-3- 完全人間計画とは
完全人間計画とは――
まず始めに、この計画が発起された経緯を記す――――
八十年ほど前に、人類の最後の戦争があった。
人類が造り出した全ての核ミサイルが消費された戦争で、地球上のほとんどのものが破壊された戦争だった。
大勢の人が亡くなった。ほとんどの国も失くなった。やがてその日は、消失の日とも呼ばれるようになった。
しかし、人や国、そして兵器が無くなったお蔭で、戦争は終わった。ある意味、それが消失の日と名付けられた本当の意味なのかも知れない。
戦争が終わった後の世界で、ごく僅かではあるが人間は生き残れていたが、人間……命ある生物たちにとって悲惨な世界となっていた。
大地は荒れ果て、海や空は濁った色に汚れてしまっていた。放射能などの有害な物質が大気中に拡散し、地表は散ることのない霞に包まれてしまった。
劣悪な環境の影響で、様々な病気が発症し、蔓延した。
ある調査では、病気での死者数は戦争での死者数よりも多いとの報告もある。
この病気から運良く生き延びられた人間や、新しく命を繋いだ人間に大いなる問題をもたらした。ある者は身体の一部が欠けたり、またある者は視覚などを失ったりと疾患を患う人たちが多くなっていった。
薬などの物資が不足しており、満足に行く手術も不可能で治療することは出来ず、そういった人々は増え続け、やがてそれが普通となっていた。
戦争が終結してから、三十年の月日が経過した頃だった。
ある科学者……記録では、アーイン・ボルスと言う名前の科学者が、特効薬の開発に成功した。
特効薬……といっても“薬”では無い。
極小の機械――“ナノマシン”であった。
アーイン・ボルスが開発したナノマシンは、病気の元となるウィルスをせん滅したり、神経を繋ぐ役目を果たし、義手や義足といった人工義肢を本物の腕のように動かせることが出来るようにした。
しかも、ナノマシンのエネルギー源は“放射能”であり、体内にある放射能を摂取し、ほぼ無限に動作することが可能だったのである。
技術が進化により、ナノマシンの有効活用の幅は広がっていき、ナノマシンによって身体機能を向上するようにしたり、または機械を身体と融合するかのように組み込みを出来るようにした。
本来、身体に異物が侵入してしまうと拒絶反応が起きてしまうものだが、それをナノマシンで解消して、脳に直接コンピューターを搭載した者、眼をカメラに改造した者など……そういった身体の改造を容易にしたのであった。
こうしてナノマシンのお陰で、劣悪な環境の中でも人間は普通に生きられるようになり、ほとんどの……いや、この世界で生きる全人類の身体の中にはナノマシンが入っているようになったのだ。
ナノマシンは、人間に無くてはならないモノ……当たり前のものとなっていた。そんな世界で、もしナノマシンが一つも身体の中に入っていない人間が現れたとしたら。
完全人間計画のきっかけとなったのは、冷凍睡眠から目覚めた人間だった。
その人間の名は、デイル・トミントン。
女性で、目覚めた当時の年齢は十五歳。戦争が起きる前の時代では世界有数の大富豪の娘だった。
彼女を保護してから、不可解な現象が周囲の人間にもたらした。
それは、彼女の言う通りの行動をとってしまうものだった。誰も彼女に逆らえず、ただ言われるがままに従ったという。
大富豪の権威も、戦争前のこと。今の時代では、彼女は一介の人間に過ぎず、命令を聞く意味もメリットも無い。
ところが、彼女が病気を発症してしまい治療としてナノマシンを投与した所、彼女の病気は治ったが、それを機に周囲の人々は彼女に従わなくなった。
この事例を元に、調査・研究が行われた。
彼女の生体データを徹底的に調べあげた結果、その要因はナノマシンにあったとしか言えなかった。
ナノマシンを身体の中に取り込んでいない時の彼女の声には、ある波長が発せられていた。この“波長”が、彼女の命令のままに従ってしまう要因であった。
波長を感じ取ったナノマシンに共鳴を与えており、それが脳などの神経に作用していた。言うならば、リモートコントロール(遠隔操作)と同じようなものであろう。
ナノマシンを取り込んだ後、その波長は消え、我々と同じ波長が身体の中で発生されていたのだった。
ここで一つの憶測が生まれた。
――ナノマシンを体内に取り入れていない人間……純粋なる人間は、ナノマシンを体内に採り入れた人間を思いのままに操れる――
では、何故そんなことが起こり得てしまうのか?
