這いずる女 その1
まだ幼少の夏、父に山奥のトンネルに連れて行ってもらった記憶がある。
確か小学2年生くらい。雲ひとつない青空。眩しい日照り。自然と汗が吹き出る暑さと、なんとも8月らしい日だった。
夏休みを持て余した自分を、おそらく仕事が休みだったであろう父が連れ出してくれたのが、町はずれの村を車で更に30分ほど山に向かって進んだ先にあるトンネルだ。
舗装された道路は随分前に終わり、細い砂利道と生い茂る樹木を抜けた先に現れた、大きく真っ黒な半円。真夏の真白な陽射しと対照的な漆黒の孔に、本能的な恐怖を感じたのを覚えている。
トンネルの奥に続く道は、川石が敷き詰められたか細い川になっていた。所々に線路のような金物の残骸が見える。父曰く戦時中に作られたもので、今は見ての通り使われておらず、奥は土砂で塞がれていて行き止まりになっているらしい。
折角だから行き止まりまで行ってみようと前のめりな父に、一抹の不安を感じつつも、好奇心が勝り後ろを追いかけた。
川の水より高い石の上を探りながら進む。中はひんやり冷たく、その暗闇は夜より黒く感じた。
5分ほど歩いたあたりで、父が急に立ち止まった。何事かと父の顔を見上げると、じっと前方の何かを見つめているようだった。暗闇に慣れた目で同じ方向を見てみると、5mほど先に何か白いモノがあった。細長く人型のような。あれは何か、と視認するのを遮る形で、父が強い力で自分の片腕を引き、急ぎ来た道を引き返し出した。ただならなさを感じる父の挙動に気圧されて、必死について行く。
漸く入り口まで辿り着き見上げた父の顔は、今まで見たことがない蒼白で、目は見開き切羽詰まったような表情だった。
どうしたのか。何を見たのか。喉のすぐそこまで出かかった疑問を飲み込まざるを得ない緊迫した雰囲気。そのまま父も自分も無言で、その場を後にした。
それ以降その出来事自体、自分の中でどこかタブー化され、記憶の中から完全に消えかかっていたのだが。
急に想い出してしまったのは、高校の友人との何気ない怪談話がきっかけだった。