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スラムに王は生まれる  作者: 田中
第一章
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第一四話 正しい言葉、正しい生活、正しい生き方

 選挙は無事に終わり、八代肇は嗄れ始めていた喉にスプレーを噴射する。軽く頭を後ろへ倒し、喉全体へ薬が行き渡るように軽く動かした。

 喉スプレーの、生薬や消毒液にも似た薬の匂いが鼻に抜ける。


「ふう、今回も無事に席を埋められて良かったですなぁ」


 女性議員である坂本靖子へ、八代は禿げ上がった頭を拭きながらにこやかに話し掛ける。

 笑顔の人形を作ればこのような形になるだろうというような笑顔に、坂本はしかし、にこやかに「そうですね」と返す。しかし、彼女のその目だけは笑っていなかった。

 同じ経団党であり、多くの票数を持ち、他者へ取り入るのが上手い八代を敵に回せば面倒臭いことになると、坂本は良く知っていた。


「今日は皆さんを呼んで祝賀会ですが、坂本女史はいかがですか」


 少々揶揄するような音が混じる八代の言葉に、坂本は笑顔を向ける。


「それでは、お邪魔させていただきます」


「おっ、坂本さんが参加するのは珍しいですね、明日は雪ですかな」


 ワッハッハと八代が笑うと、金歯へと入れ替えている彼の奥歯が白熱灯に照らされてギラギラと輝く。

 笑う度に、彼のスーツに包まれたパンパンに中身が詰まったシュークリームのような腹がゆさゆさと揺れ動く。

 揺れるたびにスーツの縫い目が悲鳴を上げているようだった。


 坂本の瞳には、この肥え太った狸のような男への僅かな嫌悪感が光っていたが、八代はそれを気にすることもなく立ち上がる。


「それでは、坂本女史。皇都画一地区のホテル・ベルーガ皇都の七階会議室へ一九時に」


 八代は大きな腹をゆさゆさと抱えて歩いて事務所を出て行く。

 ようやくいなくなった、巨大な存在感に坂本は椅子へと崩れ落ちる。


 ホテル・ベルーガ皇都の七階会議室。そこへ坂本が足を踏み入れると、まるで先程までいた場所とはまるで違う高級感溢れる様相が広がっていた。庶民は一生踏み入れることもないだろう煌びやかさ。

 床には毛足の長い幾何学模様の絨毯が敷かれ、立食パーティー形式で様々な料理が並べられている。

 中には坂本が知らないような料理も多々あった。


 参加者はみな、華やかなドレスやスーツ、タキシードを着用している。坂本は、自身のベージュにブラウンと金の刺繍が施されたドレスではあまりにも質素だったかと、途端に羞恥を覚える。

 店で見た時にはあまりにも美しく坂本の視界に映った、胸元の金の刺繍が、まるで粗悪な真鍮のように見えた。

 その時、壇上へ八代が姿を現す。

 汗もかいていない禿げ上がった額を、まるで磨くように何度も何度もハンカチで拭きあげる。


「えー、本日お集まり頂きました皆様、まことにありがとうございます。この度は、わたくしども経団党の議席獲得を祝いまして、ささやかながら祝賀会を開催させて頂いております。どうか、皆々様、心よりお楽しみくださいませ」


