十一章 初めての新宿体験
明日香の心は成長し、知識も本からだけではなく、現実の社会と向き合い、発見と分析、対応を学ばねばならない、
園山は明日香に音楽を聞かせ、その音楽の感覚に近い言葉で解説している。
八代亜紀を聞かせ、
「これはね、飲み屋で女が恋する男を待っている気持ちをだね・・」
ベートーベンを聞かせ、
「運命は、このように扉を叩くうんぬん・・」
スピードを聞かせ、
「若い女の子が、好きな男の子の事を思うときの気持ちを素直に・・」
などと説明している時に、広瀬教授が入って来た。連日の政府との会議と、外国からの共同研究要請に対する断わりの交渉と議論で、すっかり頬がこけて疲れている様子が痛々しいほどだ。
明日香の前に来ると、怒気を含んだ声で、
「私は、お前が嫌いだ!」
と一声浴びせて自分の部屋に入って行った。
林田と園山は顔を見合わせて、
「どうしたんだろう?」
「あんなに苛々している教授は初めて見たぜ」
「政府にだいぶ痛めつけられているのかな~?」
明日香はカメラを不安げにキョロキョロさせながら、
「・・嫌い!、・・私を嫌い???・・」
と悲しげに繰り返している。
そんな様子をドアの外から覗き込んでいたハスキー教授は、顎に手を当てて考えこんでいた。
「本当に心を持っているのか?・・でなければ、広瀬の奴がムキになって怒るわけがないか・・、」
嫌われたと思って悲しんでいる明日香の周りの人間の反応は、まさしく人間に対するそれと同じであるが、研究者といえども、対象にペットに対するそれと同じように、感情移入してしまう事も良くあることなので、まだまだ納得はすまいと心に言い聞かせた。
少なくとも、明日香に心が発生した理由と構造を、科学的に説明されるまでは。
「いいか、明日香、自分でも歌ってみよう、そうすれば歌の気持ちが分かるようになるかもしれんから」
ショックを受けた明日香を元気づけるように、園山は自分から得意のアニメソングを歌い始めた、
「さらば~地球よ~・・・」
「・・さらば~地球よ~・・・」
明日香も園山の声に続いて歌い始めた、
「こんなんで、いいのか~?」
側で林田がそんな二人を半眼で見ながら、手を頭の後ろに組んだ格好でタバコを口にくわえたままつぶやいた。
正直、明日香はそんなに歌がうまいとは思えなかった。
発声装置の問題もあって、声に機械音特有の雑音が混じっているように感じられるのだ。
明日香が歌う宇多田ヒカルを聞きながら、発声装置を研究所の部品ではなく、ちゃんとしたオーディオに使っているようなアンプとスピーカーを付けたほうがいいな、と園山は考えていた。
それも、真空管の柔らかい音ならなおいいかもしれない。
そうでないと、明日香の歌を聞かされるほうがまいってしまいそうなのだ。
「なあに、明日香を歌手にでもするつもりなの?」
「そうだね~、なれるかな~?」
北に答えて、園山が冗談めかして言う。
「国家予算を使った、世界初の人工頭脳歌手登場だぜ、半年は売れそうだな~!」
「そうね、本田p-7女性版の体を借りて、どさ回りでもするつもり?」
「いいね、明日香の稼ぎの上前をはねちゃって、毎晩芸者を上げて、ドンチャン騒ぎをするのさ」
「その話、のった!」
側で林田が一声乗ってきた。
「明日香のメモリーなら、すべての歌を記憶させて、なんでもリクエストに応えられる」
「まずい!」
林田の言葉に、園山はハッとしたように言った、
「明日香が、本当に歌っている事を証明出来ないぞ・・口の動きに合わせて、歌を流しているようにしか見えないかも」
その間も、明日香は楽しそうに歌い続けていた。
今日は朝から外が騒がしい感じがする。
明日香の開発反対のデモ隊が、シュプレヒコールしているのが、風にのって聞こえてくるのだ。
1km以内は、厳戒立ち入り禁止地域になっているので、実害は無いと思うが、あまり気分のいいものではない。
