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スラムに王は生まれる  作者: 田中
第一章
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第一八話 正義の執行者

 御口鯆(みんくいるか)は、代々続く警察官の家系だった。

 約三二〇年前、戦争が開始した頃には既に御口家は代々警察官をしていたと言う。実際に家系図までしっかり残っていた。

 初代警察官であったのは、四三五年前の御口大和(やまと)だった。女性しか生まれなかった時には、養子を取っていたのだと言う。


 御口家の男性は眉目秀麗(びもくしゅうれい)であり、目は一重でアーモンド型をしており、鼻筋は通って高く、唇は薄かった。彼らは欲の薄い顔をしており、鯆もそれに倣って顔立ちは整っていた。

 その顔立ちが、御口家の証明でもあったのだ。四三五年前から続く血の流れは、鯆の顔にも刻まれていた。

 御口は鏡を見るたびに、自分が家系の一員であることを否応なく思い知らされた。


 御口鯆は、一人っ子だった。

 昔、母親が二度子を成したものの、どちらも死産であったと聞いていた。

 御口はそれを知り、酷く悲しんだが仕方の無いことだとショックを受けていた母を慰めていた。


 御口は、上流階級の人間が主に住んでいる皇都の上笠地区(うわがさちく)から画一地区へとやって来て一人暮らしを始めた青年だった。代々警察官であったとしても最初は巡査から始まるというのは、警察学校に入った時に聞いた事だ。


 画一地区へやって来た当初の御口は、果たしてこんな場所でやっていけるのかと絶望したのだ。

 上笠では整備された街灯が夜を照らしていたが、ここでは街灯よりも闇が多く、その闇が人々を覆い隠す。

 僅かなドブのにおい、道は舗装されてはいたが土を押し固めただけの場所もあるが、レンガで舗装されている道ももちろんある。

 スーパーは無く、二番通りの一番街だけが唯一の商店街だった。ショッピングモールすら無い。

 絶望した。だが、その絶望の正体が“匂い”なのか“静けさ”なのか、当時の御口にはうまく言葉にできなかった。

 御口にとっては未知の場所、未知のものばかりの世界だったのだ。


 しかし、住めば都と言うのか、上笠地区とは違い人間同士の関係が密接であり、人同士のやり取りが多く、それが楽しかったのだ。

 一番街の肉屋であるヤンソンミート、八百屋である田村野菜、靴屋である山上シューズ、それらへ行く度に言葉を重ねて名を覚えられ、好きな物を覚えてもらえる。

 肉屋の主人が、初めて会った日の自分の好みを覚えていた時、御口は思わず言葉を失った。上笠ではそんなことは一度もなかった。

 それが不思議で、楽しかった。


 特に肉屋であるヤンソンミートは、ポルックを買うために御口が一番向かう場所だった。

 御口は当初、給料で生活をするという意識が低く、家賃や光熱費で生活がままならなくなることが多かった。

 そのため、ヤンソンミートでポルックを買ってそれを一日の食事にしていることすらあった。

 制服のまま、揚げたてを紙袋から直接食べる自分の姿を、もし母が見たらどう思うだろうと考えて苦く笑った。

 

 ポルックは、この日本皇国では様々な場所で食べられている安価な揚げ物だった。

 肉屋やスーパー、少し高級なものならカニなんかが入っているもの、魚屋では魚肉を使ったポルックなんかもある。

 安価なポルックは、御口が画一地区に来てから初めて食べたものだった。


「結構美味いな」


 家に帰ってポルックを一口食べ、そう呟いた御口に言葉を返してくれる家族はいなかった。

 その頃の御口は、買い食いや食べ歩きは恥ずべきものだという教育をされていたために、ポルックを買って食べながら歩く学生のようなことはできなかったのだ。


 御口はある日、ポルックを買い、その場で指先に摘んだ揚げたての熱いポルックを口の中へと放り込んだのだ。母親に見られたら眉をひそめられるし、上笠地区では考えられなかったことだ。

 母の声が耳に蘇る。“道で物を食べるなんてみっともない”と、彼女はそう言っていた。祭りですらそうだったのだ。

 それでも、揚げたての香りはその声を押し流した。

 手で食べるなんて初めてであったし、しかもそれを街中で、道の上で行うことは、あまりにも恥ではあったが、油を吸ったポルックが口の中で解けて思わず頬が緩む。


「美味いなぁ」


「そうだろう! うちのポルックは日本皇国一……いや、世界一さ! この味の秘訣はうちの母ちゃんが捏ねてることと、たっぷりのペッパーだな!」


 ヤンソンミートの婿養子である崎山フェイが胸を張り朗々と言葉を垂れ流す。

 狐のような細面で片目だけ重い二重の彼は、不器用に右側だけ頬を上げていつも笑っている。


「他のところでは羊肉や鶏肉、豚肉が入ってるところもあるが、うちのポルックは牛肉のみなんだ。それを荒く潰したじゃがいもと混ぜて捏ねてじゃがいもから作った衣を付けて揚げてるんだ!」


