第03-02話
”横浜学院入学案内”
”往陰学園生徒募集要項”
”豊海大学付属相模高校19XX年度新入生募集”
多々……
俺が中三の時に、各高校のスカウトが持って来たパンフレットだ。その数、全部で12冊。軟式の無名中学でありながら、俺の名声は県下に轟いていたらしい。今、俺はそれを机の中から引っ張りだして並べている。
しかしあん時は驚いたよ…まさか横浜学院や往陰みたいな甲子園常連校から誘いが来るとは思わなかったからな……。そこのスカウトらしき人達と共に、校長室のふかふかソファに腰掛けた時は、柄にも無く緊張したっけ…
俺はその高校の中の一つ、現在伊東光の通う横浜学院のパンフを広げてみた。写真入りで、自校の良いところだけを吹聴している。
”県下有数の設備”(高っけえ授業料出してんだから当たり前だろうが)
”ゆとりの学生食堂”(同上)
”学園生活に最適な静かな土地”(同上)
”学校行事の野球部全校応援”……これは俺の最も嫌いなファクターだ。
確かに、野球をやる環境としては申し分ないだろう。だが……もし俺が、こういった名門校に行ったら?それこそ、俺の存在価値は野球だけになってしまっていたろう。しかも中学生の当時、はっきり言って俺は野球が好きなのかどうか、自分でも半信半擬だった。そんな気持ちで野球をやってたって、成功する筈がない。俺が本当に野球を愛していると自覚させられた真理の一言は、つい先月聞いたばかりだったんだ。
「お兄ちゃんの嘘つき!!野球が好きじゃないなら、どうして夜中にシャドー(ピッチ)なんてやってるの!?どうして明け方にマラソンしに行ってるの!?どうして手の平にマメが沢山あるのっ!?ホントは野球をやりたいんでしょ!?ホントは野球が好きなんでしょ!?お兄ちゃん、お願いだから自分に嘘をつかないで!!野球を諦めるのは、実際に失敗してからでいいじゃない!!何もやらずに諦めるなんて逃げてるのと一緒だよ!!逃げてるお兄ちゃんなんて見たくない!!思い出してよ、自分が野球をやろうと思った時の事を!!」
確か……半ベソで一気にそうまくし立てたっけ。
俺が野球をやろうと思った原初……
それはやはり……
幾多のドラマ。
己の腕一本で多くの人間を手玉に取る快感。
マサカリ投法。
孤高のマウンド。
それら全てが俺を魅了して止まなかった。
自分に野球が合っているかどうかなんて考えもしなかった。
ピッチャー以外をという気など起きなかった。
あの時、初めてマサカリ投法で投げた時から……。全ては、真壁大成という漢に全力でボールを投げてから……。
初の実戦登板で完封劇を演じてから。
時は2年前の7月、中体連大会直前まで遡る。
「板垣が転校おお!?」
部員達は声を揃えて驚いた。その声の大きさは、同じグラウンドで練習していた他部活の生徒を振り返らせるほどだった。俺は無言。
板垣 清次郎。中学時代の俺の母校、和泉中学野球部のエース。回転の鋭い速球とスライダーが武器の、市内でもわりと名の通ったピッチャーだった。
「ああ、みんなに申し訳が立たないからって黙って行っちまいやがった」
キャプテン・真壁大成は苦々しく言った。この時、俺とカベの間には面識は無い。同じ野球部部員でありながら、だ。
「それにしたって、前もって分かりそうなもんじゃないか!!先生達にまで口止めしてたってのはどういう事だよ!?」
「何しろ急な話だから……親御さんの仕事の都合なんだが、後任人事が一刻を争う状態だったらしい。下手すりゃあっと言う間に倒産って位のな」
「それだったら、せめて板垣一人でも、この大会だけ残ってくれれば良かったのに!!」
「無茶言うな、俺達がそんな事強制できる訳ないだろ?家庭の事情に俺達が口を挟むわけには行かない」
カベのその言葉で、皆は怒りを収めたように見えた。が……。
「いや、あいつは逃げたんだ!!本当に申し訳が立たないと思うなら、自分の役目をきちんと終えてから行く筈だぜ!?」
影屋がまくし立てた。
「影屋……あいつの事も考えてやれよ……。辛かったんだよ、きっとあいつも……。何せ行き先はベルリンって話だ。御両親だって息子一人残すのは不安だったんだろう」
みんなはそれ以上何も言えず、ただ地面を見つめるだけだった。
怒りの矛先をどこに向けていいか分からないから、取り敢えずはみんな怒ってみただけなんだと思う。そう、板垣は悪くない。黙って行ってしまった事だって、あいつなりに考えた結果だったんだろう。
しかし。
板垣をメインに、皆で守る野球をやって行けばなんとかなる!!
