第二章 幼い心
コンピューターで発生したのは、新しい心、
「よーお! 買ってきたぞ、ブリだ、ブリ!」
スポーツ好きで体格のガッチリしている林田研究 員が手に大きなビニール袋を下げて帰って来た。
これからしばらくは、24時間体制で、この自分の意思を持っているかのようなコンピューターの相手をし、うまくいけばなんとかコンタクトを取りたいという事になった。
そんな訳で、林田が夜食の材料を買って来たのだ。
研究員達は急に上機嫌になった、なにせこの男、料理の腕はすこぶるなので、今夜はヘタな弁当よりは、はるかにうまい夜食が食えるというわけなのだ。
今夜の夜食には、うまいブリの照り焼きが食えそうだ。
「まず、YesとNoを教えなくちゃな」
会議で林田が発言する、
「いい事と悪い事、すなわち、快感と不快感を教えるというのはどうでしょう?」
首を傾げて考えていた園山が発言し、それぞれの考え方が黒板に書かれていく。
「まず、このコンピューターがどれほどの能力を持っているのかを確認しないと、始まらないんじゃないですか?」
メガネの奥からしっかりとした目で園山を見ていた北研究員が発言し、討議の後、それぞれにトライしてみる事になった。
「コンピューターはスイッチのon,offで動いているわけだから、それをどう認識させるかだよな~!」
キーボードをトントン叩いてパルスを合わせ、"?"の文字を出させてモニターを覗き込むと。
「お前はいったい何を知りたいんだ~?」
と林田が話しかけているところに、細身の園山が色々な器材を抱えて戻って来た。
「どうするんだい?」
「こいつに色々見せてやろうと・・思って・・ね」
園山は二台のテレビカメラを取り出し、モニターの上に20cmほど離して設置した。
「ええと・・次は、温度センサーに・・湿度センサー・・感圧センサー・・匂いセンサーにマイクと」
園山がケーブルを配線し終わると、さしづめギョロ眼の鬼のようになっていた。
「なあにこの子、こんなにされちゃって!」
北がそれを見て、あきれたように園山を見た。
「ほら、こいつは音の波長に反応したろう、それでもしかしたら、このセンサーが外の世界への窓になるかもしれないだろう」
「そうか、その手もあるな~!」
「結果良ければ~、だからなんでもやってみる事はいいかもね~」
北は独り言のようにそう言うと、しげしげと何かが起きているらしいコンピューターのモニターの縁をポンポンと叩いて、
「君は・・誰かな~?」
と話しかけ、他の大学から返って来てるだろうソフトの誤作動についての返信メールをチェックしに自分の席に戻って行った。
窓の外の桜の枝には、もうすぐ開こうとするつぼみが、はち切れんばかりに膨らみ、枝にズラリと並んで春風に気持ち良さそうに揺れている。
林田は根気良くキーボードからピアノの音を流すのに夢中になっていた。
コンピューターのパルスに合わせるだけでなく、こちらが出す音にコンピューターが付いて来るかどうか試しているのだ。
リズミカルに音を入れていくと、徐々にパルスが音に近づいてくる。
「やあ~、どうもどうも、なんか大変な事が起きているようですな」
科学雑誌の市川編集長が人なつこい笑顔を浮かべ、スリッパの音をパタパタさせながらやって来た。
傍には若い増田記者と太る事を気にしない近藤カメラマンもその後に続いている。
「人工頭脳が完成したそうですな?、大ニュースですよ」
レコーダーを片手に林田に声をかけた。近藤カメラマンはもうすでにパシャッ、パシャッ、と撮り始めている、
「う~ん、いまいち面白くないんだよね~、あっ、そこの女の人、こっちへ来てここに座ってくれません?」
「やあ~、これが人工頭脳ですか、さすがにそういう雰囲気がありますね~!」
増田記者が多少驚きながら、ギョロ眼の鬼のようなコンピューターを見ながら言った。
「もう、会話なんか出来るんですか?」
市川編集長が興味深げにモニターのパルスの流れを見ながら尋ねた。
「いえいえ、まだ山のものとも川のものともつかない代物で、よく分からないのですよ、」
林田が腕組をし、その手にはタバコの煙が揺らいでいる。
「筑◯大学の方じゃ、みんな大騒ぎだそうですよ、いよいよ人工頭脳が出来たってね」
さぐるような市川の問いに、困惑したようにモニターの画面を見せ、
「このパルスが、我々のプログラムにもよらない、このコンピューターの意思によるものらしいという事だけなんですよ、もちろん、まだプログラムのエラー、バグ、なんらかの合成という可能性もあるので、今はなんとも・・」
くわえタバコでキーボードを操作して見せる。
「人間のプログラムによらない、コンピューター自身の意思・・いいねえ、」
そう言って増田記者の方を振り向くと、
「いいですね!、来月号はでっかく、ついに人工頭脳完成か!で特集が組めますよ、それとも、未来の夢、人工頭脳が今、完 成!の方が読者の食いつきがいいかな~?」
内心、期待はずれだったらしい編集長も、
「そうだな、今までの人工頭脳が出てきたSFや科学史の歴史を資料として集めれば、特集は組めるかな?」
と増田記者に同意をうながし、
「本当に・・これだけ、なんですか?」
と頭一つ上にある林田の顔を見上げた。
何も言わずにうなずく林田が、多少つっけんどんになってきたのを感じた編集長は、少々落胆の色を見せながら、
「何か、変化があったら教えて下さいよ、すぐに飛んで来ますから、お願いします!」
三人が部屋から消えると、
「あ~あ、マスコミって何でも物事をでかくしちまうからな~、こいつがこれ以上成長しなかったらどうするんだよ~、それもこっちの責任かよ~、あ~あっ!」
うんざりするといった顔で再びモニターに向かった。
さっきと同じようにピアノの音を入れていく・・わずかにパルスが乱れる、と、波が寄せるように波長にパルスを合わせようとしているようだ。
「よーし、いいぞ、その調子だ・・もう少しだぞ」
一つ一つの音を丁寧に、なるべく同じタイミングで、打ち込んでやる。
「よーし、うまいぞ、だんだんうまくなっているぞ、頑張れよ・・さあ、こい、・・うまい!」
いつのまにか夢中になっている林田の熱気に、研究員達も集まって、波長にパルスの追いかけっこを見つめていた。
波長にパルスが追いかけて重なり、一つの波のようになって流れていく、
「うまい、うまい!・・やったあ!」
拳を振り上げ、勢い良く振り向いて、やっと集まって自分達を見つめている研究員達に気が付いた。
「見たあ~・・なあ、見たあ?、今の!」
「やったね、おめでとう、第二の意思だね!」
研究員の一人が、パチパチと拍手しながら言った。
「こいつはやっぱり、成長しているんだよ、なあ~!」
林田の顔は嬉しさ一杯で、さっそくタバコに火をつけて胸の奥まで吸い込んだ。
林田はプロコフィエフのピアノ曲をコンピューターを流し込み、コンピューターが
その波長に踊るように合わせて流れていくのを嬉しそうに見つめながら、
こいつにもそろそろ名前が必要だな、とボンヤリと考えていた。