 説明をしながら実際にやって見せる。小さく角切りにされた牛肉をじゃがいもと混ぜて一口サイズに丸めて、衣を付けて揚げていく。

 こんな手順を声高に語る男を、上笠では見たことがなかった。


「これは衣を付けてすぐに揚げないとちょっと衣がしんなりするんだ。そうなると旨みが減るから、油へ放り込むのが大事なんだ」


 すぐに揚がって浮かんできたポルックを油から引き上げて油を切って塩の上へとザラザラ転がす。

 油がパチパチ弾け、牛肉とじゃがいもの甘い匂いが立ち昇っていく。その香りが、御口の鼻先を擽った。


「どうだい、これがポルックの作り方さ!」


「すごいな、流石手際が良い」


 御口がぱちぱちと手を鳴らす。

 そこで、フェイの妻である崎山めぐるがフェイの頭を強かに打ち付ける。

 彼女は恰幅の良い日本皇国籍の女性で、黒いソバージュに二重の大きな目と左目の下にある大きなホクロがチャームポイントの女性だった。


「アンタ! ポルックを揚げるのは客が来る時だって言っただろう、いまは早すぎるよ!」


 めぐるの言葉にフェイが「ごめんごめん!」と声を上げる。

 警察官一家に生まれた御口には、こんな賑やかな夫婦は想像もつかなかった。


 御口の母は厳格な人で、外に出ない日でも髪をひっつめており、メイクも欠かさなかった。めぐるのように、ノーメイクで人前に立つなんて、彼女は思ってもいなかっただろう。御口の母親は、ノーメイクどころか、素顔を晒すことは恥だと信じて疑わなかったのだ。

 御口の父は警察官で、警視正にまで上り詰めた人だった。いつだって低く重く響く声で子供たちを叱っていた。褒められることなんて、ほとんど無かったのだ。


 だからこそ御口には、この二人の会話がどこか眩しかった。


「ダメにして捨てたいのかい!? ああ、新しい警官さんじゃあないか、食べに来てくれたのかい? ポルックもいいが、ミンスミートカツレツも美味いんだよ!」


 めぐるは白い紙に揚げたてのミンスミートカツレツを挟んで御口へと渡す。

 それに御口は慌てて財布を出そうとすると、それにめぐるは「いいよ、今回はサービスだ!」と言う。

 ミンスミートカツレツは、二五〇圓のポルックに比べて一〇〇圓高いのだ。


「ありがとうございます」


 御口がそう告げてミンスミートカツレツを受け取る。熱いザクザクとした衣の下から漏れる熱気が御口の手指を焼く。


「食べてもいいですか?」


「もちろんさ、さあ、バクっといきな! アンタはいっつもチマチマ食べてて気になるんだ」


 めぐるの言葉通り、御口は口を大きく開けて一口でミンスミートカツレツの三分の一を齧る。こんな食べ方は、上笠では決して許されなかった。母親が見れば鼻筋に皺を寄せて嫌がるだろう。

 母の飾った食卓では、ナイフとフォークが必須だった。その記憶が脳裏をかすめたが、衣を噛み砕く音がすぐにかき消した。

 熱い肉汁が一気に口の中へと溢れて口内を踊る。熱さに思わず口を開き、その熱気を外へと放出する。やや冷めたところで、改めて肉を咀嚼する。

 ポルックとは違う、濃い胡椒とスパイスの香りが鼻腔を埋める。


「美味い!」


 思わず叫ぶと、様子を伺うように見ていた学生たちが「俺も今日はポルックじゃなくてミンスミートカツレツにしよ!」だとか、「ミンスミートカツレツ、腹に溜まらないんだよな、やっぱポルックだよ」などと話してヤンソンミートへと近付く。


 部活帰りの細い男子生徒がソバカスの散った顔で「ポルックください!」と笑う。すきっ歯の彼は上下の前歯に隙間が空いている。


「はいよ、ポルックね!」


 フェイが白い紙袋にザクザクとポルックを詰めていく。一〇〇グラムより少しだけ多く詰めているらしい。

 それをソバカスの少年へ渡し「二五〇圓だよ!」と笑う。下手くそな、片頬だけが上がった笑い方だった。

 二五〇圓というのは、子供の小遣いでも頻繁では無いものの簡単に買える程度の値段だった。


 同じ部活なのだろう、“山之手学園野球部”とジャージに書かれている。ソバカスの少年よりも体格の良い彼はキャッチャーだろうか。

 少年は肩幅が広く、声が低い。ソバカスの少年はしなやかな体をしているから、彼らはピッチャーとキャッチャーかもしれないなと御口は思う。

 ニキビが散っている少年は「俺、ミンスミートカツレツ! 二個!」と言う。


「アンタたちの部活はいつも遅くまで頑張ってるね、ポルックも少し入れてあげるよ!」


 めぐるがそう言ってミンスミートカツレツを二つ、別の紙に挟んで渡し、更に五個のポルックを紙袋に入れて少年へと渡す。こんなさりげない優しさが、この街では当たり前に交わされていることに、御口は驚かされた。

 汗で湿ったジャージの匂いが、油の匂いに混じった。

 その匂いを嗅ぎながら、御口はふと、自分もこんなふうに部活帰りに仲間と笑い合う人生を送ったことがあっただろうかと考えた。御口は友達や部活仲間といった言葉に憧憬すら抱いていた。


「お前だけずりー!」


「一緒に食おうぜ!」


 少年たちが笑いながら並んで歩き、飢えた胃袋へと揚げ物を詰めていく。

 その様子を見つめて、御口はゆっくりと瞬きをする。仲間と笑い合う姿は、御口には手を伸ばしても届かない別世界の光景のように見えた。


 この平和な世界を必ず守らなければならないと、御口は改めて思ったのだ。

 自分は正義の執行者なのだと。

 父も祖父も、ことあるごとに言っていたのだ。


「我々は、正義の執行者だ」


 その言葉を、御口は硬く心に刻んでいた。御口にとって、その言葉は最も重要なものだった。それは、御口の血に刻まれた呪文のようだった。

 正義の執行者は、市井の民を、市民を、国民を守る必要があるのだと御口はそう教育を受けていた。

 父も祖父も、そのまた祖父も口にした。御口もまた、それを口にする日が来るのだと。


 我々は、正義の執行者だ。

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