そう思って練習を積んでいた。そこへ、突然の屋台骨の離脱。動揺の大きさは計り知れない。
「居ない奴の事をとやかく言っても仕方がない。現有戦力で戦う他はないんだ。今度の大会は影屋を先発に……」
顧問の平粟がそこまで口にした……その時!!
「なんだ?加藤」
俺は右手を高々と上げていた。殆ど無意識だった。このチャンスを逃すと、中学のうちは出番が無くなると脳が判断したのだろうか。それまで、俺はしがない外野の補欠の補欠だったのだ。
「俺に……俺にピッチャーをやらせて下さい!!」
俺は遂にその一言を口にしてしまった。今になって思えば、回りからは失笑が洩れていた様な気もする。至極当然な反応だろう……リトルも経験してない補欠野郎が何言ってやがる……と。
「加藤……出来るのか?」
平粟が半信半擬の表情で言う。
だが、俺には予感があった。野球部に入ってから二日と置かずに、家の近くの公園で壁相手にピッチング練習をしていたからだ。そこで投げていた球は、自分では納得の行く威力だった。ただ、大勢の前で投げた事が無い為、それが何キロ出ているかは分からない。しかし、自分の納得の行くボールを投げて通用しないと言われれば、それはそれで仕方がないという覚悟はあった。
「多分。試しに、真壁に受けてもらいたいんですけど」
「……分かった。じゃ真壁、受けてやれ」
カベは複雑な表情でミットを取り、ホームベースの後ろに中腰になった。
俺はマウンドに上がり、土を慣らす。予め、スパイクでの投球練習もしておいた。普段の秘密(?)練習場所が公園なだけに、地面を傷めるスパイク練習なんておいそれと出来る訳がない。
空を見上げ、ふーっと一つ息を吐く。プレートを踏むと、カベの左手に填めたミットがこちらを向き、捕球体制に入った事を告げた。
第一球。初めは普通のフォームにしようかと思ったけど、やっぱり初志貫徹、マサカリ投法にトライする事にした。
ワインドアップから足を高く上げた瞬間、ギャラリーがおおっとどよめくのが耳に入った。
そして……ボールをリリースする音の後……
(ん?)
ボールはカベのミットの遥か上空を通過して……
がしゃっ!!
バックネット直撃。
ギャラリーは……必死に笑いを堪える者、呆れかえる者……。
それみろ、やっぱりド下手じゃねえか。
誰も口には出さないが、ギャラリーの総意が、場の空気がそう語っていた。
ところが……カベだけは笑っていない。再び無言でミットを構える。
俺も再びワインドアップを起こす。そして第二球!!周囲のざわめきは気にならなかった。さっきはマウンドの傾斜を計算に入れてなかったから、今度はやや遅め……と言ってもコンマかゼロコンマ程度……にボールをリリースする。
ぴしっ!!
指がボールを弾く音が、グッドタイミングを告げていた。
ずっどおおおおん!!
