第02-04話
真理との約束の日。俺はイライラしながら、真理の部屋の前で支度が終るのを待っていた。
「おーい真理、まだか?」
ドアの前から部屋の中に声を掛ける。すると、
「あーん、もうちょっと待ってよお!!」 と、ばたばたして慌てている様な声が返って来た。
(まったく、女の身支度に時間がかかるっていうのは本当なんだな)
男には分からない事情満載なのは分かるが、それにしたって遅い。俺の場合、今までに経験した事が無いからな……。これも醍醐味のひとつなのだろうか?
それから10分ばかりして、天岩戸かと思ったドアがようやく開いた。
「お待たせ、お兄ちゃん」
今日の真理の服装は、背中の大きく開いた白のワンピース。「清楚な美少女の夏の装い」としては無難な選択だが、似合うコもそう多くはいまい。スカートの丈は膝位までの適度な長さだが、普通の日本人が着たらスネの丈位になる事請け合いだ。
(しかし、こいつってばホントに美少女だよな……)
俺はしばらく真理にみとれてしまった。
そこらへんにいる下手なアイドルなんて、とても太刀打ち出来ない程だ。愛くるしい大きな瞳に形のいい唇。やや丸顔だが、顎のラインに無駄な脂肪は一切ついていない。その顔自体の大きさも、俺の手のひらにすっぽり収まってしまう程だし、足だって長い。俺より10センチ以上も背が低いのに腰の位置は同じくらいだ。肌も、絹の様なという形容がぴったりに白く美しい。世の男どもが一つ不満を漏らすとすれば、胸の大きさだろう。見た所、76CmのAカップといった具合いか。もっとも、それは普通の男の所見であって、俺は大きさよりも形重視だからな。その点真理は申し分無い。第一、まだ中学生なんだから、大きさで悩むのは早計というものだ。
「お兄ちゃん?」
勝手で、いささか失礼な妄想を、真理の声が打ち払った。
「な、何だよ」
「これ、似合ってる?」
俺の視線の意味を取り違えたのか、真理はその場でくるりと回ってみせた。
ふわり。
と擬音が付きそうに、スカートと、栗色の艶やかな髪が舞い、少女の甘い香りが辺りに振りまかれた。
(うっぷ……)
情けない事だが、今まで一度も女の子とつき合った事の無い俺には、当然女に免疫が無い。三姉妹と一緒の部屋に居るだけでもギリギリの線なのに、こう近くで甘い香りを吸い込んだら目まいがしてしまう。一年半も一緒に暮しているのに、だ。衆人も羨む環境を楽しめないとは、なかなかに辛いものがある。
「ああ……良く似合ってるよ」
一応、素直に感想を答えておく。すると真理は、
「ありがと。嬉しいな、お兄ちゃんにそう言ってもらえると。本当はね、この背中が大きく開いてるのって恥ずかしかったの……」
真理は、自分の背中を肩越しに見るふりをした。
「でも、折角由紀お姉ちゃんに選んでもらったんだから、デートの時にでも思い切って着ていこうかな、って……」
はにかむ真理。俺は何故か、その顔をまともに見る事が出来なかった。まぶしすぎて見ていられなかったというのが本音だが。
「行こ、お兄ちゃん」
真理は俺の腕を取り、玄関の方向へぐいぐいと引っ張っていく(もちろん左腕を)。
「あ、こら、引っ張るなよ!!暑いんだから!!」
これは、いつもの俺の照れ隠し。
それからしばらくして……
「あ、ほら!あのパンダ、今あくびしたよ!!」
上野に着いた俺は、真理にさんざん振り回されていた。
それにしたって、この真理のはしゃぎ様は一体何なんだ??上野に降りた時から喋りっぱなしだぜ。電車の中では、さすがに声のトーンを落としていたが、それでもソワソワした感じは抑えられなかった様だ。動物園の中に入っても、園内を率先して歩き回っている。尤も、そんな楽しそうな真理を後ろから見ているのも悪くはない。疲れるけどね。
休憩を沢山挟みながら園内を角々まで見尽くすと、7月の日の長さでも、空がオレンジ色に染まる位の時間になっていた。真理は流石に疲れたのか、口数がめっきり減って来た。
俺も、ピッチングの時とは一味も二味も違う疲労から足が棒になり、二人でベンチに腰を下ろした。
「どうする?何か飲み物でも買ってこようか?」
「ううん……いい」
「そっか……」
いつも元気な真理を見馴れている俺にとって、疲労から来る物だとは分かっていても、こんな姿は心配だ。由紀姉さんが言うには、元々丈夫な方でもないらしい子供の頃は喘息がちで、本人の努力によってここまでの健康を手に入れたんだそうな。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか?」
