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敬人VSアーロ①


アーロは目の前の少年の、底知れない余裕を湛えた表情を訝しんでいた。ほんの10日前には赤子同然、勝負にすらならなかったはずの少年が、油断もあったとはいえ、自分に一撃を加え、その腕を戦闘不能寸前にまで追い込んだのだ。その変貌ぶりに、強い警戒心を抱かずにはいられなかった。おまけに、斬っても斬っても赤い煙となって瞬時に復活するあの忌々しい能力は、自分の「斬撃」魔法とはすこぶる相性が悪い。


だが、それでもアーロは言った。

それは決して虚勢ではなく、彼女の中に残る確かな自信と、戦士としての矜持から発せられた言葉だった。


「フィクサーズ所属、斬撃の魔法使いアーロだ。吸血鬼、田無敬人、お前を殺す。」


その宣言に呼応するように、敬人もまた静かに名乗りを返す。


「一里塚高校二年、吸血鬼バニラの眷属の田無敬人です。アーロさん、君に勝つ。」


言葉と共に、敬人の左手の甲からバニラの使い魔である球体関節人形、リドムがふわりと姿を現し、主人の傍らに控えるようにアーロへと向き直る。敬人は前回同様、アーロからおよそ七歩分離れた位置まで静かに歩を進めた。両者の間に、張り詰めた空気が満ちる。

次の瞬間、アーロを拘束していたベルトが音もなく消え去った。戦いの火蓋が、再び切られる。


「――輪切り(トロンソン)ッ!」

アーロの鋭い声と共に、不可視の刃が空間を疾る。敬人の体が、まるで達磨落としのように正確に8等分に斬り裂かれた。


アーロの魔法「斬撃」は、その名の通り、対象を魔法の刃で断ち切り、切り裂くことに特化した魔法である。対象を細かく斬ろうとすればするほど消費する魔力は増大する。

魔力を持たず、ましてや再生能力も持たない人間が相手であれば、最も大雑把に、しかし確実に仕留められる輪切り(トロンソン)で十分であった。だが、今の敬人には、もはやその程度では致命傷にすらならない。分割された敬人の体の各パーツは、地面に落ちる間もなく一瞬で赤い煙と化し、次の瞬間には煙が寄り集まって再び元の敬人の姿を完璧に作り出していた。


地下の戦闘スペースを見下ろせる階段で、バニラが竹本から受け取った深紅のカクテルに口をつけながら話しかける。

「ケイトは再生のイメージに『煙』を選んだんだねぇ。面白いじゃない」

竹本はどこか嬉しそうに、そして少しからかいげに答える。

「通い続けて三日目くらいだったかな、自分の腕をわざと斬り落としては、それを煙に変えて戻すっていう練習を延々としてたよ。なんでも、バニラちゃんの煙管から立ち上る煙を見て思いついたんだってさ。」

「そうかい…ふふ…なるほどねぇ。」

バニラの口元に、満足げな笑みが深く刻まれた。


「ははっ」復活した敬人は楽しそうに短く笑うと、躊躇なくアーロまでの距離を縮めようと踏み込んだ。


「――分断(クープ)!」

アーロは即座に次の魔法を放つ。敬人の両足が、太腿の半ばから鋭利に切断される。勢いを失った敬人の上半身は慣性にあらがえず、不格好に宙を転げた。

「時間稼ぎを…!」

斬り離された両足は既に赤い煙と化し、宙を舞う敬人の本体へと集まろうとしている。それをさせまいと、アーロは即座に追撃の呪文を紡いだ。


「――斬り抜き(アンポルテ)!」

再生のために敬人の周囲に集まろうとしていた赤い煙が、空間ごと切り裂かれる。切断された煙の一部はかろうじて敬人の体に戻ったものの、半分ほどの量の煙はまるで透明な立方体の箱に閉じ込められたかのように空中に固定され、そのまま重力に従ってゴトリと地面へと落下した。敬人の足は膝から少し下までしか再生しておらず、不完全な状態だ。

「あれ、切り取られちゃったか。……まあ、仕方ないか。」

両脚の完全な再生ができなくとも、敬人に動じる様子は微塵もない。それどころか、敬人は空中でくるりと体制を整えると、再生しきっていない両足の切断面から勢いよく鮮血を噴出させ、その推進力でロケットのようにアーロめがけて突進する。