今度は、ど真ん中にボールが収まった。コントロール修正はうまくいったようだ。周囲の反応を確かめる為に首をめぐらすが、全員沈黙したまま。
「あの……どうかな、このボール」
聞くと、カベは青冷めた顔で
「あ、ああ、ナイスボール……」
とつぶやいた。
「何キロ出てた?」
まあ120キロって言ってくれればいいかな、と思っていると……。
「ひゃ、135キロ以上は……」
と、蚊の鳴くような、マウンドでようやく聞き取れる声で言った。
それより、カベが伝えたそのスピードが、俺には信じられなかった。
「え?」
「そうだ、少なくとも、オレが今まで見た事のあるピッチャーの中では最高のボールだ。キレもスピードもな……」
チーム一の実力者のその言葉は、絶大な説得力を持って他のチームメイトを沈黙させた。見ると、全員が目をむいて沈黙していた。
(……そうか、135以上も出てたか……)
何をやっても中途半端だった俺に、特技が出来た瞬間だった。
「じゃあ、次は変化球を見せて貰おう。まさか、直球だけじゃないよな?」
「もちろん……じゃ、スライダー行くぜ」
もはや、ギャラリーは信じられない物を見る様な目つきになっていた。例えば、小学生相手にプロが投げているかの様な。周囲を完全に支配下において投げるのは実にいいもんだと、この時初めて思った。
マサカリ投法、第三球目!!直球の握りを少し横にずらす、手首を捻らないスライダーだ。
ぴっ!!
鋭くカットする音と共に、ボールは俺から見て右に大きく逸れた!!……かに見えた。
その後、ぐぐっとL字を描き、右バッターの内角低めに見事着弾!!自分でも惚れぼれするキレだ。
もうカベも言葉を発しない。只だまって返球するのみだ。
続けてカーブ、シュート、フォーク、スローカーブを試投。コントロールはともかく、キレに関しては納得の行く出来だった。
「わ、分かった、もう分かった!!今度の大会前最後の練習試合は加藤を使ってみる。だから早くフォーメーションを練習しろ!!」
唖然とした影屋の横で平粟がわめいた。自身も高校野球の経験があるだけに、俺のボールに恐れをなしたのだろうか。
言われた通りに連係練習に入った。
実は、俺にとって一番不安な要素がこれだった。野球経験僅かに2年。フォーメーションも知らなきゃサインプレーもランダウンプレーも知らない。その俺が、どこまでやれるのか?答えはすぐに出た。
捕球もままならない有り様。
ランナーを追えばボールを落とす、バント処理をすればフィルダースチョイスの挙げ句に暴投……。
カベに色々聞きながら上達して行く他無かった。なまじピッチングに自信があるだけに、こういう細かいプレーの失敗は応える。そして、細かいプレー程勝負の別れ目になり得るから、余計タチが悪いのだ。
チームメイト達の視線が実に痛い。
何でえ、投げる以外はやっぱり素人じゃねえか!
心に直接野次が届く。人望の無い俺は、所詮英雄の器ではないようだ。ところが、カベは俺を励まし続けてくれた。アドバイスも非常に的確だったし、その存在感も俺を安心させてくれた。この男とだったら、何とかやっていけそうな気がする……と。
やがて練習の終り頃になると、送球に関して……少なくとも迷わずに……ソコソコにはこなせる様になっていた。馴れたのだろうか。
幾分ほっとして帰り支度をしていると、カベが声を掛けてくれた。
「加藤、ちょっといいか?」
正直、この時俺は、カベをちょっと近寄り難い男と思っていた。喜怒哀楽をあまり表に出さないし、背も高かったからだ。男としては、格好いい奴という認識があったけど。
「いいけど……何?」
「い、いやな……その……」
明らかに口ごもっていた。
「ほら、オレと加藤ってさ、あまり話した事ないだろ?それが、今日いきなりあの速球だから、ウチの野球部にそんな凄い奴が居るなんて思わなくて、あんな凄いピッチングをするのに、どうして今まで投げさせろって言わなかったのかって……。今まで話した事がないのがもったいなくてな」
