愚かな民たちは身を滅ぼすらしい
とある平和な王国で、辺境伯領で起こった大惨事の報告を聞く王族や貴族たちと、辺境伯家の令息のお話。
ハーディング辺境伯というのは、勇猛にして果敢として知られた男だった。
武をもって義となす、という家訓をそのまま体現したかのような厳めしい男で、けれど愛妻家なことでも知られていた。辺境伯という特殊な立場ゆえにほとんど社交の場には姿を見せないが、王都に訪れた際には大らかな夫人と静かに微笑み合う姿を好意的に受け止められていた。
子どもは四人兄妹で、いずれも優秀と知られていた。特に次男は王太子に侍ることも多いほど実力があり信頼も厚い騎士であり、三人とは年の離れた末っ子長女は幼い頃から非常に高い魔法の才能を見せており将来を嘱望されていた。
本人が言うには、武芸にばかりかまけているから政治も商売も苦手であるそうなのだが、辺境伯領は魔獣の重点生息地である魔の森と隣国に接している些か危険な土地柄にしては活発であり人口の流入も多く、大変に発展していた。特殊な生態系を持つ魔の森や魔獣から採れる素材や、隣国からの交易品などが多く流れてくるからだ。
少なくとも他の貴族たちから見る限り、辺境伯は非常に、優秀な男だった。
だからこそ、その一報が王都に齎されたとき、多くの貴族たちが言葉を失った。
辺境伯家の領主館が、事実上の陥落をしたというのだ。
「なんと……」
その場の視線が、一点に集まった。王太子の後ろに立っていた、辺境伯令息のクレイグ・ハーディングだ。
クレイグにとっても寝耳に水の話だったのか、常のしらっとした表情を完全に崩して顔色を失っている。国王は転がり込むように議場に訪れた使者を問いただした。
「戦争の噂など入っとらんぞ。いや、戦争にしては事態が急すぎるな。クーデターか? 辺境伯は臣下や領民たちに慕われていたと思ったが」
「違います、魔獣です! 竜が、配下の魔獣を引き連れて領都を襲ったのです!」
「まさか!」
声を上げたのはクレイグだった。国王のいる場で、辺境伯令息とはいえ一介の護衛騎士が許可もなく発言するなど常時であれば咎められることだったが、この場では誰も責めることをしなかった。
クレイグは自分で気づいたのかはっとした顔をして、国王に視線を向けた。問われるまでもなく国王が頷いてやれば、一礼して使者に向き直る。
「辺境伯家は現在、魔獣の定期討伐に出向いていたはずだ。このところ魔獣の動きが活発だからと、何か問題が起きる前に間引くために普段よりも大規模な軍勢で動く予定だと連絡を受けている。だが、辺境伯家が魔獣を従えられるほどの力を持つ竜を刺激するような失態を犯したというのか? 人間を襲わない、知能の高い魔獣は魔の森の治安や生態系を維持している側面もあるから、原則は手を出さないよう取り決めているはずだ。余程の不測の事態が起こったのか」
「いえ、その……」
そこでなぜか、使者が口ごもった。意を決したように、再び口を開く。
「以前から問題になっていた、魔獣愛護団体を名乗る活動家をご存じでしょうか。正確な数は判りませんが、彼らが二百人ほど魔獣討伐の場に集まって討伐の邪魔をして場を乱し、挙げ句に混乱のなかで居合わせた竜の子に酷い怪我を負わせたそうです」
あまりに馬鹿げた話に、一瞬、場の空気が静まり返った。クレイグの強い視線に圧されるように視線を床の辺りに彷徨わせて、使者が続ける。
「この竜の親が、霊獣に分類される高位の竜だったのです。生き残りの証言を繋ぎ合わせるしかありませんが、怒り狂った竜とその配下はその場の討伐部隊と活動家たちをほとんど一瞬で壊滅させ、そのあと報復に領都を襲いました。領都に残っていた兵士や、領主館を守っていた辺境伯家の方々が応戦しましたが霊獣が相手では為す術なく、一通り暴れ回ったあとで魔の森に戻っていったそうです。被害者の数はまだ出ていませんが、わたしが把握している時点でも死者だけで三千人を超えています」
聞いている途中で耐えきれなくなったのか、クレイグが俯いてしゃがみ込んだ。クレイグの朋友でもある王太子がすぐに気づいて、侍従に椅子を持ってこさせてクレイグを座らせる。
王太子と侍従に礼を言ってから、クレイグは疲れ切った声で使者に問うた。
「……父上や母上は。兄弟は。それに、わたしの妻は。わたしの妻は早くに両親を亡くしているから、出産のため辺境伯家に下がらせていたんだぞ。お祖父様や、お祖母様は……」
力のない問いに、使者が口ごもった。
「その、辺境伯家や所縁の皆さまは、戦える方々は残らず最前線に赴き、戦えない方々も最も危険な場所で避難の誘導をされていらっしゃいました。ですので……」
続かない言葉の先を察して、クレイグは眼を伏せた。聞いていた国王が呻く。
「まさか、辺境伯が。こんな、こんな、下らぬことで……」
王太子にとってクレイグが朋友であったように、国王にとっても辺境伯家の当主は昔からの友人だった。忠義に篤く、けれど諾と従うわけではない男を、国王は信頼していたのだ。
それが、喪われた。戦争は幾たびかあれど、魔獣でこれほどの被害を出したのは、恐らく数百年ぶりの大惨事だろう。
きっと、有能すぎたのだ。
辺境伯領が危険な土地だというのは国の誰もが知っていて、領民たちこそが最も骨身に染みていたはずなのに。長らく戦争もなく、魔獣の被害も少なく、辺境伯領があまりに平和だったから、いつの間にか、実際に魔獣の対応に当たっている者たち以外からは危機感が失われていた。
一つ、深く息を吐き出して、国王は無理やり意識を切り替えた。
「……いまの辺境伯夫人は、確か母君が隣国の元王女だったな。であれば、まさか縁戚から他の血筋を探して当主に就けるわけにもいかん。クレイグ・ハーディング、お前が次の辺境伯家当主だ。復興には手を貸そう、心してかかれ」
クレイグの横顔を見て、王太子はふと気づいた。国王の命令がなければ、クレイグは騎士も何もかも辞して、魔法の勉強のために王都にいるはずの妹だけを連れてふらりとどこぞに姿を消していたのかも知れなかった。
何せ彼が情に厚い男だということを、王太子はよく知っていたので。
ほんの一瞬でほとんど何もかもを失った男は、真っ白な顔で、掠れた声で、それでもこう答えた。
「拝命いたしました、陛下」
魔物や魔獣と戦っているような世界観なら、たぶんちょくちょくこういう問題は起きる気がするんだけれどあんまり見かけないなーと思ったので書いてみました。こういうのは、めちゃくちゃ貴族の力が強い時代よりも、中途半端に平民が力をつけた時代のほうが起こりやすい気がしますね。『みんな仲良く!』ってのは耳に聞こえが良いし、何となく良いことを言った気分になれるのでいったん広がり始めるとどこかで冷や水を浴びせられるまでは止まれない気がする。
ざまぁでも婚約破棄でもないしこれジャンルなんなん?? って思ったけど思いついたので書いちゃうし上げちゃう。何かの一場面みたいだけれど特に意味はないです。タイトルも微妙だけれど良いタイトルが思いつかなかったのでひとまずこれで。えいやっ。
【追記20250617】
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/799770/blogkey/3458283/