|手のひらに星空を《アストロキロン》
僕たちが案内されたのは、古びた雑居ビルの最上階だった。表向きには、シャッターが錆びついた小さな印刷会社として偽装されている。しかし、隠し扉の先には、いくつものモニターと機材が並ぶ、まるで秘密基地のような広々とした空間が広がっていた。ここが、矢嶋未来さんたちの「本部」らしい。
ガランとした空間の中央には大きな作業テーブルが置かれ、壁際には資料の詰まった棚や武器らしきものが並んでいる。部屋の片隅には、不似合いなハンモックが吊るされており、一人の黒髪美人が気持ちよさそうに揺られていた。
「おう、おかえり。首尾はどうだった、みらいちゃん」
部屋の奥から、ドスの利いた声が飛んできた。声の主は、30代ほどの、いかにもといった風貌のヤクザ風の男――黒岩譲二さんだ。
「譲二さん、ただいま戻りました。魔物は一体確保です」
「そうか、ご苦労。……で、そいつは誰だ?」
黒岩さんの、鋭い視線が僕を射抜く。
「あ、こいつが例の新人。日向さん、魔物、頼む」
大屋玲が担いでいた麻袋を、部屋の隅でスマホをいじっていたパーカー姿の長身の男に放り投げる。
日向と呼ばれた肌の黒い男は、見た目は細身だが、パーカーの下には引き締まって鍛え上げられた筋肉が隠れているのが見て取れた。彼は軽薄そうな「うぇい」という返事と共に、麻袋を片手で軽々と受け取った。その実力は確かなようで、軽薄な態度とは裏腹に、仲間からは信頼されている雰囲気があった。
「んだとコラ。こんなガキを連れてきやがったのか、未来。玲。遊びじゃねえんだぞ、こっちは」
黒岩さんが、あからさまに不機嫌な顔で僕に詰め寄ってくる。その剣幕に、玲が慌てて間に割って入った。
「いや、違うんすよ譲二さん! こいつ、未来が言うには結構やれるって…」
「うるせぇ! 未来も玲も、お前らが戦場に出てること自体、俺は気に入らねえんだ。これ以上、ガキの死に顔なんざ見たくねえんだよ!」
その言葉には、彼の見た目からは想像もつかない、深い苦悩と若者たちを案じる優しさが滲んでいた。
「まあまあ、譲二さん、落ち着いて。俺は別にいいと思うけどね、彼」
魔物の入った袋を肩に担いだまま、日向さんがひらひらと手を振って黒岩さんを制する。
「俺のこの目が言ってるんだよ。彼はただのガキじゃないってな。細かい動きや、あの状況での肝の据わり方、常人じゃない。みらいちゃんを助けたのも事実だろ?」
日向さんの言葉には妙な説得力があった。彼の慈悲である千里眼は、戦場において広範囲の情報を正確に捉える。直接戦闘を見ていなくとも、敬人の纏う雰囲気や微細な動きから、その潜在能力の高さを感じ取っていたのだ。
「……チッ。まあ、日向がそう言うなら、何も言わねえがよ」
黒岩さんは納得いかない様子で舌打ちをしたが、それ以上は追及してこなかった。
ハンモックで眠そうにしていた黒髪の美人は、こちらを一瞥したが、すぐに興味を失ったように再び目を閉じてしまった。
「よし、じゃあボスに通す。田無くん、こっち」
未来さんに促され、僕は部屋のさらに奥にある、重厚な扉の前へと案内された。
扉の先は、先程までの雑然とした空間とは打って変わり、静謐な空気が漂う応接室のようになっていた。
部屋の中央、重厚な革張りの椅子に深く腰掛け、男はこちらを険しい顔で見つめていた。年は40代ほどに見え、上等そうなスーツを着こなしているが、その恰幅の良い体躯は、どこか苦労を滲ませているようにも感じられた。
そして、その傍らには、まるで影のように一人の女性が佇んでいた。長い黒髪をきっちりと後ろで一つに束ね、装飾のない黒いワンピースを身にまとっている。感情の読めない静かな瞳で、彼女もまた僕のことを見定めていた。
「田無敬人君だな」
ボスと呼ばれた男が、低い、よく通る声で言った。
「はい」
「はじめまして。ここに集まってくれた同志を束ねている、矢野礼織だ」
矢野と名乗った男は、一度言葉を切ると、僕の隣に立つ未来さんに視線を移した。
