第02-02話
ここで、俺の生い立ちについてでも話しておこうか。
俺の父……加藤 裕光は、家庭用パソコンが「マイコン」と呼ばれていた(しかもそれ自体がとても高価だった)時代に、天才プログラマーとして名を馳せた男だ。ある日、マイコン雑誌の読者投稿ゲームに自分の作品を応募した所、天才として大絶賛される。そのゲームは商品化され、大金が転がり込む。16歳高校生で元々お調子者だった人間が、大金の使い道を正しい方向に向けられる筈も無く、散々悪さをしまくった挙げ句……高校卒業と同時に、1歳の子供の手を引いて結婚式を挙げる事となる。
しかし結婚生活も束の間、悪行三味を重ねた結果、愛想を尽かされ母親と離婚。まだ3歳だった俺は親父の田舎(親父は中学の時に神奈川に引越して来た)、山形県のじいちゃんの家に預けられた。所が、これが親父にしてみれば邪魔者の心配を無くす事となり、東京でゲーム制作会社を設立。やりたい放題の限りを尽くしたらしい。
これで会社が潰れればクソ親父の目も覚める所だったのだろうが、折しもデジタルメディアに感心の高まる時代が到来した為、会社は大きくなる一方。当然、親父の暴れっぷりも見事になって行ったと言う。しかし親父が糾弾されない理由は、仕事にはあくまで真剣。プログラミングの第一線を退いてはいるが、それでも多忙なスケジュールを縫ってのおイタであり、あくまでプライベートなので誰も口を挟めない。そういう意味では、親父もプロフェイショナルであるらしい。
そんな訳で、俺は12歳までの間、じいちゃんの元で農作業の手伝いをして過ごした。普通の小学生なら地味な仕事として嫌ってしまうだろうが、何故か俺はそれを好んで手伝った。今時鍬で畑を耕していたとは時代錯誤も甚だしいが、あの時の重労働が現在の俺の財産……足腰の強さやスタミナになった事は想像に難くない。精神的にも、地元の子供と野山を駆けずり回って過ごした日々は大きかった。
そして中学校に上がる半年前ほどという時にじいちゃんが亡くなり、親父は自分の、東京の仕事場から遠くもなく、かといって特別近くもない神奈川にマンションを借りて、そこに俺を放り込む。もちろん俺一人で、だ。
親父は一年か、少なくとも半年にいっぺんにしか帰って来ない。お蔭で、13歳の春に一人やもめを始めてか僅か一カ月で炊事洗濯をマスターしてしまった。最初は寂しくて仕方の無かった一人暮しも、慣れてくれば非常に快適で、やたらに多い(きっと、「金に不自由はさせてないんだから、俺の遊びの邪魔はするなよ!!」って事だろう、本人は「お前には迷惑を掛けた、そのせめてもの償いだ」とか言ってたが)生活費と共に悠々自適の生活を満喫していた。
それにしても親父は、子供にあんな金額を預けて、真っ当でない使い方をするかもしれないと、少しは考えなかったのだろうか。もちろん、俺はそんな浪費はしなかった。あんまり派手なことは好きじゃないし、なにより親父に試されているような気がして…ね。
そして転機が訪れる。
時期は、高校入学直前の三月末。