ただ、気持ちが分からないわけではない、自分等を支配するかもしれないずば抜けて優秀な人工頭脳に対する恐怖と恐れは、ごく自然な人間の感情でもあるのだろうから。
研究室の中に入ると、ハスキー教授が明日香の前に座って人なつこそうな笑顔を浮かべて楽しそうに話をしている。
「おはようございます、教授!」
「やあ、林田君、明日香は楽しいね」
「おや~、教授は明日香が意思を持っているという事に懐疑的でいらっしゃったはずですが、何か変わりました?」
「いん~や、何も変わりはせんよ」
なにやら腹に一物~と企んでいる顔を、笑顔で隠しながら林田を見上げると、
「広瀬教授にも話して、了解は得ているんだが、明日香を貸して貰おうと思ってね」
「はあ~!、明日香をですか?」
「私は以前から、人間以外の知性に興味を持っていてね、哺乳動物の中で一番高い知性を持っていると思われるイルカと明日香を、対面させてみたいんじゃよ」
「は~、・・イルカとですか?」
「イルカは本能的に、相手に意思があるかどうかを判断してくれると思うんだがね、どうだろう、協力してもらえるかね?」
「広瀬教授が同意しておられるのなら、協力はしますが・・」
「頼むよ、林田君、細かい手順は君にまかせるから、・・うん、そうだ、うまい酒を飲ませるサラリーマンという所を知っているんだ、どうかね、今度一緒に・・ふふふ」
楽しくてたまらないといった風に、ハスキー教授は、体を揺すりながら部屋を出ていった。
頭に二つのビデオカメラをガムテープで目玉のように取り付けたヘルメットを被った園山は、警備主任に、
「これから、新宿に出かけます、よろしいでしょうか?」
「どうしても、研究に必要な事なのでしょうか?」
警備主任はあきらかに迷惑そうな顔をして、それを隠そうともしない。
「どうしても、必要なのです!」
ここは少し強めに要求する。
「分かりました、すぐに警備行動を開始します」
そう言うと、テキパキと指示を出し始めた。
パトカー三台に白バイ二台を従え、赤色灯を回転させながら車列は走り出した。
警官達は暑い日だというのに、防弾チョッキを着ている。
白バイにはサイドカバーの所に黒字でSSPと書いてあるところをみると、普通の白バイではなさそうだ。
実は、これは園山自身が行かなくても、誰かにこのヘルメット被らせて行かせても、用は足りたのだが、毎日が半軟禁状態なので、街にも出たかったのだ。
この二つのカメラで捉えられた映像と音声は、園山のコンピューターのデーターボックスに送られ、いずれ明日香の3Dデーターとして使われるはずだ。
写真と現実の違いと、書物と現実の違いが少しでも明日香が理解出来るようにとのアイデアなのだ。
新宿にはいささか異様な集団が発生したかのようだった。
ひょろりと痩せた白い研究着姿の男の周りを、眼光の鋭い頑強な警官達が油断無く気を配りながら、伊勢丹の方から紀伊国屋の方へと移動してきたので、その気配に引き裂かれるように、たちまち雑踏の中に道が開けた。
う~ん、うざったいな~!
と内心思いながらも、園山は頭を動かして、サラリーマンや、買い物に来ている婦人や女子高生、ケーキ、靴、果物、洋服、スケボー、おもちゃ、町並み、牛丼屋等をカメラに捉えていく。
きっと明日香には、どれもが新鮮で、興味深い物だろう、その時、側をすさまじい勢いでバイク急便が駆け抜けて、警備陣に一瞬緊張が走った。
元気がいいな、いいぞ、人間!
この、あきれるほど雑多な人が行きかう街は、人間の生きる欲望と熱気が溢れかえっているようで、園山は好きだ。
色々な店を回り、目につく物体や商品をすべてビデオカメラに収めていく。
「やっぱり、これが現実なんだよな~、わかるか明日香」
いつか明日香もロボットの手足を持って、自分の目でこの新宿を見る日が来て欲しいなと願ったのだった。