第三章 yes,noの学習
コンピューターに心だと?
そんな馬鹿な!
「どこの大学でも、再現はまだ起きていないらしいわ」
北研究員が小首を傾げ、肩をポンポン叩きながら話しかけてきた。
「そうだろうな~、誤作動は起きて欲しい時には起きないものさ」
「どう、うまくいってるみたいじゃない?」
「ああ、こう見ていると、なんか楽しそうだろう」
「これから、どうなるのかしら?」
林田は手を頭の後ろに組むと、モニターの上のカメラの前で懐中電灯を振り回し、感熱センサーを握ったりしている園山を呼んで、
「なあ、そろそろこいつの名前を決めなくちゃなあ~」
「そうね、どんなのがいいかしら?」
「ハルに対抗して、アキとか、ははっは!」
「日本の電子頭脳だから、和風の名前にしたいなあ」
懐中電灯を自分の顎の下から照らしながら園山が言うと、
「なんかいい名前を考えておきましょう、もしかしたら歴史に残るんだから、それで、これからどうするの?」
「第三の意思を成長させる!」
林田が決心したように、目をきりりとさせて宣言した。
「えっ、第三の意思、なあにそれ?」
北が感心したように、声を弾ませて聞くと、
「・・・ううん、わからん?・・なんだろうねえ?」
再び椅子にぐったりと座ると、そんな林田を見ながら園山が意味ありげに笑い、
「ふふっふ・・光りにも反応してきているよ」
と懐中電灯をぐるぐる回して見せた。
「えっ、本当か!」
「それとね、コンピューターが使っているデーター量が少しづつ増えている」
チラッと片目をつぶって会心のウインクをみせた。
暖かい風に誘われ、窓の外には桜が二つ三つと枝に咲き始めているが、あいにくの雨がそれを濡らしている。
机の上には夜勤だった園山がうつぶして寝ているのを起こさないように、北がコンピューターの前に紙を張った。
明日香
と書いてある。
「おはよう、」
林田が元気良く出勤してきた。
「おや?」
モニターには、" ! "がチカチカと点滅しているのだ。
「明日香か、いいねえ~」
つぶやきながらも、目はモニターの" ! "を見ながら考えている。
色々キーを叩いて文字を入力してみるが、それに対しての反応は無い。
「ふ~ん・・?」
試しにピアノ曲の音を入れてやると、" ! "
が消えてパルスに変わった。
「ふ~ん・・これが欲しかったのか」
そこにヒラヒラとホラ吹きで有名な経済学のハスキー教授がやって来た。声がハスキーなのでこのあだ名なのだが、本人も気に入っているようだ、
「これこれ、人類の夢の人工頭脳とはどれかね?」
北が軽く会釈して明日香を示すと、
「ほほっほー、これがかね?」
しげしげとモニターに映っているパルスを見つめながら、
「なぜ、これが人工頭脳なんだい?」
「なにか、意思をもっているんですよ」
林田が肩越しに覗き込むようにしている教授に説明する。
「ふうむ~、信じられんなあ~」
「どうしてですか?」
「コンピューターといのは無機物だ、という事は有機物の持っている柔軟性はもっておらん。
ということはだね、そこに、精神のような柔らかいアナログなものは生まれる理由などは考えられないのだよ!」
「もちろんそのとおりです、ですから、こんなにも問題になっているわけで・・それに、こいつは自分で自分用のデーターを作り始めたんです・・、」
「それは君、自分で勝手にデーターを作るプログラムなんていくつもあるじゃあないか、なにかね、君らは、この君が言うところの何かが発生して以来、リスタートはしてみたのかね?」
「いいえ、いっさい、この現象が消えてしまう事も考えられるので」
「そこだよ、もしプログラムのエラーでこの人工頭脳と勘違いしている現象が起きているものならば、リスタートすればすべてが元どおりになるのではないかな・・」
「・・それは、広瀬教授の決定事項なので・・」
「うん、それはそうであろう」
ハスキー教授は頭をかきながら、
「う~ん、リスタートしてみたいな~・・こんなことはありえないはずなんだが・・」
とつぶやき、頭をかきながら、研究室を出ていった。
「確かに、そうなんだよな~!」
林田もモニターを見ながら、心の中にある不安が膨れ上るのを感じていた。