惰眠をむさぼっていた俺は、けたたましいチャイムの音で叩き起こされた。時刻は約八時。ドアを開けると、そこには約一年振りの親父の姿が。そして親父は俺に五万円をぽんっと手渡して一言。
「夜八時まで帰って来んな。出来るだけ遠くに……県外にでも遊びに行ってろ」
もちろん、俺は唖然としたさ。訳が分からん。でも、この親父に何を言っても無駄という事は分かっていたから、素直に10分後には家を後にしていた。カベを呼んで春休みの東京を練り歩いて家に帰り着く。親父は居なかった。だが、それより何より俺を驚かせたのは、家の中じゅう空っぽになっていた事だった。そして、床の上に地図の書かれた書置と、ここの物ではない鍵が一つ。
書置には、
「下の地図の家へ行け」
とだけ認められていた。
他にどうしようもない俺は、家からさほど離れていなかったその場所にタクシーで向かった。
その家は、二階建ての広そうな家だった。親父の奴、こんな所に俺を寄こしてどういうつもりだ、と表札を見るとそこには……。
「加藤」
と。
まさかと思った俺は、玄関のドアの前に立ち鍵を試してみる。
すると、開いてしまうではないか。家の中には誰も居らず部屋を覗いて見ると、二階の一室に、俺が今まで使っていたベッドや箪笥など……俺の部屋の家具一式……が、ご丁寧に前の家とそっくり同じに配置してあった。
話の読めた俺は、頭がクラクラ、目の前がチカチカして来るのが我慢できなかった。つまり、親父はこう言いたかったらしい。
「家を買ったから引っ越したぞ」
と。
しかし、俺を驚かせてまでする意味が分からない。しばらく思案に暮れていると、玄関でチャイムが鳴った。なれない間取りに戸惑いながら玄関に辿り着き、ドアを開ける。すると、そこには三人の見目麗しい若い女性が立っていた。一人は、ロングのおとなしそうなコ。一人はショートの活発そうなコ。その中でも年長らしきキレイなお姉さんが、にこっと笑い掛けて一言。
「こんばんわ!!貴方が聖君ね。これから宜しく!!」
と。
俺は訳も分からない内に、彼女らを家に招き入れて話を聞く事にした。
「私は長女の由紀。20歳です。こっちは……」
由紀さんは、ショートのコを向いて
「次女の美奈津。14歳、中2よ」
美奈津が軽く頭を下げた。
「そしてこっちが……」
ロングのコを向く。
「三女の真理。美奈津とは双子です」
真理も、少し微笑んでから頭を下げる。
俺が安心したのは、みんなが今時のバカ女ではなさそうだったからだ。俺はとにかくああいうのが大嫌いでね……。 それはよしとして、彼女らの美しさに気を取られて、最も重要な事を聞きそびれていた。
「貴方達は……一体誰なんです?」
言うと、三人はきょとんとした顔になった。
「ひょっとして、話聞いてないの?」
美奈津がひきつった顔で言う。俺が首を縦に振ると、由紀さんが大きな溜め息をついた。
「仕方有りません……それではお話ししましょう。驚かないで聞いてくださいね。実は私達は、貴方と兄弟になったんです」
俺が耳を疑っていると、由紀姉さんはトドメの一言を発した。
「つまり私達の母親……真綾が、貴方のお父様と再婚したのです」
あ、ああ……呆れて物も言えなかった……。親父め、狙いはこれだったのかあ!!
