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「もしかして、君は俺だから挙動不審になるのではなく、他の人に対しても同じようになるのか?」
「ええ……そうです。今、普通に会話ができているのがあり得ない事で、普段は誰に対しても落ち着いて対話することができません」
「はははっ」
深刻な悩みを打ち明けたと言うのに快活に笑われてしまう。王族らしくなく、お腹を抑えておかしくてたまらないというように。
「あの……」
「ははっ。すまない、失礼した」
笑いすぎて目に溜まった涙を拭いながら謝る。
しかし、依然として込み上げてくる笑いを抑えようとしている。何がおかしいのか。
エドワード殿下は屈託のない笑顔で第二王子に語りかける。
「聞いた?面白い!俺が王族だから態度を変えるわけではなく、誰に対しても変わらない態度をしてくれる。裏表のない人間。そんな存在、もう出会えることはないと思っていた」
「はい。前の19名は散々でしたからね」
以前のお見合いにもこうして執事の格好をして参加していたのだろう。そのときの情景を思い出したのか苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「やっと見つけたよ。俺が本当の意味で心を許しても良いと思えそうな相手」
「お言葉ですが殿下。何度も言っておりますが、私は……ふぐっ」
なんてことをするのだ。
大事なことを言おうとした瞬間に口に食べ物を突っ込むのはやめて欲しい。大好きなアンゲルスでなければ不敬関係なく怒るところだ。
「全言撤回だ。今度はもう君の意見なんて聞かない」
美形とは恐ろしい。
そんな文章を読んだのはどの本だっただろうか。
チョコレートムース最後の一口は少しほろ苦く感じる。これほど甘味と完全に調和した苦味は食べたことがない。
食べ終わって寂しさを感じていると、どこからともなくクッキーを取り出した。
また、声を出す暇もなく食べさせられる。一口サイズで食べやすい。
今さらだけど、異性、しかも王族に食べさせてもらうのは淑女として如何なものなのか。
「だってどうせ拒絶するのだろう?けれど、今回は拒絶されても権力を使っても婚約する。なら、どっちみち結果は変わらないし、それならもう傷つく言葉なんて聞きたくない」
「げほっ、げほ」
思わず気管にクッキーが入り咽せてしまう。
第二王子殿下がすかさず水を渡して飲ませてくれた。
「兄上、今のはないです。慣れている私が本気で恐怖を感じました。令嬢に対してならもっと言い方というものがあるでしょう」
うんうん、とうなづいて見せるけど多分この人は理解していない。
「なぜだ?戦争で城を堕とすときも、まずは退路を防ぐことが重要だろう」
どうして戦争の話になった。
とりあえず気絶するか……。いや、多分お菓子で目覚めさせられるからできない。
となればとりあえず部屋の外へ走ればいい。
どうやら人と関わりすぎた脳みそは正常に働かなかったらしく、身体が勝手に部屋の外に通じる扉に向かって走り出そうとした。
「逃がさないよ」
が、力強い手に腕を掴まれ阻まれる。
痛くはない。けれど、用がない限り引き篭もっている人間が男性の力に適うわけがない。
試しにグーっと引っ張ってみるが、動くことすらなかった。
「そもそも、今は会話だってできてるじゃないか。しかも、二対一だ」
「それはアンゲルスのおかげです。いくら王族といえど高級品を、たかが小娘1人のために毎日用意することなど不可能でしょう?」
「できるけど」
「ですから……はい?」
「できる」
「そんな訳ないじゃないですか。今日みたいに日程が決まっていてそれのために用意するならいざ知らず、毎日なんて……。予約だって年単位で待たなければならないのですよ?」
「予約はいらないし、君が望んだものを望むだけ用意できる。例えば、マンゴーとベリーのタルトが食べたければ一刻もあれば用意しよう」
完璧な彫刻のような笑顔で述べられる。
マンゴーとベリーというのは、温暖な地域と寒冷な地域なので、王族の権力を示しているのだろう。だが、一刻というのは無理がある。
そんなのが可能なのは……。
「だって、アンゲルスのお菓子と言われるのを作っているのは俺だからね」
「……はい?」
神様、そろそろ本気で気絶してもよろしいですか?
あー、ダメみたいですね。
クッキー美味しいです。サクサクです。
「いやー、驚いたものだ。お菓子作りが好きで、作りすぎたものをこいつに渡していたら商売始めるなんてさ」
「あんなに美味しいもの、商売に利用しない手はないでしょう?」
こいつ、為政よりも商売とか経済を良くしたりとかそっちの方が向いてるんだ、と呆れ混じりに解説される。
「まあ、そういう訳だ。どうか俺に捕まってくれないかい」
「………………………分かりました」
不承不承。最後の悪あがきとばかりにすごーく長い沈黙の後に了承した。
ここで抵抗しても相手の身分が良すぎるので、包囲されてどこかで納得させられるのだろう。それこそ敵の城を堕とすように。そんな恐ろしい思いをするくらいなら早々に諦めてしまった方が楽だろうし。
でも、まあ条件は全然悪くない。
「だって、あなたと婚約すれば毎日、アンゲルスのお菓子が食べ放題なのでしょう?」
この人こんな風に笑うんだなぁと。
北方の雪が、春の光に照らされた温度で溶けるように優しく笑った。作り物のようでも、本音を隠すようでもなく、自然な笑顔。
自分の鼓動が聞こえた。
私は心臓の病を患っていないはずだけど……。
「あぁ。春夏秋冬、古今東西、あらゆる食材を使った最高のお菓子を提供することを永遠に誓おう。それにこの国で出版された全ての本が集まる王城図書館とその禁書区域の鍵も」
「良いのですか?」
禁書区域には過去に発売が中止された書物、もう発売されていない書物もある。それは、隠された歴史や危険な毒物などあらゆる知識を知ることができるということだ。
例え王族に名を連ねることになるとはいえど、今日出会ったばかりの人間をそれほど信頼して良いのだろうか。
「もちろん。書物に礼儀を払う君なら信じられるよ。それに、そんなもので繋ぎ止められるなら容易いものだな」
書物に礼儀?
確かに書物に対しては常に礼儀を払うようにしているが、どうしてそのことを知っているのだろう。
本が好きであることは伝えたけれど。
読書愛好家の間でのマナーを知っていたかもしれないというのは置いておいても、わざわざこのタイミングでその言葉を選択するには違和感がある。
この人の前で本を読んだことはないのに、なぜ。
「ひ、ひゃぁあ!」
なんの前振りもなく突然視界が遮られる。
どうやらエドワード殿下に抱き締められた。
「ありがとう、エリスディア。好きだよ、ずっと昔から」
「へ、へへ殿下、……じぃ時制が、おおかしいでです!!」
「そうかい?」
そうして、またクッキーを口に入れられる。
「いつか、甘味なしでも普通に会話できるようになるのを気長に待っている。かつてのように」
話に全くついていけない。
だが、なんとなく、理由はないけれど、この人とならこの先上手くやっていける予感がする。
抱き締められた腕の中。
口の中でクッキーがサクッと軽快な音をたてる。
甘しょっぱくて、どこか懐かしい味がした。
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