「明日香、かあ~、どうして?」
園山が起きたばかりなのか、ノロノロとした動作のまま、眠い目をして北に聞いている。
「もしかすると、この子はこれから生まれる人工頭脳の母になるかもしれないでしょう、だから明日への希望を込めて明日香にしたの」
「ふ~ん、そうかあ、そうだな~、やっぱり女か!」
「ほら、アニメでもセンターの頭脳の事をマザーって呼びかけるでしょう」
「そうだね・・だいたいマザーだものな、まあ、いいっか!」
園山はなにか男の名前を考えていたらしい。
「どうしたんだ?」
明日香のモニターのパルスがひどく不規則に乱れているのだ。
落ち着いた様子で林田が、
「うん、試しにとっておきの雑音を入れているのさ、ガラスを爪でひっかくようなね」
タバコに火をつけて、モニターを注視している。
「ふうん、なるほど、面白いな」
園山もその意図を理解したらしい、急に二人はある期待感をもって、明日香の反応を待った。
混乱したパルスが消えると" X "が点滅しだした。
二人とも息を飲み、林田が応答の為にXを打ち込もうとした時、いつの間にか後ろに来ていた広瀬教授がその手を止めた。
「ちょっと待ったあ!」
「・・・・・!」
「それじゃあない、ピアノの音の方だ!」
「あっ・・・はい!」
きれいなピアノ曲を入れてやると、パルスは踊るような波に変わって流れていく。
「やったね!」
「ようやくここまで来ましたね」
林田は椅子から立ち上がって教授の差し出す手を握った、喜びの為か、教授の手が震えている。
「みんなのおかげで、やっとこのコンピューターも快と不快を表現出来るようになった」
北が側から教授に念を押すように、
「明日香です!」
「ああ、明日香か、これでコミュニケーションがとれるきっかけが出来たわけだ、」
「これから、こちらからも" X "で拒否を伝えられるわけですね」
「そういう事だね、ようやく初期段階のyes,noでコンタクトをとれる事になったんだ、本当にみんな、ありがとう!」
教授の顔は興奮の為か、まだ紅潮している。
「これからは、聞き直し、確認、概念の混乱等が出てくるものと考えられるが、充分に注意してやっていって欲しい」
「嘘なんかもつくんでしょうかね?」
園山が顎の下で指を回しながら聞いた。
「もし嘘をつくとしたら、・・もっと後の段階だろうな、嘘をつくのはかなり高度な精神的作業だからね」
そう言うと教授の目が嬉しそうに笑った。
「好きとか嫌い、は出るんでしょうか?」
北が真剣な目をして尋ねた。
「人間に対してかな・・それは、・・どうだろう?」
風に乗って桜の匂いがしてきた。
窓の外の満開の見事な桜の下で、研究員達は少し成果が上がった祝いを込めての花見で盛り上がっていた。
「明日香もカメラの映像処理の仕方が分かってきたらしく、よく動かしていますよ」
園山が酒のまわっているニコニコ顔で自慢した。
「僕は人工頭脳というのはもっと最初から賢いもんだと思っていましたよ、最初から映画みたいにHallo worldなんて表示してさ、もっとかっこよく現われるんじゃないかな~、とね」
林田も上機嫌で手に持ったコップ酒をグビグビと飲んだ。
「あのさ~、あの明日香の意思と中に入っている他のソフトとの関係はどうなっているわけ?」
北がほんのりと染めた頬でつぶやいた。
「明日香はそれらのソフトの微妙な合成で生まれたわけではないような気がするんだ」
教授が青いビニールシートの上に座り直して言った。
「もし、それなら最初からそれらのソフトを利用する能力は持ちえていただろうからね、
幸か不幸かあの中の何かから生まれたんだね、それでまだほとんど心の初期状態で赤ん坊みたいなものなんだと思うんだ」
「そのうち、他のソフトのデーターも使うようになるのかしら」
「それはもう始まっているよ、・・ただ、まだその意味が分からないだけでさ、認識が発達すればすぐに理解するんじゃないかな?」
園山が少し真面目な顔になって付け加えた。
その頃、研究室にポツンと取り残された明日香は、二つのテレビカメラを操作して、窓の外の満開の桜に焦点を合わせようと頑張っていた。