表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/18

田無敬人①

吸血鬼の特徴:人間を襲い、血を吸う。鏡に姿が映らない。死臭を発する。怪力。動物や昆虫に姿を変えることができる。霧に姿を変えられる。催眠術が使える。日光に弱い。銀の弾丸を胸に打たれると死ぬ。


敬人が放課後、竹本の店「ノクターン」の地下に通うようになって10日が過ぎた。

その夜、バーの古びた扉がカランコロンと少しくぐもった鐘の音を立て、一人の女が現れた。バニラだ。


オーバーサイズの黒いシャツワンピースを、黒革のチョッキでウエストを絞りコンパクトにまとめ、そのボタンの代わりに編み上げの紐が靴紐のように通されている。さらに上からは床に届きそうなほど長い黒いコートを羽織り、足元もまた黒いレースアップブーツで固めている。

 いつものように妖艶な微笑みを浮かべ、ゆっくりとした口調でカウンターの中の竹本に話しかけた。


「こんばんはマスター。ケイトは今日来てる?」

「ああバニラちゃん。いらっしゃい。来てるのわかってるでしょう。使い魔で覗いてるくせに。」

竹本がグラスを磨きながら、いつものように軽口で返す。

「ふふっまぁねぇ」

バニラは本当に楽しそうに喉を鳴らして笑う。


「でもケイトがどう成長してるかはよく知らないのよぉ。この十日間、のぞき見するの、ちゃーんと我慢してたんだもの。」

そう言うと、バニラは妖艶に身をよじり、自らの腕で体を抱きしめるようにして恍惚とした表情で呟いた。

「……あ゛ぁぁぁぁ楽しみだわぁ」


「抑えなよ。下にいるから見ておいで。飲み物はいつものでいいよね」

ほんの少し呆れたように竹本が言う。

「そうねぇ。おねがい。」

バニラは艶然と微笑み返し、音もなく地下へと続く階段を静かに下りていった。


バニラが地下の重い扉をゆっくりと開けると、そこでは既に敬人とアーロの、これで何度目になるか分からない戦いが始まっていた。しかし、その様相はバニラが最後に見た10日前の光景とは全く異なるものへと変貌していた。


敬人がアーロの鋭い斬撃によって体を分断されているのは以前と同様だ。だが、次の瞬間、切り離された敬人の体のパーツは一瞬にして赤い煙と化し、シュン、という音と共に本体へと吸い込まれるように戻り、瞬時に再生を果たしていた。アーロが息つく間もなく攻め続け、敬人がそれを受け流しながら、むしろ楽しむようにじりじりと間合いを詰めていく。

その構図だけ見れば拮抗しているようにも思えるが、アーロの状態は明らかにおかしかった。左手は力なくぶらりと垂れ下がり、焦点の合わない虚な瞳で空間を睨んでいる。右目に至っては完全に生気を失っており、活発に動く左目とは裏腹に、右上の一点を見つめたまま微動だにしない。口からはだらしなく涎が垂れ、常軌を逸しているのは誰の目にも明らかだった。

対して敬人は、その顔に焦りの色など微塵もなく、むしろ余裕綽々といった様子で笑みすら浮かべていた。 


「反応鈍いよ、アーロさん。これじゃ僕のパンチ、簡単に届いちゃうよ? またどこか壊れちゃうよ。」

その言葉通り、敬人はアーロの動きを完全に掌握し、遊んでいるかのようだった。


その光景を目の当たりにしたバニラの胸に、長らく忘れていた熱い高揚感がマグマのように湧き上がってくる。心の底から込み上げる歓喜に、今すぐ勢いよく笑い声をあげてガッツポーズでも決めたい衝動に駆られる。しかし、自身の想像を遥かに超える速度で成長し、新しいおもちゃとしての輝きを増した敬人の姿に、バニラの体は歓喜のあまり硬直し、喉の奥で熱い塊がせめぎ合うような、声にならない叫びが込み上げてくるのみであった。


「――――――っ。……ケイト、久しぶりね。」


ようやく絞り出した声は、それでも微かに震えていた。

「わっ!バニラ!」

バニラの声に気づいた敬人は、アーロの薙ぎ払う腕を俊敏な動きでかわした。たとえ攻撃が身体を捉えようとも、そのダメージを受けた部分は即座に赤い煙へと変わり再生する。その一連の流れの内に、敬人は既にアーロの懐へと深く潜り込み、みぞおちに鋭い蹴りを叩き込んでいた。


呻き声と共にアーロが膝から崩れ落ち、完全に動かなくなったのを確認すると、敬人は自身の左手の甲を口元へと近づける。

「リドム、アーロを拘束してくれ」

敬人の言葉に応じ、手の甲の蝙蝠の刺青が淡く光り、そこから浮かび上がるようにして一体の人形が現れた。黒い和服に十字架があしらわれた緑の帯を締め、背には蝙蝠の羽根を生やした、女性型の球体関節人形――リドム。敬人の胸ほどの身長しかないその人形は、しかし見た目にそぐわぬ力でぐったりとしたアーロを引きずり、手際よく例の椅子へと固定し始めた。