カベの話は要領を得ていなかった。何の事は無い、俺もそうだけど、彼もまた話下手だったのだ。その点に親近感を抱いたのは確かだった。
「だから、良かったら話を……理由を聞かせてくれないか?」
「それは、野球部のキャプテンとして?それとも……?」
「いや、単なるマサカリ投法の剛速球ピッチャーのファンとして、そして同級生として」
俺には、彼がウソをついている様には見えなかった。ウソを見抜く人生経験があった訳でもないけど。
「分かった。それじゃ、ウチに来ないか?俺も色々と野球の事を聞きたいし……」
普段は寡黙な男が話をしたいというのだから、断る術はない。俺だって、野球の実力者と話ができるなんて得難い経験だ。それに、なんとなく……フィーリングが合いそうな気もしていた。
「ああ、じゃあ御邪魔になろうかな」
てな訳で、中学時代の自宅……とある県営アパートの一室(3DK)……にカベを招いた。来客など数える程しかない自宅だが、皆一様に驚くのが、リビングの棚にずらりと揃った、洋の東西を問わぬ酒の数々。全部親父が物珍しさから購入したもんだが、一口飲んだだけで飽きるし、大体親父自身がたまにしか帰って来ないから減る訳ない。
「こ、これ……全部酒だろ?親父さんのか?」
その酒コレクションを目の辺りにしたカベの咽が、ごくりと唾を飲み込んだのを見逃さなかった。
「まあ、買って来たのはそうだけど……殆ど俺が飲んでるよ」
「え?酒、好きなのか?」
「ああ……そっちこそ、結構好きみたいだね……どう?一献。好きなの選んでいいからさ。俺は……古酒にしよっと」
どなんクバ巻きを取りだし、おもむろにグラスに注ぐ。模範的中学生なら、ここで「未成年だから」とか言うかも知れないが、カベは……。
「ほ、本当に何でもいいのか?」
「ああ、いいよ。どーせ親父のドーラクさ」
「じゃ、じゃあ、これ……」
そう言って取り上げたのは、なんだかって言う高級ブランデーだ。酒屋に行っても、他の酒とは別にガラスケースに入ってる様な奴だ。良く見ると、瓶を持つカベの手が震えていた。酒の価値ってもんを知っているらしい。しかし、二人共酒好きとは呆れた中学生だな……もちろん、高校生の今でもとんでもないが。
お互いがお互いのグラスにストレートで注ぐ。
「何に乾杯する?」
「そうだな……球史を揺るがしかねない剛速球投手に」
「はは、大袈裟だよ。照れるなあ。じゃ、俺はそれを支える女房役に……」
「かんぱーい!!」
ちんっ、とグラスを打ち合せる。
そして、中身を一気にあおった。
期せずして、ぷはーっと息をつく。それにしても、オヤジ臭いことこの上ない。これじゃあ女にはモテないだろうな……カベは三上博史風のいいオトコなのに。いや、ひょっとしたら凄くモテるのかも知れない。
さて、それからというものの、二人は明日が学校・部活共に休みなのをいい事に、朝まで酒盛りに興じた。あれだけあった酒のボトルが半分近く無くなっていた……というのはオーバーだが、とにかく中学生とは思えない量のアルコールを体に流し込んでいた。つまみもないから飲みっぱなしの癖に、二人とも飲み通し。何故そんなに飲んだのかと言うと……カベの本心を、偽らざる言葉を酒によって引き出そうとしたからだ。無口で通ったこの俺に話し掛けたいという、酔狂とも思える行為の裏にはどんな思惑があるのか……要するに、人を信頼していなかった訳だが。ところが、これが一筋縄ではいかなかった。
二人共ほぼ互格の酒量だったから、カベが酔っ払って本心を語り始める頃には、俺もぐにゃぐにゃだ。それでも、必死に意識を保ってカベの話を聞いた。
自分の家があまり裕福とは言えない事や、それが原因でシニア入りが断たれた事、でも自分のバットで夢を追いかけて行きたいという事……そして……。
「俺はなあ……球史に名を残す様なピッチャーのボールを受けてみたかったんだよお!!」
これが一番の夢だったらしい。
「聖いぃ!!」
