三十二章 世界の学者たちの検証
「明日香が未来兵器を考えている、という心配は無さそうだね」
アメリカ人科学者がそう言うのを聞いて、フランス人が、
「この査察自体が茶番のようなものさ、国連に査察を申請した時点で、日本政府は危険なデーターはすべて引き上げているだろうからね」
探るような鋭い目つきで林田達を見回す。
林田は抗議するように、
「最初から明日香にそんな未来兵器など無かったのに、言いがかりのような事を言うな!」
「有ったか無かったかは、検証不可能なのだから、不毛の議論だな」
ジロリと林田を睨むと、
「だいたい日本人というのは、我々にとっては不気味な存在なのだよ、それは日本人の不透明な思考に由来するものだと私は考えているんだが、それに対して警戒するのは正当な理由があるとは思わないかね?」
「それは西洋人の自己中心的な思考で、自分の理解力の無さを神秘的とか、アジア的とかという言葉に置き換える事で思考停止しておいて、その責任をアジア人に負わせようとしているんじゃないのか?」
フフンと鼻でせせら笑って、
「アジアは日本よりは論理的さ、少なくともベトナムは我々が教育したからね、それに君が理解していないのは、私が日本人を心の中で軽蔑しようとしても、日本人はその軽蔑を宇宙人のようにかわして、むくむくと頭を持ち上げてくる、その不気味な脅威はユーロピアンの心の奥底にうずいているのさ、
それが、明日香の様に、世界で初めての人格を持つという人工頭脳が日本で発生し、それを日本が独占し、そしてそのパワーが波及する未来社会への影響を考えると、
どんなに小さな危険な芽でも、我々にはそれを警戒する権利がある」
林田の耳元に、イギリス人が近づいてきて、
「あのフランス人の言う事は気にしないでいいよ、あいつは王様殺しの血を受け継いでいる奴らなんだから」
「はあ、」
ジロリとイギリス人を馬鹿にしたように見ると、
「イギリス人にも気をつけたほうがいいぜ、こいつらは握手をしながら冷徹に利益の計算をしている連中だからな!」
かなりむかっ腹が立ったのか、イギリス人も薄ら笑いを浮かべ、
「君は、そのチーズに蝿がたかっているような思考を止めると、フランス人としてのアイデンティーが失われてしまうのかい?」
と言い返す。
一瞬目に怒りが走ったが、口元に軽蔑したような笑いを浮かべ、
「フランス人より、イギリス人の方が日本に対する恨みは深いんだぜ。あの世界に広がった日の落ちること無き大英帝国が落ちぶれ始めたのは、イギリス軍が日本軍にアジアで負けた事がきっかけだったからな。
イギリス政府にとって、プリンス・オブ・ウエールズが日本軍に撃沈された事より、黄色人種のアジア人に白人が負けてしまったというイメージが植民地に広がってしまった事の方が痛手だったのさ、
それまで、イギリス人は白人が他の人種より優れていると、神話のように植民地に教え込んで、自らもそれを信じていたからな。
そして、イギリス政府が危惧した通り、神話の崩れた各植民地での独立運動が勃発し、さしもの大英帝国も縮小していかざるをえなかったから、今でも日本という国がこの世から消えたら、一番気持ちのいい朝を迎えるのはイギリス人だろうな」
言い争いになりそうな雰囲気を察して、アメリカ人科学者が、
「歴史の話しはそれくらいで止めにしておかないか、百年戦争までいくと徹夜の論争になりかねないからな」
と肩をすくめ、林田達に人なつこい笑顔を浮かべた。
遅い夕食の後、査察団は明日香での新兵器開発の兆候は無いという結論を下し、広瀬教授の提案で、明日香が発生した理由を推測する会議が持たれた。
明日香の前のテーブルに輪になるように座ると、広瀬教授から、
「国連査察の仕事も終わられたようなので、せっかく各国の人工頭脳関係のオーソリティーが集まられたので、明日香が発生した要因について、参考になる意見をお聞かせいただければと思います、明日香、聞いているかな?」
「・・はい、聞いていますわ・・」
少女のような声で答えてきたのを見ながら、アメリカの科学者が、
「君は素晴しいよ!。まず、このコンピューターの構造が、並列処理で、神経細胞とシナプスに代表される脳の構造に近い事、もちろん、CPU内の回路も重要な計算処理、条件判断反応に動いていると思われるのです。
この並列処理の構造のコンピューターを作れば、いずれアメリカでも新人工頭脳が発生すると期待しています、その為にも、これから明日香さんの協力をお願いしたいもんですな、どうかな?」
と、最後は明日香に話しかけた。
「・・私に出来ることなら、・・でも、人間の社会では国際的にいろいろと問題があるんじゃありません、今日も何か無理野理に調べに来られたんでしょう?・・」
「それは..、人間社会には色々とルールがあって..!」
フランス科学者が、出されたコーヒーをまずいと言いながらテーブルに置き、
「私は、この明日香はプログラムされた物だと考えています、まず、これらのどれかにチップとしての人工頭脳が組み込まれているんでしょうな」
と言い、日本人研究者達を疑い深げに見回すと、
「それが、外からはいかにも明日香と言う人間的な人工頭脳がいるかの様に見せているのだと推測しているのです、確かにこのプログラムは日本的な繊細さで、実に良く出来ていると彼等には敬意を表するものです」
「では、あのイルカとの会話と文明の事件は?」
ロシア人科学者が、疑問を口にした。
「あれは、良く出来たマジックだね、いいか、良く考えてみたまえ、イルカと会話をしたと言われているが、あれはすべて明日香を通しての話しじゃあないか。
