-1- 「唯一、覚えているのは灰色の景色ぐらいです」
ティアの部屋―――
あの一件により、ティアの部屋の外の扉には数人のガードマンが配置されて、二度とティアを部屋の外に出さないよう厳重に警備されていた。
だが、ティアは前に感じていた寂しさや窮屈さを感じては無かった。隣にナイツが居てくれるから。ナイツは話し相手として、時には遊び相手になってくれていた。
ただ、一方的にティアが話すだけで、ナイツは受け身ばかりだったのが、ちょっと不満ではあった。しかし、一人で居た時よりもティアは笑顔になる回数が増えていた。
ナイツが隣に居てくれると……いや、初めて会った時からナイツに親近感を持ち、妙に懐かしく、何かを思い出せそうだった。だが、記憶を呼び起こそうとすると軽い頭痛がして、ティアは思わず額を抑える。
そうなると、すかさずナイツが気遣ってくれた。
「ティア様、大丈夫ですか?」
「う、うん……ちょっと頭に痛みが……」
「すぐに博士をお呼びしましょう」
「だ、大丈夫だよ。そんなに心配しないで、ほらもう大丈夫!」
小さな手を振り、ナイツの提案を拒んだ。
「しかし、何か有れば些細なことでも報告するように命令されていますので……」
「いいの。博士に言わなくてもいいの!」
今までティアが体調の不良を訴えると、博士たちは神妙な面持ちで念入りに検査を行うので、非常に面倒で煩わしく感じていたのである。だから軽い頭痛で検査をしたくなかったのだった。
ナイツの提言を逸らすために、ティアは別の話しを振った。
「ねぇ、ナイツ。ナイツの子供の頃って、どんなだったの?」
「子供の頃……ですか?」
「うん。私、自分の昔を覚えて無いから、ちょっとナイツの昔が気になって……。ナイツは、どんな子供だったの?」
「私には、子供の頃の記憶がありませんので、何を話せば良いのか解りません」
「えっ……」
突然の告白に言葉を失うティア。
「ただ……。唯一、覚えているのは灰色の景色ぐらいです」
ナイツの態度から、はぐらかしているような冗談では無かった。そもそもナイツは、いつも無表情の真顔である。
悲観するべき状況なのだが、ティアの心が少し軽くなった感じがしてしまった。
「そうなんだ……。私と一緒なんだね……」
記憶を失った者同士。それが親近感を生んでいた。
自分だけでは無い、そのことでティアの孤独感が少し和らいだ。
会話が途切れ、暫し黙り込む二人。
ティアはふと辺りを見渡し、本棚に視線を止めた。
「そ、そうだ。なにか本とか読んでよ」
「しかし、明日は特別な検査があるので、今日はゆっくりとお休みした方が良いと博士が……」
ティアはナイツの話しを聞かず、本棚へと駆けて行った。棚に埋まっている数ある本の中から詮索していると、一冊の厚めの本を手に取った。
本の題名は『姫と騎士と伝説の怪物』と書かれていたが、ティアはその文字は、自分が知っている文字では無かったため読めなかった。だけど、妙にその本が心に留まり、自然と手に取るとベッドへ戻ってきた
「ねぇ、ナイツ。この本を読んでよ」
「はい、解りました。ティア様」
ティアは博士など他の者から様付けで呼ばれるのには違和感が有ったが、ナイツから呼ばれることには抵抗は無かった。
その理由は解らないが、ただナイツが“ティア様”と呼んでくれるのが、妙に嬉しかったのである。
「昔々、ある国に美しい姫と勇ましい騎士がいました……」
ナイツはティアの言う通りに本を読み始めた。
物語を淡々と語っていく抑揚の無い朗読に、ティアの目蓋は段々と重くなっていき、眠りに誘われていく。やがて静かな寝息をたててしまっていた。
ナイツは、その事に気付いたものの朗読を止めなかった。ティアの言われた通りに読み続けたのであった。
最後まで本を読み終わった時には夜が明け始めていたが、ナイツは眠気を感じていなかった。
ナイツは、物心ついた頃には既に独りだった。
誰に育てられた覚えは無く、汚れたボロ布を羽織り、それよりも汚れたスラム街で生きていた。
ナイツの瞳には“灰色の世界”が広がっていた。
それは詩的な表現ではなく、本当にそう見えていた。生まれた時から、瞳に色覚異常があり、色が認識出来なかったのである。
そもそも、この時代で生きる者たちにとっては、何かしらの先天性の異常を持って生まれることが普通であった。
世界は子供が生きていくには凄まじく劣悪な環境だった。その環境下で、ここまで生きてこられたのは、ただ単に運が良かったに過ぎなかった。
スラム街では、ナイツと同じような身寄りの無い子供たちや、少し年上の人間たちと出会い、そこから恩恵を受けられた。仲間たちと協力し、何処からか缶詰の食料や服などを盗んで、生活の糧にしていた。そうしなければ、ナイツたちは生きられなかったのである。
しかし盗みが失敗したりすると、仲間たちは捕まったりして、命を失った者も出てくる。一人、また一人と失っていった。
だが、減っても何処かでまた身寄りの無い子供と出会い、生きようとしてグループに入ってきた。そしてナイツが青年ほどの歳になっていた頃には、子供のグループ内でナイツが年長者になっていたのである。