 八代の言葉が終わると、それぞれが疎らに拍手を行い徐々にその音は大きく響いていく。


「それにしても、こんな祝賀会を開く財源はどこから……」


 聞こえてきた囁くような小声で囁き合う声に、坂本は耳をすませる。


「貧民窟再開発予算だよ、あそこ再開発するなんて無駄だろ、だからそれぞれの議員が自分のとこにひっぱってんだ」


「はー、そりゃあ……随分貯め込んでたんだなぁ」


 この国の政治家に、わざわざスラムの開拓へ資金を回す者がいるはずもない。汚く、穢らわしい場所だと坂本は両親から口を酸っぱくして言われていた。

 あの場所に住むのは人間じゃないよとも。


 坂本はそれを、子供じみた偏見だと頭では笑い飛ばしていた。

 それでも、あの汚れと臭気の中で生きられるのは、きっと自分たちとは別の種なのだろうと、心のどこかで線を引いてしまっていた。まさに、この地域を示す画一の名の如くに。

 自分たちは安全な水を飲み、清潔な空気を吸える側の人間だという無意識の特権。


 汚く、穢らわしい場所だと、誰もが物心つく前から言われ続けてきた。

 あそこに住むのは人間じゃない。

 それは坂本個人の偏見ではなく、この国の誰もが当たり前のように抱えている認識だった。


 学校の歴史の授業、公民の授業でも必ず画一地区にある巨大な貧民窟については教えられる。

 しかし、そのどれもが「古くから犯罪を犯してきた者たちの収容場所」「差別をされてきた者たちが行き着いた場所」としてしか描かれず、教師の誰もが「差別はいけませんよ」などと宣いながら、その口で「そんな悪いことをしたら貧民窟に捨てられますよ!」と叱るのだ。

 “善意”と“脅し”が同じ口から吐き出されている。

 誰もが、そんな教育の空気の中で育ってきた。だからそれは、当たり前で、息をすることと同じように染みついていた。それは彼らにとって当たり前であり、疑問を抱くことすら思考の外に追いやられていた。


 彼らの吐き出す、その矛盾は誰の耳にも違和感なく届き、子供たちの心にはただ「そこは人間が行く場所ではない」と刷り込まれていくのだった。


 だからこそ、坂本も思うのだ。


──あんな場所、再開発したって意味が無い。


 だからこそ、坂本も思うのだ。あんな場所、再開発したって意味が無い。

 それゆえ、こうして祝賀会で使い込まれても、例えば日本皇国自衛軍への戦車や銃器を購入する費用に充てられても、誰も文句を言うことは無い。

 何故なら、スラムに住む彼らは、人権を持つ“国民”として数えられてすらいない。国の帳簿には、彼らが生まれたことも、死んだことも刻まれない。

 死亡者数は例年通りだと、数えてもいないのに吐き出されるばかりだった。


「坂本女史、楽しんでますか?」


 丸い頭をハンカチで拭きながら声を掛けてきた八代に、坂本は「ええ、はい。とても」と微笑む。それは営業用の、相手の顔を映すためだけの微笑みであったが、八代がそれに気が付く様子は無い。

 彼女の手には立食用の皿は無く、ただ繊細な意匠のシャンパングラスのみが掲げられていた。


「ここの料理はどれも格別ですよ、特にあのフォアグラが!」


 味を思い出したのか、八代が唇をべろりと舐める。その、品の無さこそ、坂本が八代を苦手とする理由の最たるものだった。

 八代の家は元々庶民の出であり、彼の豪族であった祖父が庶民の祖母を見初めて婚姻へ至ったのだという。

 そのためか、彼はどうしても庶民的で品の無い、下品な様子が目立つ。


 八代は坂本が見ている前でシャンパンを一息で煽ってげっぷを噛み殺し、そのシャンパングラスをテーブルへ置きガツガツと、まるで豚のように食事をする。それに、坂本は思わず眉根を寄せた。