いつの間にか、俺をファーストネームで呼ぶ様になっていた。俺も、「カベ」という愛称をいつの間にか付けていた。二年の新人戦の時は、試合にも出して貰えなかった俺だが、カベのキャッチャーとしての信頼感は抜群だったイメージがあったからだ。
「なんだあ?」
俺も、ロレツが怪しくなる位酔ってるから、カベには「なんらあ?」って聞こえたかも。
「お前は、俺が今まで見てきたピッチャーの中では、初めて凄い奴と思った!!」
「うんうん!!」
「だから、伝説の第一歩として、次の練習試合はガンバロー!!」
「おー!!」
話の内容のつながりもままならない、妙なテンションで意気投合した俺達。つい数時間前には会話を交わした事すらなかったのに、この時にはもう酒が取り持つ仲になってしまっていた。
噂では、シニアで名を馳せている、どのキャッチャーよりも実力は上だというカベ。その男に誉められたのだ。しかしその時、俺の心の中では、自分の実力に対して未だ自信を持てずにいた事は確かだった。
不安が僅かな自信に変わるには、練習試合まで待たなければならなかった。
酒盛りの数日後。
日曜日の昼下がり、和泉中学校の狭いグラウンドの中央。
独特の緊張感が、この丘の上には満ちている。野球は、結局が個人スポーツだ。その個人スポーツの色合いが最も濃くでるポジション、ピッチャー。
投球練習をしながら、試合前にカベから教えられた注意事項を頭の中で反復していた。
一つ、コントロールや球速に気を取られず、常に自分のピッチングをする事。打たれるのならともかく、四死球での一人相撲など論外。
一つ、野次や周囲の目に惑わされぬ事。
一つ、牽制はプレートを外し、ランナーを目で牽制するにとどめておく事。
一つ、送球指示はキャッチャーの物のみに従う事。
一つ、オレを信頼する事。
以上だ。
野球初心者としては、ピッチングにのみ集中すればいいというのは非常に有難い。尤も、カベにしてみれば、余計な事はするなという所だろうが。でも、俺はそれでも構わない。だって、キャッチャーはこれ以上無い位の技術を持つ漢なのだから。
さて、内野回しのボールが帰って来、敵の一番がバッターボックスに立った所でいよいよプレーボールがかかった。
相手の旭中学は、和泉中学の隣の学校で、対戦も多い。が、マウンドに立っているのが板垣清次郎ではなく、リリーフでも見た事のないピッチャーなので戸惑っている様だ。
カベのサインは……指一本。ストレートだ。俺にはブロックサインは難し過ぎるので、フラッシュサイン……例えば指二本ならカーブ、三本ならスライダーといった風だ……にしてある。
振りかぶって、第一球!!
右腕が熱風を斬り裂く!!そして放たれたボールは……!!
べちっ!!
バッターのケツを直撃していた。ぴょんぴょん飛び跳ねて痛さを堪えるバッター。箇所が箇所だけに、深刻な事態を起こすには至らず、相手ベンチからは失笑さえこぼれていた。俺も一応、帽子を取って謝る。
さしもの俺も、コントロール不良の原因が分からない。特別バッターを意識しているとは思えないが……。
気を取り直して次のバッターに臨み……結果はストレートのフォアボール。いつもの球速も出ていない。俺は首を捻る。
ランナーが二人出た所で、たまらずカベがやって来た。
「おい、力を抜いて行けよ」
と、奴の割には有りきたりのアドバイスをしに。
分かってるさ……と口の中でつぶやいて、初めて俺が緊張している事に気が付いた。口の中はからからに渇き、心臓が高鳴っている。
ひょっとしてカベの奴、俺が緊張しているというのを分からせる為にこっちに来たんじゃないだろうか。はは、情けねえな、俺も。たかが練習試合でこのザマじゃあ、大会の時にどうなるか分かったもんじゃない。頭で考えれば考える程、俺の身体中の筋肉が硬直して行く。気持ちの整理がつかぬままに、敵の三番へ初球を放った。コースは右、バッター外角のクソボール。しかも、バランスの崩れた、とてもクイックとは思えぬフォーム。
すかさず、ランナーがスタートを切る気配がした。敵のベンチも、俺の制球が定まっていないと踏んだのか、足で畳み掛けようということらしい。
しかし!!