調査していた時に“ロボット工学三原則”となるものを知った。
遥か昔の作家が提唱したもので、この原則を要約すれば、ロボットは人間の命令に従い、ロボットは人間を傷つけてはいけない。そして、ロボットは自己の身を守る。
ナノマシンは機械である。その機械を取り込んだ人間は、人間ではなくなってしまったのではないかと……つまり“ナノマシンを取り込んだ人間はロボット”になってしまったと言える。
今、流通している全てのナノマシンの根本にある技術システムは、アーイン・ボルスが造り上げたものである。もしかしたら、アーインがナノマシンに、この原則システムみたいなものを採用したのかもしれない。
しかし、“ロボットに自己を守る”というのは必要無かったのか、自己の身を守るというものが適用されてはいなかった。人間の命令が、もっとも優先されるようになっている。それが、自己の身を傷つけたとしても。
確証を得るためにデイル・トミントンの体内に入っている全てのナノマシンを除去し、再度検証が試みられ、結果裏付けが取れたのであった。
しかし、その代償に栄えある完全人間第一号となったデイルだが、ナノマシンを除去してから一週間経った後に疾病の合併症を引き起こし、息を引き取ってしまった。
それから、ナノマシンが体内に取り込まれていない人間を“完全人間”と呼ぶようになり、重要視され、重宝されるようになった。特に権力者たちから。
理由は言わずもがな。完全人間を手中に収めれば、ナノマシンが蔓延してしまった人間世界を簡単に支配することが出来るからだ。
だからこそ、完全人間の有効性を知った権力者は、第二となる完全人間を探すのに躍起になった。
だが、完全人間……デイルのように冷凍睡眠された人間はなかなか発見されず、発見されたとしても施設や装置などが壊れていて、素体は廃物となっていることがほとんどであった。
そこで、冷凍睡眠された人間を見つけるよりも、完全人間自体を作り出した方が良いという考えが生まれて研究も行われたが、既に体内に宿しているナノマシンを人間から除去したとしても、完全人間が発している波長が検出されなかった。そしてナノマシンが除去された人間は、デイルと同じ末路を辿ったのである。
また、完全人間計画とは別に、ナノマシンを利用した服従コントロールの研究も行われたが、実現困難であり、精神を崩壊するものが大半だった。稀ではあるが、精神崩壊せずに平常を保っている人間を作り出せたが、何かが欠落してしまい、命令は聞くかも知れぬが、命令無しではどうすることも出来なくなってしまっていた。
実験体ナンバー、NA―I……コードネーム“ナイツ”が、それに該当する。
その研究の派生ではあるが、完全人間の電波を強化出来る、COM電波を開発出来たのは良かったが、肝心の完全人間が見つからなければ、ただの宝の持ち腐れだった。
完全人間計画が暗礁に乗り上がっていた時、SE78年にティア・グランハートが発見された。
ティア・グランハートは、完璧に保たれていた完全人間であった。幸運にも、ティアは冷凍睡眠による障害で記憶を喪失していた。
我々にとって都合の良い記憶、我々が欠かせぬと印象をティアに与えておけば、ティアは我々の言葉を素直に聞く人形になる。
はずだったのだが―――
***
研究室の隅に個別に設けられた一室。ここは博士専用のプライベートルーム。
博士はモニターと睨めっこしつつキーボードを打ち込んでいた手を止めると、一息を吐き、コーヒーが注がれたコップを手に取った。
「やれやれ、意外と量があるもんだな……。だが、もう少し……」
一口飲んだ後、「くっ……」と目眩がして、軽い頭痛がし始めた。
机の側に置いていた手の平サイズプラスチックケースから錠剤カプセルを取り出すと、直ぐ様に口の中に放り込み、先ほどのコーヒーと共に飲み込んだ。