「バニラ!久しぶり。来てくれてうれしいんだけどさ、あの魔法使い、吸血鬼の練習してたらぼろぼろになっちゃって、ちゃんと勝つところ見せられそうにないんだよね。」

敬人はアーロから視線を外すと、バニラに向き直り、顔の前で両手を合わせ、本当に申し訳なさそうな表情でぺこりと頭を下げた。その屈託のない様子は、先程まで死闘を繰り広げていた人物とは到底思えない。


「謝らなくていいよぉ、さっきちょっと見れたしねぇ。素晴らしい成長ぶりじゃない、ケイト。……ところで、さっきアーロちゃんが大怪我なのに動いてたのはどうやったんだい? まるで操り人形みたいだったけど」


バニラは心からの称賛を送りつつ、疑問を口にする。


「ああ、あれは夢遊病です。吸血鬼は夢の中に入れるっていう伝説があったので、怖い夢を見せて操ろうとしたらいけました。僕の命令通りに動いてくれるんで、結構便利ですよ」

敬人は悪びれもなく、新しい発見を報告する子供のように答える。


「なるほどねぇ。今も夢を見てる最中っていうわけだ。面白い使い方を思いつくじゃない」

バニラは感心したように頷くと、おもむろにアーロへと近づいた。そして、何のためらいもなく自らの左手首を右手で引きちぎり、断面から滴り落ちる鮮血を、眠るアーロの頭上からシャワーのように注ぎかけた。


「ちょっとバニラ、なにやってるの!?」

敬人が驚いて声を上げるが、バニラは答えず、ただ静かに血を注ぎ続ける。夥しい量の血がアーロの全身を濡らし、バニラ自身の切断された手首も瞬く間に再生していく。すると、先程までボロボロだったはずのアーロの身体が、まるで時間を巻き戻すかのようにみるみるうちに傷一つない状態に戻り、初対面の時のような綺麗な様相で椅子に縛り付けられ、穏やかな寝息を立てていた。

「再生……」敬人が呆然と呟く。

「そうだよぉ。これで私にかっこいいとこ、ちゃんと見せれるねぇケイト。催眠を解いて、アーロちゃんを改めてボコボコにしてみせなぁ。」

バニラは悪戯っぽく微笑み、敬人の肩を軽く叩いた。アーロが万全の状態になり、バニラに自分の十日間の成果を披露できる。その事実に、敬人の顔がぱっと輝いた。

「了解!!」


敬人は深く集中し、アーロの精神へと意識を潜らせる。まずは彼女を万全の状態に調整するために、見せている夢の内容を書き換えていく。アーロの家族との温かい思い出、兄と過ごした幼い日々、魔法使いのチームに入ったばかりの頃の希望に満ちた記憶。彼女の中で最も美しく、力に満ち溢れていた記憶を順番に再生し、精神的な疲労を回復させていく。そして最後に、この場所に囚われた時の絶望的な記憶を鮮明に呼び戻し、現実へと意識を繋ぎ止める。

「じゃあ、起こします。」

敬人がそう言うと、アーロは呻き声と共にゆっくりと目を開けた。

「ん……また、お前か。」

忌々しげに呟くが早いか、アーロは自分の両腕が元通りになっていることに気づき、目を見開いた。

「腕が……ある。」

縛られた状態のまま、何度も拳を握りしめ、確かに存在する腕の感触を確かめている。

「アーロさん」敬人が静かに語りかける。「いいかい、僕と君の、これが最後の戦いだ。傷ついた手足は、バニラが治してくれた。僕はたぶん、次のこの一戦で、アーロさんが本気で戦ってくれれば満足できる。そしたら、バニラも君を家に帰してくれるって約束してくれたから、一戦だけ、本気で相手してくれないか?」


(手足? 手は動けないほどのダメージを負った記憶はあるけど、足までやられた覚えはないが……?)

アーロの脳裏に疑問が浮かぶが、それ以上に、解放という言葉が重く響いた。


「ああ、そうか、足とかをやったのは夢遊病にさせてからだっけ」敬人はぽつりと、悪びれもなく呟く。アーロには聞こえていないようだ。

「まあとにかくさ、一戦本気で戦おう。もしまた痛いところがあれば、治してもらえるようにバニラに頼むからさ。」

敬人は諭すように、子供に説明するかのようにゆっくりと、しかし真剣な眼差しでアーロに告げる。

「……本気で?」

アーロには、片腕を吹き飛ばされた地点までの記憶しかない。あれはあくまでラッキーパンチが当たった程度であり、万全の状態ならばこの少年が相手など、100戦やれば100勝できるという絶対的な自信があった。

「バニラとやら、この少年に私が勝てば、本当に解放してもらえるのだな」

アーロはバニラへと視線を移し、確認するように問う。

「ええ、いいわよ。ここまで健気に付き合ってくれたんだし、ちょっとくらいの怪我なら解放するときに綺麗に治してあげるわぁ」

バニラは鷹揚に頷いた。


腕を折られた瞬間からの記憶の一切を失っているアーロにとって、バニラの言葉は一条の光だった。口約束とはいえ、あと一戦でこの忌まわしい監禁状態が終わる。そして何より、この得体のしれない少年が、まだ完全にその力を体得しきる前に叩きのめすことができる最後のチャンスかもしれない。この挑戦を受け入れることは、アーロにとっても最善の選択に思えた。

「……いいだろう。正々堂々、お前の相手をしてやる」

アーロの瞳に、かつての誇り高い戦士の光が戻っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