「うん……。でも、折角ここまで来たんだから、もうちょっと遊んで行きたいな……」
本当に残念そうに言う。
「でも俺、夜に遊べるトコって知らないし、お前もだいぶ疲れてるみたいだから、今日の所は……な?遊びになんていつでも連れて行ってやるからさ」
「……ほんと?」
真理の顔がぱっと輝き……すぐに曇る。
「でも……お兄ちゃんって、私がおねだりしなかったら、きっといつまで経っても遊びに連れて行ってくれなかっただろうし……」
曇った表情の真理。それはそれで美しいが、そんな気分にさせてしまった当事者にしてみれば、あまりお目にかかりたい類の表情ではない。
「分かったよ、この休み中にもう一回、どっかに遊びに行こう。それでいいだろ?」
「ほんとに?」
再び、真理の表情が明るくなる。雲の切れ目から陽の筋が差したかの如く。
「ああ、約束する。だから、今日はもう帰ろう。何か美味いモンでも食ってさ」
「うんっ!!」
にっこりとうなずく真理。その笑顔を見ると、自然に俺の顔もほころんでくる。
「じゃ、俺ちょっとトイレな」
電車の中で用を足すのも何なので、今の内に済ませてしまう事にする。
「分かった、早く帰って来てね……ふわあ……あ」
もうおネムの時間らしい。かく言う俺も、伝染されたのか、咽の奥まで見られそうな大アクビを一つかます。早く用を足して帰ろう……。
トイレから帰ってみると、真理は深くうつむき、肩が規則的に上下していた。あまりの疲れから眠ってしまったらしい。全く、小さい子供じゃあるまいし。
(遊びに行く約束を取りつけて、安心しちゃったのもあるのかな?……考え過ぎか)
身を屈めて、麦わら帽子の下から覗き込むと、すーすーという寝息を立てて眠っていた。長い睫が伏せられ、美少女の寝顔を彩っている。
(眠れる美少女、か……。可愛いコってのは、どんな表情をしても絵になるんだな……)
しばし見とれてしまった。
良く寝てるから起こすのは不憫だし、かといって、このまま眠らせといたら風邪を引かせてしまうので、取り敢えずおんぶしてやる事にする。
座ったままの状態からおんぶさせるのは難しいが……よいしょっと。いくら細っこい真理でも、眠っていると重心が低くなっているから重い。まあ、ちょっとしたトレーニングと思えばいいか。幸いな事に、周囲の目はおおむね好意的だった。おぶっている女の子が寝てると分かれば、平和な光景だと勝手に解釈してくれるのだろう。人さらいにでも見られたら、たまったもんじゃないが。
耳元で、安らかな寝息が聞こえる。幸せそうな、落ち着いた寝顔は、見る者をも幸せにしてしまうらしく、改札の駅員さん(自動じゃない方を通った)もにこやかに見送ってくれた。
夕方の電車は混雑してて、山の手線に乗っている間はおぶったまま。品川から東海道線に乗り換えて初めて、真理を席に座らせる事が出来た。真理はその間、一回も目を覚まさなかった。俺も横に座ったが、相変わらず、顔を俺の左肩に預けてすうすうと寝息を立てるのみだ。車内の冷房がキツいので、俺の着ていたベースボールシャツを掛けてやる。
川崎に着いた時、電車が揺れた。同時に、真理の首がかくんと折れた。
「んん……」
それで起きてしまった様だ。目をごしごしとこすり、辺りをきょろきょろ見回す。30分位寝ていただけだが、もう寝ボケているらしく、状況の把握に手間取っていた。
「起きたか?風邪引いちまうから、なるべく寝ない方がいいぞ」
「うん、もう寝ない……。あれ?そう言えば私、いつの間に電車に……」
眠ったのも、おんぶしてやったのにも気づかなかった様だ。
「お前、俺がトイレに行ってる間に眠っちまったんだぞ」
「そうだったんだ、全然気が付かなかった……。じゃあ、お兄ちゃんはどうやって私を電車に乗せたの?」
「おんぶだよ」
俺が言うと、真理は頬を赤く染めた。
「恥ずかし……」
一旦目を逸らし、小さな声で
「私……重くなかった?」
「いや、全く。むしろ、もっと食った方がいいくらいだな」
真理の身体の驚異的な軽さを思い出しつつ、同時に真理の身体の温もりと柔らかさも思い出してしまう。
「うん、そうする」
真理はにっこりと微笑んで……再び、頭を預けて来た。
(いもうと、か。)
俺は、真理の重みを感じながら、こうして人に甘えられるのも悪くないと考えていた。他人に甘える事も、甘えられる事も経験した事がない俺にとって、その片方を与えてくれる真理は、貴重な存在になっていた。