キャッチャーは真壁大成。遠投は100メートルを超えようかという鉄砲肩である。
「アーウト!!」
無駄の無いフォームから繰り出された球は、三塁手が一番タッチをし易いベース付近に送られ、見事二塁ランナーを刺した。
カベに視線で感謝を伝えると、実に小さく……良く見ていなければ見逃してしまうくらいに手を挙げて応えた。実にカベらしい。
(そうだ……俺のボールを受けてるのは、中学最強レベルのキャッチャーなんだ。どんな球種だろうが、思いっ切り投げるだけだぜ!!)
そう考えると、身体から筋肉のこわばりがすっと抜けていく様に感じた。
こうなりゃとことん信じるぞ、カベ。
俺の信頼が視線だけで伝わる筈もないだろうが、その後のカベのリードはおおらかさを増し、俺もそれに応えてこのピンチ、後続を三振とキャッチャーフライに打ち取り0点で切り抜けた。相手も、マウンド上のピッチャーが只者ではない事に気づき始めたらしく、ベンチでひっきりなしにひそひそ話をしていた。
一回の裏、我が和泉中学の攻撃は、一番がヒットで出塁、二番がバントで送って三番がフォアボール。
ワンナウト一、二塁でバッターは……
四番キャッチャー真壁。
携えるは白木のバット。カベいわく、「金属バットは確かに有利だけど、それだけに自分の為にならない。木製が使えれば金属も扱えるが、その逆は難しい。二つは、似てはいるが非なるもの」なのだそうだ。先輩からのお下がりだって言ってたっけ。
きっと、相手のピッチャーは得体の知れないプレッシャーに襲われている事だろう、実際に相対してない俺にまで気迫が伝わって来るのだから。
現に相手ピッチャーは、魅入られた様にど真ん中に棒球を放った!!
カベがその絶好球を見逃す筈も無く、フルスウィング!!
ばっこーん!!
と、軟式ボールと木製バットのぶつかり合う独特の快音が響き、打球は100メートル以上先の防球ネットの遥か上を超していった。
可愛そうに、相手ピッチャーは呆然自失。無理もない、あんな推定120メートル弾を見せつけられちゃあね。はっきり言って、軟球を100メートル以上飛ばすのは至難の技だ。硬球は、力で強引に運んだりボールに回転を与えて飛ばす事が出来るけど、軟球でそれをやったらボールが変形して逆に飛ばない……並のバッターだったらね。確実に、ボールの真ん中をバットの芯で打ち抜かなければならないのだ。腕力よりもミート。
ところが、カベはそれを両立させて打っていた。柔軟な下半身の捻り方に依る猛烈なスウィングスピードと、神がかり的なミート。まさしく天才の域だ。
それからは、カベのバッティングの好調の証明とも言うべき巧みなリードは冴えた。相手側も、足でかき回そうとは考えているのだろうが、あの肩では打つ手なしなのだろう。たまのポテンヒット以外クリーンヒットを許さずに、すいすい完封してしまったのだった。
投球回数 7
投球数 92
被安打 4
与四死球 3
奪三振 11
被本塁打 0
自責失点 0
初陣にしては、まずまずといったとこだ。
この一戦、僅か一戦で、俺とカベのコンビネーションは確たるものとなっていた。
ところが、未だ俺は野球を好きになっていなかった。まあ、どうせやるなら、多少はできるスポーツの方が楽しいだろうから……その程度にしか考えていなかった。
自分が真に野球を愛している事に気づくのは、それからさらに約二年を経てからである。




