒するつもりはないんだ。もともと俺の勘違いなんだから彼女に罪はないし、また彼女を蔑んだりしたら、その程度の女を好きになったのかって、自分をも否定しかねないから……」
こうして三年の時を経ていても、やっぱり辛かった。傷は癒えていない。
「聖君……」
由紀姉さんは、複雑な表情で俺を見ていた。
「ま、そんなもんだけど……さあ、それがどう真理達の事とつながりがあるのか教えてよ」
姉さんはしばらく考えて……
「答えは、聖君の為にならないから直接言わないけど、ヒントを一つ」
「え、え?俺の為に……ならない?」
「そうよ……ヒントね……」
ごくり。
「聖君……貴方に恋してしまう子だっているかも知れないのよ。お願いだから、そんなに自分を何の魅力もない人間だって卑下しないで。今の聖君は十分輝いているから……」
それがヒントなのか??そう言われても、俺にはすぐに信じる事など出来ない。由紀姉さんや、姉妹二人は俺の「女は姦し」論には、おおよそ当てはまらない人達だというのは分かってはいるが……
「今すぐには分かってもらえなくてもいい。ただ私は聖君に、もう少し自信をもってもらいたいだけ」
ケゲンな顔をする俺に、姉さんはそう付け加えた。
「それともう一つ別な話……」
今までとはうってかわって、表情が明るくなる。気持ちの切り替えが早いなんて所は、俺より人生経験を多く積んでいると実感させられる。
「真理と美奈津の誕生日、いつだか憶えてる?」
そういやあ俺、三姉妹の星座、血液型はおろか生年月日も知らないぞ。……明らかに知らなさ過ぎだな、こりゃ。
「話題にするって事は……八月中とか?」
「憶えてないの?去年、四人で食事しに行ったじゃない……」
そういえば、そんな事もあった様な気が……そうか、あれが誕生パーティーだったんだな。
「聖君ったら、私達の事、何も聞こうとしないんだもの……8月の20日。一週間後だから憶えておいてね!!ちなみに、私は5月の11日だから。でね、今年は私達二人の手作りパーティーにしてみたいの。例年はそうしてるんだけど、私も去年は忙しくて……そのお詫びも込めて……どうかしら?」
姉さんの妹達を思う気持ちは、凄く強い。そりゃそうだ、掛け替えのない大事な妹だものな……でも、妹を持っている人間、全員が全員大切にする訳でもないだろう。姉さんが言ってたけど、姉妹達のお母さん……つまり、今は俺の義母である真綾さんは、まだ下の二人が小さい頃、仕事が忙しくてなかなか家事をこなす時間がなかったそうだ。そこで、由紀姉さんが母親代わりを努める内に、自然と妹達への愛情を深めていったという。妹達も、その姉の姿を見て、自分達が姉さんの邪魔にならないように、自然に「いいこ」になっていったらしい。
「そうだね……いいんじゃない?」
素敵な姉妹達が祝いをするのに、俺如きの力が欲しいならいくらでも、どんな些細な事でも使ってくれていい。今まで、人の役に立った記憶が無いから。
「本当?助かるわ。真理達も喜ぶと思うし……」
姉さんは本当に嬉しそうに言った。
「じゃあ、料理の類は俺が腕を振るうよ。ついては……プレゼント、見繕って欲しいんだけど」
「ええ、お安い御用よ。わたしもプレゼントを買いたいし…来週、練習試合の次の日は練習お休みでしょ?その日にしましょう。じゃあ、聖君……」
由紀姉はすっと立ち上がり、部屋を出て行きかけた所で立ち止まり、本人にはその気がないのに、誰でも魅了してしまいそうな柔らかい表情で……
「お休みなさい」
と、優しくささやいた。どうやら、いい夢が見られそうだ。
ぱたんとドアが閉められた後、俺はベッドに身を投げた。
(うっぷ……)
思いがけず、姉さんの残り香を吸い込んでしまう。それは、甘くて、落ち着けて、それでいてどことなく淫靡で……止めよう、これじゃ単なる変態だ。俺は只でさえ、学校では性欲とは無縁そうな顔をしているのに。ムッツリと蔭口を叩かれて当然だ。
(由紀姉さん……か)
母親の顔を知らない俺にとって、由紀姉さんの優しい姿は正に「母親」に見える。姉さんは怒るかも知れないけど、真理や美奈津と一緒にいる所を見ると、年齢以上に落ち着いて見えるものだから……。決して老けているっていう意味じゃない。姉さん自身も、「プライベートの時に、実際より歳を多く見られるのが悔しい」って言ってたけど。
ま、俺にとっても、可愛い……愛すべき姉妹達なのだから、できるだけ優しくしてやらなければ。