「はぁ…はぁ……」
頭痛は、誘拐された後から博士の持病のようなものだった。ナノマシンが配合された薬で頭痛を緩和しているが、最近は頭痛の頻度が増えてきていた。
「やれやれ。さっさと終わらせて、ゆっくりしたいものだ……さて……」
ボヤきつつ、キーボードの打ち込みを再開しようとした時、
――ビィービィー
高い音が鳴り響く。呼び出し音だった。
ため息を吐きつつ、キーボードの隅に設置された専用のボタンを押すと、モニターにデンジャ―の顔が映し出された。
「どうしましたか?」
『実験レポートの方はどうだ?』
「大変申し訳ございませんが、まだ作成中でして。明日の朝までには……」
『そうか。とりあえず、明日の昼にはここを発つ。体裁だけは整えておけ』
「はい、かしこまりました。しかし、宜しいのでしょうか? 未整理のデータなども大量にございまして……。今こうしてまとめておりますレポートの完成度は、かなり低いものになってしまいますが……」
『別に構わん。組織には、その程度で十分だ。重要なのは、完全人間が私の手の内にあるのを披露することだからな』
「そうですか。ということは、ティア様をお連れにならないので?」
『ああ。ヘタに連れていって、何かあっては大変だからな……。で、ティアは、まだあの状態なのか?』
博士は険しい表情を浮かべ答える。
「ええ。いまだに、ふさぎ込んでいます。側に近づけられるのも、ナイツだけです」
『そうか……。たく、あれぐらいのことでおかしくなるとは。ふん、あんなのを人間とは思わず、ただのゴミクズだと思えば良いものを……』
「目覚めたばかりで何も知らない幼い少女ですからね、耐え切れなかったのでしょう……」
『ふん。精神コントロールなどで、どうにかならんのか?』
「残念ながら。そちらの方は研究の進捗は宜しくありません。ナイツのように、平常状態が保てられたのは運が良いだけです」
デンジャーの苦虫を噛み潰したかの様な納得がいかない様子がモニターからヒシヒシと伝わってくる。
『なにはともあれ、私が戻ってくるまでに、ティアをなんとかしておけ。解ったな』
強い口調で怒鳴り、モニターの映像が消えた。そのモニターには、鏡のように自分の姿が反射して映っていた。
「なんとかしておけ、か……。人間はロボットよりも精密に出来ているんですよ……」
その言葉は、もう姿を映していないデンジャーに、そして自分自身にも言い聞かせるように呟いた。
深い溜息を吐いた後、再びレポート作成に取り掛かろうとしようとした所、また頭痛がし始めた。
先ほど薬を飲んだにも関わらず、痛みが再発したことに困惑する博士。
悩みの種は、ティアの状態とレポート作成だけにして欲しいと思いつつ、額に手を当ててまた薬を飲もうとした時、ふとモニターに視線を向けた。
「だ、誰だ? おまえは!」
モニターに映る人物を見て、博士は驚きの声をあげる。
だが、映しだされているのは、博士自身だった。この薄暗い部屋には、確かに博士しかいない。
戸惑いながら、じっとモニターを見つめる博士。
少しの沈黙の後、モニターに映る博士の口元がニヤっと微笑し、
「“わし”は“わし”だよ」
話しかけてきた。
「わし? 何を言っている。私は……私? いや、わしは……っ!」
頭痛が激しさを増し、両手で頭を抱える。
「だ、誰だ? 私の…わしの…頭の中に……誰かが……いる……」
博士は、その場に倒れこんでしまったが、暫くして何事も無く起き上がった。そしてモニターに映る自分を見て、またしても笑った。
今度は、声を出して。笑い声が博士しか居ない暗い部屋に響く。
博士は席に座り、キーボードを操作し始めると、ある所へメッセージメールを送信したのであった。