そんな頃である。ナイツたちの前に、あの人物が現れたのは―――
***
灰色の雨が降り注いでいた。
ナイツは着慣れたボロ布を羽織り、当時自分たちの住処にしていたガレージで雨が止むのを待っていると、黒ずくめの男たちを数人引き連れた年配で白髪の老人がナイツたちの前に現れたのであった。
その人物は、周りにいる男たちから“博士”と呼ばれていた。
「誰だ、あんたら?」
自分たちの住処に土足で入り込んできた不審人物に、リーダーのような役目を負っていたナイツが訊いた。
「そう、警戒しなさんな。突然の訪問に失礼する。私は、この街を支配するデンジャー様の使いの者だよ」
「デンジャー……」
ナイツたちは、その名前に聞き覚えがあり、一同ざわめいた。
自分たちが生活する街では、何処からともなく耳にする名前であり、良くも悪くも知名度が有った。
「あのデンジャーの……使い走りが、いったい何の用だ?」
ナイツたちは各々身構えたり、他の子供たちは逃げる準備をしていた。日頃、自分たちが行なっている所業が街の支配者の逆鱗に触れたのかと推測したのである。
「なに、そんなに怯えなくても良い。今日は、お前さんたちに有益な話しを持ってきただけだ」
「有益な話し?」
「ああ。簡単に言えば、デンジャー様の部下になれ」
「部下に? どういうことだ?」
「言葉の通りだよ。デンジャー様はスラム街で暮らす身寄りが無い有能な若者たちに、仕事と食事を与えてくださるのだよ」
ナイツたちは、お互いの顔を見合わせる。しかし、ナイツは提示された内容に訝しげな表情を浮かべて返した。
今まで施しなどを行わなかった支配者の突然の提案。
だから当然、
「信じられるか。どうして、そんなことをする?」
博士は一息を吐き、優しい口調で語る。
「まぁ、そう疑問に思うのは仕方ない。今まで君たちが行ってきた“コト”は、到底目を潰れないことばかりだ。それを放置出来るのも、そろそろ限界でね。そこでだ。平和的に解決しようとしての提案なのだよ」
押し黙る面々。静寂を破るように博士が話しを続ける。
「どうするかね? デンジャー様の部下になれば、あそこで暮らせるのだぞ」
そう言いながら指差した先には、この街で最も高い建物……デンジャータワーがそびえ立っていた。
「毎日盗賊みたいなことをして、こんな掃き溜めで暮らす日々からは解放されるのだぞ。どうだね?」
甘い誘惑だった。普段ナイツたちは電気や水道などのライフラインが通ってない場所で住みつき、下水道の地下で寝泊まりしている。最低限、雨露をしのげる程度だった。まるで野良犬や野良猫の暮らしだった。
「も、もし……その提案を拒否したらどうなるんだ?」
「もちろん、拒否しても構わない。ただ、その場合君たちは街に棲み着く害虫のままだ。害虫ならば駆除しなければいけないな」
博士がスッと片手を上げると、周りにいた黒服の男たちは懐から拳銃や刀などの武器を取り出した。
たじろぐナイツたち。ここで抵抗して戦っても勝ち目が無いと判断し、この場から逃亡しようと辺りを見回すが、その隙は無い。
ナイツは額に汗を浮かべつつ、時間稼ぎの為に疑問を投げかける。
「ぶ、部下になって、何をすればいいんだ?」
わざとらしい微笑みを浮かべる博士。
「なーに、簡単な雑用だよ。ただ私たちの言うことだけを聞いておけば良いだけの、簡単なお仕事。ただ、少しばかりは身体を改造する。なに、君たちを人並みに動けるようにするだけだよ」
ナイツたちは博士の言葉に戸惑い、ざわつく。
各々は自分たちの置かれた状況を考察しだした。これからも明日も解らぬ生活を続けていき、明日どころか今日の食事すらも解らぬことに、そして自分たちの身体の欠陥に、いつも不安を抱えていた。
ナイツたちは悩んだ。目の前に居る人物の言葉……デンジャーを信じて良いのか?
しかし、選択肢は有って無いようなものだった。
断れば銃の引き金を引かれる。許諾しても、命を僅かに長引かせるだけ。
ナイツは他のメンバーたちの顔色を覗う。
自分と同じように訝しげたりする者が多数で、幼年組たちは呆然としていたが、自然とナイツに視線が集まった。
判断をリーダーであるナイツに委ねているようだった。
不思議だった。
いつ死ぬとも解らない粗悪の環境。死んだ方が楽になれると思ったことは多々ある。ここで撃ち殺されても良いはずなのに、死を拒み、抗い続けていた。今この時も生きる為にと、思考を巡らせている。
生きるというのは、人の本能だった。なぜ生きるのか――それは、自分は独りじゃないからだ。
誰かが居るから、誰かと暮らしたから、生きていけた。
だからナイツは自分が生きる為ではなく、皆が生きていける為に答えた。
「……解った。その話しを詳しく聞こう」
聞くと言ったが、部下になると言ったようなものだった。だから、ナイツの言葉に博士は笑顔で返した。ぬらりとした笑顔で。
(ナイツの台詞が、武内Pの声で脳内再生される。。。)