聞けば、真綾さんは高名なファッションデザイナーだと言う。日本ではまだ知名度は低いが、海外ではその仕事ぶりは高く評価されているらしい。前の旦那さんは真理を産んですぐに事故で亡くなり、それから10年以上独身で過ごしていたそうだ。しかし何の因果か……親父と「運命的な出会い」を果してしまったという事らしい。
斯くして、俺は魅力的な三人の姉妹と共に暮らす事となったのだった。
しかし、今よりも更にガキの度合が強かった俺は、彼女らと殆ど口をきかなかった。何故なら、俺はこの歳まで……母親はおろか、同級生とすらもまともに会話を交わした事が無かったのに、急に美女三姉妹と打ち解けられる訳がない。 由紀姉と美奈津は、自分達でさえ戸惑いが有ったのだから、男一人で馴染めないのも当然だと思ってくれた様で、特にトラブルも起きずそっとしておいてもらえたが、真理はそうは思わなかったらしい。
後から由紀姉に聞いたんだが、真理は猛烈に父性を欲していたそうだ。女ばかりの家族で暮して来たのだから当然だと思うし、増してや「手の掛からない理想の妹」を演じて来た為、甘える事を殆どしなかったらしいのだ。
そこで母親の再婚を聞かされ、再婚先で二つ年上の兄が出来る事を知り大変喜んだそうである。
その証拠に、二人の姉に毎日「お兄ちゃんがこんな人だったらいいな」と語っていた様 だから……。
俺もそれは薄々感じていた。だって、いきなり
「あの……お兄ちゃんって呼んでもいいですか?」って言われたんだから。そんな真理を、俺は傷つけてしまっていたのだ。
それが分かったのは、三人姉妹と暮し始めてから一週間程経った頃だった。春休みも終りに近付き、入学準備も一通り済んだある日の午後。
「聖くん、ちょっといいかしら?」
と、自分の部屋から手招きをしている姉さんに誘われて、お邪魔する事にした。部屋に入り床に腰を下ろすと、
「聖君……貴方、真理に何かした?それとも何かされたの?」
と切り出された。
「いや、別に何も」
「そう……あのね、真理が「私、お兄ちゃんに嫌われてるみたいなの……」って相談して来たの。話を聞くと、「私が話掛けてもすぐにどっか行っちゃうし、視線が会うと目を逸すし……だから、私の知らない内にお兄ちゃんに嫌われちゃう様な事をしちゃったんじゃないかって思って……」って、涙ぐんで……。あの子が悩みを打ち明けるのって珍しいのよ。いつもは私達に迷惑を掛けまいと胸の中にしまい込んで……。だからよっぽどの事じゃないのかって……」
と、姉さんまで瞳が潤み出して来る。そこまで聞いて初めて、真理の傷つき方の大きさを知った俺は、自分の馬鹿さ加減を呪った。
「それ、俺のせいだ……」
俺の言葉に、姉さんは伏せていた顔を上げた。
「俺……この年まで女の子と会話した事が殆ど無いんだ。だから恥ずかしいやら戸惑いやらで、真理を無意識に……いや、意識的に避けていたんだ。」
「そうだったの……真理ね、お兄ちゃんが出来るって聞いた時から物凄く喜んでたのよ。それだけに応えたんじゃないかしら……」
「うん……でも折角出来た兄貴なのに、こんなダサくてムサい男でがっかりしてたろう?」
姉さんは首を横に振る。
「そうでもないのよ……あの子、元々少女漫画みたいな甘い幻想は持っていなかったみたいだから。嬉々として喋っていたわ……想像通りのお兄ちゃんだったって」
「……」
俺が言葉を失っていると、姉さんは感窮まったのかぼろぼろと涙をこぼした。
「お願い智君、あの子と話をしてあげて。そうじゃないとあの子が不びんで……」
たまたまポケットに入っていたハンケチイフを差し出すと、姉さんはそれを受け取って涙を拭った。
「ごめんなさいね……これじゃ強要してるも同じね
」 「いや、目が覚めたよ。俺、もう逃げないから。ちゃんと向き合って会話してみるよ。真理だけじゃなく、美夏と姉さんとも」
姉さんは涙を拭いながらうなずいた。
そうなんだ……戸惑いがあるのは真理達だって同じなんだ。それに、これからずっと一緒に暮して行くんだから……家族なんだから、ちゃんと会話をしなきゃ何も始まらないんだ!!