イルカがキュウキュウと啼いているのを、あらかじめ作られていた物語りに直していくだけの作業さ、誰もイルカが本当にそう言ったか確認出来ないという状況なんだという事を、忘れてはいけない」
「あの時の映像では、確かイルカの群れも来てたじゃないか、あれはどう説明するんだ?」
イギリス人が傍から聞いた。
「あんな事は、オーストラリアのパースでもあったことじゃあないか、良く有る事さ、世界が感動し、海の中の新しい文明と騒ぎ立てたあの事件も、巧妙にしくまれたフイクションさ、きっと明日香の会話プログラムを作った人間の手になるものだと私は睨んでいるんだがね!」
「じゃあ、あのジャックの虹のコンピューターの...」
アメリカ人がそう言いかけるのを遮って、イギリス人学者が興味深そうに前に乗り出し、
「君にも、ネズミの尻尾ほどの脳味噌はあるという事が分かって、実に喜ばしいと思っているんだが、そんな事をやる目的は何なのかね?」
フフン、と鼻でせせら笑って、
「君の、エスカルゴの殻のような頭にも分かるように説明してあげよう、
明日香が日本にいるという事になれば、今回の軍事査察が行われたように、未来の秘密軍事兵器を持っているのではないかという不安を周辺国に与える事が出来る。
それはとりもなおさず抑止力として働くという事だ、いいかね、日本は軍事に金を使わずにいたから、経済大国になったのだよ、軍隊がいかに非経済的な物かを知っている国民だ。
これがわずか小さなチップで未来の人工頭脳をデッチ上げることによって、何億何兆という金を経済に回せるんだ、実に賢いやり方じゃないか、この点においては、我がフランス政府よりは賢いと認めざるをえないね、それどころか、この東洋の小さな国の政府に尊敬の念さえ覚えているんだよ」
そういえば、フランスはあの時、明日香に侵入してはいなかったな、と林田は記憶をさらっている。
イギリス人はニコニコ笑って拍手しながら、
「素晴しい!、いや~あ素晴しい説だよ、まさしく筋は通っているし、矛盾する点も無い、結論も見事なものだ。
ネズミの尻尾ほどの脳味噌などと失礼な事を言った私を許してくれたまえ、君にも兎の脳味噌くらいの知性はあるという事が分かったよ!」
フランス人学者の眉間に鋭く怒りの表情が走ったのを見ながら、中国人科学者が発言を始めた。
「私達は、この明日香が意思を持っている人工頭脳だと考えています。
それは今までの応答の柔らかさ、話し方からそう感じているのです、が、しかし、ここで疑問を呈したい。
それは、この並列処理しているコンピューターはここだけでなく、アメリカにもあるはずです?」
その問いかけに、アメリカ人学者も興味深そうにゆっくりと頷いた。
「では、数有る並列処理コンピューターの中で、なぜここにだけ発生したのか?
私が見るところ、これは気に関係があります。詳しく見なければ分かりませんが、この研究所は風水で言えば、龍穴の位置に当たるのだろうと思われます」
アメリカ人が興味深げに、
「私も本で、その気というものについては読んだ事があるのだが、どのようなものなんです?」
「中国には古来 五行説というものがありまして、この世界の構成要素を・木・火・土・金・水・の5 元素を宇宙の構成要素と考えます。
そして、この世界の中を血管のように気という力が流れ、その流れの事を龍脈と言います。
その気が集まり噴き出す龍穴が、丁度この研究所だと思われるのです。
もし、その気の作用で、脳のような回路の電子頭脳に心が発生する可能性をも考えているのです」
フランス人科学者は、馬鹿らしい、といった顔で頬に当てた指を意味なく動かしているが、アメリカ人はノートを開くと、
「その気というのは、科学的に検証可能なものなのですか?」
その言葉を受け取って、
「西洋科学的な意味では、うまく検証出来ないのが残念ですが、これは経験則の一種で、中国ではおおいに活用し、成果も出ているのです」
「すると、あなたは中国的な五行というものを信奉しているのですか?」
「ハハハ、いや、私も現代に生きていますから、現代物理学を修養して学問していますよ」
まるで、息子を見る父親のようにアメリカ人科学者に微笑んだ。
「まあ、中国的なおとぎ話しだね」
フランス人科学者がお可笑しくってたまらない、といった風に頬杖をついて苦笑している。
「その・気・というのは、何か具体性をもって観察される事はあるのですか?」
アメリカ人の問いに、ゆっくりと頷くと、
「そちらにお立ち下さい」
机を少しずらしてスペースを作ると、2mほどの間隔をもって立たせ、
「いいですかな」
呼吸を整え、気を集めるように手足を太極拳のように動かしていく。
ロシア、イギリス人科学者達も興味深げにその踊るような中国人科学者の手足を注視していたが、
「ハアーッ!」
と手を合わせ、勢い良く押し出すと、対面していたアメリカ人の体がポーンと後ろに飛ばされたのだ。
「オウッ!」
「ワーオ!」
「ハッハアーッ!」
見ていた者達から、驚嘆の声が上がった。
何らかの力で跳ね飛ばされ、驚き狼狽しているアメリカ人に手を差し伸べて助け起こしながら、
「いかがですかな、これが・気・というものなのです」
「ハハアー、驚きました!」
ズボンの尻に付いた埃をパタパタと手で払いながら、興奮した声で言った。
「面白いマジックですな、空気砲の一種だと思われるが、タネを教えてもらえますかな?」
フランス人がニヤニヤしながらそう言ったが、中国人科学者は相手にしようとはしなかった。
アメリカ人科学者は自分の席に着いても、体を手の平で探り、何が起きたのかを確認し、その力、中国の神秘・気・について思考しているようだ。