 彼女の教育では“人前で食べるとは見せる所作であれ”と叩き込まれていた。その真逆を目の当たりにしている気分だった。

 成金趣味的な金歯や笑い方、食事の仕方までも汚らしいと、坂本は思うのだ。


 坂本の家は由緒正しい、議員の一族だった。遡れば名を轟かせた大名にまで届くというのだ。

 彼女は食事の作法はもちろん、勉学やスポーツにまで秀でるほどのお嬢様であった。だからこそ、八代の姿が気に食わないのだ。


 完璧に整えられた庭の中でしか育っていないからこそ、外の泥臭さに触れると拒絶してしまう。坂本には、そういった潔癖なところがあった。

 彼女にとって、八代はあの得体の知れない貧民窟に住む者たちと代わりがなかった。


 坂本は、オケージョンバッグから取り出した薄いピンク色をした絹のハンカチで鼻と口を覆い、気分が優れないと告げて祝賀会会場を出る。

 八代への義理として参加は果たしたため、文句は言わせないと思ったのだ。

 表に停まっていたリムジンタクシーへ乗り込み家へと帰る。


 彼女の家は高級住宅街にある、セキュリティが万全なマンションであり、コンシェルジュまで備えていた。

 クタクタになった坂本は窮屈なパンプスを脱ぎ捨て、ドレスもメイクもそのままにベッドへと体を横たえる。

 豪奢ながらに無機質で生活感の無いベッド周りは白で統一されており、汚れを許さない彼女の潔癖さが、ここにも現れているようだった。

 ベッドサイドのテーブルには花瓶すら無く、造花の一本も飾られてはいない。無味乾燥という言葉が良く似合うベッドルームだった。


 完全に疲れきっていた。

 そのまま、彼女は泥のように眠りに落ちる。


 翌朝、目を覚ました坂本はやってしまったと頭を抱える。メイクを落とさずに寝た顔は荒れており、新調したばかりのドレスは皺だらけになっていた。おまけに、ストッキングは伝線しており二度は使えない。

 坂本はドレスを脱ぎ、ランドリーボックスへ入れて、部屋に備え付けられている受話器を上げてコンシェルジュを呼ぶ。


「ランドリーボックスに入ってるドレスをクリーニングしてちょうだい。できたら連絡をくれる?」


『かしこまりました、受け取りに伺います』


 コンシェルジュの四角四面な返事に満足した坂本は、次いでシートタイプのクレンジングでメイクを軽く落とし、オイルクレンジングと洗顔フォームでしっかりと洗い流す。

 化粧水をパッティングしながらテレビの電源を付けると、そこに『画一地区三番通りで火事が発生、貧民窟に恨みを持つ者の犯行か』というニュースが流れる。

 そのニュースをつまらなさそうな表情でチャンネルを回し、『今日のにゃんこ』という番組でチャンネルを止める。


 仔猫たちの戯れに坂本が頬を緩めていると、彼女のセルフォンが着信音を響かせた。

 着信元は『母』と一言だけが書かれている。坂本は肩を軽く落として上を向き、息を吐き出す。まるで会話をするのが喜ばしくないかのようだった。


「もしもし、お母様?」


『もしもし、昨日、祝賀会だったんでしょう。どうでした?』


「この間の選挙の時と同じで、何も変わりませんわ」


 坂本は電話を左手で押さえながら自分の右手の爪を見る。気に入っていたネイルのパールが剥がれており、元々パールが食いこんでいたそこは抉れた穴になっていた。

 ネイルの予約もしなければと、坂本は頭の中で今日のやることリストを挙げていく。


『たまには帰ってきて顔を見せてちょうだい。そういえば、まだ良い男性は見つからないの? あまり選り好みせず、良い方を見つけて家庭に入りなさいよ。それが女性の、一番の幸せなんですから』


 前時代的な物言いをする母のことが、坂本は少し苦手だった。


「ええ、分かってます。でもまだ……」


『いつも、靖子さんはそうなんですから……。昨日はどなたとお話なさったの』


「お母様、いいでしょうそれは」


『いいえ、良くありません。靖子さんは本当に、昔から口下手ではにかみ屋でしたから。ああ、八代さんは駄目ですよ。あちらは家柄が良くありませんから、坂本家が嫁ぐのでしたら、山路さんだとか、早乙女さんのご子息はどうかしら』


「お母様、私もちゃんと考えていますから。いまは政治家として、やりたいことを精一杯やらせてください」


 坂本の言葉に、彼女の母は『でもねぇ』と納得していない様子を見せる。

 彼女は“また始まった”と額を押さえる。苛立ちが喉を焼き、口から転げ落ちそうだった。

 それを必死に押さえて目を閉じ、「お母様、私も良い人を見つけられるよう頑張りますから」と、母が望むだろう言葉を告げる。そんな自分に、坂本は嫌気が差した。


『では、靖子さん。次の選挙では早乙女さんとの繋がりを大切になさい、あちらのご子息もあなたのことを気に入ってらしたから』


「お母様、もう切りますから。私、これから予定がありますので」


 坂本は軽く額を押さえ、通話を切ってから深々と息を吐き出した。


 彼女はソファに崩れ落ちるように座り、伝線したストッキングを脱いでソファの隣へ置く。

 ドッと疲れが彼女を襲った。

 ただ、セルフォンを持ち上げて普段から通っている個室のネイルサロンの予約表を見る。空きがあることを確認し、彼女はシャワーを浴びるために立ち上がった。


 彼女がどれだけ疲弊しても、世界は変わらず一日を巡る。

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