意を決した俺は姉さんの部屋を出ると、早速真理の部屋のドアをノックする。すると
「……誰?」
明らかに元気の無い声が返って来た。今までに真理の期待を裏切った重さが耳に、頭に心に染みてくる。
「俺。話がしたい」
声を掛けると
「……入って」
と、さっきよりは元気な声でお招きをくれた。どうやら、俺が積極的に会話を持ち掛けて来たのが嬉しいらしい。
許しが出たので部屋に入る。
真理はベッドの上で、ぺたんっと女の子座りをして、おっきなテディベアを抱いていた。部屋の中をぐるっと見回すと、縫いぐるみ数個の他には女の子女の子した物があまり見当たらないのにちょっと驚いた。
「やだ……そんなに見渡さないで」
真理は顔を赤らめて、テディベアを口が隠れる程抱え上げる。このドでかい(座っていても50Cmはある)ベアは、中学卒業後のすぐに、カベらと卒業記念に遊園地(富士急ハ○ランド)に行った時の、テディベアクジの大当りの景品だ。元々俺の部屋で巨体を持て余していたのを、真理が大層気に入ったのでプレゼントしたヤツだ。ベアにしても、むさ苦しい野郎の部屋に転がって不遇を囲っているよりは、美少女に抱っこされている方が本望だろう。実際、真理に抱かれているベアは心なしか幸せそうに見えるし、真理自身もとてつもなくラヴリーだ。口には出さないけど。しかし、他に言っておかなければならない事が有る為、床にどっかと腰を下ろす。それを見て真理が、
「お兄ちゃん、床に座らないでベッドに座れば?」
と気を利かせてくれた。俺はそれに素直に従う。ふかふかのベッドに腰を下ろすと、俺の体が深く沈み込む。真理の方はそれ程でもないから、相当体重が軽いんだろう。
一息つくと、俺は話を切り出した。
「真理……今までゴメンな」
「えっ?」
突然謝りだしたので面食らっている様だ。しかし俺は構わず話を続ける。
「今まで……ロクに会話もしないでさ。俺、物心付いた時にはもう母親がいなかったから、異性と話をする機会が殆ど無かったんだよ。なのに、急に三人も女きょうだいが出来ると分かったからパニックになっちゃって、戸惑って……。でも、いつまでもこのままでいい訳じゃないのは分かってる。そんなの、単なる俺の問題なんだし。真理にも姉さん達にもイヤな思いさせちゃっただろうけど、真理達が嫌いなんて事は絶対にない。だから俺……いい家族になれる様に努力するから。いい「きょうだい」になれる様に頑張るから。だから……」
俺はそこで一端言葉を切った。目を閉じている為、真理の表情は窺えない。
「改めて、これから宜しくな、真理」
言い終ると同時に、体にどすんと強い衝撃を受けた俺は、それが真理が俺に抱きついて来た為の衝撃だと気づくのに、時間はそうかからなかった。
目を開くと、真理は俺の胸の中でしゃくり上げている。
「お、おい、真理……」
そっと真理の両肩に手を掛けると、せわしなく上下に揺れるそれが物凄く細い事に驚いた。何の事は無い、俺は女の子の身体に触れるのが初めてだったのだ。
それでもこの場合は、そっと抱き締めてやった方がいいというのはすぐに分かった。しかし不思議な事に、邪ましい気持ちは微塵も無かった。
真理のきゃしゃな背中に手を添え、頭を、或は髪を撫ぜていると、序々にしゃくり上げる声が小さくなって行く。落ち着いた頃を見計らって、なるべく優しく声を掛けてやる。
「なあ、真理。桜……見に行かないか?」
「桜……?」
「ああ」
花見の名所の、野球場や陸上競技場が含まれている総合公園が市内に有るのだが、新しい家に引越して来てから遠くなり、少し足が遠のいてしまっていた
。 「うん……見たい。案内してくれる?お兄ちゃん。」
「任せろよ!!」
それから、チャリで二ケツをして総合公園へ遊びにいったのだ。自転車をこいでいる間中、話をしていたっけ。あたかも、今までの会話的ブランクを取り戻すかの様に……。
と、前置きが長くなってしまったが、とにかくその時以来、一年以上も二人で遊びに行った事が無かった。もっとも、本当の血のつながった兄妹でも、この歳になったらそうそうは遊びに行かないだろうが。まあ、あれだけ楽しみにしてくれているのなら、深くは考えないようにしよう。