「未来、彼にはどこまで?」
「いえ、ボス。まだ詳しい組織の話はしておりません。まずは田無君に、我々のことをご説明願います」
未来さんが促すと、矢野さんは頷き、再び僕に視線を戻した。
「そうか。田無君、我々の組織の名は『手のひらに星空を』。魔法使いの脅威からこの街を守り、彼らに奪われたものを取り戻すために、そして何より、二度と悲劇を繰り返さないために集った、現在約40名の同志たちの集まりだ」
矢野さんの声には、確かな決意が込められていた。
「ええ。ここにいるのは、田無くん、あなたも含めて全員が何かしらの『慈悲』の力に目覚めた者たちよ。その力が、私たちに残された、魔法使いたちに対抗するための唯一の希望なの。」
未来さんが、僕に言い聞かせるように補足する。
「そうだ」と矢野さんが続ける。「そして、我が組織の主力となる隊長たちが三人いる。日向陸、黒岩譲二、そして浅葱睡。彼ら彼女らはそれぞれ部隊を率い、日夜魔法使いの動向を監視し、対策を練ってくれている。彼らは、我々『手のひらに星空を』の剣であり盾、最も危険な前線に立つ者たちだ」
「隊長…じゃあ、ここは結構大きな組織なんですね」
僕の言葉に、矢野さんは自嘲気味に首を振った。
「…まだ、魔法使いどもの強大な力に比べれば、我々の力など微々たるものかもしれん。だが、それでも諦めるわけにはいかんのだ。我々は、来る『反射の魔法使い』の討伐に、組織の総力を挙げて臨む。この件は、未来から聞いているね?」
「はい。詳しいことはまだ何も聞いてませんが、参加するように、ということだけは」
「よろしい。魔物を使って対策を練るという話は?」
「私のほうから、昨夜してあるわ」
未来が答える。
「そうか。決戦は3日後の木曜日だ。夜20時ごろに出現するであろう『反射の魔法使い』を、総力で叩く手はずになっている」
3日後か。思ったよりも、ずっと時間がないな。
「魔法使いの出現時間と場所は、もうご存じなんですね」
僕がそう尋ねると、今まで傍らで黙していた黒いワンピースの女性――雨宮栞さんが、初めて口を開いた。
「……魔法使いの行動パターンは、ここ数週間、いつも同じでした。毎週同じ曜日の、同じ時間に何度も現れ、私たちには…それを見ていることしか、できず…」
彼女は、まるで苦虫を噛み潰したような顔で、そう説明した。その声には、どうすることもできない未来を視てきた者の、深い無力感が滲んでいた。
「田無君。情けない話だが、我々には魔法使いと直接交戦し、勝利した経験がほとんどない。次の魔法使いへの対策は万全を期しているつもりだが、正直、何が起こるか分からないんだ」
ずっと席で話していた矢野が、ゆっくりと立ち上がり、こちらへ歩み寄ってくる。その巨躯には、確かな威圧感があった。
「田無君。憎き魔法使いたちをこの世界から駆逐するため、どうか、我々に君の力を貸してくれないか?」
その言葉には、組織のリーダーとしての重圧と、切実な願いが込められていた。
楽しいから、魔法使い退治に首を突っ込んでいるだけだ。
そう心の中で呟いてみる。目の前の矢野さんの、そしてここにいるであろう他のメンバーたちの、本気で誰かを憎み、何かを守ろうとするその真剣さに比べれば、自分の動機はあまりにも不純で、軽薄だ。そのギャップに、敬人はなんとも言えない居心地の悪さ、バツの悪さを感じていた。
しかし、そんな僕でも、人が本気で他人を憎み、助けを求める姿を目の当たりにして、言わざるを得なかった。断るという選択肢は、もう僕の中にはなかった。
「はい。一緒に、魔法使いを倒しましょう」
僕がそう答えると、矢野さんの表情は険しいままだった。だが、その瞳の奥にわずかな安堵の色が浮かんだかと思うと、彼は絞り出すように、しかし強い意志を込めて言った。
「……頼む。どうか、死なないでくれ」
ふと、部屋の隅で話を聞いていた日向さんと目が合うと、彼はにやりと笑い、口パクでこう言った。
「――アシ、ひっぱったら、ブチ殺す」
その目は、少しも笑っていなかった。