「なっ――みじん斬り(アッシェ)!」

アーロは咄嗟に両腕を交差させ、無数の斬撃の嵐を放つ。敬人の体は回避する間もなく細切れになり、赤い飛沫となってアーロの体を通り抜けていった。

「惜しかったね。今のは当てれると思ったんだけどなぁ」

再び後方で煙が集まり再生しているが、敬人の膝から先は依然として欠けたままだ。


「気色悪い動きをしてっ…! 斬り抜き(アンポルテ)ッ!」

アーロは忌々しげに吐き捨てると、振り向きざまに先刻敬人の足を奪ったのと同じ魔法を撃つ。しかし、敬人はその攻撃を予測していたかのように素早くその場から飛びのき、攻撃は空を切った。

「アーロさん、君、輪切り(トロンソン)とかいう、なます斬りの魔法は得意そうだけど、多分その切り取りの魔法は、あんまり得意じゃないでしょ。」

膝立ちの不自由な体勢でありながら、敬人の口調には確かな余裕があった。その表情は、先程までの無邪気な笑顔から一転し、獲物を観察するような、少し落ち着いた面持ちへと変わっていた。

「なにっ…!」アーロの表情が驚愕に強張る。

「それ、次元を箱状に切り取って、今の世界から一時的に分離させておくっていう魔法だよね。確かに食らったら再生ごと止められそうでやばいんだけどさ、君、それ単体で当てるの、あんまり自信ないから、一旦僕の足を斬って、再生するために煙になったところを狙ったんでしょ。」


元来アーロは努力家であり、師から教わった魔法はどれも疎かにせず修練を積んでいた。当然、斬り抜き(アンポルテ)も十分に練習を重ね、その効果とリスクは熟知している。しかし、実戦において人間相手ならば輪切り(トロンソン)で事が足りてしまうため、ここしばらくはそればかりに頼っていた。その結果、より精密な操作と高度な判断を要求される魔法の勝負勘が鈍っていたのかもしれない。対峙してからわずか10日。数えるほどの戦闘経験しかないはずのこの少年が、的確に自分の癖と弱点を見抜いてみせたことに、アーロは改めて底知れない危機感を覚えた。


――こいつは、生かしておいてはならない。この規格外の存在が、我々魔法使いの世界に足を踏み入れるようなことがあれば、必ずや災厄となる。ここで、確実に仕留めなくては。


「――意識断ち(ピケ)ッ!」

アーロは最後の力を振り絞るように、奥の手の一つを放った。それは物理的な斬撃ではなく、対象の意識そのものを刈り取る特殊な魔法。敬人の瞳からふっと光が抜け、糸が切れた人形のように体が崩れ落ちる。

「動けなければ当たるでしょ。脳と心臓、その両方を分離してやれば、さすがに死ぬよね、君も」

勝利を確信し、アーロがふらつく足取りで倒れた敬人の体に近づき、止めを刺すべく呪文を唱えようとした。


「――斬り抜き(アンポルテ)


しかし、その瞬間。地に伏したはずの敬人の体が、再び両足の切断面から勢いよく血を噴出させ、不規則な軌道でアーロの魔法を回避する。もはや血の勢いだけで宙に浮き上がりながら、先程までの虚無が嘘のように、敬人は悪戯っぽく笑って言った。

「意識を断つ技か。初見でまともに食らってたら、ちょっとやばかったかもしれないけどさ、君を夢の中で操ってるときに、その技、もう見ちゃったんだよね。確かに回避はしにくいけど、僕と君の間に、何か別の生き物が割り込んでくれれば、そいつが先に効果を受けてくれるみたいだ。」

敬人が顎でクイ、と先程まで自分が倒れていた場所を指す。そこには、一匹の小さな蝙蝠がピクリとも動かずに転がっていた。リドムとは別の、本当に小さな使い魔だ。

「このために、ちっちゃい眷属の召喚とかも、昨日頑張って練習して覚えてみたんだよ。役に立ってよかった」


「くそが……っ」

どっと全身から力が抜けていくような感覚と共に、アーロが力なく呟く。戦闘中に敵の意識を確実に、そして安全に刈り取ることができる意識断ち(ピケ)は、決まれば非常に強力な反面、消費する魔力も尋常ではなかった。今のアーロには、もうこの魔法を再度放つ余力は残されていない。

「もう、大体使える手は尽きたよね。今までの練習で僕が見た君の技って、そのくらいだったし。」

宙に浮いたまま、血の推進力で器用に体勢を制御しながら、敬人が静かに、そして冷ややかに告げた。その瞳には、もはや10日前の少年の面影はどこにもなかった。

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